横手市(よこてし)は、秋田県東南部に位置する市。毎年2月に行われる伝統行事のかまくらや、B級グルメの横手やきそばで知られている。
横手市は、2005年(平成17年)10月1日に旧横手市と平鹿郡増田町、平鹿町、雄物川町、大森町、十文字町、山内村、大雄村が合併して発足した市で、秋田県内陸南部の横手盆地中央部に位置する都市である[1]。東部には奥羽山脈、西部には出羽山地が連なり、その中央部の横手盆地を、奥羽山脈から流れる皆瀬川・成瀬川や横手川などが合流する雄物川が流れ、周囲には水田地帯が広がっている[2][3]。冬季は積雪量が多く、豪雪地帯および特別豪雪地帯の指定を受けている[4]。
現在の横手市域はかつての平鹿郡域に相当するもので[5]、郡の中心都市は横手(旧横手市)であった[6]。横手は雄物川の支流である横手川沿いに発達した都市で、慶長7年(1602年)の佐竹氏転封により、横手城が久保田城の支城として築城替えをおこなってから城下町として発展した[7]。城下は横手川を境に右岸が武士が住む内町、左岸が商人や職人が住む外町と呼ばれた[8][7]。横手城は、一国一城令での破却を免れ、県内では大館城と共に久保田城の支城として存続した[9]。横手城は戊辰戦争にて焼失したが[10]、その後、城址は都市公園の横手公園として整備され[11]、二の丸跡に建つ模擬天守からは横手盆地を一望することができる[12]。
総人口をはじめ、市内総生産、事業所数、従業者数、小売業年間販売額など、主要な経済指標において県内で2番目に大きな規模を持つ[13]。また、製造品出荷額等、卸売業年間販売額では県内3位となっており、経済規模は県内でも上位に位置する[13]。一方、1人当たり市内総生産や1人当たり市民所得では県平均を下回っている[13]。産業構造を見ると、第一次産業の比率が県平均を大きく上回り、第二次産業は県平均と同水準、第三次産業は県平均を下回る構成となっている[13]。基幹産業は農業であり、総農家戸数など主要な項目で横手市が県内最多となっており、県内を代表する農業地帯となっている[14]。稲作が中心ではあるものの、その割合は5割を下回っており、全県的に見られる稲作への過度な依存は見られない[15]。農業の複合化が進展しており、リンゴやブドウなどの果樹栽培のほか、ホップやスイカの生産も盛んに行われている[16][15]。市町村別の農業産出額では、農林水産省による2025年の調査で288.8億円を記録し、秋田県内で1位、東北地方では6位となっている[17]。
歴史まちづくり法に基づく「横手市歴史的風致維持向上計画」が国に認定されており、歴史的風致の維持向上を図り、地域の特性を活かした「歴史まちづくり」の推進に取り組んでいる[18]。横手城下での送り盆まつりやかまくら、在郷町として発展した浅舞や増田、沼館地域で行われる神社の祭礼行事など、横手の多様な文化が歴史的風致を形成している[18]。沿道に切妻造妻入形式の主屋が連なる増田の町並みは国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、主屋の背後に設けられた「内蔵」と呼ばれる鞘付き土蔵が特徴である[19]。また、同じく増田に所在する増田まんが美術館は、釣りキチ三平で知られる矢口高雄の出身地であることから開設された施設で、2019年には漫画原画の保存に主眼を置いた美術館としてリニューアルされた[20][21]。現在は日本国内外の漫画家約180人の原画約45万点を所蔵・恒久保存しており[20]、文化庁の委託事業として国内唯一の漫画原画保存に関する相談窓口「マンガ原画アーカイブセンター」を設置するなど、原画保存への取り組みを展開している[22]。
小説家の石坂洋次郎は、1926年に横手高等女学校に赴任し、のちに横手中学校を経て13年間、横手で教鞭をとった[23]。横手は彼の多くの作品の舞台となっており、その中でも、1956年に朝日新聞で連載された小説『山と川のある町』は横手を舞台にした青春小説で[23]、現地でロケが行われ映画化もされた[24]。作中で横手の風景が描かれていることから、「山と川のある町」は横手市のキャッチフレーズとしても広く使用された[25][26]。また、小説『青い山脈』も映画化され、その主題歌「青い山脈」は2013年に横手駅の発車メロディとして採用されている[27]。さらに、市内には当時の資料を展示する石坂洋次郎文学記念館が建設されている[28]。
横手市中心部の空中写真。画像右下部より上方へ横手川が蛇行し流れ、川の両岸に旧来からの市街地が形成されている。横手川の東岸一帯は横手城に隣接しており、緑豊な武家屋敷などが並ぶ城下町らしい街路形状を色濃く残している。2023年撮影の16枚を合成作成。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)(現・地図・空中写真閲覧サービス)の空中写真を基に作成。秋田県の内陸南部に広がる横手盆地の中央部に位置する。北緯39度18分、東経140度33分に位置し、東西45.4キロメートル、南北35.2キロメートル、面積は692.80平方キロメートルである[29]。横手盆地は東の奥羽山脈と西の出羽山地に沿って形成された断層を境界として生じた断層盆地である[2]。市内には南部から皆瀬川・成瀬川、東部から横手川などが流入し、西部を流れる雄物川に合流している[2]。これらの河川は流域に沖積低地を形成し、各河川が形成した扇状地が列状に発達している[2]。その中でも最大なのが市内平野部の大部分を占める成瀬川扇状地で、その扇頂部に位置するのが増田地域、扇端の湧泉地帯に位置するのが平鹿地域の浅舞である[2]。古くから開発が進んだ横手盆地は、日本有数の穀倉地帯であり、丘陵地帯はリンゴ、ブドウ、サクランボなどの果樹園として利用される[2]。横手市の総面積のうち約55.3%が森林で占められており[30]、そのうち国有林は全体の4.3%にとどまり、95.7%が民有林である[31]。秋田県全体では国有林と民有林の割合がおおむね半々であるのに対し、横手市では民有林の割合が特に高いのが特徴である[31]。
市の大部分は盆地上の平坦な地形で、城下町や宿場町を起源とする従来からの市街地を核に、その周辺に小規模な農村集落が点在している[32]。横手(旧横手町)の市街地は横手川の扇状地の扇頂部を中心に形成されており、上流の山内地域を後背地とした、谷口集落として発達してきた[2]。中世に入ってからは小野寺氏が現在の横手公園の地に横手城を築き、城下町として整備された[33]。
南北に国道13号および秋田自動車道、東北中央自動車道が縦貫しており、さらに日本海側と太平洋側を結ぶ国道107号の結節地ともなっている[34]。さらに鉄道では、奥羽本線と北上線が通っており、1972年(昭和47年)までは横荘線も運行していた[35]。これらの路線により、横手駅を中心に十字状の鉄道網が形成されていた[35]。
秋田県の地域区分では県南地区に区分されており、県の出先機関である地域振興局の管轄区分では、横手市単独で構成される平鹿地域に属している[36]。気象庁の発表する緊急地震速報で用いられる区域では、大仙市や湯沢市などと共に秋田県内陸南部に区分されている[37]。
