| しぶかわし 渋川市 | |||||
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| 国 | |||||
| 地方 | 関東地方 | ||||
| 都道府県 | 群馬県 | ||||
| 市町村コード | 10208-3 | ||||
| 法人番号 | 7000020102083 | ||||
| 面積 | 240.27km2 | ||||
| 総人口 | 69,968人[編集] (推計人口、2025年11月1日) | ||||
| 人口密度 | 291人/km2 | ||||
| 隣接自治体 | 前橋市、高崎市、沼田市、吾妻郡中之条町、東吾妻町、高山村、北群馬郡吉岡町、榛東村、利根郡昭和村 | ||||
| 市の木 | モミジ | ||||
| 市の花 | アジサイ | ||||
| 渋川市役所 | |||||
| 市長 | 星名建市 | ||||
| 所在地 | 〒377-8501 群馬県渋川市石原80番地 北緯36度29分22秒東経139度00分02秒 / 北緯36.48947度 東経139.00042度 /36.48947; 139.00042座標:北緯36度29分22秒東経139度00分02秒 / 北緯36.48947度 東経139.00042度 /36.48947; 139.00042 | ||||
| 外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
| ウィキプロジェクト | |||||

渋川市(しぶかわし)は、群馬県のほぼ中央、関東平野の最北西端に位置する市。東京都心から、およそ120 kmの距離にある[1]。
古くから宿場町として、近代でも県内の交通の要衝として栄えてきた。
(2005年国勢調査速報)
高崎から金古を経由する三国街道の宿場町で、加えて本庄から総社を経由する佐渡奉行街道が合流する交通の要衝として栄えた。1613年(慶長18年)に町割が始まったとされ、上ノ町・中ノ町・下ノ町の3町に問屋が置かれた。本陣・脇本陣は置かれなかったが、江戸時代後期には越後の諸大名や佐渡奉行が宿泊している。
六斎市が開かれる市場町でもあり、上ノ町で2日と17日、中ノ町で7日と22日、下ノ町で12日と27日に開かれていた。初市は1630年(寛永7年)。
応永年間に始まったとされる馬市も有名で、春・夏・冬の年3回開かれていた。
| しぶかわし 渋川市 | |||||
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| 廃止日 | 2006年2月20日 | ||||
| 廃止理由 | 新設合併 渋川市(旧)、北群馬郡伊香保町、子持村、小野上村、勢多郡赤城村、北橘村 → 渋川市(新) | ||||
| 現在の自治体 | 渋川市(新) | ||||
| 廃止時点のデータ | |||||
| 国 | |||||
| 地方 | 関東地方 | ||||
| 都道府県 | 群馬県 | ||||
| 市町村コード | 10208-3 | ||||
| 面積 | 51.59km2 | ||||
| 総人口 | 48,110人 (2006年2月13日) | ||||
| 隣接自治体 | 吾妻郡東村、北群馬郡吉岡町、伊香保町、榛東村、子持村、小野上村、勢多郡赤城村、北橘村 | ||||
| 市の木 | アカマツ | ||||
| 市の花 | アジサイ | ||||
| 渋川市役所 | |||||
| 所在地 | 〒377-8501 群馬県渋川市大字石原80番地 (現在の渋川市役所と同一所在地) | ||||
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| ウィキプロジェクト | |||||
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従来の地名より「大字」を外した地名に変更となった。

2006年(平成18年)2月20日までの旧渋川市にあたる地域。
1954年(昭和29年)4月1日までの北群馬郡渋川町。2006年(平成18年)2月20日までは大字がなく、渋川市の次に番地がきていた。便宜的に小字についても掲載する。現在は前述のとおり「渋川市渋川」となっている。
1954年(昭和29年)4月1日までの北群馬郡金島村にあたる地域であり、合併により旧渋川市となった地域。
1954年(昭和29年)4月1日までの北群馬郡古巻村にあたる地域であり、合併により旧渋川市となった地域。
1954年(昭和29年)4月1日までの北群馬郡豊秋村にあたる地域であり、合併により旧渋川市となった地域。

