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水島保太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

水島 保太郎(みずしま やすたろう、1846年弘化3年11月[1][2]) -1900年明治33年)4月24日[1][2][3])は、明治時代の政治家自由民権運動家衆議院議員(1期)。

経歴

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水島伝左衛門の子として相模国淘綾郡中里村(神奈川県淘綾郡吾妻村、中郡吾妻村を経て現二宮町)に生まれる[2][4]。望月剛らに師事する[4]1873年(明治6年)小学校教員となり、国府小学校校長を経て、1880年(明治13年)から5期に渡り神奈川県会議員を務めた[4]。ほか、村会議員や郡連合会議員、町村連合会議員などを歴任した[1]1881年(明治14年)湘南社の創立に加わり[2]自由党に参加し、板垣退助江原素六とも親交があり大阪事件に関与し捕らえられた[5]

1894年(明治27年)9月の第4回衆議院議員総選挙では神奈川県第5区から出馬し当選[1]。衆議院議員を1期務めた[1]日清戦争下の国政、秦野県道の開設、吾妻村の成立、二宮駅の開業などに尽くした[3]。墓所は二宮町大応寺[3]

脚注

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  1. ^abcde衆議院、参議院 1962, 486頁.
  2. ^abcd上田ほか 2001, 1815頁.
  3. ^abc神奈川県県民部県史編集室 1983, 710頁.
  4. ^abc神奈川県県民部県史編集室 1983, 709頁.
  5. ^神奈川県県民部県史編集室 1983, 709-710頁.

参考文献

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官選
県会議長
公選
県議会議長
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