| 横手市 |
|---|
| 雨温図(説明) |
|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | | | | | | | | | | | | | | 気温(°C) | | 総降水量(mm) | | 出典:気象庁 |
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| インペリアル換算 |
|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | | | | | | | | | | | | | | 気温(°F) | | 総降水量(in) |
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寒暖の差が大きく気温の年較差、日較差が大きい顕著な大陸性気候である。太平洋側から吹く季節風が奥羽山脈を吹き下ろし、フェーン現象が発生することがある[41]。過去29年間(1991年から2020年まで)の平年値で、年平均気温は11.2℃、平均日最高気温は15.9℃、平均日最低気温は7.1℃、年間降水量は1737.3mmである[42]。
日本有数の豪雪地帯で冬季の積雪が多く、増田・大森・雄物川・山内地域(旧町村による区分)は特別豪雪地帯に指定されている[4]。最深積雪は平年130cmほどであるが[40]、1973年(昭和48年)の昭和48年豪雪(四八豪雪)では、最深積雪が最高259cmに、2011年(平成23年)は192cm、2014年(平成26年)は179cmを記録している[40]。四八豪雪で都市機能が麻痺した横手市では、その後「防雪モデル都市構想」を提唱し、冬季間の交通確保、特に幹線道路の無雪化を目指した[43]。また、秋田県は「防雪都市建設構想」を掲げ、1974年(昭和49年)に大町通りから流雪溝の設置に着手した[44]。その後は市の事業として整備が市内各地に広がり、1978年(昭和53年)度からは雪寒道路整備事業として国の補助対象となったことで整備が一層進展した[44]。流雪溝は横手川上流から取水し、側溝を通して下流に放流する方式で、1995年(平成7年)時点で49路線、総延長2万785メートルに達している[44]。
| 横手市(1991年 - 2020年[46])の気候 |
|---|
| 月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
|---|
| 最高気温記録°C (°F) | 11.3 (52.3) | 19.9 (67.8) | 22.5 (72.5) | 31.6 (88.9) | 33.7 (92.7) | 34.6 (94.3) | 38.1 (100.6) | 39.2 (102.6) | 36.7 (98.1) | 31.8 (89.2) | 25.9 (78.6) | 18.4 (65.1) | 39.2 (102.6) |
|---|
| 平均最高気温°C (°F) | 1.4 (34.5) | 2.6 (36.7) | 6.9 (44.4) | 15.0 (59) | 21.3 (70.3) | 25.2 (77.4) | 28.3 (82.9) | 30.0 (86) | 25.7 (78.3) | 19.0 (66.2) | 11.5 (52.7) | 4.2 (39.6) | 15.9 (60.6) |
|---|
| 日平均気温°C (°F) | −1.3 (29.7) | −0.8 (30.6) | 2.4 (36.3) | 8.9 (48) | 15.2 (59.4) | 19.7 (67.5) | 23.5 (74.3) | 24.7 (76.5) | 20.4 (68.7) | 13.6 (56.5) | 6.9 (44.4) | 1.1 (34) | 11.2 (52.2) |
|---|
| 平均最低気温°C (°F) | −4.3 (24.3) | −4.1 (24.6) | −1.5 (29.3) | 3.6 (38.5) | 9.9 (49.8) | 15.1 (59.2) | 19.7 (67.5) | 20.6 (69.1) | 16.1 (61) | 9.1 (48.4) | 2.9 (37.2) | −1.8 (28.8) | 7.1 (44.8) |
|---|
| 最低気温記録°C (°F) | −15.5 (4.1) | −16.4 (2.5) | −11.5 (11.3) | −6.5 (20.3) | −0.2 (31.6) | 5.7 (42.3) | 9.3 (48.7) | 11.2 (52.2) | 4.3 (39.7) | 0.0 (32) | −10.0 (14) | −15.9 (3.4) | −16.4 (2.5) |
|---|
| 降水量 mm (inch) | 184.1 (7.248) | 119.5 (4.705) | 95.4 (3.756) | 85.3 (3.358) | 100.1 (3.941) | 113.8 (4.48) | 194.4 (7.654) | 183.6 (7.228) | 136.6 (5.378) | 144.6 (5.693) | 174.1 (6.854) | 206.0 (8.11) | 1,737.3 (68.398) |
|---|
| 降雪量 cm (inch) | 276 (108.7) | 202 (79.5) | 106 (41.7) | 6 (2.4) | 0 (0) | 0 (0) | 0 (0) | 0 (0) | 0 (0) | 0 (0) | 23 (9.1) | 186 (73.2) | 793 (312.2) |
|---|
| 平均月間日照時間 | 32.0 | 52.6 | 100.7 | 157.0 | 185.8 | 172.0 | 146.0 | 177.7 | 144.1 | 130.8 | 83.5 | 38.3 | 1,416.4 |
|---|
| 出典1:気象庁[42] |
| 出典2:気象庁[45] |
横手市を構成する町・字の一覧については、横手市の町・字一覧を参照。
蛇の崎橋から横手川上流方面を望む「横手」という地名の初見史料は、南北朝時代である文和2年(1353年)6月17日付の箟峯寺(陸奥国遠田郡、現・宮城県遠田郡涌谷町)十一面観音像胎内経であり、「山北平賀横手」との記述が見られる[47][8]。
地名の由来については、江戸時代にこの地を訪れた菅江真澄が「雪の出羽路 平鹿郡」にて、川の氾濫を防ぐために築いた「横土堤・横土手(よこどて)」が転化して「横手」になったのではないかと書き残している[47][48]。また、普通名詞の横手は「横の方面」を表すものであることから、単に「(本郷方面から明永見入野方面に至る通路、もしくは関根方面より御嶽山に向かう通路の[49][48])横の方向にある集落」を意味しているのではないかという説もある[47][49][48]。
