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森下政一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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森下政一
もりした まさかず
生年月日1895年3月5日
出生地日本の旗日本京都府福知山市
没年月日 (1957-03-05)1957年3月5日(62歳没)
死没地日本の旗日本大阪府大阪市阿倍野区大阪市立大学医学部附属病院
出身校早稲田大学商科卒業
前職大阪市助役
所属政党国民同志会→)
日本社会党→)
右派社会党
称号勲三等瑞宝章
正五位
選挙区大阪府選挙区
当選回数2回
在任期間1947年5月3日 -1951年3月
1953年5月3日 - 1957年3月5日
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森下 政一(もりした まさかず、1895年明治28年)3月5日 -1957年3月5日)は、日本政治家参議院議員(2期)。

位階正五位勲等は勲三等。

大阪市財務部長、大阪市民信用組合長、大阪市教育会長、日本社会党大阪府支部連合会会長、参議院議員総会副会長を務めた[1]

経歴

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京都府福知山市生まれ。1916年大正5年)-早稲田大学商科卒業。大学卒業後、米国に留学。

1925年大正14年)関西大学経済学部で講師、後に教授として財政学や英語経済を教える[2]

1930年昭和5年)第17回衆議院議員総選挙大阪1区落選(国民同志会)。

1936年(昭和11年)大阪市助役就任。

1947年(昭和22年)第1回参議院議員通常選挙大阪府選挙区初当選(日本社会党)。1948年(昭和23年)4月芦田内閣大蔵政務次官。10月-第2次吉田内閣大蔵政務次官。1950年(昭和25年) 参議院大蔵委員会租税行政に関する小委員長。

1951年(昭和26年)3月 参議院議員辞職。4月-大阪市長選挙落選。1953年(昭和28年)-第3回参議院議員通常選挙当選(右派社会党)。

1957年(昭和32年) 前年秋に列国議会同盟会議から帰国して以来、体調がすぐれなかったが、参議院議員在任中に、大阪市立大学医学部附属病院で死去、62歳[1]。死没日をもって勲三等瑞宝章追贈、正五位に叙される[3]

脚注

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  1. ^ab第26回国会 参議院 本会議 第12号 昭和32年3月11日
  2. ^森下 政一」『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』https://kotobank.jp/word/%E6%A3%AE%E4%B8%8B%20%E6%94%BF%E4%B8%80コトバンクより2023年2月20日閲覧 
  3. ^『官報』第9060号153頁 昭和32年3月9日号

参考文献

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  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』(大蔵省印刷局、1990年)
第1回
(定数6)
3年議員
偶数回
定数3
第2回
第4回
第6回
第8回
第10回
第12回
第14回
第16回
第18回
第20回
第22回
定数4
第24回
第26回
奇数回
定数3
第3回
第5回
第7回
第9回
第11回
第13回
第15回
第17回
第19回
第21回
定数4
第23回
第25回
第27回
↓:途中辞職、失職、在職中死去など、↑:補欠選挙で当選。
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