定山渓温泉の温泉街(札幌市)温泉街(おんせんがい、おんせんまち)は、温泉に付随して温浴施設や宿泊施設、飲食店や土産物店、遊戯店などが立ち並ぶ町並み。
一概に温泉街といっても実に多種多様である。鉄筋の大型ホテルやリゾートホテルが建ち並ぶような温泉街から昔ながらの木造旅館が並ぶもの、昔ながらの湯治場など様々である。このような変化を及ぼす要因としては次のようなものが挙げられる。
- 地形条件はその場所が、沿岸部、丘陵地、田園地帯、山野、河谷、急崖などによって温泉街の開発に制約が生じたり、また温泉街の構成に面的な変化が起こったりする(例:指宿温泉、伊香保温泉、宇奈月温泉など)。また、周辺の自然景観を借景や囲繞環境として有効活用したりと、温泉地のイメージに応じた開発が行われたりする(例:由布院温泉、瀬波温泉、清津峡温泉など)。
- 主要都市に近いと、その奥座敷として発展するケースは多い(有馬温泉、定山渓温泉、月岡温泉、飯坂温泉など)。比較的遠方でも、港湾整備や観光航路の開設、鉄道の敷設や専用自動車道の開通などに伴い、人口が稠密する大消費地などと密着性を持つと急速に発展を遂げることもある(別府温泉、山代温泉、芦原温泉、鬼怒川温泉など)。また、著名な観光地が近いと、その観光拠点として温泉が開発される例もある(阿寒湖温泉、洞川温泉、阿蘇内牧温泉、天橋立温泉など)。
- 経済条件(外部からの流入資本や地元の地域振興など)
- 地形条件や交通条件などに優れると、大都市や海外などの企業から大量の資本が投入され、一大リゾート地を形成することがある(バーデンバーデン、越後湯沢温泉、南紀白浜温泉など)。また、それとは対照的に地元資本で衰退した温泉地の再興の気運を高め、独自の政策、方針などで温泉地を興隆していった例も見られる(黒川温泉、乳頭温泉郷、小野川温泉など)
- 温泉は泉質が優れ、効能が高いものであるとその温泉は専ら保養、湯治などに用いられ、そのような客を対象とした温泉街を形成することがある(スパ、俵山温泉、酸ヶ湯など)。また、温泉療法を行う医療施設の進出をきっかけに温泉街が発達したり(三朝温泉、亀川温泉など)、湯の花の生産など特殊な産業をきっかけに温泉街が形成されることがある(明礬温泉など)。
- 湯量が豊富であると保養温泉と行楽温泉として発展すべき双方の条件を満たす温泉も現れることがある(ホットスプリングス、草津温泉、下呂温泉、鉄輪温泉など)。
これらの様々な条件は複合することも多く、その他様々な理由から変化に富んだ温泉地が形成される要因となっている。
三朝温泉温泉本通り。夕食後のそぞろ歩きが楽しみな温泉街温泉街を楽しむには宿泊するのが最適とされている。夕食後、旅館の大浴場に入った後に外に繰り出すのが最も一般的な楽しみ方である。朝の出発前、外湯での朝湯や、みやげ物屋を見て歩くのもまた温泉旅行の楽しみの一つである。
- 共同浴場のある場合、外湯も温泉地宿泊の一つの楽しみとなっている。外湯への行き帰りの際に土産物屋などをのぞいてみるのも一つの楽しみといえる。別府温泉には、88ヶ湯を巡り温泉名人を目指す別府八湯温泉道というものがある。
- 近年は温泉への職場旅行自体が減少してきたが、職場等の慰安旅行の場合には集団心理も働き、宴会後に集団で街に繰り出すのがかつては通例であった。ただ、宿泊施設も二次会需要の吸収を目的に館内施設を充実させてきたため、宿泊施設の側はお客の「囲い込み」により全体の売り上げ増につながるが、一方では温泉街の衰退につながるという意見もある。