横手に人が住み始めたのは旧石器時代で、市内では10か所の遺跡から旧石器時代の石器が発見されている[50]。縄文時代前期に当たる6,000年~5,500年前の時期からは竪穴建物からなるムラが発生し、定住生活が始まった[51]。横手盆地において集落跡が確認されているのは前期後半期からで、根羽子沢遺跡(雄物川町大沢)などが確認されている[52]。この時期の遺跡は丘陵地帯や台地上に立地していたが、中期以降は寒冷化が進み、川の流路変動の影響が少なくなると、中期後葉から末葉期にかけて沖積地を中心とした平野部へと進出していった[52][53]。
弥生時代の遺跡は、手取清水遺跡(塚堀)などがあり、弥生時代中期の集落跡が確認されているが、全体としてこの時代の遺跡は少ない[54]。当時は寒冷な気候であったことから、横手盆地においては稲作文化は定着せず[54]、大規模な集落が営まれることもなかった[55]。古墳時代の遺跡は、オホン清水B遺跡(塚堀)や一本杉遺跡(平鹿町下吉田)などが挙げられる[51]。オホン清水B遺跡では、竪穴建物跡や須恵器有蓋高坏、土師器が見つかっており[56]、この時代に横手盆地において古墳文化の集落が営まれていたことを示す[57]。また、この時代の遺跡は横手盆地の中でも現在の横手市域に偏在しており[56]、現在の国道107号に沿った形で、南方からではなく日本海側からの東西のルートで古墳文化が伝播してきたことが推測される[58]。
奈良時代になると現在の東北地方まで朝廷の勢力が及ぶようになり、和銅元年(708年)には庄内平野を中心として出羽郡が建郡された[59]。和銅5年(712年)には出羽郡を核として出羽国が設置され、8世紀半ばの天平5年(733年)に雄勝郡が、天平宝字3年(759年)に平鹿郡が設置された[59][60]。平鹿郡は現在の横手市域に相当するが、この時点では山本郡(後の仙北郡)は成立しておらず、平鹿郡の郡域が山本郡にも及んでいた可能性もある[61]。また、雄勝・平鹿の2郡設置と同時期に、藤原朝狩により天平宝字3年(759年)までに雄勝城が築造された[8][61]。雄勝城の正確な位置は不明で、同時代の遺構は確認されていない[62]。現状、候補地としては雄物川地域の造山地区が挙げられており、同地区の十三塚遺跡からは秋田城や払田柵跡と同様に古代の瓦が出土しており、官衙建築や寺院との関連が推測される[62]。
永保3年(1083年)から寛治元年(1087年)にかけて行われた後三年の役では、現在の横手市域において沼柵や金沢柵が主な戦場となった。藤原清衡と清原家衡の対立が深まり、家衡は沼柵に立て籠もって戦ったとされる[63]。後に家衡は金沢柵へと移り、清衡がこれを滅ぼした[64]。
後三年の役で勝利した清衡は、奥州随一の地元勢力となったが[65]、4代目の泰衡が奥州合戦で源頼朝に滅ぼされ、奥州藤原氏の世紀は終りを迎えた[66]。その後、鎌倉幕府による支配が進み[67]、奥羽地方には多くの鎌倉御家人が入部した[68]。平鹿郡地頭には、幕府吏僚の大中臣惟重が任じられ、惟重の娘と松葉資宗の間に生まれた惟泰が、外祖父である惟重から平賀郡地頭を譲渡したと推定されている[69]。松葉氏は尾張国の御家人で、資宗の長男朝宗が松葉氏の系統を継ぎ、次男である惟泰は平賀氏を名乗り、以降平賀惣領家を代々名乗ることになる[69]。平賀氏の所領支配を伝える史料は少ないが、鎌倉時代から南北朝時代にかけて周辺一帯を所領していたと推定されている[70]。
蔵光院にある沼柵跡碑(雄物川町沼館)同じく、雄勝郡において雄勝郡の地頭職を得た小野寺氏は、雄勝郡稲庭を本拠とし[71]、やがて「屋形」と呼ばれるようになり、勢力を拡大した。横手市域への小野寺氏の進出は、大永年間(1521年~1528年)に小野寺稙道が稲庭城(雄勝郡)を弟である晴道に譲り、沼館城へと本拠地を移したことに始まる[72]。沼館城は戦国時代に起こった後三年の役にて戦場となった「沼柵」を改修したものだとされており[73]、雄物川右岸の段丘上に位置する[74]平城であった[72]。ただ、稙道はわずか数年で本拠地を湯沢城へと移した[75]。役内方面への警戒が高まり、沼館は軍事的要素が不足していたことが移転の理由と考えられる[75]。本拠地を湯沢へと移した稙道は、天文21年(1552年)に横手で起こった平城の乱にて敗死した[76]。平城の乱は、横手佐渡守光盛と金沢金乗坊が逆心を企てたことで発したもので、これに気づいた稙道は平城を攻撃したが、逆に湯沢城へ攻め立てられて敗死した[76]。
横手城の本丸跡に建つ秋田神社(横手公園、城山町)稙道の息子である輝道(後に景道と改名)は、稙道が本拠地とした平城ではなく、これより北東約800m離れた丘陵上に新たに城を築いた[77]。ここが市民から通称「お城山」と呼ばれる場所で、このときに横手城が築かれた[77]。その後、豊臣秀吉による奥州仕置に際し、小野寺氏は太閤検地に反対する仙北一揆が領内で起きたことを咎められ、天正19年(1591年)に自領の3分の1(湯沢・増田を中心とする地域)を没収されることになり、代わりに最上氏の支配下に入ることになった[78][79]。関ヶ原の戦いが行われた慶長5年(1600年)には、出羽国においても合戦が勃発し、この合戦において小野寺氏は最上氏に降伏し、横手城を開城することになった[80]。慶長6年(1601年)に小野寺氏は改易となり、横手盆地から小野寺氏が去ることになった。
小野寺氏が改易された後、秋田には慶長7年(1602年)に佐竹義宣が入封し[81]、それまで秋田実季が居城としていた土崎湊城(現在の秋田市内)に入城した[82]。横手には城代が置かれ、5代からは戸村氏一族が明治まで城代を継続することになる[83]。なお、平鹿郡内においては、豊臣仕置軍により支城の大半が破却されており、小野寺氏が改易された際には横手城・浅舞城・大森城などが残されるのみだった[84]。元和6年(1620年)には一国一城令が秋田に適用された際、ほとんどの城が破却されるも、秋田の場合は例外として久保田城のほかに横手城、大館城の存続が認められた[9]。これ以降、横手城下は城下町として整備されることになる。佐竹家家臣は人為的な土木工事を行い、蛇行する横手川を付け替えたり、土地の高低差を均すなどした[85]。これにより、横手川右岸(横手城側)には武士や足軽の住む「内町」、横手川左岸には商人や職人が住む「外町」が形成された[85]。また、横手城下には羽州街道をはじめとする街道が各方面へと伸びており、横手は平鹿郡における中心都市としての地位を確立した[6]。横手城は、江戸時代末期の慶応4年(1868年)に起こった戊辰戦争において、庄内藩を中心とする旧幕府軍に制圧され、慶応4年8月11日に落城した[86][10](秋田戦争や横手の戦いも参照)。
※右記は合併前の旧・横手市のデータ。
別途、年2回期末手当あり
- これらの他、横手市では2010年(平成22年)12月に、秋田県の出先機関で当市域を管轄する秋田県平鹿地域振興局と、双方が実施する事務事業を共同化・一体化して処理することによる住民サービスの向上、事務事業の効果的・効率的な実施、行政コストの縮減等を目的として機能を合体することで合意し、2011年度(平成23年度)から順次開始している。これにより、平鹿地域振興局の局舎内にも市職員が配置されている[180]。
