| 漆原 良夫 うるしばら よしお | |
|---|---|
| 生年月日 | (1944-11-18)1944年11月18日(80歳) |
| 出生地 | 新潟県燕市 |
| 出身校 | 明治大学法学部 |
| 前職 | 弁護士 |
| 所属政党 | (新進党→) (新党平和→) 公明党 |
| 公式サイト | 前衆議院議員・漆原良夫 |
| 選挙区 | 比例北陸信越ブロック |
| 当選回数 | 7回 |
| 在任期間 | 1996年10月21日 -2017年9月28日 |
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漆原 良夫(うるしばら よしお、1944年〈昭和19年〉11月18日 - )は、日本の政治家、弁護士。愛称は「うるさん」。
衆議院議員(7期)、公明党国会対策委員長、公明党中央幹事会会長(初代)、公明党顧問などを歴任した。
新潟県出身。新潟県立三条高等学校卒業後に大学進学のために上京。大学時代は住み込みで新聞配達をしながら勉学に励み、明治大学法学部を卒業した[1]。
1968年、23歳で司法試験に合格(司法修習23期。同期に仙谷由人がいる)。
1971年、東京弁護士会に弁護士登録を行い、弁護士として活動。
1996年10月の第41回衆議院議員総選挙に比例北陸信越ブロックから新進党公認で出馬し、初当選。その後、いずれも比例区からの選出で連続8回の当選を果たす。
1998年1月の新進党分党に伴い結成された新党平和に参加。党労働局次長に就任する。同年11月には公明党再結成に参加。その後は党広報委員長を務めたのち、太田昭宏代表の下で党国会対策委員長を務める。
2007年7月の新潟県中越沖地震に際しては福井県での遊説を中止して現場に急行。その後、党対策本部本部長に就任した。
2010年10月に党組織委員長に就任。2014年9月には8年間務めた国会対策委員長の職を勇退し、新設の公明党中央幹事会会長に就任[2]。
2017年9月26日、山口那津男代表の記者会見の席で「漆原氏から『後進に道を譲りたい』として、引退の申し出があった」と発表され、10月の第48回衆議院議員総選挙に立候補せず政界を引退した[3]。
2017年11月2日、公明党顧問に就任[4]。顧問退任後も自らの公式ウェブサイトで「時事放弾」と題する政治コラムや「自公今昔物語」と題する回顧録を連載している。
{{cite news}}: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ){{cite news}}: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ)| 党職 | ||
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| 先代 新設 | 公明党中央幹事会会長 2014年 - 2017年 | 次代 北側一雄 |
| 先代 東順治 | 公明党国会対策委員長 2006年 - 2014年 | 次代 大口善徳 |
| 支持母体:創価学会 | ||||||||
| 歴代代表 |
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