森山 未來(もりやま みらい、1984年8月20日 - )は、日本の俳優・ダンサーである。兵庫県神戸市出身。
5歳からジャズダンス、6歳からタップダンス、8歳からクラシックバレエとヒップホップダンスを始める[2][3]。神戸大学附属住吉小学校に入学。
1995年:10歳の時に阪神・淡路大震災が発生し神戸市の自宅において被災。母親が経営していたダンススタジオが大きな被害を受けたが、自身の家族は無事であった[4]。そういった被災時の経験から持ち続けてきた「被災した経験が役者としての糧になっている」というような安易に前向きな美談やエピソードとしては語れない複雑な感情はNHK大阪放送局によるプレミアム10『絆・被災地に生まれたこころの歌』(2008年)、セミドキュメンタリー『未来は今』(2009年)、ドラマ『その街のこども』(2010年)といった番組制作への参加という形で自身の役者活動に影響を与えている[5]。加えて、兵庫県や神戸市との関わりはさまざまな活動を通してずっと深く、2022年にはサンテレビ制作の『KOBE LIFE』にナレーターという形で参加し、神戸市に住んでいるいろいろな人たちの営みや活動を掘り下げて紹介している[6][3]。
1999年:15歳の時、宮本亜門に抜擢され、舞台『BOYS TIME』に出演。以前も舞台経験[注 1]がある。神戸大学附属住吉中学校を卒業。
2001年:16歳の時に単発ドラマ『TEAM 2』でドラマに初出演し、『さよなら、小津先生』で連続ドラマに初出演した。
報徳学園高等学校を卒業し、拓殖大学外国語学部スペイン語学科に進学するも中途退学した。
2003年:連続ドラマ『WATER BOYS』に主要配役キャストで出演。
2004年:社会現象となった映画『世界の中心で、愛をさけぶ』で主人公の松本朔太郎の高校生時代を演じた。本作の演技で森山自身も高い評価を受け、役者として注目を集めた[2][3]。
2005年:月9ドラマ『危険なアネキ』で伊東美咲との姉弟役で主演、同作は平均視聴率18.8%という高視聴率を記録した。
2006年:一人二役で主演したドラマ『僕たちの戦争』がアジア・テレビジョン・アワードのシングルドラマ部門で最優秀賞を受賞。
2007年 - 2008年:デビュー以来所属していたアトリエ・ダンカンからオフィス作へ移籍。
2008年 - 2010年:NHK大阪放送局制作の阪神・淡路大震災関連番組[注 2]に出演した。2008年にチャリティロック・フェスティバル「GOING KOBE '08」に出演した。
2010年:3月に一般女性との結婚を発表した。7月に主演ドラマ『その街のこども』が放送文化基金賞本賞を受賞した。10月に第一子の誕生を発表したが性別と名前は非公表とした。
2011年:主演映画『モテキ』が興行収入22億円を超えるヒットを記録し、2010年放送のドラマ版も各賞を受賞した。
2012年:2月に、シディ・ラルビ・シェルカウイが振り付けを演出した舞台「テヅカ TeZukA」で初めて海外公演に出演し、ローマから香港・ニュージーランド・ルクセンブルク・フランス・ドイツの各都市などを訪問した。7月に初のラジオ冠番組「森山未來のオールナイトニッポンGOLD」でパーソナリティを務めた[7]。
2013年:初めて声を担当したアニメ映画『聖☆おにいさん』が5月に公開された。10月から2014年10月までの1年間、文化庁の平成25年度文化庁文化交流使としてイスラエルやベルギーのダンスカンパニー(インバル・ピント&アブシャロム・ポラックカンパニーなど)に滞在して活動した[8][9]。11月に主演ドラマ『夫婦善哉』がギャラクシー賞9月度月間賞・第51回奨励賞を受賞した。
2016年:11月1日にオフィス作から独立を発表[10]した。
2021年:4月、依頼された5名の役者が監督として短編映画を製作する「アクターズ・ショート・フィルム」において監督の1人に選ばれ、古くからの友人であり役者として互いに信頼関係がある永山瑛太を主演に起用した映画『in-side-out』を発表した[11]。同年6月、新型コロナウイルス感染拡大に伴い一年に亘って公演の延期を続けていた岡田利規作の戯曲『未練の幽霊と怪物―「挫波」「敦賀」―』に出演し、イラク・バグダード出身の建築家ザハ・ハディドを演じた[12]。同年7月、2020年東京オリンピックの開会式において、過去から現在までのオリンピック期間中に命を落とした人々を追悼するメッセージフィールド上に難民や被災者らを思わせるような出で立ちで現れ、ダンスなどのパフォーマンスを行った[13][14][15][16][17]。2021年9月、神戸に自身の事務所を設立[4]。また同じく2021年に神戸市長田区のNPO法人DANCE BOXの育成プログラム「国内ダンス留学」に招かれ、その成果として森山が初めて集団への振付をおこなったダンス作品『Re:Incarnation in Nagata(リンカネーション イン ナガタ)』[4]を翌2022年1月に上演した[18]。
