桐生市(きりゅうし)は、群馬県南東部にある市。旧山田郡・足利郡・安蘇郡・勢多郡。伝統工芸品の桐生織を産する機業都市。市内に多くの産業遺産があり、桐生織物会館旧館を含む6件の日本遺産や、130件以上の国登録有形文化財が残されている[1]。
群馬県南東部に位置する東毛地域北部の中心都市。1921年(大正10年)3月1日、山田郡桐生町が群馬県内3番目・県東部で初めて市制施行。
上毛かるたで「桐生は日本の機どころ」と詠まれるなど、奈良時代から絹織物の産地として知られる。川内町北部は古く仁田山と呼ばれ、仁田山紬の産地として知られた。川内町にある白滝神社には、この地に機織りを伝えたといわれる白滝姫がまつられており、上毛かるたの絵札には、白滝姫が機織りをする姿が描かれている[2][3]。2014年(平成26年)の工業統計調査による繊維製品の出荷額は関東地方の市で最も高い[4]。
市のキャッチフレーズは、「伝統と創造、粋なまち桐生」。絹織物をはじめとする繊維工業によって育まれた技術によって、遊技機産業や自動車部品産業など機械工業が発達した。市内に国立群馬大学理工学部が立地することから、産学官連携による次世代のエネルギー産業の育成が行われている。桐生新町重要伝統的建造物群保存地区とその周辺地区を重点区域とする「桐生市歴史的風致維持向上計画」を策定し、旧市街地を中心とした歴史的建造物と祇園祭などの伝統行事を生かしたまちづくりを進めている。
2015年(平成27年)国勢調査人口は114,714人で、群馬県内第5位。昭和中期は群馬県で人口最多の市であった。群馬県東部地域の太田市・館林市とともに東毛地方拠点都市地域の中心都市に指定されている。しかし、2025年(令和7年)現在では、2015年比で人口は約1万5,000人ほど減少し、人口は10万人を割り込んでいる。
隣接するみどり市は、桐生市に所在する各種官公庁の管轄内に含まれ、県の地域区分でも同一の「桐生地区」として扱われる。桐生・みどり両市のDID(人口集中地区)は桐生市相生町とみどり市大間々町で連接しており、上毛電気鉄道上毛線・東武桐生線・群馬県道3号前橋大間々桐生線の沿線では両市境を挟んで連続した市街地が形成されている。総面積に対する可住地面積比率が低いことから、可住地人口密度が高い。2017年度(平成29年度)末の汚水処理人口普及率は96.8%で、全国平均の90.9%を上回っており、群馬県内の市町村で最も高い[5]。
地名の由来は、「桐が多く自生する土地」から「桐生」とも、「霧が多く発生する土地」から「霧生」とも言われているが、どちらも決め手は無い。日本各地にある「桐」や「切」の字を用いた地名は中世に発現したとみられるものが多く、この地名がついている地域は河岸の台地や山峡溪谷状の地形で、山城や館址があることが多い。「きり」のつく地域は中世の頃になって新たに開墾された要害地で、「う」は山間部から平野や盆地にうつるような広くない土地であり、そのころの「桐生」は現在の梅田町一丁目から天神町三丁目のあたりまでの地域をさしたものと考えられる[6][7]。
製糸・撚糸・染織・縫製・刺繍など、繊維に関する様々な技術を持つ事業所が集積する総合産地であることから「織都(しょくと)」という雅称があり、市民憲章や桐生織千三百年記念行事の名称に用いられている。野球が盛んで「球都」と呼ばれる。市内には群馬県代表として初めて全国制覇を経験した桐生第一高等学校や、甲子園で準優勝を二度果たした群馬県立桐生高等学校があるほか、硬式野球部を持つ7校中5校が甲子園を経験している[8]。
桐生市のマスコットキャラクターは、旧市街地に多く見られる鋸屋根の工場をモチーフとした「キノピー」で、2011年(平成23年)3月5日の「桐生市制施行90周年・水道創設80周年記念式典」が行われた際に初めて登場した[9]。鋸屋根の織物工場は、北向きの窓から場内の作業に適した柔らかく安定した光を取り入れ、機械の音が乱反射して和らぐように工夫されている。鋸屋根をもつ建物は200棟以上現存しており、その多くが木造建築であるが、煉瓦造りや石造りの建物も見られる[3]。
