| 法学者の「森伸生」とは別人です。 |
| 森 信雄 七段 | |
|---|---|
| 名前 | 森 信雄 |
| 生年月日 | (1952-02-10)1952年2月10日(73歳) |
| プロ入り年月日 | 1976年4月5日(24歳) |
| 引退年月日 | 2017年5月16日(65歳) |
| 棋士番号 | 126 |
| 出身地 | 愛媛県伊予三島市 |
| 所属 | 日本将棋連盟(関西) |
| 師匠 | 南口繁一九段 |
| 弟子 | 村山聖、増田裕司、山﨑隆之、安用寺孝功、片上大輔、糸谷哲郎、澤田真吾、大石直嗣、千田翔太、竹内雄悟、西田拓也、石川優太、高田明浩、獺ヶ口笑保人、山下数毅、室谷由紀、山口絵美菜、石本さくら、大島綾華、佐々木海法 |
| 段位 | 七段 |
| 棋士DB | 森 信雄 |
| 戦績 | |
| 一般棋戦優勝回数 | 1回 |
| 通算成績 | 403勝590敗(0.4143) |
| 竜王戦最高クラス | 5組 |
| 順位戦最高クラス | C級2組 |
| 2020年8月28日現在 | |
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森 信雄(もり のぶお、1952年2月10日 - )は、将棋棋士。棋士番号126。2017年5月16日に引退。愛媛県伊予三島市(現・四国中央市)出身[1]。南口繁一九段門下。愛媛県立三島高等学校卒業[2]。
3兄弟の末っ子で、飲んだくれの父親は幼少時に蒸発[3]。母は土方仕事で3人の子を女手一つで育てたが、極貧の生活であった[3]。いじめの標的にされていた森だが、小学5年で将棋を覚えて急速に上達し、伊予三島市に一軒だけあった将棋道場に通い、愛媛県立三島高等学校を卒業する頃にはアマ二段になっていた[3]。高校を卒業して兵庫県伊丹市の帝国化成の工場に勤め[4]、余暇には、のちに師匠となる南口繁一・九段が開いていた「南口将棋教室」に通った[3]。
1971年[5]、同じ教室に奨励会を受験する者がおり、19歳の森はそれにつられて奨励会受験を思い立ち、南口に相談した[3][注 1][注 2]。南口は、それなら師匠になってやるから受けてみろ、という素っ気ない態度で、勧めも止めもしなかったという[3]。
当時の森はアマ二段から三段の棋力だったが[注 3]、19歳での受験のため、年齢制限により3級で受験した[3][注 4]。試験結果が振るわず、不合格と考えていた森に、4級での合格が通知された[3]。当時は日本将棋連盟関西本部[注 5]の奨励会員が少なく、記録係の確保に苦労しており、奨励会を受験する者はよほどのことがない限り合格とされていたという[3]。
関西奨励会員となった森は工場勤めを辞め、将棋に理解のある大阪市内の呉服屋に住み込んだ[3]。呉服屋には棋士志望の子供がおり、奨励会に通いながら店を手伝い、その子供に将棋を教えれば良い、という好条件であった[3]。しかし、19歳で奨励会4級となったものの、もともと棋力が足りない森に、「21歳で初段にならないと退会」という奨励会の年齢制限が迫って来た[3][注 6]。森は精神的に不安定になり、厚遇してくれていた呉服屋を飛び出して伊予三島市の実家に戻り、しばらくは実家から関西奨励会に通った[3]。
その頃、関西本部の塾生の枠が空き、森は関西本部に塾生として住み込むことになった[3][10]。塾生は朝8時から遅い時は夜が明けるまであらゆる雑用を命じられる過酷な仕事であったが、森にはそれが苦にならず[3]、「一日中将棋漬け」の日々を送った[10]。森はベテラン棋士たちにかわいがられ[10]、終電を逃した強豪棋士が始発の時間まで稽古をつけてくれることもあった[3]。後年、森は「あの塾生の期間がなかったら、絶対に棋士にはなれなかったです」と振り返っている[10]。
森は初段に昇段できずに21歳になった[3]。年齢制限で退会させられるはずだが、関西本部の誰も森に退会を命じなかった[3]。その理由は2つあり、1つは、関西本部の有力棋士の息子が関西奨励会に在籍しており、年齢制限を超えても特例として退会を免れていたこと、もう1つは、関西本部の有力棋士たちが有能かつ勤勉な塾生である森を気に入っており「森をすぐに追い出さなくても良かろう」という雰囲気であったことであった[3]。奨励会在籍をなし崩し的に続けることができた森は[3]、21歳になってから約1年後の1974年に初段昇段を果たし[5]、年齢制限の問題は自然消滅した[3]。当時は、初段に上がったあとの年齢制限は「31歳までに四段昇段」であった[3]。森は初段に上がったことでプレッシャーから解放され、1976年4月5日、24歳で四段昇段(プロ入り)を果たした[3]。初段から四段まではわずか2年半であった[3]。
1980年の新人王戦(第11回)では、島朗を破って優勝した。
2001年よりフリークラスに転出。2007年4月1日 に七段に昇段[11]。
2017年3月31日、フリークラス規定により同年度の最終対局をもっての引退が確定。3月末時点で第30期竜王戦・6組昇級者決定戦のみに出場権を残していたが、5月16日の対局で大橋貴洸に敗れ、同日付で引退した[12][13]。
2018年、長年の将棋界への貢献、地域への貢献から宝塚市特別賞を受賞した[14]
上記の村山聖(1998年に死去)をはじめとして棋士・女流棋士になった弟子が多い[29]。
