死に体(しにたい)は、相撲用語で姿勢のバランスが崩れた状態を指す。「体(たい)がない」「体(たい)が死んでいる」ともいう。さらにこの言葉が転じて、レームダックと同義語の政治用語としても使われる場合がある。
この状態になった力士は、実際に土俵上に体が触れたり土俵を割るなどしなくても、その時点で負けになる。逆に対戦力士は、死に体となった力士より手などを多少早くついても、「かばい手」等と呼ばれ負けにはならない。明文化された規則ではないが、自分や対戦相手が死に体となったら、無用な怪我を避けるため、その時点で廻しや相手の体から手を離し、力を抜かなくてはいけないとされている。
しかし勝負判定にビデオ判定が採用された1969年以降の大相撲では、これに対する弊害として、死に体からでも無理な投げを打って逆転を狙う力士や、逆に勝負あったと力を抜いた相手にダメ押しをする例も見られ、力士の怪我が増加する一因ともなっている。
2022年7月場所中、北の富士勝昭は自身のコラムで「今場所はやたら物言いが多い。一見、審判部は積極的に物言いをつけているように見えるが、確認と称して素人でも分かる相撲にも手を挙げている」「死に体や生き体の区別をはっきりさせた方がいい」と昨今の審判部の傾向を語っている[1]。
成文化された規則では、
相手の体を抱えるか、褌を引いていて一緒に倒れるか、または手が 少し早くついても、相手の体が重心を失っている時、即ち体が死んでいる時は、かばい手といって負けにならない。 — 相撲規則勝負規定第14条
と定められているのみで、「死に体」について明確な基準はなく、実質その時々の行司や勝負審判の判断にまかされている。基本的には、自らの重心を支えきれなかったり、体勢を立て直すことが出来ず、相撲を取り続けられないと判断された状態。逆転は不可能で、技をかけた力士が先に落ちたような場合でも、技をかけられた力士が「死に体」であれば攻めた方が勝ちとなる。
目安として、
などを指すことが多いが、あいまいでわかりにくいという批判が、長年好角家の間で言われている。一方で、例えばある力士は一度傾くとそこから倒れるまでが非常に早く、別の力士は同じような体勢からでも持ち直す足腰の強さがあるなど、個人差もあって、一律に明文化できる概念でないことも確かである[3][2]。
また上記条文を厳密に解釈する限り、かばい手の認められるのは土俵内で重ね餅で倒れた時のみということになる。土俵際で体がくずれた相手力士をかばう形で土俵外に足を踏み出してしまった場合(いわゆる「かばい足」)や、体が離れてともに倒れ込んだ場合などについては明確な規則がなく、そのような相撲では判定をめぐって紛糾することも多い。
『死に体』という用語は、相撲以外においても回復が困難な状況・状態や、すでに意義を持たないものなどに対して用いられる(例:死に体内閣)。詳しくはレームダックを参照。