条里南庁舎
秋田県平鹿地域振興局
増田庁舎
(旧増田町役場)
平鹿庁舎
大森庁舎
(旧大森町役場)
雄物川庁舎
十文字庁舎 旧庁舎
(旧十文字町役場)
山内庁舎
大雄庁舎
(旧大雄村役場)
2005年(平成17年)10月1日に制定された。デザインは、横手市の「よ」と「Y」、旧平鹿郡の「ひ」をモチーフにしている。市章は3色で構成されており、シンボルカラーである「横手美の里色(よこてみのりいろ)」「横手萌木色(よこてもえぎいろ)」「横手花浅葱色(よこてはなあさぎいろ)」がそれぞれ使用されている[181]。旧・横手市の市章は、横手町の町章をもって、1951年(昭和26年)4月1日の市制施行の際に制定された[182]。デザインは、「大」の字を星に型取り、その中に「ヨコテ」の字を作図したもので、「大横手」を象徴している[182]。
2010年(平成22年)10月1日に市政5年を記念し、市の木・花・鳥・歌が制定された。市の木は「リンゴ」、市の花は「桜」、市の鳥は「白鳥」がそれぞれ制定されている[183]。
市の歌は『横手市民歌』として制定されている[184][185]。作詞は安倍幸一、作曲は泉谷閑示、補作詞を横手市民歌制定検討委員会が行った。市町村合併前の旧横手市にも市民歌が存在したため、現行の市民歌は2代目となる(市町村合併前の旧横手市を含めない場合は初代)。
秋田地方検察庁横手支部などが入る裁判所庁舎(城南町)
横手警察署(安田)横手警察署が横手市の全域と東成瀬村の全域を管轄する。横手警察署は、1875年に秋田警察署第3出張所第6大区第5屯所として下根岸町の県支庁舎内に設置されたのが始まりである[90]。翌年に同署横手出張所第7屯所へ改称され、さらに翌年には横手警察署に昇格し、大町中丁に庁舎を新築した[90]。その後も同町内で数度の建て替えを経て[193]、1976年に現在地である安田に移転した[194]。2005年には、増田町、十文字町、稲川町、皆瀬村、東成瀬村を管轄していた[195]増田警察署の一部機能が横手警察署に統合された[196]。2019年に現在の庁舎が竣工した[196]。
横手市消防署(条里一丁目)横手市の消防部局である横手市消防本部が市の全域を管轄する。現在の組織の前身は、1972年に設置された横手平鹿広域市町村圏組合消防本部である[197]。発足当初の消防庁舎は根岸町に所在したが[197]、1993年に現在地である条里(当時は住居表示未実施)に建設された横手平鹿広域市町村圏組合合同庁舎(横手平鹿行政センター、現・横手市役所条里北庁舎)へ移転した[198]。
市立横手病院(根岸町)横手市は、秋田県に3つ設けられている医療法に基づく二次医療圏のうち、県南医療圏に属している[199]。2024年度の二次医療圏再編以前は、県内に8つあった二次医療圏のうち、横手市単独で構成される横手医療圏に含まれていた[199]。再編後の県南医療圏は、旧横手医療圏のほか、旧大仙・仙北医療圏、旧湯沢・雄勝医療圏が含まれる[199]。
横手市の清掃事業は、2005年10月1日の合併以前に横手平鹿広域市町村圏組合が設置した東部環境保全センター、南部環境保全センター、西部環境保全センターの各3か所で行われていたが、2016年4月1日よりクリーンプラザよこてへと統合された。
- 郵便局
- 横手郵便局(集配局、ゆうゆう窓口設置局)
- 大森郵便局(集配局)
- 雄物川郵便局(集配局)
- 十文字郵便局(集配局)
- 館合郵便局(集配局)
- 平鹿郵便局(集配局)
- 山内郵便局
- 増田郵便局
- 羽後金沢郵便局
- 横手平城郵便局
- 横手駅前郵便局
- 横手鍛冶町郵便局
- 横手旭川郵便局
- 横手幸町郵便局
- 横手栄郵便局
- 旭郵便局
- 横手黒川郵便局
- 田根森郵便局
- 阿気郵便局
- 川西郵便局
- 八沢木郵便局
- 雄物川大沢郵便局
- 里見郵便局
- 羽後植田郵便局
- 羽後吉田郵便局
- 醍醐郵便局
- 真人郵便局
- 簡易郵便局
- 中杉沢簡易郵便局
- 安田簡易郵便局
- 横手赤坂簡易郵便局
- 大橋簡易郵便局
- 福地簡易郵便局
- 境町簡易郵便局
- 三重簡易郵便局
- 睦合簡易郵便局
横手市増田体育館(増田町増田)
グリーンスタジアムよこて(赤坂)横手市には、2020年(令和2年)度の時点で、39のスポーツ施設があり、延べ床面積は46,491平方メートルである[204]。以下では、横手市が策定した「横手市財政経営推進計画」において、大規模改修や建て替えによって機能を維持する方針とされる「長寿命化」に分類された施設を一覧にする[204]。
横手市増田まんが美術館(増田町増田)
横手市生涯学習館Ao-na(駅前町)横手市は、日本国内で2つの都市と友好都市締結をしている[218]。
那珂市(茨城県) -2004年(平成16年)10月22日提携[218][221]。- 佐竹氏の家臣であり戸村城主であった戸村氏が、慶長7年(1602年)に佐竹氏の秋田転封に伴って那珂から秋田に移り、寛文12年(1672年)から約200年間にわたり横手城代を務めたという歴史的経緯により、両市の交流が深まり、締結に至った。交流の発端となったのは、1975年(昭和50年)頃から始まった「那珂町史」の編纂事業で、編集関係者が資料収集のために横手市を訪れたことによる[222]。その後、1980年(昭和55年)には、横手市側からも横手郷土史「旅の会」が研修のため那珂町を訪問するなど交流が続き、また同年10月には当時の横手市長・五十嵐忠悦が那珂町を訪問した[222]。また、その翌年に開催された那珂町のイベント「なかいきいきフェスタ」では横手市の紹介ブースが設置された[222]。その後、2000年(平成12年)に両市町のスポーツ交流事業に関するの覚書が締結され、2004年(平成16年)に友好都市として正式に締結された[222]。なお、那珂町は2005年に市制施行し那珂市となっている[223]。
横手市では、2025年10月8日時点で、災害時応援協定を行政機関・自治体等と13件、民間事業者と40件、指定地方公共機関と1件締結しているほか、指定公共機関との間で2件の覚書を交わしている[224]。そのうち、自治体と締結している災害時応援協定について以下に示す。
このほか、秋田県内の全13市と「秋田県内都市相互援助協定」を2006年4月26日に、また、秋田県および県内全市町村と「秋田県及び市町村相互援助協定」を2012年1月20日に締結している[224]。
横手市の経済規模は、総人口をはじめ、事業所数、卸売業年間販売額、小売業年間販売額など多くの指標が秋田県の9%程度を占めており、県内順位は概ね2位である[225]。市町村合併が行われた2005年と、その後の2015年を比較すると、市内総生産や製造品出荷額など7項目でシェアが向上しており、総人口や事業所数など3項目でシェアが低下している[225]。また、実数比較の場合では7項目で減少しており、横手市の経済は縮小傾向にある[225]。
