沢田 広(澤田 廣[1]、さわだ ひろし、1918年11月15日[2] -2002年2月10日[2])は、日本の政治家。衆議院議員。埼玉県大宮市(現さいたま市)出身[3]。
| 沢田 広 さわだ ひろし | |
|---|---|
| 生年月日 | 1918年11月15日 |
| 出生地 | |
| 没年月日 | (2002-02-10)2002年2月10日(83歳没) |
| 出身校 | 日本大学文理学部 |
| 前職 | 国鉄職員 |
| 所属政党 | (日本社会党→) 無所属 |
| 称号 | 正四位 勲二等旭日重光章 |
| 選挙区 | 旧埼玉5区 |
| 当選回数 | 6回 |
| 在任期間 | 1976年12月10日 -1993年6月18日 |
| 選挙区 | 大宮市選挙区 |
| 当選回数 | 4回 |
| 在任期間 | 1959年 -1972年 |
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1941年(昭和16年)日本大学文理学部(高等師範)卒業[3][4]。国鉄職員から国鉄労働組合役員、大宮市議会議員を経て[4]、1959年から大宮市選出の埼玉県議会議員を4期務める。
1972年総選挙に日本社会党公認で旧埼玉1区から立候補するが落選[5]。
旧1区から旧埼玉5区が分離独立した1976年総選挙では旧5区から立候補し、初当選を果たした[6]。以後衆議院議員を6期務める。
この間1979年(昭和54年)11月に衆議院交通安全対策特別委員会理事・1989年(平成元年)に衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長を務める。
1993年総選挙では地元党組織が秦哲美[注 1]擁立に動いたのに対し、無所属で立候補を強行。社会党の全国的な退潮もあって秦ともども落選し[7]、政界を退いた。同年4月の春の叙勲で勲二等旭日重光章を受章した[3][8]。
このほか藍綬褒章を受章し[4]、幼稚園を経営し、トーニチ社長に就任した[3]。
2002年(平成14年)2月10日、膵臓がんのため死去した。83歳没。死没日付をもって正四位に叙された[1]。
| 議会 | ||
|---|---|---|
| 先代 高沢寅男 | 1989年 - 1990年 | 次代 上田哲 |