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森内俊之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 森内 俊之 九段
2018年7月28日
名前森内 俊之
生年月日 (1970-10-10)1970年10月10日(55歳)
プロ入り年月日1987年5月13日(16歳)
棋士番号183
出身地神奈川県横浜市青葉区
所属日本将棋連盟(関東)
師匠勝浦修九段
弟子竹俣紅(退会)、野原未蘭
永世称号十八世名人(資格)
段位九段
棋士DB森内 俊之
戦績
タイトル獲得合計12期
一般棋戦優勝回数13回
順位戦クラスA級(22期[1]
2024年4月11日現在
テンプレートを表示
森内俊之の森内チャンネル
YouTube
チャンネル
活動期間2020年 -
ジャンル
  • 将棋
  • ゲーム
登録者数7.18万人
総再生回数1144万5218回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2025年3月6日時点。
テンプレートを表示

森内 俊之(もりうち としゆき、1970年10月10日 - )は、将棋棋士十八世名人資格保持者。棋士番号は183。勝浦修九段門下。神奈川県横浜市青葉区出身。

いわゆる「羽生世代」の一人で、デビュー直後から棋戦優勝を果たすなど活躍していたが、初タイトルは31歳での名人獲得と遅かった[2]。その後は竜王・名人を含む三冠を保持するなどタイトル戦でも活躍し、2007年には羽生善治よりも早く永世名人(十八世名人)の資格を得た[3][4]。2017年には順位戦でのB級1組への降級を受けて、46歳の若さで順位戦(名人戦)への参加資格を失うフリークラスへの転出を宣言した[5]。地元の青葉区での指導やYouTubeチャンネルの開設など、将棋の普及活動にも注力している[4][2]

日本将棋連盟棋士会副会長(2009年4月 -2011年3月)、日本将棋連盟専務理事(2017年5月[6] - 2019年6月[7])を歴任した。

棋歴

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プロ入りまで

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将棋を始めたきっかけは、森内が小学校3年生の頃、学校の休み時間にクラスメート内で流行していた、いい加減な将棋遊びに参加したという、ありふれたものだった。だが、このゲームに魅力を感じた彼は父親に手ほどきを受け、正式な将棋を指すようになる。

家で将棋に熱中している森内の姿を見ていた彼の祖母は、あるとき、雑誌『将棋世界』を孫に渡した。『将棋世界』との出会いをきっかけに、森内は将棋の新しい世界を知り、将棋にのめりこんでいく。毎週土曜日に将棋会館で行われる将棋教室に通うなどし、本格的に将棋を学び始める。それから1年ほど経つと、各地のデパートで開催される将棋大会にも参加するようになった。

同学年の羽生善治と出会ったのはこの頃だった。最初の対戦はある将棋大会の予選で森内が勝ち、次の対戦は同大会の決勝トーナメントで羽生が勝った。ある将棋大会で森内の初手▲5八飛に対し、羽生の△5二飛という出だしの将棋があった[8]

5年生の頃、奨励会試験を受験するか迷った末、「自分はまだ力不足」だと判断し、翌年に受験することを決意。同時に、「棋士になる」という目標が明確になり、勉強にも熱が入るようになった。

1982年、第7回小学生将棋名人戦で3位。このときの優勝者は羽生。同年12月、関東奨励会入り。同期合格者17名のうち、小学生は森内、羽生、郷田真隆の3名のみであった。この年度は受験者が多く、高い競争率であった。一次試験で郷田真隆と対局し勝ち、二次試験で当時唯一の女性奨励会員だった林葉直子女流王将と香落ちで対局し勝利している。

後に「島研」とも呼ばれた島朗六段主宰の研究会は、森内が二段くらいの頃に島に誘われ、森内が佐藤康光も紹介し始まった。島によれば、彼らには奨励会を抜けるための研究は必要なかったという。

1987年5月13日にプロ入り(四段に昇段)。三段リーグ制度が復活する前に四段になった最後の棋士である。また、第22期新人王戦(1987年度)で、奨励会三段の時に出場し、途中で四段に昇段してそのまま優勝した。森内は、新人王戦最年少優勝記録(17歳0か月)を、2018年に藤井聡太が更新(16歳2か月)するまで保持していた[9]。なお、森内は新人王戦で通算3回優勝している。

また、第10回「若駒戦」(奨励会有段者による非公式棋戦)でも同様に、途中で四段になって優勝している。

タイトル獲得

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プロ入り早々頭角を現し、1988年6月11日と89年5月27日に行われた、第7回・8回の早指し新鋭戦で2連覇。決勝戦の対戦相手は両年とも羽生善治五段であった。さらには、全棋士参加の大型棋戦である全日本プロトーナメント(第7回、1988年度)において、谷川浩司名人と決勝三番勝負を戦い、2勝1敗で谷川名人を破り、優勝した(1989年3月13日)。18歳5か月での優勝は、新人棋戦を除く公式戦に於ける史上4番目の年少記録である[注釈 1]。1988年度の将棋大賞で新人賞を受賞。

プロ入り後も向上心は旺盛で、特に前述した島研では、森内と佐藤が四段に昇段した後、羽生も加わり、4人体制での練習対局と感想戦を中心にした研究が行われ、刺激し合いながらの精進が続いた。

順位戦での勝率は高く、C級2組を3期、C級1組を1期、B級2組を2期、B級1組を1期で抜け、合計わずか7期で最高クラスのA級まで上りつめた。そして初参加のA級順位戦で7勝2敗の成績を納め、第54期名人戦七番勝負の挑戦権を獲得。森内にとって、初のタイトル戦挑戦である。相手は、当時七冠王だった羽生善治名人。25歳同士の対戦であった。タイトル戦初対局となった1996年4月11日・12日の第1局は、二つの意味で話題となった。一つは、相矢倉の将棋で、「壁銀」になるのをいとわず、3三にあった銀を△2二銀(40手目)と引く作戦に出たこと。もう一つは、1日目夕方の封じ手の定刻の間際、立会人の五十嵐豊一九段が「時間になりましたので」と言いかけたところで「指すつもりなんですけど」と言って△9四歩(44手目)を指し、羽生を封じ手の手番にさせたことである[10]。森内はこの対局に敗れ、そこから3連敗。第4局でタイトル戦初勝利をあげたものの第5局で敗れ、1勝4敗で敗退となった。森内は、第2局の敗戦を「こんな負け方がありうるとは…」、続く第3局の敗戦も「不思議な負け方」と、当時を振り返る。結果的に敗れはしたが、棋士冥利に尽きる名人戦だったという。それと同時に、羽生との差を痛感した名人戦でもあった。