産業構造は、産業別市内総生産(名目)の構成比からみると、第1次産業が5.9%、第2次産業が18.1%、第3次産業が76.1%である[226]。県の構成比比(第1次産業3.5%、第2次産業18.2%、第3次産業78.4%)と比較すると、横手市では第1次産業の比率が大きく上回っている[226]。また、2010年の国勢調査における就業者数の産業別構成比でみると、第1次産業が16.8%、第2次産業が25.9%、第3次産業が57.3%となっている[226]。これは秋田県全体の構成比(第1次産業9.9%、第2次産業24.7%、第3次産業63.9%)と比較すると、第1次産業の割合が高く、第3次産業の割合が低いのが特徴である[226]。産業別構成の推移をみると、1975年以降、第1次産業の構成比は減少傾向にあるが、近年はその減少幅が緩やかになっている。第2次産業は1995年をピークに減少傾向へと転じており、これに対して第3次産業は一貫して上昇傾向が続いている[226]。
2021年度の市内総生産は3,035億円で、秋田市に次ぎ県内で2番目、全体の8.6%を占める[227]。経済活動別構成比をみると、農林水産業が4.6%、製造業19.6%、建設業6.8%、卸売・小売業10.6%、不動産業12.3%、公務6.3%、保健衛生・社会事業13.1%、その他26.8%となっている[227]。市民所得は2,113億円で、秋田市に次ぎ県内で2番目、全体の8.3%を占める[227]。2012年度の1人当たり市内総生産は309万4,000円で、県平均(329万5,000円)対比 93.9%である[228]。県内で最も高いのは大潟村(706万5,000円、214.4%)で、横手市は7位である[228]。2012年度の1人当たり市民所得は226万9,000円で、県平均(245万円)対比 92.6%である[228]。県内で最も高いのは大潟村(409万9,000円、167.3%)で、横手市は9位である[228]。
横手市の地価は、2014年7月時点の住宅地の基準地価は前年比5.1%の下落で、県平均(4.4%)を上回る下落率となり、人口7万人以上の県内5市(横手市、秋田市、大仙市、由利本荘市、大館市)の中で最も落ち込みが大きかった[229]。住宅地の1平方メートル当たりの平均価格は1万700円で、2006年の約7割に低下し、県平均(1万4,700円)を下回っている[229]。商業地においても、同年の平均変動率は6.2%の下落で、県平均(5.5%)を上回り、県内5市の中では大仙市に次いで下落率が大きかった[229]。2009年の1平方メートル当たりの平均価格3万1,400円から、2014年には2万1,100円へと低下している[229]。
2010年度の農家戸数では、総農家戸数をはじめ主要な項目すべてで横手市が県内最多となっており、いずれの項目でも第2位には大仙市が続いている[14]。このことから、横手市が秋田県を代表する農業地域であることが示されている[14]。横手市の農業の中心となるのは稲作であるが[230]、リンゴやブドウなどの果樹・畜産をはじめ、転作作物としてホップやソバ、スイカやアスパラガスの作付拡大による農業の複合化も進んでいる[16]。中でも、ホップは大雄地域で盛んに生産され、市町村別の生産数で全国トップに躍り出ている(2021年~2023年)[231]。2018年には、横手市とキリン株式会社が支援協定を結んだ[232]。また、2019年には協定による活動をより強固にしていくため、大雄ホップ農協とキリングループ、横手市で作る官民連携組織「よこてホッププロジェクト」が発足した[231]。このように、持続可能な農業のために農業の複合化などが進んでいるが、農家戸数や農業就業人口は減少傾向にあり、平均年齢も高齢化が進んでいる[14]。
経済産業省の「工業統計調査」によれば、2017年の製造品出荷額等は約1,311億円で、2012年の調査と比較して117億円増加している[233]。産業中分類別でみると、輸送用機械器具製造業の割合が最も高く、総出荷額の約36%を占める[233]。秋田県全体では電子部品・デバイス・電子回路製造業が約28%を占めるのに対し、横手市では約13%に留まり、自動車関連産業の集積が際立っている[233][234]。
経済センサスによれば、2012年の卸売業事業所数は269で、前回調査(2007年)より20事業所(6.9%)減少した。従業者数は1,933人で276人(12.5%)減少し、年間商品販売額も891億7,500万円で186億円(17.3%)減少した[235]。また、横手市の卸売業は県内シェアで事業所数は10.1%、従業者数は11.2%といずれも秋田市に次いで2位だが、年間販売額は9.3%で秋田市・大館市に次ぐ3位となっている[235]。産業分類別では「飲食料品」が最も多く構成比31.1%、次いで「機械器具」22.4%である[235]。年間販売額でも「飲食料品」が29.9%を占め、県平均(28.3%)や全国平均(19.7%)を上回っている[235]。特に野菜や農畜産加工品など、地元産品を首都圏をはじめ全国へ販売している点が特徴である[235]。
横手駅から眺めた再開発前の駅前通り(2007年7月)経済センサスによれば、2012年小売業事業所数は1,177で、前回調査(2007年)より230事業所(16.3%)減少した。従業者数は6,719人で363人(5.1%)減少し、年間商品販売額も985億1,500万円で、149億円(13.1%)減少した[236]。事業所数・従業者数・年間販売額の減少は、人口減少による購買力の低下や、大型店やチェーン店の出店による競争激化が背景にある[236]。また、横手市の横手市の小売業は県内シェアで事業所数10.8%、従業者数10.0%、年間販売額10.0%といずれも秋田市に次いで2位となっている[236]。産業分類別では、「その他」(ドラッグストア、ガソリンスタンド、書籍・文房具小売業など)が最も多く39.1%、次いで「飲食料品」が33.2%である[236]。
横手城の城下町として発展した横手では、四日町や大町が江戸時代以降、商業の中心地として栄えた。大正から昭和初期頃にかけては盛んに市が開かれ、年間で平均して150の露店が並んでいた[237]。明治に入ると、奥羽本線の開通に伴って横手駅が開業し、市街地は駅方面へと拡大した[238]。しかし無秩序な開発が進んだことから再開発が必要とされ、昭和時代後期に再開発が行われた[117]。その結果、総合スーパーのジャスコや地元商業者によるユニオンなどの大型商業施設が開業した[114]。さらに横手バイパスの開通や郊外型店舗の進出により、バイパス沿線が新たな商業集積地となり、商業の中心は旧市街地から郊外へと移っている[239]。