2022年:4月、兵庫県神戸市北野に仲間とともに「アーティスト・イン・レジデンス神戸(AiRK)」を立ちあげた[19][20][21][22][17][23]。
- 名前の漢字は元々「未来」の予定だったが祖母が姓名判断を行い苗字も含めた画数を考慮した結果「未來」と名付けてくれた[2]。
- 幼少のころから周囲の家族の影響によりハリウッドのミュージカル作品に親しんでいた[2][3]。
- 母は1991年から神戸でダンススタジオ「モダンミリイ」を経営しており、森山も幼少期に母親からダンスやバレエの基本的な動きを学んでいる。また、1995年の阪神淡路大震災でスタジオが大きな被害を受けたが、その後リニューアルを行い運営を再開している[4][24]。なお、坂口涼太郎もモダンミリイで習っていた一人。
- 好きな映画には『情婦』、『雨に唄えば』、『永遠のモータウン』を挙げており、自身が出演するのなら色々な作品に参加してみたいが、見る分に限って言うのなら素敵な音楽が流れている作品やミュージカル映画が昔から好きなのかもしれないと述べている。また、役者やダンサーにおいては幼少期に両親がよく流していた作品に出演していたフレッド・アステア、ジーン・ケリー、オードリー・ヘプバーン、ボブ・フォッシー、ジャック・レモン、ドナルド・オコナー、マレーネ・ディートリヒなど昔ながらの名俳優、名ダンサー、ミュージカル俳優に憧れがあると述べている[2][3]。
- 仕事で移動する際の暇な時間には自身が関わる作品に関連する本を読むことが多い。また、好きな作家には宮沢賢治、アゴタ・クリストフ、寺山修司、パウロ・コエーリョ、太宰治の名前を挙げている[25][2][3]。
- 漫画作品では水木しげる、手塚治虫、横山光輝の作品をよくお気に入りとしてあげている[2][3]。
- 出演した作品や一緒に仕事をした監督やスタッフや共演者から教えてもらう形で新旧、和洋のポップスなどの音楽を新しく知ることが多い。学生時代には友人らと山崎まさよし、スガシカオ、斉藤和義などをよく聴いたり、一緒に歌ったりしていた思い出があり、今でも新しい音源が出れば必ず聴いているくらい大好きだと話している[3]。
- ダンサーとしての活動を続ける過程で留学先のイスラエルやパレスチナ、ガザ地区のことを知っていくにつれさまざまな海外の文化を意識するようになったことから、仕事以外でも時々1人で海外諸国に出向くようになる。また、国内外問わず旅先で遭遇した嬉しかったことやハプニング、失敗談をラジオやトーク番組の中で話すことがある[26][27]。
- 映画『アンダードッグ』では丸一年をかけてボクシングに打ち込み、ハードなトレーニングを重ねながら食生活をすべて変え、実際にボクシングを生業にして生活しているボクサーの肉体に自然な形で近づいていけるような役作りを徹底した。また、映画『怒り』では無人島で生活する男性を演じるためにクランクイン前から単身で実際に無人島における生活を行い、自身の風貌を役に寄せていった[28][29]。
- 映画『人類資金』では、イスラエルの格闘技クラヴ・マガを使ったアクションに3か月道場通いをして挑戦。またアメリカ本国以外では初の映画撮影となる国連本部にて、クライマックスシーンである約8分間(台本にして14ページ)にわたる英語でのロングスピーチを単独で行なった。この撮影の際、オバマ・ケネディ両大統領やキング牧師の演説を見て参考にしたという。なお、この演説シーンが今作のクランクインであり、その時点では製作のゴーサインが正式に出ていない中でのロケ決行であった。劇中では英語の他にもロシア語やモン語を話すシーンも存在している[30]。
- 映画『苦役列車』の撮影にあたり、役作りもあり3畳一間風呂なし共同トイレの宿に一人で住まい、コップ酒と本にのみ縋る生活を送った。二日酔いで腫れた顔で現われると「役が降りてきた」と褒められる現場だったという。このとき不健康な生活を送る役どころに合わせ、原作や私小説家である著者の発言を元に主人公の1日の生活と自身の1日の生活をなるべくシンクロさせる形で毎日を過ごしながら役作りを行った結果、無理矢理増量させたような体型とはまた違う、自然と身体のいたるところがむくんでいくように体重が4,5キロほど増量していき、爪もそのまま伸ばし続けながら風貌を主人公に寄せていった[31]。
