| マクロ経済学 | |
|---|---|
| 生誕 | (1957-07-12)1957年7月12日 東京都目黒区 |
| 死没 | (2025-01-28)2025年1月28日(67歳没) 埼玉県所沢市 |
| 国籍 | |
| 研究機関 | 三菱UFJリサーチ&コンサルティング(1991年 - 2007年3月) 獨協大学(2006年4月 - 2025年1月) |
| 研究分野 | マクロ経済学 計量経済学 労働経済学 教育計画 |
| 母校 | 東京大学経済学部経済学科卒業 |
| 学位 | 経済学士 |
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森永 卓郎(もりなが たくろう、1957年〈昭和32年〉7月12日 -2025年〈令和7年〉1月28日)は、日本の経済アナリスト、エコノミスト、タレント。専門は、マクロ経済・計量経済・労働経済・教育計画、オタク文化論など。愛称・通称は「モリタク」。獨協大学経済学部教授などを務めた。
二男がおり、長男は証券アナリスト、経済アナリスト、実業家である森永康平。次男はITエンジニア。父は元毎日新聞社記者[注 1]、獨協大学外国語学部講師の森永京一。
東京都目黒区出身。父親は、毎日新聞の記者[1]。祖父は佐賀県嬉野町長を務めた森永文二[2][3]。父のアメリカ合衆国留学と異動に伴い、小学1年時はボストン、4年時はウィーン、5年時はスイスのジュネーヴに赴任のため、アメリカやスイスなど海外で過ごす帰国子女であった[4]。
帰国後、中学生以後は新宿区高田馬場に転居[5]。1970年3月、目黒区立鷹番小学校、1973年3月新宿区立落合中学校、1976年3月、東京都立戸山高等学校卒業。1976年4月、東京大学理科二類に入学。
1980年3月、東京大学経済学部卒業後の同年4月日本専売公社(現在の日本たばこ産業株式会社(JT))に入社。半年の研修終了後、管理調整本部主計課資金係[6] に配属[7]。
1982年、日本経済研究センター総合計画局へ出向し、予測研究員として従事。1983年、同公社に復帰し、渋谷営業所に配属[7]。
1984年、経済企画庁に出向し、労働力及び人的能力担当計画官付委嘱調査員[7]。森永はバブル時代の収入が少なかったと自身で回顧しており、この頃から雑誌への寄稿を開始[8]。
1986年、JTに帰任し、製造本部製造企画課に配属。同年に三井情報開発総合研究所へ出向。1988年1月末付でJTを退職。
1988年2月、三井情報開発株式会社総合研究所に移籍し、副主任研究員[9]。
1991年、株式会社三和総合研究所に移籍、研究開発部副主任研究員、1992年、研究開発部主任研究員、1993年、研究開発第3部(経済・産業・社会政策)主任研究員に昇進。1997年から2000年まで、経済・社会政策室 室長兼主任研究員、同年、経済・社会政策部 部長兼主席研究員に異動。
2002年、三和総研が東海総研と合併してUFJ総合研究所となり、同社経済・社会政策部 部長兼主席研究員。
1990年代後半頃から、『アクセスNOW』(テレビ神奈川)等の放送メディアにも出演し始めた際、「三和総研」の肩書きで放送メディアに出演する事に対して[注 2]、同社が難色を示したため、当時の番組のディレクターが「経済アナリスト」という肩書きを提案し、2020年4月時点でも使用している。
その後、『ニュースステーション』の番組制作を担当していた芸能プロダクションであるオフィス・トゥー・ワンに所属[注 3]。なお、放送メディアに出演し初めた40歳当時の髪型はリーゼントであった。
再び所属会社が合併し、2005年に三菱UFJリサーチ&コンサルティングとなってから、同社からメディア取材時の稟議書提出を求められ、取材が1日10本ペースだったため、稟議をあげる手間に嫌気が差し、2004年から、父の京一が毎日新聞社退職後にかつて教鞭を取っていた[注 4][10]獨協大学の特任教授に就任し[4]、その後、特任で契約していた同大学との教員契約を優先し、2006年4月に経済学部教授に就任[8]。ただし、この時期も並行して2005年4月から同社客員研究員を2007年3月まで担当した。以後、大学教授の肩書きでタレント活動を行う。
2023年12月27日、ステージ4の膵臓がんであることを公表した[11]。
がんの発覚後も入院することなく、最末期まで闘病と並行してメディア出演等の仕事を熟していた。死去の4日前の1月24日にはTBSのスタジオまで足を運んで『がっちりマンデー!!』の収録に参加。死去の前日にはTBSラジオの『生島ヒロシのおはよう一直線』[注 5]と文化放送の『大竹まこと ゴールデンラジオ!』に電話で生出演。また、死去当日にもニッポン放送『あなたとハッピー』の打ち合わせにリモートには参加しており生放送の出演を予定していたが、体調不良を理由に欠席した[12]。『おはよう一直線』の放送中には、自分の病状について「本格的な転移が始まり、右脇腹に一気に痛みが出てきたので医療用モルヒネを投与しているが、1週間近く殆ど何も食べていない。実感でいうと、そう長くはもたないかもしれない」と明かした[13]。
