| 日本民主党 | |
|---|---|
初代総裁・芦田均 | |
| 成立年月日 | 1947年3月31日[1] |
| 前身政党 | 日本進歩党[1][2] 日本自由党(脱党者)[1] 国民協同党(脱党者)[1] |
| 解散年月日 | 1950年4月28日 |
| 解散理由 | 党内対立の激化[2] 分裂[3] |
| 後継政党 | 民主自由党[2] (のち自由党[3]) 国民民主党[2][3] |
| 政治的思想・立場 | 保守[4] 修正資本主義[4] 官僚主義打破[4] |
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日本民主党(にほんみんしゅとう)[4]、略称で民主党(みんしゅとう)は、かつて存在した日本の政党。
戦前の保守二大政党の一翼を担っていた立憲民政党の後継であり、都市部を支持基盤とした。
直接の前身であった日本進歩党は、占領下の政党再結成の動きの中で結党されるが、町田忠治総裁以下幹部の大半を公職追放令で失い、民政党時代に外相を長く務めた幣原喜重郎前首相を総裁に迎えたが、若手議員を中心に幣原総裁への反発が強かった。一方、二大政党の一方の雄(立憲政友会の後継)であった日本自由党では、芦田均政調会長が吉田茂総裁ら主流派と溝があったことから、進歩党は、芦田の一本釣りを画策。金策や自由党内の分裂工作も不要、という破格の条件を芦田が呑み、自由党を離党。1947年3月26日、進歩党は解党する[5]。
3月31日、民主党結党大会が京橋公会堂にて開かれる。議員総数は145名(進歩党から114名全員、自由党から芦田以下9名、中道の国民協同党から15名、他小会派や無所属から7名)で第一党となった。党幹部は、幣原前総裁を最高顧問として棚上げにし、総裁は空席、最高総務委員に芦田の他に斎藤隆夫、一松定吉、河合良成、木村小左衛門、犬養健、楢橋渡が就任し、党運営を主導した。当時、第1次吉田内閣はニ・一ゼネストへの対応で主導権を握れずGHQの介入を招き、GHQの信任を失いつつあったことから、GHQは芦田を次の為政者として最適任だと考えていたとされる[6]。
しかし民主党は、当時躍進著しかった革新勢力との距離の取り方を巡り、右派の幣原と左派の芦田の間で対立が続発した。4月25日、第23回衆議院議員総選挙で民主党は124議席を獲得して第三党。同選挙では過半数を獲得した政党がなく、日本社会党、自由党、民主党、国民協同党の4党が連立交渉を行うが、芦田系は社会党、幣原系は自由党との連立を志して策動。この間、空席であった総裁の座を巡って幣原、斎藤、芦田の三者が争った。結局社会党が第一党であったことから憲政の常道により社会党の片山哲委員長が首相となり、民主党は国民協同党とともに片山内閣に連立与党として参画する。同時に民主党総裁も芦田が就任し、幣原は名誉総裁、斎藤は最高顧問となる[7]。
片山内閣は社会党肝いりの炭鉱国家管理を重要政策に掲げたが、民主党議員の大半は労働者自主管理への反対の意思を表明し、造反の態度を示して経営層の支持を受ける。11月25日、衆議院本会議の採決で24名が反対票を投じ(法案は成立)、幣原名誉総裁以下27名(ほかに田中角栄・原健三郎ら)が除名もしくは離党し、28日、院内会派「同志クラブ」を結成[8]。
翌1948年1月には小平久雄・中山マサら残留した中堅・若手の党内右派議員が太陽会と名乗るグループを結成し、田中万逸や斎藤らが顧問的な存在になる。この頃、片山内閣の崩壊を見越した自由党は、保守勢力が政権の受け皿となるべく保守合同を急ぎ、太陽会は民主党の新党への合流を働きかけたが、革新政権の後見であったGHQ民政局は片山退陣後も社・民・国の政権枠組みの維持を望んでおり、野党第一党の吉田ではなく与党第二党の芦田を次の首班とする予定であったことから、民主党の大半は動かず、2月21日、芦田は首班指名を受け、芦田内閣が成立。この時、太陽会の一部は芦田指名に反対して脱党し、同志クラブと合同して民主クラブを結成。やがて彼らは自由党と合同して民主自由党を結党する[9]。
右派を切り捨ててまで政権を維持した芦田であったが、保守政権をのぞむGHQ参謀第2部および民自党との暗闘の中で、昭和電工事件をはじめとする疑獄事件に見舞われて内閣は長続きせず、10月7日に内閣総辞職。吉田の復権を望まない民政局が主導した山崎首班工作事件に賛同して動くも果たせず、第2次吉田内閣が成立し、民主党は下野する。
