| 樋高 剛 ひだか たけし | |
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| 生年月日 | (1965-11-24)1965年11月24日(59歳) |
| 出生地 | |
| 出身校 | 早稲田大学社会科学部卒業 |
| 前職 | 東京海上火災保険従業員 小沢一郎衆議院議員秘書 |
| 所属政党 | (自由党→) (民主党(小沢グループ)→) (国民の生活が第一→) (日本未来の党→) (生活の党→) (生活の党と山本太郎となかまたち→) (自由党→) (希望の党→) (自由党→) 立憲民主党 |
| 称号 | 社会学士(早稲田大学 1990年) |
| 親族 | 義父・平野貞夫(元参議院議員) |
| 公式サイト | ひだか剛 |
| 選挙区 | (比例南関東ブロック→) 神奈川18区 |
| 当選回数 | 3回 |
| 在任期間 | 2000年 -2005年8月8日 2009年 -2012年11月16日 |
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樋高 剛(ひだか たけし、1965年11月24日 ‐ )は、日本の政治家。
衆議院議員(3期)、環境大臣政務官(菅直人改造内閣・菅直人第2次改造内閣)、民主党総括副幹事長兼税制調査会副会長、国民の生活が第一幹事長代行(国会担当)などを歴任。妻は、元参議院議員・平野貞夫の次女。
神奈川県横浜市保土ケ谷区出身。横浜市立橘中学校、神奈川県立旭高等学校を卒業後、1986年に早稲田大学社会科学部に入学。早大在学中は早稲田大学応援部に所属し、副将・連盟常任委員などを務めた。また、政治サークル鵬志会に在籍し、大学の先輩でもある松原仁に師事、東京都議会議員選挙にボランティアスタッフとして参加。1990年、大学卒業後、東京海上火災保険勤務を経て、1991年より松原仁の推薦を受け小沢一郎事務所に入所し、書生、秘書を務める。1994年、平野貞夫の次女と結婚。
1998年7月12日、32歳で自身が被選挙権(参議院は30歳)を得て最初の参院選となる第18回参議院議員通常選挙に神奈川県選挙区(定員3名)から自由党公認で立候補し、立候補者15名中241,189票の8位で落選。
2000年6月25日、第42回衆議院議員総選挙に自由党公認で神奈川7区から立候補。85,340票を集めた現職の鈴木恒夫(自由民主党)・80,189票を集めた首藤信彦(民主党)に次ぐ、37,827票の3位に終わったが、首藤と同様に比例復活で初当選。
2003年、自由党の合併により民主党所属となる。同年11月9日の第43回衆議院議員総選挙では、神奈川7区民主党の現職首藤との間で候補者調整が行われ、樋高は7区と隣接する神奈川18区からの立候補となった。18区での準備期間は短かったが64,879票を集め、58,001票の山際大志郎(自民党)を破り再選。
2005年9月11日、第44回衆議院議員総選挙に民主党公認で立候補。111,787票を集めた山際に対し、77,877票の次点となる。名簿順位2位で重複立候補していたが、惜敗率69.6%の為復活できず落選。
2009年8月30日実施の第45回衆議院議員総選挙に民主党公認で立候補。110,239票を集め、前職の山際を下し3選。
2009年10月7日、民主党副幹事長に就任。2010年6月に党副幹事長を退任。
2010年9月に環境大臣政務官に就任。
2011年6月1日、菅内閣不信任決議案に賛成するため環境大臣政務官の辞表を提出したが[1][2]、6月2日の衆議院本会議前の民主党代議士会で菅直人首相の早期退陣が示唆されたことから、同決議案の採決では反対票を投じた。6月3日には菅首相からの慰留に応じ、辞表を撤回した[3][4]。
2011年9月に党総括副幹事長と党税制調査会副会長に就任。
2012年の消費増税をめぐる政局では、野田内閣による消費増税法案の閣議決定に抗議して3月30日に党総括副幹事長の辞表を提出し[5][6][7]、4月23日の党役員会で受理された[8]。6月26日の衆議院本会議で行われた同法案の採決では、党の賛成方針に反して反対票を投じた[9][10]。7月2日には山岡賢次らを介して離党届が提出された[11][12][13]。民主党は7月3日の常任幹事会で離党届を受理せず除籍処分とする方針を決定し[14][15][16][17][18]、7月9日の常任幹事会で正式決定した[19][20][21]。
同年7月11日、国民の生活が第一結党に参加した[22]。党幹事長代行(国会担当)に就任。
同年12月16日の第46回衆議院議員総選挙に日本未来の党公認で立候補。25,279票の4位に終わり比例復活もできずに落選した。
2014年12月14日の第47回衆議院議員総選挙に生活の党公認で立候補。20,105票の5位に終わり比例復活もできずに落選した。
2017年の第48回衆議院議員総選挙では、自由党神奈川県連代表だった樋高は神奈川18区から立候補する予定であったが[23]、自由党は野党結集を図るため公認候補を出さない方針を決めた。千葉12区に国替えし希望の党公認で立候補するも[24]、落選。2018年4月に自由党神奈川18区支部長に復帰した[25]。
