Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


コンテンツにスキップ
Wikipedia
検索

水原ゆう紀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曖昧さ回避水原勇気」とは別人です。
みずはら ゆうき
水原 ゆう紀
生年月日 (1949-08-30)1949年8月30日(76歳)
出生地日本の旗日本大阪府箕面市
職業女優
ジャンル映画
テレビドラマ
テンプレートを表示

水原 ゆう紀(みずはら ゆうき、1949年8月30日 - )は、日本女優、元歌手占星術師である。本名:小畠英子[1]

大阪府箕面市出身[1]聖母被昇天学院高等学校卒業。宝塚歌劇団56期生。妹は女優の水原明泉

来歴・人物

[編集]

高校卒業後、宝塚歌劇団に入団(芸名:畠 亜里紗(はた ありさ))する。雪組公演『四季の踊り絵巻/ハロー!タカラヅカ[2]で初舞台を踏む。宝塚入団時の成績は70人中63位[2]1971年3月8日[2]月組配属。同年4月29日[2]をもって退団。

芸名は、とても清楚な感じに見えたということから、透き通ったイメージの「水」に緑を感じさせる「原」。下の名前は最初「由起」が考えられたが本人の全体的なイメージを考えてゆう紀となった[3]

東京タイムズ』1975年4月7日付けでの本人インタビューでは「大阪のカトリック系の高校を卒業し、家出同然のような恰好で上京、以来三年間ヤマハ音楽教室で歌を勉強、そのかたわらにテレビに出演していた。歌は好きで、中学二年から高校卒業まで習っていたが、それはクラシック。声の質がいわゆるオペラ歌手に向いていたからだという…」などと書かれており、宝塚の話は一切ない[4]

宝田明が初めて制作・演出を手掛けるミュージカル『ファンタスティックス』(主演:にしきのあきら、1976年10月20日–渋谷ジァン・ジァン)のヒロイン・エルザ役に公開オーディションで水原が選ばれたと書かれた記事の中で、水原が「舞台がすごくやりたかったので大感激です」と話しており[5]、舞台はこのミュージカルが初めてだったものと見られる。

週刊現代』1980年3月13日号の阿刀田高の対談での水原のプロフィールでは、「本名・小畠英子、1955年、大阪・箕面市生まれ。1968年、全日本学生音楽コンクール西日本大会で優勝。高校卒業後、歌手を目指して上京、音楽教室に通いながら、ラジオやテレビのアシスタントをする。19歳の時、『風色の部屋』でデビュー。1975年、『本陣殺人事件』で映画界へ。以後『金閣寺』や『嗚呼!!花の応援団』などに出演...」と書かれており[6]、水原本人も「芸能界に入りたかったが、父が頑固で大喧嘩し、高校卒業後、すぐに家出して東京の友だちの家に転がり込んだ」などと話し、プロフィールも含め、対談中、こちらも宝塚の話は一切ない[6]

その後、週刊誌に掲載されたグラビアが、自主映画出身の高林陽一監督の目に留まり、高林監督の秘蔵っ子として『本陣殺人事件』、『金閣寺』に出演[1]。『本陣殺人事件』のオープニングクレジットでは「東芝EMI所属」と表記される。その後も清純派女優としてテレビドラマや映画で活躍した。

1979年日活ロマンポルノ天使のはらわた 赤い教室』に出演。教育実習生時代に不良生徒たちから輪姦されたことをきっかけに性の地獄に転落していく女・名美を演じて大胆なヌードを披露し、それまでの清純派のイメージをかなぐり捨てた体当たりの演技で、第1回ヨコハマ映画祭の主演女優賞を獲得した[1][7]。当時は永六輔下重暁子の所属する芸能事務所「クリエート・プロモーション」に籍を置いていた[8]

それ以降も、谷崎潤一郎の『痴人の愛』派生作品『谷崎潤一郎・原作「痴人の愛」より ナオミ[9]や『赤いスキャンダル 情事』などでヌードとなった他、オリジナルビデオやヌード写真集などでも活躍した。現在も女優活動は続けているものの、占星術師を本業としている。

出演

[編集]

映画

[編集]

テレビドラマ

[編集]

オリジナルビデオ

[編集]

バラエティ番組

[編集]

写真集

[編集]

イメージビデオ

[編集]
  • 濡れたルージュ(1992年1月、大陸書房)

ディスコグラフィー

[編集]

シングル

[編集]

※ すべて、EPレコード。

発売日レーベル規格品番タイトル作詞作曲編曲
1973年5月東宝レコードAT-1024Aぼくらの名は青春[10]小池一雄森田公一竜崎孝路
B思い出[10]
1975年4月東芝EMI/

Express

ETP-20117A風いろの部屋吉田旺みなみらんぼう田辺信一
Bブルース通り角の店
1975年11月ETP-20193A恋のラストチャンス菅三鶴中村泰士竜崎孝路
B私が家を捨てる朝
1976年3月ETP-20235AO嬢の物語片桐和子Pierre Bachelet川口真
B幸せを写そう南せいじ小林亜星筒井広志
1981年ポリドール7DX-1110A揺れながら、愛東海林良木森敏之
BPlease, call me again

脚注

[編集]
[脚注の使い方]
  1. ^abcd週刊テレビ番組(東京ポスト)1980年6月27日号 p.36
  2. ^abcd監修:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』阪急コミュニケーションズ2014年4月1日、80-81頁。ISBN 9784484146010
  3. ^週刊テレビ番組(東京ポスト)1983年12月9日号「芸名由来記」56頁
  4. ^“〔出番です!〕 由紀さおりの後ガマを狙う 水原ゆう紀 『女っぽく子供っぽくオペラ志願から転向…」”. 東京タイムズ (東京タイムズ社): p. 5. (1975年4月7日) 
  5. ^「水原ゆう紀がパス 宝田ミュージカルの公開オーデション」『報知新聞報知新聞社、1976年8月10日、15面。
  6. ^ab長谷川力「阿刀田高の『雑学』対談 第19回 ゲスト 水原ゆう紀(24歳=女優) 『女の性感帯って頭の中にあるものよ、だから演技でも感じてしまうときがあるわ』」『週刊現代』1980年3月13日号、講談社、68–72頁。 
  7. ^第1回ヨコハマ映画祭 1979年日本映画個人賞”. ヨコハマ映画祭公式サイト. ヨコハマ映画祭実行委員会. 2025年5月13日閲覧。
  8. ^梅林敏彦、藤田春央「したたかに、しなやかに 若手ポルノ女優たちが脱ぐ時…」『噂の眞相』1979年7月号、噂の眞相、57–58頁。 
  9. ^ab谷崎潤一郎・原作 「痴人の愛」より ナオミ”. 東映チャンネル. 2023年8月17日閲覧。
  10. ^ab水原ゆう紀+トゥエルブ名義

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]
ヨコハマ映画祭 主演女優賞
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
典拠管理データベース: 芸術家ウィキデータを編集
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=水原ゆう紀&oldid=108074710」から取得
カテゴリ:
隠しカテゴリ:

[8]ページ先頭

©2009-2026 Movatter.jp