2025年1月28日13時33分、原発不明がんのため、自宅で死去した[14]。67歳没。葬儀は家族葬で執り行われることとなった。
死去翌日となる29日、森永が出演していた各番組で森永の訃報とともに、パートナーを組んでいたパーソナリティなど所縁の人物がそれぞれ追悼した。
過去に『高嶋ひでたけのお早よう!中年探偵団』『ショウアップナイターニュース』『垣花正のニュースわかんない?!』『森永卓郎の朝はモリタク!もりだくSUN』『森永卓郎 朝はニッポン一番ノリ!』『森永卓郎と垣花正の朝はニッポン一番ノリ!』『上柳昌彦のお早うGoodDay!』『垣花正 あなたとハッピー』の合計8番組にもわたって生前の森永が多数レギュラー出演していたニッポン放送では森永を追悼し、同年2月8日に特別番組『情熱ラジオ!フルスイングありがとう森永卓郎さん』[注 6]を放送する事を発表した[22]。
2月2日、TBSテレビ『がっちりマンデー!!』では冒頭に追悼画面を入れて1月24日に赤坂の同局スタジオにて収録されたものであることを表示した上で通常通り放送。最後にも立ち上がって出ていこうとする姿と感謝の文「森永卓郎さん、20年間、がっちりマンデー!!にご出演いただき、本当に、本当に、ありがとうございました! がっちりマンデー!!スタッフ一同」と表示していた[23]。2月9日、追悼番組を放送[24]。
2023年12月27日、ステージ4の膵臓がんであると公表した[25]。ガン公表を進言したのは息子の康平である。週刊女性PRIMEのインタビューによると「当初、すい臓がんステージ4と医師に診断されたものの、「原発不明がん」の結論に至り、ゆえに大もとのがんをやっつける抗がん剤は見送りに。がん免疫療法薬のオプジーボを投与しつつ、自身の免疫機能を強化してがん細胞と戦っているということ」と語っており、ステージ4の膵臓がんではなく、原発不明がんであると明かした[26]。
2024年4月9日に公開されたインタビューでは以下の通り説明している。
2024年12月1日、死の約2か月前には、YouTubeのNewsPicksのインタビューに答え、18歳で死が怖くなくなったと以下のように話した。大学入学後に「日本史の授業」を取ったところ、笠原一男の授業では通年で日本史を教えなければいけないはずなのに、法然にはじまり日蓮で終わる、しかもほぼ宗教論の内容に終始した。中でも衝撃を受けたのが古代から封建時代に移るときに鎌倉仏教が次々に生まれた理由として、大きな転換期の中で苦しむ民衆を前に法然、親鸞、日蓮など鎌倉仏教の教祖たちは民衆を救うために「本当はあの世など存在しない。神も仏も存在しない」と判っており、ただそれを言うと身も蓋もないので民衆に「今すぐに念仏を唱えなさい。そうすれば誰もがあの世で幸福な暮らしができるようになりますよ」という嘘を敢えて言った。そう信じれば現世を前向きに生きられる気持ちになる。彼らは現世を豊かにするために敢えて嘘をつく、これが悟りを開くことなんだ。という授業を受け、森永はその時点で悟りを開いたのだという。だから、闘病中の今の自分の位置づけは、親鸞、法然、日蓮と横並びだ。話に聞くとブッダも「神も仏もあの世もない」と思っていたらしい。だから私はブッダとも横並びだ。そうなると怖いものなどなくなり、現世をいかに充実させてきちんと楽しく生きるかが最大の関心事なので、余命4カ月と言われたら4カ月の中でどう人生を充実させるかが最大の課題になった、などと語った[28]。
森永は社会民主主義の政策を推し進める事を主張している[63]。父である京一が第二次世界大戦中、海軍予備学生として招集され特攻隊員となり、特殊潜航艇・蛟龍の訓練中、広島沖で原爆投下を目撃[63][64] した経験を聞いたことが、後述の安全保障施策に対しての主張に繋がっている。いま唯一と言ってよいほど自由に物が言えるのが、書籍の世界であるとしている[65]。
2024年9月に発刊された著書『投資依存症ーこうしてあなたはババを引く』で生成AIに対する過剰な期待に警告を鳴らし、その技術に否定的な見解を示している。森永は生成AIが社会変革をもたらし、巨大産業に育っていくという投資家の期待を否定し、その期待感を「新産業のネタに窮した」結果の「バブル」であると述べている。生成AIの創造性について「人間には到底及ばない」「凡庸なものばかりが出てくる」と述べた。また、生成AIが活躍しているのは、インターネットからのアイディアとキャラクターの盗用、詐欺広告におけるディープフェイクの捏造のみであるとして、その技術を「パクリと詐欺の片棒担ぎ」と辛辣な評価を下している[78]。