横手商工会議所 大町会館(1979年から2024年までの本部)横手商工会議所の前身となる横手商業組合は、明治末期の発足と推測されているが、定かではない[240]。1934年(昭和9年)に横手商工会と改称し、1965年(昭和40年)には会長制から会頭制へと改めた[240]。1951年(昭和26年)に横手町が市制施行した際、横手商工会は横手商工会議所と改称されたが、これは法的には認可されたものではなかった[240][241]。当時、任意団体として発足した商工会議所が国内において乱立していたため、1953年(昭和23年)に商工会議所法が成立した[240]。1954年(昭和29年)、商工会議所法に基づく正式な会議所としての昇格を望む機運が高まり、通商産業省(現・経済産業省)や日本商工会議所などへ度重なる陳情を行い、1954年(昭和29年)11月22日に正式に認可された[242][241]。秋田県内においては、秋田商工会議所に次ぎ2番目に設立された[243]。
発足当初、事務所は横手南小学校の一室を間借りしていたが、1954年(昭和29年)6月15日に四日町中丁(現・四日町2番23号)の日本専売公社横手営業所跡(横山町へ移転)に移転した。しかし、認可当初4、5人であった職員数が1970年(昭和45年)には約20人へと増加し、施設狭隘となっていたため、1971年(昭和46年)には大町7番18号の横手保健所跡(旭川へ移転)に移転した[242][243]。横手保健所を改装した会館もやがて再改装計画が持ち上がったが、1979年(昭和54年)11月7日に新築の会館が竣工した[242][243]。新会館は4階建てで、1階部分は駐車場(25台分)、2階以降が事務所となっていた[244]。改築には県や市の補助金や、横手川改修に伴う補助金などが充てられた[244]。
2024年(令和6年)9月17日には横手駅東口周辺の再開発事業に伴い、秋田ふるさと農業協同組合やホテルなどが入居する民間ビルに移転・入居した[245]。なお、従前の大町の会館については、テナントビル、会議室などとして利用される[245]。
「まんさくの花」の蔵元で知られる日の丸醸造横手市の酒造業は、全国的な飲酒人口の減少や若年層のアルコール離れの影響を受け、長期的に縮小傾向にある。蔵元数は県全体の約13%を占めるが、生産規模は比較的小さい[246]。こうした中、各蔵元は「量から質へ」の転換を図り、酒質向上や新商品の開発、品評会への出品、試飲会の開催などを通じて需要拡大に努めている[246]。市内では5つの蔵元が操業しており、最も早く創業したのは元禄2年(1689年)創業の日の丸醸造(まんさくの花)である[246]。そのほか、阿櫻酒造、大納川、舞鶴酒造(朝乃舞)、浅舞酒造(天の戸)などが酒造りを行っている[246]。
横手第二工業団地にある看板横手地域には横手・横手第二・柳田の工業団地が位置しており、市内の製造業の拠点となっている[247]。このうち、横手第二・柳田は秋田道と東北中央道が交わる横手ICに近接しており[248]、輸送用機械関連、電子部品関連などの生産拠点になっている[247]。また、雄物川地域には福地工業団地、十文字地域には八萩工業団地が位置し、自動車部品、金属プレス加工品、製麺工場などがある[249]。
秋田銀行横手条里支店
北都銀行増田支店(羽後銀行発祥の地)横手市内に銀行が進出したのは、1884年(明治17年)春、大町下丁に開業した第一国立銀行秋田支店横手出張所が最初である[250]。1887年(明治20年)4月には、秋田県内で初めて地元資本によって設立された第四十八国立銀行(現・秋田銀行)が、郡役所や警察署などの為替方を命じられ、その取扱いのために県内各地へ出張所を設置した[250]。この際、横手にも出張所が開設されたが、1894年(明治27年)5月に横手銀行が大町下丁で開業するとともに閉鎖された[250]。横手銀行が開業するより前の1887年(明治20年)4月、大町上丁に「斎藤・前田・富岡合名五業会社」が設立された[250]。同社は、養蚕資金の貸付、植桑の仕入、製糸資金の貸付、腐米の改良、通常の貸付の5業務を目的としており、社名の「五業」もこれに由来する[250]。その後、1894年(明治27年)に銀行営業の免許を取得し、1897年(明治30年)に合名会社五業銀行へ改組したが[250]、1932年(昭和7年)の昭和金融恐慌の影響により閉鎖された[251]。1899年(明治32年)5月には、中央資本の安田銀行が、秋田支店に次いで横手支店が開業した[252]。これに前後する形で、平鹿郡内では平鹿銀行(角間川町)、増田銀行(増田町)、戸田銀行(浅舞町)、植田銀行(植田村)などが設立された[252]。
2025年11月現在、横手市内の金融機関は、銀行15支店、信用金庫4支店、福祉金融機関1支店のほか、農林水産金融業である農業協同組合の本店がある。このうち、北都銀行の前身である羽後銀行は、増田銀行として発足した際に現在の横手市内(旧増田町)に本店を置いていた。その後、旧横手町に本店を移転し、現在は秋田市に本店を置いている。
2022年(令和4年)4月 住民基本台帳人口 :横手市(85,201人)内の地域別人口比 横手地域:34,500人 (40.5%) 十文字地域:11,965人 (14.0%) 平鹿地域:11,378人 (13.4%) 雄物川地域:8,305人 (9.7%) 増田地域:6,249人 (7.3%) 大森地域:5,438人 (6.4%) 大雄地域:4,358人 (5.1%) 山内地域:3,008人 (3.6%)  | | 横手市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 横手市の年齢・男女別人口分布(2005年) | ■紫色 ― 横手市 ■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | 横手市(に相当する地域)の人口の推移
| 1970年(昭和45年) | 124,160人 | | | 1975年(昭和50年) | 119,716人 | | | 1980年(昭和55年) | 120,479人 | | | 1985年(昭和60年) | 119,088人 | | | 1990年(平成2年) | 115,761人 | | | 1995年(平成7年) | 112,600人 | | | 2000年(平成12年) | 109,004人 | | | 2005年(平成17年) | 103,652人 | | | 2010年(平成22年) | 98,367人 | | | 2015年(平成27年) | 92,197人 | | | 2020年(令和2年) | 85,555人 | |
| | 総務省統計局国勢調査より |
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推計人口による横手市の人口は、2025年10月1日時点で77132人である。人口動向を見ると、横手市の人口は、第二次世界大戦中から戦後にかけて急増し、1955年にピークである148,648人に達した[259]。しかし、高度経済成長期に入り、多くの若者が都市圏に流失したことにより人口が激減[259]。一度は歯止めがかかるものの、1982年から再度減少に転じた[259]。2005年10月1日の市町村合併時点の人口は、国勢調査によれば103,652人だったが、2020年10月1日時点では85,555人となり、15年間で18,097人減少した。国立社会保障・人口問題研究所による推計によれば、2040年には59,712人、2070年には28,508人になるとし、今後も急速な人口減少が進むと予想されている[259]。