棋士になった弟子は15名であり(物故者の村山聖を含む)、近代将棋界の黎明期を除けば、佐瀬勇次一門を抜き最多記録である。この他、森の孫弟子に相当する棋士に柵木幹太(増田裕司門下)がいる。
2017年5月16日に森が現役を引退するまでに、森の段位(七段)を追い抜いた弟子は、村山聖(追贈九段)・山崎隆之(九段)・糸谷哲郎(八段・竜王1期)の3名を数える。また、森の引退後だが千田翔太(八段)も森の段位を追い抜いた。
女流棋士になった弟子は5名。この他、森の孫弟子に相当する女流棋士にカロリーナ・フォルタン(片上大輔門下)、磯谷祐維(山崎隆之門下)、森本理子(澤田真吾門下)がいる。
同じく棋士・女流棋士になった弟子が多い所司和晴と並べて、西の森一門、東の所司一門として有名である[29]。
毎年5月に、前年度の弟子の活躍を祝う「森一門祝賀会」を開催しており、森一門の棋士・女流棋士だけでイベントを開くこともある[29](事例[30])。
| 名前 | 四段昇段日 | 段位、主な活躍 |
|---|---|---|
| 村山聖 | 1986年11月05日 | 八段(追贈九段、故人)、タイトル挑戦1回、A級在籍3期、棋戦優勝2回 (1998年8月、A級在籍中に29歳で死去) |
| 増田裕司 | 1997年10月01日 | 七段 |
| 山崎隆之 | 1998年04月01日 | 九段、タイトル挑戦2回、A級在籍1期、棋戦優勝8回 |
| 安用寺孝功 | 1999年10月01日 | 七段 |
| 片上大輔 | 2004年04月01日 | 七段 |
| 糸谷哲郎 | 2006年04月01日 | 八段、竜王1期、A級在籍7期、棋戦優勝1回 |
| 澤田真吾 | 2009年04月01日 | 七段 |
| 大石直嗣 | 2009年04月01日 | 七段 |
| 千田翔太 | 2013年04月01日 | 八段、タイトル挑戦1回、A級在籍2期、棋戦優勝1回 |
| 竹内雄悟 | 2013年04月01日 | 五段 |
| 西田拓也 | 2017年04月01日 | 五段、棋戦優勝1回 |
| 石川優太 | 2019年10月01日 | 五段 |
| 高田明浩 | 2021年04月01日 | 五段 |
| 獺ヶ口笑保人 | 2024年10月01日 | 四段 |
| 山下数毅 | 2025年10月01日 | 四段 |
(2025年10月1日現在)
| 名前 | 女流2級昇級日 | 段位、主な活躍 |
|---|---|---|
| 室谷由紀 | 2010年07月17日 | 女流三段、タイトル挑戦5回 |
| 山口絵美菜 | 2016年04月21日 | (2022年引退・退会、現役時 女流1級) |
| 石本さくら | 2016年09月01日 | 女流二段、A級在籍2期、棋戦優勝1回 |
| 大島綾華 | 2021年05月01日 | 女流二段、タイトル挑戦1回 |
| 佐々木海法 | 2021年12月01日 | 女流初段 |
(2024年4月1日現在)
昇段規定は、将棋の段級 を参照。
この節の加筆が望まれています。 |
| 開始 年度 | (出典)順位戦 出典[35] | (出典)竜王戦 出典[36] | ||||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 期 | 名人 | A級 | B級 | C級 | 0 | 期 | 竜王 | 1組 | 2組 | 3組 | 4組 | 5組 | 6組 | 決勝 T | ||||
| 1組 | 2組 | 1組 | 2組 | |||||||||||||||
| 1977 | 36 | C227 | ||||||||||||||||
| 1978 | 37 | C210 | ||||||||||||||||
| 1979 | 38 | C208 | ||||||||||||||||
| 1980 | 39 | C227 | ||||||||||||||||
| 1981 | 40 | C212 | ||||||||||||||||
| 1982 | 41 | C214 | ||||||||||||||||
| 1983 | 42 | C230 | ||||||||||||||||
| 1984 | 43 | C212 | ||||||||||||||||
| 1985 | 44 | C223 | ||||||||||||||||
| 1986 | 45 | C223 | ||||||||||||||||
| 1987 | 46 | C245 | 1 | 6組 | -- | -2 | ||||||||||||
| 1988 | 47 | C219 | 2 | 6組 | -- | -2 | ||||||||||||
| 1989 | 48 | C219 | 3 | 6組 | -- | -2 | ||||||||||||
| 1990 | 49 | C215 | 4 | 6組 | -- | -2 | ||||||||||||
| 1991 | 50 | C227 | 5 | 6組 | -- | -2 | ||||||||||||
| 1992 | 51 | C216 | 6 | 6組 | -- | -2 | ||||||||||||
| 1993 | 52 | C221 | 7 | 6組 | -- | -2 | ||||||||||||