少子化問題に対して、平成時代の男女平等社会のキリスト女性化の弊害として日本人男性の独身男性比率の急増があるとしていて、見た目のよいイケメンの男性だけにイケメン税を課し、恋愛格差の不平等を是正すれば、不細工な男性も恋愛しやすくなり、結婚する人が増えると主張している[79][80]。森永の案は、イケメンの所得税は倍にする一方、容姿がすぐれていない男性の所得税は1、2割減額。所得税の最高税率は40%のため、イケメンで収入の高い人は80%になる。イケメンかどうかの判定は、無作為に選ばれた女性の評議員が多数決でする、という構想である[79][80]。
日本経済団体連合会による移民受け入れ政策[81]には、「亡国の政策」であるとして反対を表明している。「もしこの施策が実行に移された場合、もっとも不幸なのは日本にやってきて働く外国人である。受け入れ態勢が十分に整わないまま、単なる低賃金労働者として移民させられれば、ありとあらゆる差別が起こるのは目に見えている」と危険視している[82]。
戦争の意義を否定しており、軍事力を重要視する価値観に対しても否定的である。日本国憲法第9条の改正やいかなる戦争にも反対している[83]。2005年3月には、「マガジン9条」発起人となった[84]。また、「私は丸腰戦略というのを提唱しています。軍事力をすべて破棄し非暴力主義を貫くんです。仮に日本が中国に侵略されて国がなくなっても、後世の教科書に『昔、日本という心の美しい民族がいました』と書かれればいいんじゃないかと」[85] と発言している。
前述の絶対反戦平和主義を貫いているため、仮に外国勢力から攻められても座して死するべしと主張しており、武器ないし装備品を持つ事に対しても否定的で、自身は第二次世界大戦時の日本国内の民間人向けの自活兵器やベトナム戦争のベトコンと同じく竹槍で立ち向かえばいいと主張している。
前述の小泉政権時代の小泉純一郎並びに竹中平蔵に対して反政権批判を貫き通している。特に小泉政権時代は発言内容が過激であったため、森永の発信を公安調査庁が定点観測しており、後刻、本人が公安調査庁に呼び出され、発言内容のスクラップファイルを見せられた経験を2016年元日に放送された、『しくじり先生 俺みたいになるな!! 2016しくじり初め元日SP』(テレビ朝日)にて明かしている[86]。
また、第2次安倍内閣以後、森永は変わらずに反自民党政権の発信をしていたが、「森永卓郎はビビッてニュース番組やワイドショーに出演しない」と称されたり[注 10]、2015年時点の普天間基地移設問題のVTRコメントにて「海兵隊は占領にいく部隊だから海兵隊が日本を守ることはありえない。日本がアメリカに逆らった時に、日本を占領するために常駐していると思っている」と発言した事に対し制作側からお蔵入りになった経験がある[87]。最初はリベラル派を自称するコメンテーターがワイドショー、討論番組のオファーが減り干されており、その原因が安倍政権のプレッシャーと主張していた[88]。
日本航空123便墜落事故に疑問を呈している元JAL客室乗務員の青山透子の著書『日本航空123便墜落の新事実』を、実名証言・文献に基づく検証を行っているとし、青山氏の指摘は、根拠不明の陰謀説とは一線を画すものと評価している。森永自身も本事故に対して以下のような主張・見解をしている。[92][注 11]。
公式見解への疑念
墜落現場特定の不自然さ
墜落現場での不可解な点
オレンジ色の飛翔体の証言と当時の政治的背景
事故後の日米関係への影響
残骸の発見と政府の対応
報道・情報番組
| 期間 | 番組名 | 役職 | 備考 | |
|---|---|---|---|---|
| 1995年4月 | 2024年12月頃 | ビートたけしのTVタックル(テレビ朝日) | ゲストコメンテーター | 年に3 - 4回出演 |
| 1996年3月 | ZONE(テレビ神奈川) | レギュラー出演 | ||
| 1996年4月 | 1998年9月 | たてながHAMA大国ナイト(テレビ神奈川) | 準レギュラー出演 | |
| 1998年8月 | 2012年3月 | 愛川欽也 パックインジャーナル(朝日ニュースター) | 不定期でのコメンテーター | |
| 1999年4月 | 2004年3月 | アクセスNOW(テレビ神奈川) | レギュラー出演 | |
| 2000年1月 | ニュースステーション(テレビ朝日) | コメンテーター | リニューアル時に4人の日替わりコメンテーター(後に3人となる)の一人として出演、出演曜日は不定、番組最終回にはコメンテーター3人(清水建宇・萩谷順・森永)が時間枠をずらして出演した(エンディングでは3人揃って出演) | |
| 2000年6月25日 | 選挙ステーション2000(テレビ朝日) | ゲストコメンテーター | ||