2025年現在は、秋田県全体の人口減少率を上回る減少数で推移している[260]。市内で最も人口減少率が高いのは山内地域で、増田地域、大森地域、雄物川地域がそれに次ぐ[260]。
合計特殊出生率は、2005年から2020年までは1.38から1.60の間で推移していたが、2021年以降は減少し、2023年は1.04となっており、県平均の1.10を下回っている[259]。出生数、死亡数による自然増減では、1982年の時点では578人の自然増だったが、1990年以降は自然減の状態が続いている[259]。また、転出数、転入数による社会増減では、1982年以降、社会減(転出超過)の状態が続いている[259]。
横手駅 東口- 東日本旅客鉄道(JR東日本)
- 羽後交通
明治末期、日本鉄道が上野駅を起点として敷設した東北線が、1890年11月に黒沢尻駅(現・北上駅)まで開業したことにより、横手と黒沢尻を結んでいた平和街道(現・国道107号)は鉄道交通と連結することになり、街道の往来が一層活発化して横手町の発展に大きく寄与した[261]。1892年に公布された鉄道敷設法では、官設鉄道の第一期予定線に奥羽線、二期予定線に黒沢尻または花巻から横手に至る路線(後の横黒線→北上線)が挙げられていた[261]。その後、奥羽線は1905年6月に大曲 - 横手間で開通、同年9月には湯沢 - 横手間で開通し、全線開通を迎えた[94]。奥羽本線の開通により、平和街道の通行量は激減した[94]。また、雄物川舟運も急速に衰退し、平鹿郡内では角間川町のほか、大森・沼館・深井などの河川港も衰退したほか、角間川町の地主や商人は、横手町へ移り住む者も多かった[94]。横手駅は従来からの市街地だった大町・四日町などとは離れた田んぼの中に設置されたものの[262]、駅周辺には旅館や運送業者などが進出し、市街地化が進んだ[263]。
横手バスターミナル
羽後交通の路線バス車両
羽後交通グリーンライナー号の車両横手市のバス路線は、横手駅に近接する横手バスターミナルを中心に、羽後交通が運行する路線が大曲、相野々(山内)、湯沢、本荘、大森方面へ放射状に延びている[264]。1980年頃には、奥羽本線が東京と秋田を結ぶ幹線として優等列車や貨物列車の運行が中心であったため、地域間輸送の多くがバスに委ねられていた[264]。現在も横手と各地の主要都市を結ぶ路線バスが運行されているが、本数は減少傾向にあり、人口減少に伴う利用者の減少や、運賃が安価で本数が増えた奥羽本線(湯沢 -秋田間)への旅客流出などの影響で、かつて運行されていた湯沢・大曲方面への急行・準急バスは廃止されている[265]。
市内の路線バスは2024年(令和7年)現在で以下の通りとなっている[266]。また、以下に加えて、バス路線廃止後の代替交通として乗合タクシーの湯沢沼館線、睦合線、大森線が運行されている[267]。
国道13号と国道107号の交点である安田交差点(2025年撮影)
秋田道と東北中央道の交点である横手IC(2008年撮影)横手は古くから交通の要衝であり、江戸時代には羽州街道が通過していた。また、奥羽山脈を越えて仙台藩へ通じる小安街道、盛岡藩へ通じる小松川街道も整備されていた[33]。明治期に入り、廃藩置県によって県が設置されると、道路整備が進められ、横手を中心に放射状の道路網が形成された[33]。1900年に刊行された『新選秋田縣地理唱歌全』では、「国、縣道の四通(しつう)して 四方(よも)の産物より集い 商(あきない)しげき横手町 實(げ)に縣南の一(いち)ぞかし」と唱われ、当時から横手が県南の交通の中心地であったことがうかがえる[33]。奥羽山脈を横断する平和街道は、現在の国道107号の前身にあたり、1882年に全通した[268]。秋田藩の御用商人で増田町出身の山中新十郎は、江戸から秋田へ商品を輸送する場合、従来の羽州街道を経由するよりも、江戸から石巻までの海路を利用し、石巻から北上川を遡って黒沢尻(現在の北上市)に至り、そこから陸路で奥羽山脈を横断して横手を経由し、角間川から雄物川を下って秋田へ至る経路のほうが安価に輸送できると藩に提言した[268]。これを契機として平和街道の整備が進められ、開通に至った[268]。平和街道の開通により、秋田と東京を結ぶ最短経路が形成され、横手はその交通の要衝として急速に発展した[268]。その後、平和街道は県道を経て1965年に国道に昇格した[268]。翌1966年からは建設省(現・国土交通省)の直轄事業として改良工事が進められ、1995年には秋田県側の大沢バイパスの開通をもって、新たなルートで全線の改良が完了した[269]。さらに、1992年には秋田自動車道の横手IC -秋田南IC間が開通し、1994年(平成6年)には湯沢横手道路が横手ICと接続、1997年には北上西IC -湯田IC間の開通により東北自動車道と連結した[34]。
- 高速道路
- 一般国道
- 道の駅
横手市内で唯一の高等教育機関である秋田県立衛生看護学院横手市には、高等教育機関として、看護師養成や看護教育を行う専修学校の秋田県立衛生看護学院が所在する。同学院はもともと秋田市にあったが、県の方針により県南部への移転が決定され、2008年(平成20年)4月に横手市内の現在地へ移転した[270]。
秋田県立横手高等学校2016年に秋田県教育委員会が策定した「第七次秋田県高等学校総合整備計画」によれば、横手地区では増田高・雄物川高・平成高の3校の統合が検討されており[271]、2024年に3校の統合校は増田高の校舎を改修して2031年度に開校する方針が発表された[272]。また、同年に秋田県教育委員会が発表した「第八次秋田県高等学校総合整備計画」の素案によれば、2038年頃に横手高・横手城南高・横手清陵高の3校を2校に再編することが必要になるとされ、それまでに地域と協議行うこととしている[273]。それ以前の学校統合については秋田県高等学校の廃校一覧#横手市を参照。
2005年10月1日の市町村合併によって現在の横手市が発足して以来、市内の小・中学校は「横手市学校統合推進計画」に基づき再編が進められた[274]。2010年には十文字中と十文字西中が統合し新たな十文字中が開校[275]。2012年には西部地域の雄物川中・大森中・大雄中が統合され、横手明峰中が開校した[276]。2013年には北部地域の鳳中・横手西中・金沢中が統合され、横手北中が開校した[277]。さらに、2018年には山内中が横手南中に編入されている[278]。それ以前の学校統合については秋田県中学校の廃校一覧#横手市を参照。