2006年(平成18年)2月20日までの北群馬郡伊香保町にあたる地域であり、合併により渋川市となった地域。

2006年(平成18年)2月20日までの勢多郡赤城村にあたる地域であり、合併により渋川市となった地域。
1956年(昭和31年)9月1日までの勢多郡敷島村にあたる地域であり、合併により赤城村となった地域。
1956年(昭和31年)9月1日までの勢多郡横野村にあたる地域であり、合併により赤城村となった地域。

2006年(平成18年)2月20日までの勢多郡北橘村にあたる地域であり、合併により渋川市となった地域。

2006年(平成18年)2月20日までの北群馬郡子持村にあたる地域であり、合併により渋川市となった地域。
1960年(昭和35年)9月1日までの北群馬郡長尾村にあたる地域であり、合併により子持村となった地域。
1960年(昭和35年)9月1日までの北群馬郡白郷井村にあたる地域であり、合併により子持村となった地域。

2006年(平成18年)2月20日までの北群馬郡小野上村にあたる地域であり、合併により渋川市となった地域。
| 渋川市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 渋川市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 渋川市 ■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
渋川市(に相当する地域)の人口の推移
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| 総務省統計局国勢調査より | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 佐藤力 | 1954年(昭和29年)5月10日 | 1958年(昭和33年)5月9日 | |
| 2 | 町田三郎 | 1958年(昭和33年)5月10日 | 1966年(昭和41年)5月9日 | |
| 3 | 石北正司 | 1966年(昭和41年)5月10日 | 1975年(昭和50年)3月4日 | |
| 4 | 加藤源治 | 1975年(昭和50年)4月27日 | 1981年(昭和56年)4月25日 | |
| 5 | 登坂秀 | 1981年(昭和56年)5月31日 | 2001年(平成13年)5月30日 | |
| 6 | 木暮治一 | 2001年(平成13年)5月31日 | 2006年(平成18年)2月19日 |
| 代 | 氏名 | 就任日 | 退任日 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 市長職務執行者 | 永井良一 | 2006年(平成18年)2月20日 | 2006年(平成18年)4月9日 | 旧赤城村長 |
| 1 | 木暮治一 | 2006年(平成18年)4月9日 | 2009年(平成21年)7月28日 | 旧渋川市長。在職中に死去。 |
| 2 | 阿久津貞司 | 2009年(平成21年)9月13日 | 2017年(平成29年)9月12日 | 旧子持村長 |
| 3 | 髙木勉 | 2017年(平成29年)9月13日 | 2025年(令和7年)9月12日 | |
| 4 | 星名建市 | 2025年(令和7年)9月13日 | 現職 |
定数:18[2]
| 議員名 | 会派名 | 備考 |
|---|---|---|
| 金子渡 | つる舞う | 党籍は無所属 |
| (星名建市) | (自由民主党) | [注釈 1] |
| 選挙区 | 議員名 | 党派名 | 当選回数 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 群馬県第5区(渋川市、富岡市、安中市、高崎市〈旧群馬町・箕郷町・榛名町・倉渕村域〉、北群馬郡、甘楽郡、吾妻郡) | 小渕優子 | 自由民主党 | 9 | 選挙区 |
また、大同特殊鋼、関東電化工業、デンカ、日本カーリットの工場がある。
渋川市には以下の姉妹都市・友好都市がある(うち2つは旧伊香保町の提携関係を継承したものである)。固有名詞の表記は渋川市サイトに従った。
渋川駅は市の中心部に位置するだけでなく、上越線から吾妻線の分岐する交通の要地である。伊香保温泉への入り口駅の一つでもあり、全ての昼行特急列車が停車する。
※かつては旧北橘村の村営バスが渋川市営として引き継がれたが、こちらも日本中央バスに委託された。榛東、箕郷方面の路線はかつて群北第一交通が運営していた(現在は群馬バスに移管)。
当市内を発着する高速バスは、渋川駅と伊香保温泉(一部路線はいずれか片方のみ)を発着している。
