| 森山 𥙿 もりやま ひろし | |
|---|---|
内閣総理大臣官邸にて (2024年 撮影) | |
| 生年月日 | (1945-04-08)1945年4月8日(80歳) |
| 出生地 | |
| 出身校 | 鹿児島県立日新高等学校卒業 |
| 前職 | 中古車販売業 |
| 所属政党 | (自由民主党(橋本派)→) (無所属→) 自由民主党(森山派→無派閥) |
| 公式サイト | 衆議院議員 森山ひろし |
| 内閣 | 第3次安倍第1次改造内閣 |
| 在任期間 | 2015年10月7日 -2016年8月3日 |
| 選挙区 | (鹿児島5区→) 鹿児島4区 |
| 当選回数 | 8回 |
| 在任期間 | 2004年4月25日 - 現職 |
| 選挙区 | 鹿児島県選挙区 |
| 当選回数 | 1回 |
| 在任期間 | 1998年7月26日 -2004年4月13日 |
| 在任期間 | 1989年5月18日[1] - 1989年10月5日[1] 1992年5月19日[1] -1997年12月24日[1] |
| 当選回数 | 7回 |
| 在任期間 | 1975年4月28日[2] - 1998年4月25日[2] |
その他の職歴 | |
総裁:石破茂 (2024年9月30日 -2025年10月7日) | |
総裁:岸田文雄 (2023年9月13日 -2024年9月30日) | |
総裁:岸田文雄 (2022年8月10日 - 2023年9月13日) | |
総裁:安倍晋三、菅義偉 (2017年8月3日 -2021年10月14日) | |
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森山 𥙿(もりやま ひろし、1945年〈昭和20年〉4月8日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(8期)、自由民主党鹿児島県支部連合会会長、全国治水砂防協会会長、日中友好議員連盟会長。
農林水産大臣(第58代)、財務副大臣(第1次安倍改造内閣・福田康夫内閣)、財務大臣政務官(第1次小泉第1次改造内閣)、衆議院農林水産委員長、参議院議員(1期)、鹿児島市議会議長(第67・72-74代)、鹿児島市議会議員(8期)、自由民主党幹事長(第56代)、同総務会長(第61代)、同選挙対策委員長(第10代)、同総務会長代行、同国会対策委員長(第57代)、九州市議会議長会会長、近未来政治研究会会長(第3代)を歴任した[2][3]。
名前の正しい表記は「しめす偏に谷」の𥙿[4]。

鹿児島県鹿屋市出身。実家は農家と新聞販売店を営んでいたという[5]。中学卒業後、鹿児島県立鶴丸高等学校定時制課程夜間部に入学し働きながら通う[6]。1964年に鶴丸高校夜間部が鹿児島県立日新高等学校となり1965年に卒業[7]。23歳で中古車販売業を立ち上げる[6]。1975年4月、鹿児島市議会議員補欠選挙で初当選し、以後1998年まで7期連続で当選。1982年より鹿児島市議会議長[6][7]。市議時代は二階堂進の薫陶を得た[8]。
1998年、第18回参議院議員通常選挙に鹿児島県選挙区(定数2)から自由民主党公認で出馬し、当選。この選挙で自民党は井上吉夫、森山の2人を鹿児島県選挙区で擁立し、9年ぶりに2議席を独占した。2002年、第1次小泉第1次改造内閣で財務大臣政務官に任命された。
2004年4月、山中貞則の死去に伴い施行された鹿児島5区の補欠選挙に参議院議員を辞職して出馬し、当選し橋本派に入会した。2005年7月5日、郵政国会において郵政民営化法案の衆議院本会議採決では造反し、反対票を投じる[9]。このため同年9月11日の第44回衆議院議員総選挙では自民党の公認を得られず、無所属で鹿児島5区から出馬し、自民党公認の新人候補らを破り再選。
2006年11月27日、自民党に復党届を提出し、12月4日の党紀委員会で森山を含む11人の無所属議員が自民党に復党した(郵政造反組復党問題)。2007年7月に山崎派入会、8月29日、第1次安倍改造内閣で財務副大臣(参議院担当)に任命され[10]、福田康夫内閣まで務める。2009年の第45回衆議院議員総選挙では、鹿児島5区で民主党の網屋信介を破り、3選(網屋も比例復活)。