| 1994 | 53 | C221 | 8 | 6組 | -- | -2 | ||||||||||||
| 1995 | 54 | C229x | 2-8 | 9 | 6組 | -- | -2 | |||||||||||
| 1996 | 55 | C245* | 10 | 6組 | -- | -2 | ||||||||||||
| 1997 | 56 | C241* | 11 | 6組 | -- | -2 | ||||||||||||
| 1998 | 57 | C217* | 12 | 6組 | -- | -2 | ||||||||||||
| 1999 | 58 | C230* | 13 | 6組 | -- | -2 | ||||||||||||
| 2000 | 59 | C218*x | 1-9 | 14 | 6組 | -- | -2 | |||||||||||
| 2001 | 60 | F宣 | 15 | 6組 | -- | -2 | ||||||||||||
| 2002 | 61 | F宣 | 16 | 6組 | -- | -2 | ||||||||||||
| 2003 | 62 | F宣 | 17 | 5組 | -- | -2 | ||||||||||||
| 2004 | 63 | F宣 | 18 | 5組 | -- | -2 | ||||||||||||
| 2005 | 64 | F宣 | 19 | 5組 | -- | -2 | ||||||||||||
| 2006 | 65 | F宣 | 20 | 5組 | -- | -2 | ||||||||||||
| 2007 | 66 | F宣 | 21 | 5組 | -- | -2 | ||||||||||||
| 2008 | 67 | F宣 | 22 | 6組 | -- | -2 | ||||||||||||
| 2009 | 68 | F宣 | 23 | 6組 | -- | -2 | ||||||||||||
| 2010 | 69 | F宣 | 24 | 6組 | -- | -2 | ||||||||||||
| 2011 | 70 | F宣 | 25 | 6組 | -- | -2 | ||||||||||||
| 2012 | 71 | F宣 | 26 | 6組 | -- | -2 | ||||||||||||
| 2013 | 72 | F宣 | 27 | 6組 | -- | -2 | ||||||||||||
| 2014 | 73 | F宣 | 28 | 6組 | -- | -2 | ||||||||||||
| 2015 | 74 | F宣 | 29 | 6組 | -- | -2 | ||||||||||||
| 2016 | 75 | F宣 | 30 | 6組 | -- | -2 | ||||||||||||
| 2017 | 2017年5月16日 引退 | 2017年5月16日 引退 | ||||||||||||||||
| 順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。 順位戦の右数字はクラス内順位 (x当期降級点 / *累積降級点 /+降級点消去 ) 順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。 竜王戦の 太字はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。 | ||||||||||||||||||
{{cite news}}: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ){{cite news}}: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ)新人王戦 優勝 1回 | |
|---|---|
| 1970年代 | |
| 1980年代 | |
| 1990年代 | |
| 2000年代 | |
| 2010年代 | |
| 2020年代 | |
関連項目 | |
| タイトル戦経験者を除く26歳以下・六段以下の棋士などが参加。★は三段優勝者。☆は出場中に四段昇段(該当4名)。 | |
東京記者会賞 受賞 1回 | |
|---|---|
| 1980年代 | |
| 1990年代 | |
| 2000年代 | |
| 2010年代 | |
| 2020年代 | |
| 第8回(1982年)より創設 | |
日本将棋連盟所属 引退棋士および退会者 | |
|---|---|
| 引退年不詳 1930年代 引退者 | |
| 1940年代 引退者 | |
| 1950年代 引退者 |
|
| 1960年代 引退者 | |
| 1970年代 引退者 | |
| 1980年代 引退者 | |
| 1990年代 引退者 | |
| 2000年代 引退者 |
|
| 2010年代 引退者 |
|
| 2020年代 引退者 | |
| 退会者 | |
| 引退棋士 全174名(日本将棋連盟所属、棋士番号割当者〈※番号なし、人数に含めず〉、うち故人102〈下線表記〉)、退会者3名。 現役棋士については「Template:日本将棋連盟所属棋士」を参照 / 棋士全般についての詳細は「将棋棋士一覧」を参照 | |