1996年度、NHK杯戦において、決勝で屋敷伸之七段を破って初優勝。同棋戦では、5年後の2001年度にも、佐藤康光王将を破り優勝した。

1999年度の第12期竜王戦では1組優勝。1999年度、第25期棋王戦の挑戦権を獲得。棋王は、それまで9連覇を果たしていた羽生であった。第25期棋王戦五番勝負の結果は、1勝3敗での敗退。敗れはしたものの、名人戦の頃と違い、手応えを感じたという。

全日本プロトーナメント(第19回、2000年度)において、谷川浩司九段との決勝五番勝負(2001年)を3勝2敗で制して2度目の優勝。同棋戦の最後の優勝者となる[注釈 2]

第60期順位戦A級で、森内は8勝1敗の好成績を納め、丸山忠久名人への挑戦権を得ると、第60期名人戦七番勝負において丸山名人を4連勝で破り、31歳にして念願の初タイトルとなる名人位を獲得した(2002年5月17日)。また、名人位に就いたことにより、将棋連盟規定により九段に昇段した。なお、ここから第73期(2015年)まで羽生と名人位を分け合うことになる(森内8期・羽生6期)。第54期(1996年)を含めると対羽生の名人戦は9回あり森内が5回制している[注釈 3]

永世名人へ

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第63期名人戦第2局
第86手△4五歩まで
(この次の一手が▲4八金)
△羽生善治四冠 持駒:歩三
987654321 
      
      
     
    
        
        
    
      
 
▲森内俊之名人 持駒:桂香歩二

2003年度は、第61期名人戦七番勝負において、4連敗で名人位を羽生挑戦者に奪取されるも、第16期竜王戦七番勝負では逆に4連勝で羽生竜王から竜王位を奪取。これは羽生にとって初のタイトル戦ストレート負けとなった。第53期王将戦七番勝負においても、羽生王将を4勝2敗1千日手で降し、王将位を奪取。さらにはA級順位戦史上初の9戦全勝[注釈 4] を果たし、羽生名人への挑戦権を獲得。2003年度将棋大賞最優秀棋士賞を初受賞。

そして、2004年度の第62期名人戦七番勝負において、羽生名人に4勝2敗で勝ち、名人位を奪取。この時点で史上7人目[注釈 5]三冠王(竜王・名人・王将)となり、最多冠保持者となった。また、2004年(1月-12月)の獲得賞金・対局料は1億円を突破した。

王座戦では、当時12連覇中だった羽生王座への挑戦権を獲得するも、1勝3敗で奪取には至らず。また、同年度、三冠のうち竜王位を3勝4敗で渡辺明七段に、王将位を4連敗で羽生二冠にそれぞれ奪われ、保持するタイトルは名人の一冠のみとなる。

第63期名人戦七番勝負(2005年度)に挑戦者として名乗りを挙げたのは、A級順位戦を8勝1敗で制した羽生。第1局で逆転負けし、対羽生戦8連敗を喫する。しかし、第2局では終盤で羽生が残り16分のうち12分を費やして打った△4五歩(右図参照)をとがめる絶妙の一手▲4八金[注釈 6][11] で逆転勝ちを収める。結果、この七番勝負では4勝3敗で名人位を防衛した。これで羽生の永世名人資格獲得(通算5期)を2年連続で阻止したことになる(2年後、羽生より一歩先に永世名人の資格を獲得)。

2006年(2005年度)、羽生から棋王を奪取して二冠(名人・棋王)となる[注釈 7]

2006年の第64期名人戦では、十七世名人の資格を持つ谷川浩司の挑戦を4勝2敗で退ける。この七番勝負で森内自身が最も印象的に残った局面は、第1局の86手目と90手目に、自陣の8二、7二に2枚の銀を打ち並べるという珍しい受け方で、我慢したところであったという[12]

2007年5月8日、公式戦通算700勝を達成(史上18人目、700勝353敗 勝率0.665、第65期名人戦第3局郷田真隆九段戦、日付は対局2日目)[13]

同年6月29日郷田真隆の挑戦を受けた第65期名人戦を4勝3敗で防衛。通算5期獲得となり永世名人十八世名人)の資格を得た[注釈 8][14]

永世名人獲得後

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2008年3月25日第21期竜王戦5位決定戦1回戦で中原誠十六世名人に敗れ、2組へ降級。タイトルホルダーの2組降級は、1991年9月20日の羽生棋王(当時)以来、2人目。

2008年6月17日山形県天童市の「天童ホテル」で行われた第66期名人戦第6局で羽生に敗れ、無冠の九段に後退[注釈 9][注釈 10]

以降、名人戦以外のタイトル戦からもしばらく遠ざかっていたが、2009年度の第22期竜王戦深浦康市との挑戦者決定三番勝負を2勝1敗で制し、渡辺竜王へ挑戦。5年前とは立場を換えての対決となったが、4連敗のストレート負けとなった。

第69期(2010年度)A級順位戦で優勝し、羽生名人への挑戦権を獲得。同時に、順位戦デビューの第47期から続く順位戦勝ち越し連続記録(名人在位を含む)を23期に伸ばした。永世名人同士の対決となった第69期名人戦七番勝負第2局(2011年4月20日 -21日)で挙げた勝利は、史上15人目の通算800勝(433敗)となった(将棋栄誉敢闘賞[15]。その後名人戦は3連勝後に3連敗を喫して最終戦までもつれ込み、2011年6月22日山梨県甲府市・「常磐ホテル」にて行われた最終第7局を123手で制し、遂に名人位を奪還。永世名人同士の七番勝負は過去にもあるが、自身より後の永世名人から名人位を奪取したのは森内が初。2011年度は、名人位を奪取したものの他棋戦の成績が振るわず、年度勝率は3割台に落ち込んだ。

2012年度の第70期名人戦七番勝負では、A級順位戦を全勝した羽生二冠の挑戦を受けた。シリーズ前に森内の苦戦を予想する声があったが[16]、4勝2敗で名人位を防衛。