先述の通り、小学校についても合併以後に再編が進められた。2006年には保呂羽小と大森小が統合され新たな大森小が開校[279]。2008年には大沢小が福地小に編入[280]。2009年には大森小・白山小・川西小が統合され、再度新たな大森小が開校した[281][279]。2015年には雄物川北小・南小・福地小が統合され、雄物川小が開校した[282]。また同年に田根森小と阿気小が統合され、大雄小が開校した[283]。2016年には境町小・黒川小・金沢小が統合され、横手北小が開校した[284]。2021年には十文字第一小・十文字第二小・植田小・睦合小が統合され、十文字小が開校[285]し、一連の統合計画が完了した[274]。それ以前の学校統合については秋田県小学校の廃校一覧#横手市を参照。
横手における最初の幼稚園である横手幼児園(現在は保育所)横手市における幼稚園設置の始まりは明治時代末期に遡る。1912年(明治45年)3月、当時の羽後日報社長であった山崎忠剛が、私立横手幼稚園(現在の横手幼児園)の設立許可願を秋田県に提出した[286]。山崎は、横手への第三尋常中学校(現在の横手高等学校)の誘致や平鹿義塾の開設など、横手の教育整備に尽力した人物であり、横手幼稚園の設立もその一環であったと考えられる[286]。翌1913年(大正2年)8月17日には開園式が挙行され、園舎は現在の本町にあたる地に建てられた[286]。この当時、県内で幼稚園が設置されていたのは横手町のほか、秋田市、土崎港町、能代港町、大館町、本荘町などの都市部に限られており、農村部への幼稚園の普及はその後徐々に進んでいった[286]。
2025年10月現在、横手市内にある認定こども園、保育所の一覧は以下の通り[287]。
- 認定こども園
- 認定こども園上宮第一幼稚園
- 認定こども園上宮第二幼稚園
- 認定こども園土屋幼稚園・保育園
- 認定こども園こひつじ
- むつみ幼保連携型認定こども園
- 幼保連携型認定こども園 沼館保育園
- 幼保連携型認定こども園 相愛こども園
- 幼保連携型認定こども園 和光こども園
- 保育園
- 横手幼児園
- 横手マリア園
- アソカ保育園
- 明照保育園
- 白梅保育園
- 常盤保育園
- ときわベビーハウス
- むつみ乳児保育園
- 旭保育園
- 金沢保育園
- みいりの保育園
- 浅舞感恩講保育園
- 下鍋倉保育所
- 樽見内保育園
- 吉田保育所
- 醍醐保育園
- 雄物川保育園
- 大森保育園
- 川西保育園
- 十文字保育園
- にしの杜保育園
- さんない保育園
- たいゆう保育園
- ますだ保育園(公立)
- 三重保育所(公立)
秋田県立近代美術館などを擁する観光文化施設、秋田ふるさと村(赤坂)
重伝建に選定されている増田の町並み横手市が策定した「第3次横手市観光振興計画」における調査[288]によれば、入込客数の多い施設には、横手公園や秋田ふるさと村、道の駅十文字、道の駅さんないなどが挙げられる。また、祭りなどの観光行事としては、雪まつりや送り盆まつり、桜まつり、浅舞公園あやめまつり、増田の花火などが挙げられる。市全体の観光地点等入込客数は372万244人(2019年度)であった。このうち、増田地域では、増田まんが美術館や蔵の駅、漆蔵資料館、真人公園などの施設において35万9,697人(2019年度)の入込客数が記録されている。なお、秋田県による調査では、横手市の観光地点等入込客数は357万1,877人(2019年度)で、県内では秋田市(745万6,537人)、仙北市(473万5,420人)に次ぐ[289]。秋田県による調査では、2015年の時点で、観光客数の過去最多は2011年に記録しており、約405万人が訪れている[290]。要因として、前年に開催された「B-1グランプリ」にてご当地グルメの「横手やきそば」が優勝して注目が集まったことや、県内でロケが行われた韓国ドラマ「IRIS-アイリス-」の放映効果などが挙げられる[290]。
観光客数を月別に見ると、雪まつりが開催される2月の入込客数が最も多く、次いで8月から10月の夏から秋にかけてと、4月から5月の行楽シーズンに増加する傾向がある[288]。宿泊者数では、8月と10月が特に多く、夏休みや紅葉シーズンの観光客による宿泊が多い。一方で、1月から4月の冬から春にかけては宿泊者数が少ない状況が続いている[288]。外国人観光客の動向を見ると、アジア圏からの宿泊者数が2015年(平成27年)からの5年間で増加しており、特に中国や台湾からの来訪者が大きく増加している[288]。
一方で、観光消費額については東北地方の平均を大きく下回っており、特に飲食費、土産などの購入費、アクティビティなどの体験費用が低調である[288]。また、横手市の観光における課題としては、かまくらなどの誘客力の高いイベントがある一方で、それらが単発的な集客にとどまり、観光閑散期が生じてしまっている点が挙げられる[288]。また、通過型観光が多く、市内での滞在や消費行動が十分に促進されていないことも課題となっている[288]。
- 横手駅前温泉 ゆうゆうプラザ
- おものがわ温泉 雄川荘(雄物川地域)
- 金峰山温泉 ときめき交流センター ゆっぷる(平鹿地域)
- 戸波鉱泉(増田地域)
- おおもり温泉さくら荘(大森地域)
- ゆとりおん大雄(大雄地域)
- あいのの温泉 鶴ヶ池荘(山内地域、休館中)
- 南郷温泉 共林荘(山内地域)
ときめき交流センターゆっぷる
休養センターさくら荘
ゆとりおん大雄
あいのの温泉 鶴ヶ池荘
- 銀河系宇宙ほらふき決勝大会(雄物川、1月)
- 光頭会(雄物川地域、2月)
- あきた十文字映画祭(十文字地域、2月)
- 横手の雪まつり(2月15日 - 17日)
- たらいこぎ競争(増田・4月29日・8月16日)
- よこて桜まつり(4月下旬)
- 秋田スカイフェスタ(平鹿・5月3日 - 5日)
- 大森リゾート村芝桜フェスタ(大森・5月中旬 - 下旬)
- 浅舞公園あやめまつり(平鹿・6月下旬 - 7月上旬)
- 十文字さくらんぼまつり(十文字・6月15日 -7月15日)
- おもフェス(雄物川・7月中旬)
- よこての全国線香花火大会(横手・7月下旬)
- ラッキー祭り(十文字・7月)
- 猩々まつり(十文字・7月下旬)
- 大雄サマーフェスティバル(大雄・7月最終土曜日)
- 送り盆まつり(横手・8月)
- は・は・は祭り(雄物川・8月8日)
- YOKOTE音FESTIVAL(横手・8月下旬)
- いものこまつり in 鶴ヶ池(山内・9月第3日曜日)
- 増田の花火(増田・9月14日)
- 増田蔵の日(増田・10月)
- 真人公園りんごまつり(増田・10月中旬)
- よこて菊人形まつり(横手・10月下旬 - 11月上旬)
- 槻の木光のファンタジー(平鹿・12月中旬 - 1月中旬)
秋田スカイフェスタ
大森リゾート村芝桜フェスタ
浅舞公園あやめまつり
槻の木光のファンタジー
元祖神谷焼そば屋で提供される横手やきそば- ^大町上丁、大町中丁、大町下丁、四日町上丁、四日町中丁、四日町下丁、栄通町、鍛冶町、本町、根岸下町、横町、馬場崎町、裏町、新町、新町下丁、古川町、下タ町、羽黒上町、羽黒中町、羽黒末町、上根岸町、下根岸町、上野台町、島崎町、上島崎町、羽黒新町、御免町、野御扶持町、沼田町、山ノ手新町。
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