2010年11月4日、TPP参加の即時撤回を求める会を結成、会長に就任(同会は2013年3月、TPP交渉における国益を守り抜く会に改称)[要出典]。2012年の第46回衆議院議員総選挙で4選。選挙後、衆議院農林水産委員長に就任[11]。
2014年9月29日、農林水産大臣に任命された西川公也に代わり、自由民主党TPP対策委員長に起用される[12]。同年12月の第47回衆議院議員総選挙で5選。
2015年10月7日、第3次安倍第1次改造内閣で農林水産大臣に任命され初入閣[9]。コメの減反制度廃止や、JAグループを束ねるJA全中の解体などの農政改革を推進する農水省の奥原正明事務次官とは意見が合わなかった[13]。
2017年8月3日、内閣改造に伴う党人事で自由民主党国会対策委員長に就任[14]。同年10月の第48回衆議院議員総選挙では鹿児島県内の小選挙区区割り変更に伴い、鹿児島4区から出馬し6選。
2021年10月14日、自由民主党国会対策委員長を退任。在任期間は歴代最長の1534日であった[15]。
2021年10月31日に行われた第49回衆議院議員総選挙で、社民党新人とNHK党新人に勝利して7選[16][17]。
2021年11月、自由民主党総務会長代行に就任[18][19]。
2021年12月16日、落選した石原伸晃に代わり、近未来政治研究会の会長に就任。これにより、石原派は森山派に衣替えした[20]。
2022年3月30日、全国治水砂防協会会長に就任[21]。同年8月10日の党役員人事により自由民主党選挙対策委員長に就任[22]。
2023年9月13日、自由民主党総務会長に就任[23]。
2023年末に発覚した政治資金パーティー収入の裏金問題を受けた政治資金規正法の改正を巡っては、自民党と公明党が対立。森山は麻生太郎副総裁、茂木敏充幹事長の反対を押し切り、公明党の要求を呑む形で、パーティー券購入者の公開基準を5万円超とすることを決めた。このことで森山は公明党や、同党の支持母体である創価学会幹部からの信頼が一気に高まったとされる[8]。
2024年9月30日、自由民主党総裁選挙にて新総裁に選出された石破茂の下で自由民主党幹事長に就任[24]。就任時点での年齢は79歳5ヶ月で、それまでの二階俊博の77歳5ヶ月を2歳上回り、歴代の自民党幹事長で史上最高齢での就任となった。石破が森山を起用した背景には国対委員長時代が長く、野党とのパイプが太い事、前述の通り公明党からの信頼も厚い事、党内で不仲とされる菅義偉・岸田文雄両元首相の両方と関係が良好なことから調整力を期待したとみられる[8]。石破は総裁選時点では総選挙はすぐにはやらないと言及していたが、石破政権成立後に幹事長である森山が強く解散総選挙断行を打診したため、石破内閣が誕生して1ヶ月も経たずに行われることとなった[25]。
10月9日、自民党本部は森山裕幹事長の名で、衆院選候補者に対し、政党交付金から公認料500万円と活動費1500万円の計2000万円をそれぞれの政党支部へ10日付で振り込むことを通知したが、裏金問題を巡り非公認とした候補者の支部にも支給していたことから批判を受けた[26]。これについて森山は「党勢拡大のための活動費」とし、交付金はあくまで政党支部の資金なので、個人の選挙に使うものではないとしたが[27]、森山自身は党本部から支給された交付金1500万円を前回の衆議院選挙ですべて自身の選挙運動費として計上していた[28]。
2024年10月27日に行われた第50回衆議院議員総選挙で8選[29][30][31][32]。
2025年8月4日、7月の参院選鹿児島選挙区での公認候補敗北の責任を取って自民党鹿児島県連会長を辞任する意向を示した[33]。しかし慰留されて一転。県連は同月20日に党本部で会合を開き、森山を会長として続投させることを決めた[34]。
2025年9月2日、7月の参議院選挙の総括を取りまとめる両院議員総会で、自民党が敗北した責任を取り自民党幹事長を辞任することを表明した[35][36]。辞任を認めるかどうかは石破総理に委ね、石破総理は適切に判断する考えを示した[37]。石破総理は同月7日に辞任を表明した[38]。10月に正式に党幹事長を退任。森山は幹事長職について「一度やってみたいと高望みしていたが、貴重な経験だった」と述べた[39]。