2013年度の第71期名人戦七番勝負では、前年に引き続き羽生三冠の挑戦を受けた。羽生との名人戦は3年連続で8度目となったが、4勝1敗で名人位を防衛。この年の名人戦は、星の差だけでなく将棋の内容においても、「一方的」であった[17]。さらに、竜王戦においては、決勝三番勝負で郷田九段に勝ち、挑戦権を獲得。第26期竜王戦七番勝負では、かつて森内から竜王位を奪取して以来、9連覇中だった渡辺明竜王を4勝1敗で破り、竜王位を奪還。渡辺竜王の10連覇を阻止した。(対戦前、森内は、この竜王戦は非常に厳しい戦いになることを予想し、渡辺竜王になんとか2勝することを現実的な目標として考えていた)[18]。竜王位・名人位の2大タイトルを手中に収め、これらの活躍により、2013年度将棋大賞で2度目の最優秀棋士賞を受賞した[19]

2014年度の第72期名人戦七番勝負では、今回で3年連続となる羽生三冠の挑戦を受ける。羽生との名人戦はこれで4年連続9回目。結果は4連敗で、名人位を失冠。その直後に始まった第85期棋聖戦五番勝負で羽生棋聖に挑戦するも、再び3連敗のストレート負けを喫し、奪取はならなかった。

第27期竜王戦七番勝負では、糸谷哲郎七段の挑戦を受けるが、1勝4敗で敗れ、竜王位の防衛に失敗。第64回NHK杯テレビ将棋トーナメントでは、1回戦はシード、2回戦から、木村一基八段、羽生善治名人、菅井竜也五段、深浦康市九段、決勝戦で行方尚史八段に勝ち、同棋戦において自身3度目の優勝を果たした。

A級からの降級、フリークラス宣言

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2016年度の第75期順位戦A級(降級1名)では、2017年2月25日の9回戦の結果、3勝6敗で佐藤康光と同成績ながら頭ハネで最下位となり、22期連続で在籍したA級(名人在位も含む)からB級1組への降級が決まった[20]。永世名人資格保持者のB級1組への降級は中原誠谷川浩司に続いて3人目であった。

森内は、2016年度が終了する直前、2017年3月31日にフリークラス転出を宣言し、日本将棋連盟を通じてコメントを発表した(連盟への届け出は3月24日であった)[21]。B級1組からのフリークラス宣言は米長邦雄・中原誠に次いで3人目。このうち、A級からの降級直後にフリークラス宣言をしたのは、米長に続いて2人目であった[22]。「以前からA級から降級したらフリークラスに行くことを検討していた。」とのちに明かしている[23]

フリークラス転出の時点で満46歳であった森内は、翌期の順位戦B級1組所属が決まっていたため、満65歳となる2035年度までの19年間フリークラスに在籍できるが、実際に森内が2035年度まで現役を続けた場合、宣言者のフリークラス在籍年数最長記録となる[24]

2017年8月6日、将棋日本シリーズ1回戦で久保利明に勝ち、史上12人目の通算900勝を達成した[25]

2024年度の第65期王位戦では8期振りに王位リーグまで進出し、白組で3勝2敗と勝ち越したが前期成績の差で陥落となった[26]

2025年2月20日、第75回NHK杯戦の予選で通算1000勝達成(史上11人目)[27][28]

棋風

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  • 居飛車、特に矢倉を多用する居飛車党である。
  • 一般的には「受けが強い」というイメージから、「鉄板流」、「鋼鉄の受け」と呼ばれるが、本人は「鉄板流という言葉は、私の将棋から、ほど遠いと感じています」と語り、自身の将棋について控えめな姿勢を見せている[29]。森内の弟弟子の野月浩貴広瀬章人によると、森内将棋には少なくとも「安全勝ち」というイメージは無く、「勝ち方のうまさ」と「攻守のギアチェンジ」に最も特徴があるという[30]
  • 羽生善治は、森内の序盤作戦について「大胆にして入念な準備がある」と述べた[31]
  • 「柔」の羽生将棋に対して「剛」の森内将棋とよく表現される。
  • 後手番矢倉では『森内流』と呼ばれる駒組みがあり、現代矢倉の主要変化の1つである。
  • 好きな駒は飛車。攻めのみならず、守りでの使い方にも特徴がある。第64回NHK杯テレビ将棋トーナメント決勝戦で藤井猛が解説した際、「二枚飛車で受けられたことがある。」と話していた。勝又清和によれば、「自陣飛車の似合う棋士は?」という質問をしたところ、多くの棋士から名前が挙がったと言う[32]

人物・エピソード

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基本データ

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  • 母方の祖父にプロ棋士である京須行男(八段、元日本将棋連盟理事・奨励会幹事)を持つ将棋界のサラブレッドである。(なお、京須は森内が生まれる前に他界[33]。)このため、「鉄板流」の他に「優駿流」と言われることもある。
  • サレジオ学院中学校・高等学校卒業(同校在学中にプロ棋士となった)[34]
  • 初の名人位に就いた翌月(2002年6月)に、東京都内の私立大学の教員(国文学)を務める女性との婚約を発表し、同年10月に結婚した。
  • 2019年、当時中学2年生だった息子の森内貴之世界バックギャモン選手権ジュニアの部で優勝[35]。後述するように父・俊之もバックギャモンの強豪であり、父子で2021年11月27日にバックギャモン対決をしたこともある[36]
  • 座右の銘は、「今を生きる」「一期一会」「一日一生」。
  • 愛称は「ウティ」であるとスポーツ報知の記事に記述されているが[37]、インターネット上の将棋ファンが使っている愛称であり、将棋界の仲間や関係者が使うことはない。なお、インターネット上では「ウディ」「ウッディ」も利用されている。

合理主義者

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  • 名人戦、王将戦など、1局2日制の対局であっても、定跡や研究手順であれば時間を使わず、1日目から手をどんどん進めることが多い。かつては、1日目に駒がぶつからないことが普通であったが、森内がタイトル戦で活躍し始めた頃から、(森内が登場しないタイトル戦でも)2日制の1日目に本格的な戦い、時には終盤の入り口まで進行することが多くなっている。
  • かつては、番勝負の第1局に千日手指し直しが1回あると、第1局の先手と第2局の先手が同じ棋士になるという不合理があった[注釈 11]。森内の提案をきっかけに、第1局の振り駒によって最終局の1局前までの先後が決定される一局完結方式に変更された(振り駒 を参照)。タイトル保持者が(有利とされる) 先手番を取りやすいことに疑問を抱き、自宅で振り駒を数千回行って「歩」が表になりやすいことを発見し、ルール改定に一役買ったのである[38]