1949年1月23日、第24回衆議院議員総選挙で民主党は大敗。2月に芦田、北村徳太郎、中曽根康弘らの野党派と犬養、保利茂、木村らの連立派とに分裂した。同年12月24日、吉田民自党総裁が党議員総会の中で、民主党連立派への合同実現を要望すると、同日、民主党連立派も議員総会を開き保守合同に参加の申し合わせを行った[10]。連立派は1950年2月に民主自由党に入党して自由党を結成。一方民主党野党派は1950年4月に国民協同党と合同して国民民主党を結成して解散した。
民主党の分裂と消滅をもって、立憲民政党の系譜は一度途絶えたが、後に公職追放を解除された民政党時代の政治家が主体となる形で改進党が結成、国民民主党も加わる形で復活。日本民主党を経て保守合同により自由民主党へと合流し、今に至る。
| 総裁 | 幹事長 | 総務会長 | 政務調査会長 | 参議院議員会長 |
|---|---|---|---|---|
| 石黒武重 | 矢野庄太郎 | |||
| 地崎宇三郎 | ||||
| 芦田均 | ||||
| 芦田均 | 竹田儀一 | 北村徳太郎 | ||
| 木檜三四郎 | ||||
| 鬼丸義斉 | ||||
| 保利茂 | 佐々木鹿蔵 | 小坂善太郎 | ||
| 桜内辰郎 | ||||
| 犬養健 | 稲垣平太郎 | 千葉三郎 | ||
| 総裁代行委員 | 幹事長 | 総務会長 | 政務調査会長 | 参議院議員会長 |
|---|---|---|---|---|
| 苫米地義三 鬼丸義斉 北村徳太郎 桜内辰郎 | 北村徳太郎 | 鬼丸義斉 | 千葉三郎 | 桜内辰郎 |
| 最高委員長 | 最高委員 | 幹事長 | 総務委員会長 | 政務調査会長 | 参議院議員会長 |
|---|---|---|---|---|---|
| 苫米地義三 | 北村徳太郎 | 鬼丸義斉 | 千葉三郎 | 桜内辰郎 | |
| 苫米地義三 鬼丸義斉 北村徳太郎 桜内辰郎 | 千葉三郎 | 木内四郎 | 荒木万寿夫 | 中井光次 | |
| 苫米地義三 | 北村徳太郎 鬼丸義斉 桜内辰郎 楢橋渡 | ||||
| 北村徳太郎 | 千葉三郎 | 林屋亀次郎 | |||
| 千葉三郎 | 荒木万寿夫 | ||||
| 中井光次 |
| 代 | 総裁 | 在任期間 | |
|---|---|---|---|
| 1 | 芦田均 | 1947年(昭和22年)5月18日 -1948年(昭和23年)12月16日 | |
| 2 | 犬養健※ | 1948年(昭和23年)12月16日 -1950年(昭和25年)2月10日 | |
※1949年(昭和24年)2月16日 - 1950年(昭和25年)2月10日は連立派総裁。
| 代 | 総裁代行委員 | 在任期間 | |
|---|---|---|---|
| - | 苫米地義三 | 1949年(昭和24年)2月16日 - 1949年(昭和23年)3月9日 | |
| 鬼丸義斎 | |||
| 北村徳太郎 | |||
| 櫻内辰郎 | |||
| 代 | 最高委員 | 在任期間 | |
|---|---|---|---|
| - | 苫米地義三 | 1949年(昭和24年)3月9日 - 1949年(昭和23年)3月16日 | |
| - | 苫米地義三 | 1949年(昭和24年)3月16日 - 1949年(昭和23年)3月17日 | |
| 鬼丸義斎 | |||
| 北村徳太郎 | |||
| 櫻内辰郎 | |||
| 楢橋渡 | |||
| 代 | 最高委員長 | 在任期間 | |
|---|---|---|---|
| 1 | 苫米地義三 | 1949年(昭和24年)3月17日 - 1950年(昭和24年)4月28日 | |
| 選挙 | 当選/候補者 | 定数 | 備考 |
|---|---|---|---|
| (結党時) | 134/- | 466 | |
| 第23回総選挙 | 124/350 | 466 | 追加公認+8 |
| 第24回総選挙 | 69/208 | 466 | 追加公認+1 |
| 選挙 | 当選/候補者 | 非改選 | 定数 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| (結党時) | -/- | - | - | 参議院発足前 |
| 第1回通常選挙 | 30/54 | - | 250 | 第1回のみ全員選挙、追加公認+11 |
| 前身:自由党・日本民主党 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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