桐生市中心部周辺の空中写真。渡良瀬川が北西から南東方向へ、桐生川が北から南方向へ流れる。桐生の市街地は渡良瀬川の北東岸、桐生川の西岸に広がる。画像左側に見える2つ並んだ水面は桐生競艇場(住所上の所在地は西隣のみどり市笠懸町阿左美)である。1986年撮影の18枚を合成作成。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)(現・地図・空中写真閲覧サービス)の空中写真を基に作成。関東平野の北端、足尾山地の南西端にあり、群馬県前橋市から東に約24km、埼玉県熊谷市から北に約29km、栃木県宇都宮市から南西に約52kmの場所に位置する。
渡良瀬川の中・上流域を市域とし、土地は渡良瀬川が流れる市南部の境野町・広沢町付近が最も低く、市内最高峰は市北部の黒保根町下田沢にある赤城山を構成する主峰・黒檜山である。市域の7割以上が山地で、少ない平地の大半が人口集中地区となっており、桐生市街地は、桐生川が足尾山地から関東平野に流れ出す地点に形成された谷口集落を基礎として発達している。
新里地区・黒保根地区(旧新里村・旧黒保根村、2005年(平成17年)に桐生市に編入)は、桐生市中心部とは間にみどり市(旧勢多東村・旧大間々町・旧笠懸町、2006年(平成18年)成立)を挟んで離れており、飛地となっている。平成の大合併以前の旧桐生市の面積 (137.47km2) と、飛地として加わった旧新里村・旧黒保根村の合計面積 (137.10km2) がほぼ同じであり、このような大規模な飛地のある自治体は日本でも数えるほどしかない[注 1]。
桐生市街地と茶臼山- 渡良瀬川
赤城山を背にした渡良瀬川- 小黒川
- 不動沢
- 江戸川
- 南雲川
- 気勝沢川
- 川口川
- 深沢川
- 山田川
- 小倉川
- 広沢川
- 手ノ入沢 - 八幡沢 - 姥沢 - 榎入沢 - 夏保沢 - 加茂入沢 - 竜戸沢
- 桐生川
- 皆沢川 - 忍山川 - 高沢川 - 金沢川 - 黒川 - 小友川 - 清水川
- (粕川の支流)
- (利根川の支流)
- 丸山池
- 梅田湖(人造湖、桐生川ダム)
- 鶴ヶ谷沼
- 早川貯水池(早川ダム)
気候区分は太平洋側気候に属するが、夏と冬の気温の差が大きい中央高地式気候の特徴もみられる。夏は伊勢崎市や館林市と同様に暑さが大変厳しく、2023年には年間猛暑日日数46日を記録し、それまで全国最多だった大分県日田市の45日(1994年)を29年ぶりに更新した。
| 桐生市の気候 |
|---|
| 月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
|---|
| 最高気温記録°C (°F) | 18.7 (65.7) | 25.0 (77) | 27.3 (81.1) | 32.2 (90) | 35.4 (95.7) | 39.8 (103.6) | 40.4 (104.7) | 41.2 (106.2) | 37.4 (99.3) | 32.9 (91.2) | 27.6 (81.7) | 24.1 (75.4) | 41.2 (106.2) |
|---|
| 平均最高気温°C (°F) | 9.0 (48.2) | 9.9 (49.8) | 13.6 (56.5) | 19.2 (66.6) | 24.0 (75.2) | 26.6 (79.9) | 30.2 (86.4) | 31.6 (88.9) | 27.4 (81.3) | 21.7 (71.1) | 16.4 (61.5) | 11.4 (52.5) | 20.1 (68.2) |
|---|