公式対局に関するエピソード

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  • 事前に対局相手と先後が決まっている順位戦では無類の強さを誇っており、第73期(2014年度)にA級順位戦を4勝5敗で負け越すまで名人在位を除く全ての年度で勝ち越していた。1990年度(当時C級2組)の途中から1992年度(当時B級2組)にかけては順位戦26連勝を記録した。順位戦通算勝率は2007年度までの時点では8割を超えていた(114勝28敗、0.803)。
    • 順位戦と同様の制度(事前に対局相手と先後が決まっている)である王位戦王将戦の挑戦者決定リーグでは負け越し経験が数度ずつあり、第60期王将リーグ(2010年度)では1勝5敗、第61期王将リーグ(2011年度)では0勝6敗と苦戦している。
  • 二日制のタイトル戦で力を発揮する傾向があり、タイトル12期(詳細は後述)のうち11期が二日制の番勝負を制したものである。さらに一つのタイトル(名人)で過半数(8期)獲得している(タイトルを7期以上獲得した他の棋士では、タイトルがほぼ名人のみだった時期に活躍した木村義雄[注釈 12]のみである)。
  • 体力に自信が無く、千日手の後の体力勝負は苦手とのことである[39]
  • 四段時代の1990年1月、竜王戦で吉田利勝七段(当時)にポカで敗北し、横浜市の自宅までの30キロを、5時間をかけて、スーツ・革靴で走り切ったエピソードがある[40][41]
  • 投了時に「あ、負けました」と発声することが知られる。2ちゃんねるでは文頭に「あ、」 を付けた書き込みが散見されるが、これは森内を真似ている[38]
  • 郷田真隆と戦った第65期名人戦の第1局1日目(2007年4月10日)の午後、森内の手番(24手目)のときに郷田が扇子を開け閉じして音を鳴らしたため森内が苦情を訴えた。立会人の中村修らが対応に追われ約30分間対局が中断するという珍事となった。この一局は郷田の逆転勝利となっている。この他にも1996年の第54期名人戦七番勝負第1局(対羽生善治)では、1日目の封じ手を巡ってトラブルを起こすなど(詳細は封じ手#その他を参照)、タイトル戦でやや神経質な動きを見せる事が多い。
  • 上記の対戦相手の扇子の音に異議申し立てをした際には鼻血を出すなど、熱い勝負師の一面を持っているが、普段は温厚でシャイ、 真面目な人柄。だが、将棋に関しては別[38]
  • 一度名人戦の大舞台での対局中に、トイレに閉じ込められたこともある[38]

趣味など

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チェスに興じる森内

その他

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  • 自身の師匠である勝浦と、羽生善治の師匠である二上達也は、いずれも渡辺東一名誉九段門下である。すなわち森内と羽生は「いとこ弟子」の関係にある。
  • 2018年現在、出身地である横浜市青葉区[63]「青葉将棋クラブ」を主宰するなど、子供向けの普及活動にも力を入れている[64]
  • 32歳年下の伊藤匠とは誕生日が同じ(10月10日)である。活動拠点が近いこともあり、伊藤が叡王を獲得するなど実力棋士となって以後は一緒に誕生日を祝われることがある。
  • 小学館発行のジュニアプログレッシブ英和辞典(第2版 - 2002年12月発行。ISBN 4095107065)の"master"の項目に"Mr.Moriuchi is a master of Japanese chess."(森内先生は将棋の名人です)という用例が記載されている。
  • 佐藤康光が運転免許取り立ての頃、冬の装備のない車を佐藤自ら初運転して同乗していた森内と羽生善治、佐藤のあまりの運転未熟さに肝を冷やしたという(いろは坂事件)。
    →いろは坂事件については「佐藤康光」を参照

弟子

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女流棋士となった弟子

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名前女流2級昇級日段位、主な活躍
竹俣紅2012年10月1日女流初段(2019年に連盟退会)
野原未蘭2020年9月1日女流二段

(2024年12月13日現在)

昇段履歴

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昇段規定は、将棋の段級 を参照(ただし、四段昇段は旧規定)。

主な成績

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タイトル・永世称号

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他の棋士との比較は、タイトル獲得記録将棋のタイトル在位者一覧を参照

タイトル獲得年度登場獲得期数連覇永世称号(備考)
竜王2003, 20135回2期
名人2002, 2004-2007,
2011-2013
12回8期4連覇
(歴代4位)
十八世名人資格
襲位は原則引退後
王位0
王座1回
棋王20053回1期
叡王0
王将20032回1期
棋聖2回
登場回数 合計25回、獲得合計12期歴代9位
(番勝負終了前は除く。最新は、2014年度の棋聖戦敗退)
01位099期(138回)
2位80期(112回)
3位64期(091回)
4位31期(045回)
31期(032回)
6位27期(057回)
7位019期(048回)
8位13期(037回)
9位12期(025回)
10位08期(024回)

(番勝負実施分のみ)
08期
(05期)
(011回)
(008回)
太字*は現役棋士、(括弧の数字)はタイトル戦登場回数
(記録は第66期王位戦2025年度・2025年7-9月〉終了まで、番勝負終了前を除く)
タイトル戦登場年度
  • 竜王戦: 登場05回(2003-2004、2009、2013-2014年度)
  • 名人戦: 登場12回(1996、2002-2008、2011-2014年)
  • 王座戦: 登場01回(2004年度)
  • 棋王戦: 登場03回(1999、2005-2006年度)
  • 王将戦: 登場02回(2003-2004年度)
  • 棋聖戦: 登場02回(2004、2014年度)
登場回数 合計25回

一般棋戦優勝

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優勝合計 13回
非公式戦優勝
優勝合計 4回

将棋大賞

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  • 第16回(1988年度) 新人賞
  • 第19回(1991年度) 勝率第一位賞・最多勝利賞・最多対局賞・殊勲賞
  • 第21回(1993年度) 技能賞
  • 第24回(1996年度) 技能賞
  • 第29回(2001年度) 敢闘賞
  • 第30回(2002年度) 技能賞
  • 第31回(2003年度)最優秀棋士賞・最多勝利賞・最多対局賞
  • 第33回(2005年度) 優秀棋士賞
  • 第38回(2010年度) 名局賞特別賞(第69期A級順位戦7回戦・対藤井猛九段戦)[66]
  • 第41回(2013年度)最優秀棋士賞[67]

記録(歴代1位のもの)

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  • A級順位戦9戦全勝(2003年度) = 1971年度の中原誠(8戦全勝)以来
  • 順位戦26連勝(1990年 - 1993年)