- ドラマ『夫婦善哉』では、和服が似合う体型になるためにお腹を出したいということで自身にとって和服が1番似合う体型になるまで増量していった。また、撮休日にロケハンに同行するなど役者としては珍しい一面があると土曜スタジオパークにおいて撮影スタッフから明かされたが、それを受けた森山は「その日は自分の撮影予定が無く1人で暇だったので頼んでみたら同行させてもらえました」と話している[32]。
- 2級小型船舶操縦士免許とスキューバダイビングのライセンスを取得しており、出演する作品のために[注 3]活用することがある。
- 兵庫の地酒「龍力」でオリジナルワンカップ酒を販売した[33]。
- 中学3年生の時に舞台『BOYS TIME』のオーディション(年齢制限は18歳以上だった)に一か八かで応募し、合格した。演出家の宮本亜門は「どんなダンスもこなしてしまう恐るべき15歳」「フレッド・アステア以来の天才」と述べている。また、この作品で同じく舞台デビューを果たしたのが佐藤隆太であり、2008年には佐藤の初主演連続ドラマ『ROOKIES』に友情出演している[34][35]。
- 2023年に公開された映画『シン・仮面ライダー』のキャストオーディションを森山が受けた時点では既に他のオーディションによって全ての仮面ライダーの配役が決まっている状態だったが、本作の監督・脚本を務めた庵野秀明が森山をどうにかして仮面ライダーに変身させることはできないかと考えた結果「仮面ライダー第0号」が誕生し、その設定を加えるために既に完成していた脚本を庵野監督が書き換える運びとなった。その裏話を舞台挨拶の場で庵野監督から聞いた森山は「仮面ライダーを演じる人は若い人というイメージが自分にはあったので『ちょい役でも怪人役でもなにか自分に手伝えることがあればいいな』という気持ちでオーディションを受けた後日、自分の配役を聞いた時には色々な意味で驚きました」と振り返っている[36][37][38]。
- 2008年に放送されたドラマ『刑事の現場』で共演した寺尾聰は、森山を「吸収力とパワーがある青年で、勘が良くて物おじしない。僕の若いころと違って堂々としている」と評した。また続編『リミット -刑事の現場2-』で共演した武田鉄矢は、「いい青年。普段はモゴモゴ話すが本番になると言葉が直列になってパワーアップする。集中力が高い。大げさな話ではなく、ハリウッドでいうジェームス・ディーンが出現した時みたいな衝撃度だった。未來には未来がある!」評し[39]、「本当にたいした役者。現場に行くとストーン!ってやれる子。お芝居のためなら何でも我慢できるし、いつか大河ドラマとか出たらすごい演技をするんでしょうね。」と語った[39]。
- 西田敏行は、森山が2012年に日刊スポーツ映画大賞助演男優賞を受賞した際、「森山君は役に対する対峙の仕方が素晴らしい。マット・デイモンみたい。クレバーで、何者かよく分からないところが素晴らしい」と評した[40]。
- 『髑髏城の七人』や『苦役列車』を鑑賞した市川海老蔵が、それ以来の森山のファンであり今一番共演したい俳優だとブログで明かしている[41]。
- 森山が出演したミュージカル作品『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』を観劇した椎名林檎がラジオ[42] 出演時に森山を絶賛し「未來くんは歌もダンスも素晴らしく声も良い。彼は日本のデヴィッド・ボウイにもなれる逸材であり、彼へ曲を書かせてもらいたい」と発言している。
- 舞台『R2C2 〜サイボーグなのでバンド辞めます!〜』にて、作・演出の宮藤官九郎のリクエストにより劇中でキーボードを弾くことになった。それまでまったく演奏経験がなかったものの、わずかな稽古期間で2曲のピアノ弾き語りができるまでになった[43]。
- 主演ドラマ『その街のこども』では劇中音楽のドラムとパーカッション演奏にも参加している。
- 好きなミュージシャンと仕事をする機会も多く、斉藤和義とは出演作『フィッシュストーリー』、『リミット -刑事の現場2-』の主題歌として、スガシカオとはテレビ番組『Music Lovers』やスガMCのラジオ番組への出演、舞台『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』での訳詞[注 4][44]、森山が出演したJ-PHONEのCM「虹をみたかい 篇」におけるBGM、キリンジとはエッセイ本『自棄っぱちオプティミスト』での鼎談やラジオ番組のゲスト出演など、役者の活動を通じて縁が生まれている。
