| もり たいが 森 大河 | |
|---|---|
| 本名 | 対馬 公二 |
| 生年月日 | (1951-05-26)1951年5月26日 |
| 没年月日 | 不詳年 |
| 出生地 | |
| 死没地 | 不明 |
| 職業 | 元俳優 |
| 主な作品 | |
| 『TOKYO DETECTIVE 二人の事件簿』 | |
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森 大河(もり たいが、1951年[1]5月26日[2][3] - 没年不明[4])は、日本の元俳優である。本名は対馬 公二[2][3]。
青森県[2][3]弘前市出身[2]。青森県立弘前工業高等学校卒業[2][3]。田村企画[1]、オフィスC&P[3]、オフィスBIN[5]に所属していた。
地元の高校を卒業後[2]、就職のために単身上京して、京浜急行電鉄[6]で保線作業に携わっていた[2]。上京から四年後[2]、俳優に転向。俳優活動開始間もなく、1974年放送の『白い牙』第22話「クレージーライダー」でゲスト主演に抜擢され、1975年放送の『TOKYO DETECTIVE 二人の事件簿』と翌年放送のその続編『新・二人の事件簿 暁に駆ける』ではレギュラー役を得るなどデビュー時は幸先が良かったが、それ以降は連続ドラマへのレギュラー出演は叶わなくなり不遇な時代を迎える。
その代わり、1970年代終盤に入る頃から若手悪役俳優として数々の刑事ドラマ、時代劇にゲスト出演しだすようになり、それが活動のメインとなる。身長182センチ[2]の長身、ボディビル[2]で鍛え上げた身体、そして生来の野性的な顔立ちにニヒルな笑みを浮かべ、強盗など粗暴にふるまう凶悪犯の役を得意とした。とくに刑事役に森と同じくらいの長身ぞろいがいる『太陽にほえろ!』や「西部警察」シリーズでは逮捕する際の格闘シーンが映えた。『特捜最前線』でも悪役として幾度もゲスト出演していたが、最後の二作は悪役ではなく、船村刑事(演・大滝秀治)の娘婿役で出演して印象を残す。
活動はテレビドラマ中心ではあったが、1980年代半ばになると、以前は散発的だった映画出演も立て続けにこなしていく。『さよならジュピター』、『F2グランプリ』、『ゴジラ』など、1984年の東宝製作・配給による全国劇場公開作品では、何れもそれまでの粗暴なのとは違う役柄で出演して芸域を広げつつあった。
1985年、五年越しの交際を実らせ、日本航空の客室乗務員(当時の一般的な呼び名はスチュワーデス)をしていた対馬(旧姓・前田)祐三子と結婚。6月末に入籍し[6]、8月上旬に新婚旅行を行った[7]。公私ともに充実した日々を送っていた夫妻であったが、突然の悲劇が訪れる。1985年8月12日、その日は祐三子夫人にとって、新婚旅行で使った、結婚時に取得出来る特別休暇明け最初の勤務日であった[6]。その際、森は自宅から祐三子夫人の出勤を見送っている[6]。祐三子夫人は、羽田空港18時発 羽田→伊丹線のJAL123便にアシスタント・パーサー[注釈 1]として乗務し、日本航空123便墜落事故に遭遇。事故当夜、正確な墜落地点さえ判明せずに情報が錯綜するなか、森は祐三子夫人の無事を信じ切り、事態を静観して自宅で待機[6]していたが、その願いもむなしく二日後に死亡が確認された。機内アナウンスを担当していたことからその機器がある客室最後部付近の配置であり、遺体もそこから見付かった。この付近は墜落の衝撃による壊滅的な損傷と火災は免れたため、他の死亡者と同様に遺体の外傷部分は極めて少なく、着衣していた制服にも汚れがなかったという[6](ちなみに、数少ない生存者の座席が集中していたところでもある)。8月28日、森は祐三子夫人の遺品を引き取りに行き[8]、翌日その整理をしていたときに混じっていた手帳を発見する[6][8]。それには客室乗務員たちが墜落するまで懸命に励んでいたことを象徴することになった、不時着時の機内アナウンスを想定していたメモ書きが記されてあって、日航関係者を通じて公表した。知人たちによると、事故後の森は「短い月日に幸せを全部食べてしまった」とすっかり力を落としていたが、メモを見つけてからはいくらか元気を取り戻した様子だったという[8]。
この事故を境に、森の俳優活動は鈍り出し、出演作品数が極端に減っていく。そして、1987年放送の『胸キュン刑事』第11話「オトリ捜査は危険いっぱい」ゲスト出演を最後にフェイドアウトするように引退していった。
引退後は、原宿で店を経営していた。1996年に『TOKYO DETECTIVE 二人の事件簿』の共演者である高橋悦史が逝去した際には、高橋の葬儀を取りまとめていたが、高橋と同じく『二人の事件簿』の共演者であった高岡健二は、高橋が亡くなった約1年後に森も亡くなったと述べている。高岡は、生前の森の印象について、『二人の事件簿』に出演した当初、共演者を睨みつける仕草をしていたことから高岡が呼び出して注意したところ、当時の所属事務所の社長から「周りは敵だと思え」と教え込まれていたと返して、不器用で優しかったことから以後は仲良くなったと述懐している[4]。