在籍クラス

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竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。

順位戦・竜王戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦
出典[68]
(出典)竜王戦
出典[69]
名人A級B級C級0竜王1組2組3組4組5組6組決勝
T
1組2組1組2組
198746四段昇段前(1987年5月13日 四段昇段)16組--4-1
198847C2498-225組--4-1
198948C2097-334組--2-2
199049C2049-144組--4-2
199150C12110-054組--2-2
199251B2209-164組3-25-0
199352B2038-273組0-14-0
199453B11210-182組--3-2
199554 A09 7-292組1-14-0
199655A016-3101組0-14-1
199756A025-4111組--2-2
199857A037-1121組1-14-0
199958A026-3131組--3-2
200059A025-4141組--1-2
200160 A04 8-1151組1-14-1
200261名人--16 1組 4-14-1
200362 A01 9-017竜王----
200463名人--181組1-13-1
200564名人--191組1-13-1
200665名人--201組--2-2
200766名人--211組--0-2
200867A015-422 2組 4-14-0
200968A035-4231組--2-2
201069 A03 7-2241組--2-2
201170名人--251組--2-2
201271名人--26 1組 4-13-1
201372名人--27竜王----
201473A014-5281組--0-2
201574A074-5292組--1-2
201675A063-6302組--1-2
201776F宣312組--1-2
201877F宣322組--2-2
201978F宣332組--1-2
202079F宣342組--1-2
202180F宣352組0-13-1
202281F宣361組--2-2
202382F宣371組--2-2
202483F宣381組0-10-1/出3-0
202584F宣391組---
(フリークラス 在籍期限 2036年3月まで)
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位 (x当期降級点 / *累積降級点 /+降級点消去 )
順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。
竜王戦の 太字はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。

年度別成績

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この節は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。このテンプレートの使い方
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(2024年12月)
公式棋戦成績
年度対局数勝数負数勝率(出典)
1987年度322480.7500[70]
1988年度6345180.7143[出典無効]
1989年度4126150.6341[出典無効]
1987-1989
(小計)
1369541
1990年度5439150.7220[71]
1990まで
(累計)
19013456
年度対局数勝数負数勝率(出典)
1991年度7963160.7970[72]
1992年度5035150.7000[73]
1993年度6140210.6560[74]
1994年度5035150.7000[75]
1995年度5133180.6470[76]
1996年度5635210.6250[77]
1997年度5133180.6470[78]
1998年度4126150.6340[79]
1999年度4624220.5220[80]
2000年度5641150.7321[81]
1991-2000
(小計)
541365176
2000まで
(累計)
731499232
年度対局数勝数負数勝率(出典)
2001年度5838200.6551[82]
2002年度4426180.5909[83]
2003年度6446180.7187[84]
2004年度5529260.5272[85]
2005年度4932170.6530[86]
2006年度4728190.5957[87]
2007年度4524210.5333[88]
2008年度4726210.5531[89]
2009年度5028220.5600[90]
2010年度4022180.5500[91]
2001-2010
(小計)
499299200
2010まで
(累計)
1230798432
年度対局数勝数負数勝率(出典)
2011年度2910190.3448[92]
2012年度2513120.5200[93]
2013年度4028120.7000[94]
2014年度4316270.3720[95]
2015年度4021190.5250[96]
2016年度3412220.3529[97]
2017年度176110.3529[98]
2018年度208120.4000[99]
2019年度217140.3333[100]
2020年度2313100.5652[101]
2011-2020
(小計)
292134158
2020まで
(累計)
1522932590
年度対局数勝数負数勝率(出典)
2021年度3020100.6000[102]
2022年度2211110.5000[103]
2023年度3320130.6060[104]
2021-2023
(小計)
855134
通算16079836240.6116[105]
2023年度まで

日本将棋連盟 表彰

[編集]

日本将棋連盟以外の表彰は「#その他表彰」の項を参照。

  • 1998年01月09日:公式戦通算400勝達成[106]
  • 2001年04月03日:公式戦通算500勝達成[107][108]
  • 2004年01月15日:公式戦通算600勝達成(将棋栄誉賞=29人目、通算600勝282敗 勝率0.680)[109]
    2004年01月15日: - 達成時勝率 歴代4位、達成日数 歴代5位=7001160000000000000♠16年8か月
    2004年01月15日: -第53期王将戦七番勝負 第1局で達成(羽生善治王将 戦)
  • 2007年05月08日:公式戦通算700勝達成(18人目、通算700勝353敗 勝率0.665)[110]
    2007年05月08日: -第65期名人戦七番勝負 第3局で達成(郷田真隆九段 戦)
  • 2011年04月21日:公式戦通算800勝達成(将棋栄誉敢闘賞=15人目、通算800勝433敗 勝率0.649)[15]
    2011年04月21日: -第69期名人戦七番勝負 第2局で達成(羽生善治名人 戦)
  • 2012年11月00日:現役勤続25年
  • 2025年02月20日:公式戦通算1000勝達成(特別将棋栄誉賞=11人目、通算1000勝636敗、勝率0.611)[27]
    2025年02月20日: - 既定の成績(未公表のテレビ棋戦等のため対戦者未公表)

その他表彰

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日本将棋連盟の表彰は「#日本将棋連盟 表彰」の項を参照。

作品

[編集]

単著

[編集]

編著・監修など

[編集]

漫画監修

[編集]
  • マサルの一手!(2006年、作画:村川和宏、小学館『小学五年生』連載)
  • 風の棋士ショウ2008年2009年、作画:武村勇治、小学館『コロコロコミック』連載)
  • うちゅうの王(2016年、作画:佐々木健、小学館『コロコロコミック』連載)