| 2002年4月 | 2014年3月 | サタデーずばッと(TBS) | 不定期出演 | |
| 2004年4月 | 2025年2月2日 | がっちりマンデー!!(TBS) | コメンテーター | 特定の1社に限定して放送している回ではなくて複数の企業が紹介される回は年末年始の放送分やスペシャルなどの一部の回を除き芸能人のゲストと一緒に必ず出演していた/2月2日、最終出演の収録は、死去する4日前の1月24日であることがテロップで紹介された/2月9日は追悼番組 |
| 2005年10月2日 | 2007年3月25日 | スタ☆メン(フジテレビ・関西テレビ) | ゲストパネラー | |
| 2006年4月7日 | 2010年8月19日 | 太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。(日本テレビ) | 準レギュラー出演 | |
| 2006年7月 | 2024年12月 | tvk NEWSハーバー(テレビ神奈川) | 毎月最終水曜日出演 | |
| 2006年10月 | 2009年3月 | ピンポン!(TBS) | 不定期出演 | |
| 2007年10月 | 2011年3月 | スーパーモーニング(テレビ朝日) | 水曜日コメンテーター | |
| 2007年10月6日 | 2008年6月28日 | ハッケン!!(フジテレビ) | パネラー出演 | |
| 2007年12月 | 2025年1月27日 | INsideOUT→報道ライブ21 INsideOUT→報道ライブ インサイドOUT(BS11) | 不定期出演 | |
| 2008年4月4日 | 2025年1月24日 | 情報ライブ ミヤネ屋(読売テレビ) | 金曜日パネリスト出演 | |
| 2008年7月6日 | 2009年9月27日 | サキヨミ→サキヨミLIVE(フジテレビ・関西テレビ) | 不定期出演 | |
| 2008年10月5日 | 2011年3月27日 | THE・サンデー NEXT(日本テレビ) | コメンテーター | |
| 2009年9月 | おもいッきりDON!(日本テレビ) | 高橋英樹欠席時のピンチヒッター出演 | ||
| 2009年10月 | 2010年3月 | イブニングワイド(TBS) | 月曜日コメンテーター | |
| 2009年11月3日 | おもいッきりDON!(日本テレビ) | パネリストでのゲスト出演 | ||
| 2010年4月 | 2025年1月22日 | Nスタ(TBS) | 不定期でのコメンテーター | 週1回程度(主に木曜日)出演 |
| 2011年9月 | がっちりアカデミー!!(TBS) | レギュラー出演および番組内ショートドラマ『トク川刑事の事件簿』トク川刑事役 | ||
| 2011年1月 | 2013年3月 | たかじんNOマネー〜人生は金時なり〜(テレビ大阪) | 不定期出演 | |
| 2011年10月 | 2022年3月 | キャスト(朝日放送テレビ) | 関西ローカル番組のため、金曜日に出演する場合には、大阪から放送される『情報ライブ ミヤネ屋』との掛け持ちとなる | |
| 2011年12月29日 | Oha!6 NEWS LIVE スペシャル(日本テレビ系列各局[注 12]) | スペシャルゲスト | ||
| 2015年9月19日 | わがまま!気まま!旅気分〜ガッツリ!自慢したい佐賀の旅〜(BSフジ、サガテレビ) | 佐賀エリアパートでのゲスト出演 | ||
| 2016年4月 | 2024年3月 | ドデスカ!(メ~テレ) | 金曜日コメンテーター | |
バラエティ・クイズ関連番組・その他
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| 歴代テーマ曲の アーティスト・作曲家 | |||||||||||||||||
| 前身番組 | |||||||||||||||||
| 後身番組 | |||||||||||||||||
| 関連番組 | |||||||||||||||||
| 関連人物 | |||||||||||||||||
| 関連項目 | |||||||||||||||||
| 1 1998年4月 - 9月までは金曜日のみの出演に移行。 2 番組終了後『報道ステーション』に同時間帯続投。 3 金曜日のみの出演。 4 当初は木曜日のみ、後に金曜日も出演。 5 就任当初から1988年3月までは『ミュージックステーション』を兼務。 6 『ミュージックステーション』のテーマ曲も担当。 7日韓W杯開催にちなみ、2002年4月 - 大会終了までの期間限定で担当。 8 久米宏の夏季休暇・不在時のメインキャスター代理。 9 小宮悦子の夏季休暇・不在時のサブキャスター代理。 | |||||||||||||||||