- ドラマ『モテキ』ではCHAGE&ASKAの「201号」やキリンジの「悪い習慣」を劇中曲に推薦し採用された[3]。
- 聖☆おにいさん(2012年、2013年) -主演・イエス 役
- インバル・ピント&アブシャロム・ポラックカンパニー公演 (Dust、Oyster、Wallflower)(2013年10月 - 2014年10月)※Wallflowerのみ日本公演もあり(2014年10月)
- CANプロデュース公演 きゅうかくうしお vol.0「素晴らしい偶然をもとめて」(2010年8月)
- 劇団☆新感線「メタル マクベス」(2006年)の劇中歌を集めたCDに「メタル演歌〜七光り三度笠〜」「明けない夜はSO LONG」が収録
- 劇団☆新感線 「五右衛門ロック」(2008年)の劇中歌を集めたCDに「復讐こそ我が道」「絶望と光」が収録
- SAKEROCKのアルバム「LIFE CYCLE」に、タップダンスによる「音」として参加
- 世界の中心で、愛をさけぶ 〜朔太郎とアキの記憶の扉〜
- 森山未來 in school daze
- 2004年度
- 2009年度
- 2011年度
- 2012年度
- 2016年度
- 2020年度
- 2023年度
- 第37回高崎映画祭 最優秀助演男優賞(『ほかげ』)[97]
- 第17回Japan Cuts Cut Above賞(森山が出演した全ての作品における芝居に対して)[98]
- SWITCH (スイッチ・パブリッシング)「彼方からの手紙」(2013年12月 - )
- ^小学生時代に劇団ひまわりに所属していた。
- ^プレミアム10『絆・被災地に生まれたこころの歌』(2008年)、セミドキュメンタリー『未来は今』(2009年)、放送文化基金賞本賞を受賞したテレビドラマ『その街のこども』(2010年)[5]。
- ^「僕たちの戦争」、「リミット -刑事の現場2-」など。
- ^森山の希望からの実現。
受賞歴 |
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括弧内は作品年度を示す、授賞式の年は翌年(2月) |
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| 1回 - 10回 | |
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| 11回 - 20回 | |
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| 21回 - 30回 | |
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| 31回 - 40回 | |
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| 41回 - 50回 | |
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| 51回 - 60回 | |
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| 61回 - 70回 | |
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| 71回 - 80回 | |
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| 81回 - 90回 | |
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| 91回 - 100回 | |
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| 101回 - 110回 | |
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| 111回 - 120回 | |
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| 121回 - 130回 | |
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