2020年10月6日、旧立憲民主党と旧国民民主党の合流新党である「立憲民主党」は常任理事会を開き、2名の衆議院小選挙区総支部長を選任した。千葉12区は樋高、神奈川17区は元衆議院議員の神山洋介に決まった[26]。2021年10月31日の第49回衆議院議員総選挙に千葉12区から出馬するも浜田靖一に敗れ、比例復活もならず落選。
2024年10月27日の第50回衆議院議員総選挙でも浜田に敗れ落選[27][28]。
| 当落 | 選挙 | 執行日 | 年齢 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 定数 | 得票順位 /候補者数 | 政党内比例順位 /政党当選者数 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 落 | 第18回参議院議員通常選挙 | 1998年07月12日 | 32 | 神奈川県選挙区 | 自由党 | 24万1189票 | 6.76% | 3 | 8/16 | / |
| 比当 | 第42回衆議院議員総選挙 | 2000年06月25日 | 34 | 神奈川県第7区 | 自由党 | 3万7827票 | 14.30% | 1 | 3/6 | 1/2 |
| 当 | 第43回衆議院議員総選挙 | 2003年11月09日 | 37 | 神奈川県第18区 | 民主党 | 6万4879票 | 37.97% | 1 | 1/7 | / |
| 落 | 第44回衆議院議員総選挙 | 2005年09月11日 | 39 | 神奈川県第18区 | 民主党 | 7万7877票 | 37.44% | 1 | 2/3 | 25/7 |
| 当 | 第45回衆議院議員総選挙 | 2009年08月30日 | 43 | 神奈川県第18区 | 民主党 | 11万239票 | 48.82% | 1 | 1/5 | / |
| 落 | 第46回衆議院議員総選挙 | 2012年12月16日 | 47 | 神奈川2区 | 日本未来の党 | 2万5279票 | 12.56% | 1 | 4/5 | 6/1 |
| 落 | 第47回衆議院議員総選挙 | 2014年12月14日 | 49 | 神奈川県第18区 | 生活の党 | 2万105票 | 9.25% | 1 | 5/5 | 3/0 |
| 落 | 第48回衆議院議員総選挙 | 2017年10月22日 | 51 | 千葉県第12区 | 希望の党 | 3万6571票 | 19.29% | 1 | 2/4 | 19/4 |
| 落 | 第49回衆議院議員総選挙 | 2021年10月31日 | 55 | 千葉県第12区 | 立憲民主党 | 5万6747票 | 29.48% | 1 | 2/3 | 15/5 |
| 落 | 第50回衆議院議員総選挙 | 2024年10月27日 | 58 | 千葉県第12区 | 立憲民主党 | 4万5098票 | 24.15% | 1 | 2/4 | 10/6 |
| 党職 | ||
|---|---|---|
| 先代 結成 | 国民の生活が第一幹事長代行 初代:2012年 | 次代 日本未来の党へ合流 |
| 公職 | ||
| 先代 大谷信盛 | 2010年 -2011年 | 次代 高山智司 |
| 第41回 (定数23) |
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| 第42回 (定数21) |
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| 第43回 (定数22) |
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| 第44回 (定数22) |
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| 第45回 (定数22) |
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| 第46回 (定数22) |
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| 第47回 (定数22) |
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| 第48回 (定数22) |
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| 第49回 (定数22) |
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| 第50回 (定数23) |
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| ↓:途中辞職、失職、在職中死去など、↑:繰り上げ当選。 | |||||||||||||||||