関連書

[編集]
  • 毎日新聞社編著 『第54期将棋名人戦』(毎日新聞社、1996年7月、ISBN 4-620-50474-2
  • 毎日新聞社編著 『第60期将棋名人戦-名人丸山忠久・挑戦者森内俊之』(毎日新聞社、2002年7月、ISBN 4-620-50480-7
  • 毎日新聞社編著 『第61期将棋名人戦』(毎日新聞社、2003年7月、ISBN 4-620-50481-5
  • 読売新聞社編著 『竜王決定七番勝負 激闘譜 第16期』(読売新聞社、2004年2月、ISBN 4-643-04003-3
  • 毎日新聞社編著 『第62期将棋名人戦』(毎日新聞社、2004年8月、ISBN 4-620-50482-3
  • 読売新聞社編著 『第十七期竜王決定七番勝負 激闘譜-森内俊之vs.渡辺明』(読売新聞社、2005年2月、ISBN 4-643-05008-X
  • 毎日新聞社編著 『第63期将棋名人戦』(毎日新聞社、2005年8月、ISBN 4620504831
  • 毎日新聞社編著 『第64期将棋名人戦七番勝負-名人森内俊之・挑戦者谷川浩司』(毎日新聞社、2006年8月、ISBN 4-620-50484-X
  • 毎日新聞社編著 『第65期将棋名人戦七番勝負-森内俊之VS.郷田真隆』(毎日新聞社、2007年8月、ISBN 4-620-50485-8
  • 毎日新聞社編著 『愛蔵版 第66期 将棋名人戦 七番勝負』(毎日新聞社、2008年9月、ISBN 4-620-50486-6
  • 椎名龍一 『名人を夢みて-森内俊之小伝』(日本放送出版協会、 2008年10月、ISBN 4-14-081306-7)(自戦記部分を担当)
  • 森内俊之・羽生善治 共著 『羽生VS森内 百番指し』(日本将棋連盟、2011年1月、ISBN 978-4-8399-3761-4

ゲームソフト

[編集]
  • 激指デラックス 名人戦道場(2013年07月19日、マイナビ、パソコン用ソフト)出演、監修

出演

[編集]

テレビ番組

[編集]

ほか多数

その他媒体

[編集]

QuizKnockの動画[注釈 13]『【東大VS天才棋士】東大生4人vs天才棋士・森内九段!どちらが勝つ!?【検証】』(2019年9月27日公開[118])など


年表

[編集]
  • タイトル戦は成績。人物名が書かれた部分は番勝負登場。
    上段の氏名は対戦相手。うち、 太字 は敗退、 太字 はタイトル獲得(奪取または防衛)。 太字 はタイトル獲得及び永世、名誉称号有資格獲得。
    下段は勝敗。o : 森内の勝ち、x : 森内の負け、j :持将棋、s :千日手指し直し
  • 一般棋戦 - 新人:新人王戦、勝抜nオールスター勝ち抜き戦(数字 n は連勝数)、新鋭:早指し新鋭戦、早権:早指し将棋選手権、全日:全日本プロ将棋トーナメント、日シ:将棋日本シリーズ、NHK:NHK杯テレビ将棋トーナメント
  • 将棋大賞は次年度4月1日付公表分。
    最優:最優秀棋士賞、優:優秀棋士賞、特:特別賞、
    率:勝率一位賞、勝:最多勝利賞、対:最多対局賞、連:連勝賞、
    新:新人賞、名局:名局賞、名特:名局賞特別賞、升:升田幸三賞、升特:升田幸三賞特別賞、
    殊勲:殊勲賞、技能:技能賞、旧敢:敢闘賞(旧)
  • 賞金&対局料は、年度区切りではなく1月 - 12月の集計。単位は万円。()内は順位。 の年は全棋士中1位。
  • 備考 -:最年少記録 :史上初の記録
年度名人
4-6月
叡王
4-6月
棋聖
6-7月
12-2月
王位
7-9月
王座
9-10月
竜王
10-12月
王将
1-3月
棋王
2-3月
一般
棋戦
優勝
将棋大賞賞金&
対局料
備 考
1987新人プロ入りは1987年5月13日
1988第52期
一次予選
敗退
第29期
予選敗退
第36期
一次予選
敗退
第1期
6組
5組昇級
第38期
一次予選
敗退
第14期
予選敗退
全日
新鋭
一次予選
敗退
1989第47期
C2残留
一次予選
敗退
予選敗退一次予選
敗退
5組
4組昇級
二次予選
敗退
予選敗退新鋭
一次予選
敗退
1990C2残留一次予選
敗退
予選敗退一次予選
敗退
4組残留一次予選
敗退
予選敗退
一次予選
敗退
1991C1昇級二次予選
敗退
予選敗退一次予選
敗退
4組残留挑決リーグ
残留
予選敗退早権
新人
勝抜6
殊勲
率 勝
二次予選
敗退
1992B2昇級二次予選
敗退
予選敗退一次予選
敗退
4組残留挑決リーグ
陥落
本戦敗退
本戦敗退
1993B2残留二次予選
敗退
挑決リーグ
陥落
挑決敗退4組優勝
挑決敗退
挑決リーグ
陥落
予選敗退新人技能2297
本戦敗退
1994B1昇級本戦敗退予選敗退本戦敗退3組優勝
本戦敗退
挑決リーグ
陥落
予選敗退
本戦敗退
年度名人
4-6月
叡王
4-6月
棋聖
6-7月
王位
7-9月
王座
9-10月
竜王
10-12月
王将
1-3月
棋王
2-3月
一般
棋戦
優勝
将棋大賞賞金&
対局料
備 考
1995A級昇級本戦敗退挑決リーグ
陥落
二次予選
敗退
2組残留挑決リーグ
残留
本戦敗退
1996羽生善治
xxxox
二次予選
敗退
予選敗退二次予選
敗退
2組優勝
本戦敗退
挑決リーグ
陥落
本戦敗退NHK技能3398タイトル初挑戦 = 名人戦
1997A級残留本戦敗退予選敗退二次予選
敗退
1組3位
本戦敗退
挑決リーグ
陥落
本戦敗退2594
1998A級残留本戦敗退予選敗退二次予選
敗退
1組残留二次予選
敗退
本戦敗退2352
1999A級残留本戦敗退予選敗退本戦敗退1組優勝
本戦敗退
二次予選
敗退
羽生善治
xoxx
3138
2000A級残留本戦敗退予選敗退本戦敗退1組残留二次予選
敗退
本戦敗退全日
日シ
2729
2001A級残留最終予選
敗退
挑決敗退本戦敗退1組残留二次予選
敗退
本戦敗退NHK旧敢3992
2002丸山忠久
oooo
二次予選
敗退
挑決リーグ
残留
本戦敗退1組3位
本戦敗退
二次予選
敗退
本戦敗退技能4872初タイトル獲得 = 名人戦
2003羽生善治
xxxsx
本戦敗退挑決リーグ
残留
本戦敗退羽生善治
oooo
羽生善治
osxooxo
本戦敗退最優
勝 対
5269通算600勝
2004羽生善治
ooxoxo
佐藤康光
xsxx
挑決リーグ
陥落
羽生善治
xxox
渡辺明
xooxxox
羽生善治
xxxx
挑決敗退10833三冠(史上7人目)= 名人戦
2005羽生善治
xoooxxo
本戦敗退予選敗退本戦敗退1組準優勝
本戦敗退
挑決リーグ
残留
羽生善治
ooxo
優秀7117
2006谷川浩司
ooxoxo
本戦敗退挑決リーグ
陥落
本戦敗退1組準優勝
本戦敗退
挑決リーグ
残留
佐藤康光
xoxox
6536
2007郷田真隆
xxoooxo
最終予選
敗退
挑決リーグ
陥落
挑決敗退1組残留挑決リーグ
残留
本戦敗退6721永世名人(通算5期・十八世名人)
2008羽生善治
oxxxox
本戦敗退予選敗退本戦敗退1組
2組降級
挑決リーグ
残留
本戦敗退3782
2009A級残留本戦敗退予選敗退本戦敗退渡辺明
xxxx
挑決リーグ
残留
本戦敗退2728
2010A級残留二次予選
敗退
予選敗退本戦敗退1組残留挑決リーグ
陥落
本戦敗退名特3270
2011羽生善治
oooxxxo
二次予選
敗退
予選敗退本戦敗退1組残留挑決リーグ
陥落
本戦敗退3371通算800勝
2012羽生善治
oxoxoo
二次予選
敗退
予選敗退本戦敗退1組残留二次予選
敗退
本戦敗退5317
2013羽生善治
ooxoo
本戦敗退予選敗退本戦敗退渡辺明
ooxoo
二次予選
敗退
本戦敗退最優5503
2014羽生善治
xxxx
羽生善治
xxx
挑決リーグ
陥落
本戦敗退糸谷哲郎
xxoxx
二次予選
敗退
本戦敗退NHK8374
2015A級残留(第1期)
[一般棋戦]
本戦敗退予選敗退本戦敗退1組
2組降級
挑決リーグ
陥落
本戦敗退3450
2016A級残留(第2期)
[一般棋戦]
二次予選
敗退
挑決リーグ
陥落
二次予選
敗退
2組残留二次予選
敗退
本戦敗退
2017B1降級本戦敗退予選敗退二次予選
敗退
2組残留二次予選
敗退
本戦敗退B級1組降級(2017年2月25日)
フリークラス宣言(2017年3月31日付)
2018フリークラス
(宣言)
第3期
九段戦敗退
二次予選
敗退
予選敗退二次予選
敗退
2組残留一次予選
敗退
本戦敗退
2019フリークラス
(宣言)
九段戦敗退二次予選
敗退
予選敗退二次予選
敗退
2組残留一次予選
敗退
予選敗退
2020フリークラス
(宣言)
九段戦敗退二次予選
敗退
予選敗退二次予選
敗退
2組残留一次予選
敗退
予選敗退
2021フリークラス
(宣言)
九段戦敗退本戦敗退予選敗退二次予選
敗退
2組残留一次予選
敗退
本戦敗退
2022フリークラス
(宣言)
九段戦敗退本戦敗退予選敗退二次予選
敗退
2組準優勝
本戦敗退
一次予選
敗退
予選敗退
2023フリークラス
(宣言)
九段戦敗退二次予選
敗退
予選敗退二次予選
敗退
1組残留一次予選
敗退
予選敗退
2024フリークラス
(宣言)
九段戦敗退本戦敗退挑決リーグ
陥落
二次予選
敗退
1組残留一次予選
敗退
予選敗退通算1000勝
年度名人
4-6月
叡王
4-6月
棋聖
6-7月
王位
7-9月
王座
9-10月
竜王
10-12月
王将
1-3月
棋王
2-3月
一般
棋戦
優勝
将棋大賞賞金&
対局料
備 考