- 旅館の浴衣が一般的であり、寒い場合は丹前を羽織っていく。履物は下駄や草履、雪駄がよく、これも旅館名が書いてあることが多い。旅館では番傘等の貸し出しを行っている。これらの光景がまた温泉街に風情を添える。外湯へ出かける場合、着替えなどは信玄袋に入れるか、風呂敷に包むのが良い。最近では外出時の貴重品持参用に、旅館名入りの袋が準備されていることが多い。城崎温泉など、浴衣に下駄履きを正装とする地域も存在する。
- 温泉地の土産物として温泉饅頭(薄皮饅頭や酒饅頭)は定番である。温泉の蒸気で蒸して作成するものも存在し、情緒を添えている。夜祭の屋台にも通じるものがあるので、買い食い品はその場で消費されるものとして雰囲気の盛り上げに貢献する。旅行地の土産物を留守家族が喜ぶさまは既に過去のものであろう事から、近所に土産を大量に買い込むお客は減っているものと思われる。温泉の気分を家庭で味わうことのできる湯の花も多くの温泉地で見かけることができる。
- スマートボールと常設の射的場は、昭和時代の温泉街には必ずあった。一時期時代遅れと見なされていたが、湯原温泉など、最近温泉街の目玉として新たに復活している所もある。また、パチンコにしても、最新台を揃える、いわゆるパーラー等を横目に、手打ち台が残るところに情緒を感じる。
歓楽街の機能が組み込まれた大型温泉ホテル(南紀勝浦温泉)温泉街の多くに当てはまる問題点として、1970年代のオイルショック以後から、1980年代のバブル期のリゾートブームの中で、温泉施設の大型化に伴い営業利益を追求するため、温泉街の持つ歓楽街の機能を巨大な温泉ホテルの中に組み込む動きが各地で見られた。温泉ホテル内で全ての歓楽行為が充足される仕組みを作り、観光客が温泉街で落とす金銭のすべてが、ホテルを経営する大企業の利益になるよう考え出されたものであった。この動きは温泉街にとって大きな打撃となり、中小の旅館や飲食店・土産物店は縮小や消滅を余儀なくされた。
しかしながら近年、温泉街の持つ情緒を楽しみつつ散策することに注目する旅行客が増えてきたこともあり、誘客の一環として温泉街を含めての温泉郷全体の魅力が再認識されるようになった。だがバブル崩壊以後の長期不況下において、かつての温泉街を復活・復興させることについては困難もある。
また、温泉観光地として有名な熱海や伊豆、石和温泉や山中温泉、雄琴温泉、皆生温泉などを筆頭に、多くの温泉街では慰安旅行など団体旅行客の集客を目的として風俗街・歓楽街を兼ね備えてきたが、団体旅行の衰退とそれに代わる個人旅行・家族旅行の増加、女性客の旅行ブーム、インバウンドの発展などの時代の変化に対し、観光地としてのイメージ低下が懸念されている。これに対して温泉組合などでは温泉街の「脱・歓楽街」化を目指し、取り締まり強化や再整備により風俗街の機能を衰退させたり(石和、山中、皆生)、温泉街と風俗街を完全に分離する対策(雄琴)をとっている。
そうした中で、2001年に別府温泉で始まった「オンパク」の取り組みは、このような構造的問題で悩む各地の温泉街へと拡大を見せており、その動向は注目に値する。
銀山温泉 温泉街
草津温泉
下呂温泉
城崎温泉
皆生温泉
道後温泉駅前
別府温泉 温泉街台湾には金山から北投温泉にかけて大屯火山群があり、付近を通る金山断層は金山温泉から北投温泉にかけて伸びているとされ、たくさんの温泉がある[1]。なお、北投温泉は1894年に発見された温泉で、ガイドブックなどでは新北投温泉と表記されていることもある[1]。
北投温泉の場合、公衆浴場、個室浴場、銭湯式の温泉などがあるほか、リゾートホテルなどの温泉施設が立ち並んでいる[1]。
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