| 当落 | 選挙 | 執行日 | 年齢 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 定数 | 得票順位 /候補者数 | 政党内比例順位 /政党当選者数 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 当 | 1975年鹿児島市議会議員選挙 | 1975年4月27日 | 30 | ーー | ーー | ーー票 | ーー | / | / | |
| 当 | 鹿児島市議会議員選挙 | ーー | ーー | ーー票 | ーー | / | / | |||
| 当 | 鹿児島市議会議員選挙 | ーー | ーー | ーー票 | ーー | / | / | |||
| 当 | 鹿児島市議会議員選挙 | ーー | ーー | ーー票 | / | / | ||||
| 当 | 鹿児島市議会議員選挙 | ーー | ーー | ーー票 | / | / | ||||
| 当 | 1992年鹿児島市議会議員選挙 | 1992年 | 47 | ーー | ーー | ーー票 | ーー | / | / | |
| 当 | 1996年鹿児島市議会議員選挙 | 1996年 | 51 | ーー | ーー | ーー票 | ーー | / | / | |
| 当 | 第18回参議院議員通常選挙 | 1998年07月12日 | 53 | 鹿児島県選挙区 | 自由民主党 | 24万3318票 | 27.93% | 2 | 1/5 | / |
| 当 | 第43回衆議院議員補欠選挙 | 2004年4月25日 | 59 | 鹿児島県第5区 | 自由民主党 | 11万5820票 | 82.80% | 1 | 1/3 | / |
| 当 | 第44回衆議院議員総選挙 | 2005年09月11日 | 60 | 鹿児島県第5区 | 無所属 | 11万457票 | 62.58% | 1 | 1/3 | / |
| 当 | 第45回衆議院議員総選挙 | 2009年08月30日 | 64 | 鹿児島県第5区 | 自由民主党 | 10万9426票 | 61.06% | 1 | 1/3 | / |
| 当 | 第46回衆議院議員総選挙 | 2012年12月16日 | 67 | 鹿児島県第5区 | 自由民主党 | 10万7933票 | 83.14% | 1 | 1/2 | / |
| 当 | 第47回衆議院議員総選挙 | 2014年12月14日 | 69 | 鹿児島県第5区 | 自由民主党 | 9万4977票 | 79.05% | 1 | 1/2 | / |
| 当 | 第48回衆議院議員総選挙 | 2017年10月22日 | 72 | 鹿児島県第4区 | 自由民主党 | 12万8112票 | 70.78% | 1 | 1/2 | / |
| 当 | 第49回衆議院議員総選挙 | 2021年10月31日 | 76 | 鹿児島県第4区 | 自由民主党 | 12万7131票 | 69.54% | 1 | 1/3 | / |
| 当 | 第50回衆議院議員総選挙 | 2024年10月27日 | 79 | 鹿児島県第4区 | 自由民主党 | 11万1484票 | 71.97% | 1 | 1/2 | / |
| 公職 | ||
|---|---|---|
| 先代 林芳正 | 第59代:2015年 - 2016年 | 次代 山本有二 |
| 先代 田中和徳 富田茂之 | 遠藤乙彦と共同 2007年 - 2008年 | 次代 竹下亘 平田耕一 |
| 先代 砂田圭佑 吉田幸弘 | 田中和徳と共同 2002年 - 2003年 | 次代 七条明 山下英利 |
| 議会 | ||
| 先代 小宮山泰子 | 2012年 - 2013年 | 次代 坂本哲志 |
先代
|
| 次代
|
| 党職 | ||
| 先代 茂木敏充 | 自由民主党幹事長 第56代:2024年 - 2025年 | 次代 鈴木俊一 |
| 先代 遠藤利明 | 自由民主党総務会長 第61代:2023年 - 2024年 | 次代 鈴木俊一 |
| 先代 遠藤利明 | 自由民主党選挙対策委員長 第10代:2022年 - 2023年 | 次代 小渕優子 |
| 先代 竹下亘 | 自由民主党国会対策委員長 第57代:2017年 - 2021年 | 次代 高木毅 |
| 先代 石原伸晃 | 近未来政治研究会会長 第3代:2021年 - 2024年 | 次代 解散 |
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