肩書き

[編集]

昇段およびタイトルの獲得、失冠による肩書きの遍歴を記す。(色付きは継続中の記録)

日付肩書き保持タイトル日数備考
1987年05月13日四段1116日プロ入り
1990年06月02日五段0669日勝数規定
1992年04月01日六段0730日第50期順位戦B級2組昇級による昇段
1994年04月01日七段0365日第52期順位戦B級1組昇級による昇段
1995年04月01日八段2603日第53期順位戦A級昇級による昇段
2002年05月17日名人名人0368日名人獲得第60期名人戦
2003年05月20日九段0191日名人失冠第61期名人戦
2003年11月27日竜王竜王0197日竜王獲得第16期竜王戦
2004年03月16日竜王・王将王将獲得第53期王将戦
2004年06月11日竜王・名人竜王・名人・王将0200日名人獲得第62期名人戦
2004年12月28日名人名人・王将1268日竜王失冠第17期竜王戦
2005年02月10日名人王将失冠第54期王将戦
2006年03月11日名人・棋王棋王獲得第31期棋王戦
2007年03月28日名人棋王失冠第32期棋王戦
2008年06月17日九段1100日名人失冠第66期名人戦
2011年06月22日名人名人0891日名人獲得第69期名人戦
2013年11月29日竜王・名人竜王・名人0173日竜王獲得第26期竜王戦
2014年05月21日竜王竜王0197日名人失冠第72期名人戦
2014年12月04日九段
3981日
竜王失冠第27期竜王戦

脚注

[編集]
[脚注の使い方]

注釈

[編集]
  1. ^1位は藤井聡太の15歳6か月(朝日杯将棋オープン)、2位は加藤一二三の17歳0か月(高松宮賞争奪選手権戦)、3位は羽生善治の17歳2か月(天王戦)。
  2. ^全日本プロ将棋トーナメントは、翌年から朝日オープン将棋選手権に移行した。
  3. ^第62・63・69・70・71期は森内の勝利、第54・61・66・72期は敗退。
  4. ^ただし、休場者がいた第26期A級順位戦(1971年度)で、中原誠が8戦全勝を達成している。
  5. ^過去には、升田幸三大山康晴中原誠米長邦雄谷川浩司羽生善治
  6. ^成銀で取らせて相手の攻めを一手遅らせる意味の手。この▲4八金は「絶妙の一手」と言われ、また、後に勝又清和によれば「タイトル戦の三大妙手」とも評されているが、森内自身は「相手のミスで生じた手なので」と振り返っている。しかし、控え室の検討陣で△4五歩が敗着と想像できた者はいなかったという。
  7. ^棋王は翌年佐藤康光に奪われる。
  8. ^永世名人の襲位は、原則として引退後。
  9. ^失冠後は1年間前名人の称号を名乗る権利があるが放棄。4年前に名人失冠した時も名乗っていない。ちなみに過去には、谷川浩司が「前竜王・前名人」の肩書きを放棄して九段を名乗った例があり、その後も佐藤康光や丸山忠久は「前名人」を名乗らなかった。
  10. ^一方の羽生は、森内に1年遅れで永世名人(十九世名人)の資格を得た。永世名人が2年連続で誕生したのは史上初。
  11. ^ただし指し直し局では後手となるが、若干不利である後手を本来より持ち時間が少ない局で消費できる。
  12. ^すべて名人で8期獲得
  13. ^動画投稿サイト「YouTube」に投稿された

