

橋本 正治(はしもと まさはる[1]、1873年(明治6年)5月17日[2] -1956年(昭和31年)10月8日[3])は、日本の内務官僚、政治家。北海道札幌市長、山口県知事、鹿児島県知事、呉市長[1]、札幌観光協会長[4]。札幌市栄誉市民。旧姓・吉田。
福井県吉田郡円山西村(現在の福井市)出身[5]。吉田伝七の二男として生まれ、のち橋本久と結婚し橋本と改姓[1]。1901年(明治34年)、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業[2]。高等文官試験に合格して内務省に入省。北海道勧業部長、山口県知事、鹿児島県知事などを経て1927年、札幌市長に就任。1937年、札幌市長を退任した。後任は三沢寛一。
市長在任中は上下水道事業の推進[6]、札幌市営バスの運行開始などを行った。藻岩に彫像がある。
ほかに、札幌観光協会の会長(初代)、札幌スキー連盟会長、札幌市防護団長などを務めた。
大倉山ジャンプ競技場の名付け親としても知られる。墓所は平岸霊園。
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