出典

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関連項目

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外部リンク

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日本将棋連盟所属現役棋士2025年度、当年度引退者含む)
タイトル
保持者
【7名】
永世称号 襲位者0
永世称号
有資格者
九段
【27名】
(引退1名)
2025年度昇段者
  • -(昇段者なし)
八段
【34名】
(引退2名)
2025年度昇段者
七段
【45名】
(引退3名)
2025年度昇段者
  • -(昇段者なし)
六段
【30名】
2025年度昇段者
五段
【19名】
2025年度昇段者
四段
【14名】
2025年04月1日付 昇段者
2025年10月1日付 昇段者
2025年度
引退者
【6名】

  九段  福崎文吾 ( 2025年4月22日引退 )
  七段  木下浩一 ( 2025年4月23日引退 )
  七段  増田裕司 ( 2025年4月23日引退 )
  八段  長沼洋 ( 2025年5月1日引退 )
  八段  有森浩三 ( 2025年5月15日引退 )
  七段  川上猛 ( 2025年9月16日引退 )

日本将棋連盟所属(現役棋士 171名 / 2025年度引退者 5名、2025年7月10日時点)
2025年度の昇段(期中の昇段月。月表記なしは期首4/01付)。引退者の(日付)は引退日。
これまでの引退棋士・退会者についてはTemplate:日本将棋連盟引退棋士参照。詳細は将棋棋士一覧を参照。
2026年度 >>
第38期竜王戦ランキング戦
竜王
1組
【 ▼降級 4名 】
2組
△昇級 4名
▼降級 4名
3組
△昇級 4名
▼降級 4名
4組
△昇級 4名
▼降級 4名
5組
△昇級 4名
▼降級 4名
6組
【 △昇級 5名 】
【当期参加 72名】
女流棋士
アマチュア
  • 森下裕也アマ
  • 荒田敏史アマ
  • 関矢寛之アマ
  • 竹内広也アマ
  • (6組参加4名)
奨励会員
  • 山下数毅(三段、5組在籍、2025年10月1日昇段)
  • 齊藤優希(三段、6組参加、2025年4月四段昇段)
  • (5組、6組参加各1名、計2名)
次期から出場

【2025年04月昇段者】(2名):齊藤優希(第38期は三段として出場)、炭﨑俊毅(第39期からの出場)
【2025年10月昇段者】(4名):山下数毅(第38期は三段として出場)、岩村凛太朗生垣寛人片山史龍(第39期からの出場)

★挑戦者 / ◎本戦出場 / △次期昇級 / ▼次期降級 / 初参加棋士(棋士として初参加) / 詳細については将棋棋士の在籍クラスを参照。
名人
A級
B級1組
B級2組
C級1組
C級2組
フリー
クラス
棋戦限定
出場
F宣言
2025年度
引退者
次期から
出場
フリークラス 昇級者
奨励会三段リーグ 上位者
2025年10月1日昇段者(2-4名)
2026年4月1日昇段者(2-3名)
先頭の数字は順位(名人、フリークラス以外)/ フリークラスの(数字)は在籍可能残り年数(2025年度開始時点)
B級2組 - C級2組の * は降級点の数(B級2組・C級1組は降級点2回で降級、C級2組は降級点3回で降級)
詳細については将棋棋士の在籍クラスを参照
将棋十八世名人
家元制
実力制
太字は現在の現役襲位者。※は原則として引退後に襲位予定
 
タイトル(4冠)12期
名人 8期(永世資格)
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
永世資格者
永世名人
竜王 2期
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
永世資格者
永世竜王
名前横の添数字は獲得通算回数
王将 1期
前身
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
永世資格者
永世王将
棋王 1期
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
 
一般棋戦優勝 13回
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
名誉NHK杯
  • 羽生善治 ( 通算10回優勝者が該当 / 計11回優勝={ 第38回,41,45,47,48,50,58,59,60,61,第68回 } )
司会者

現 司会鈴木環那 (2022 - )
現 司会室谷由紀 (2024 - )

関連項目
将棋日本シリーズ JTプロ公式戦 優勝 1回
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
関連項目
成績優秀者12名による選抜一般棋戦
5連勝以上
勝抜者
関連項目
()内は連勝数。5連勝以上で公式棋戦優勝相当。連勝が次年度に継続した場合も勝抜きの対象。2003年(第22回)で終了。
早指し
将棋選手権
優勝者
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
早指し
新鋭戦
優勝者
1980年代
1990年代
2000年代
関連項目
2002年(第36回)で終了。
新人王戦 優勝 3回
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
関連項目
タイトル戦経験者を除く26歳以下・六段以下の棋士などが参加。★は三段優勝者。☆は出場中に四段昇段(該当4名)。
 
将棋大賞
最優秀棋士賞 受賞 2回
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
前年度の活躍が対象
新人賞 受賞 1回
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
前年度の活躍が対象
技能賞 受賞 3回
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
第32回で廃止。括弧内は受賞年。前年度の活躍が対象。
最多対局賞 受賞 2回
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
前年度の活躍が対象
最多勝利賞 受賞 2回
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
前年度の活躍が対象
勝率一位賞 受賞 1回
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
前年度の活躍が対象
名局賞特別賞 受賞 1回
2000年代
  • 09 該当なし
2010年代
2020年代
2009年から創設。数字は受賞年。前年度の対局が対象。勝者は左側に表記。
※2018年の牧野光則 - 中尾敏之は持将棋成立局が受賞対象。指し直し局は牧野が勝利。
将棋棋士番号女流棋士番号 一覧
 
将棋棋士番号一覧【日本将棋連盟 所属棋士 】
日本将棋連盟
棋士
_______

















番号一覧には退会者の番号を含む / 詳細は将棋棋士一覧 および将棋の女流棋士一覧 を参照
全般
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