| 日平均気温°C (°F) | 3.4 (38.1) | 4.3 (39.7) | 7.8 (46) | 13.2 (55.8) | 18.1 (64.6) | 21.5 (70.7) | 25.2 (77.4) | 26.2 (79.2) | 22.5 (72.5) | 16.7 (62.1) | 10.8 (51.4) | 5.7 (42.3) | 14.6 (58.3) |
|---|
| 平均最低気温°C (°F) | −1.8 (28.8) | −1.1 (30) | 2.3 (36.1) | 7.5 (45.5) | 12.7 (54.9) | 17.2 (63) | 21.1 (70) | 22.2 (72) | 18.6 (65.5) | 12.4 (54.3) | 5.7 (42.3) | 0.5 (32.9) | 9.8 (49.6) |
|---|
| 最低気温記録°C (°F) | −7.6 (18.3) | −8.6 (16.5) | −8.3 (17.1) | −2.2 (28) | 3.2 (37.8) | 9.5 (49.1) | 11.3 (52.3) | 14.5 (58.1) | 8.3 (46.9) | 2.1 (35.8) | −2.7 (27.1) | −7.6 (18.3) | −8.6 (16.5) |
|---|
| 降水量 mm (inch) | 33.2 (1.307) | 28.4 (1.118) | 63.9 (2.516) | 83.9 (3.303) | 110.0 (4.331) | 152.8 (6.016) | 201.3 (7.925) | 180.1 (7.091) | 178.6 (7.031) | 155.3 (6.114) | 53.1 (2.091) | 28.5 (1.122) | 1,269.1 (49.965) |
|---|
| 平均降水日数(≥1.0 mm) | 3.5 | 4.0 | 7.8 | 8.8 | 10.3 | 13.2 | 14.7 | 12.1 | 12.0 | 9.6 | 6.0 | 3.8 | 105.8 |
|---|
| 平均月間日照時間 | 223.0 | 210.4 | 210.5 | 203.9 | 194.5 | 136.2 | 150.7 | 177.0 | 137.9 | 153.6 | 183.2 | 204.3 | 2,185.1 |
|---|
| 出典1:気象庁[10] |
| 出典2:気象庁[11] |
2006年(平成18年)3月1日より、群馬県における天気予報および注意報・警報の細分区域が変更された。一次細分区域は、桐生市を含む区域については、これまで通りの「南部」とされ、二次細分区域は、かつての「前橋東毛」(黒保根町を除く桐生市)・「赤城榛名」(黒保根町)から、全市域が「前橋・桐生地域」という区分となった。
「前橋・桐生地域」には、桐生市・みどり市の他、前橋市、渋川市、北群馬郡が含まれる。
1920年(大正9年)国勢調査での桐生町の人口は3万7674人で、群馬県内の町で最多であった。桐生町は1921年(大正10年)に県内3番目、東毛地域内で最も早く市制を施行した。1947年(昭和22年)国勢調査での桐生市の人口は9万1482人で県内最多となり、昭和の合併後は長らく県内第3位の人口規模で、1975年(昭和50年)国勢調査で13万4239人を記録した。その後は人口減少が続き、平成期には市人口が12万人を下回り県内第5位にまで後退したが、新里町では平成後期まで人口が増加傾向にあった。前述の通り、旧・過疎法により旧黒保根村が、令和3年に施行された新・過疎法(過疎地域の持続的発展の支援に関する特別措置法)により旧桐生市が、過疎地域に指定されている。
2020年の令和2年国勢調査によると、桐生市の人口は106,445人、総世帯数は44,971世帯である(人口は多い順に高崎市、前橋市、太田市、伊勢崎市、桐生市となっている)[12]。
| 階級別人口 [単位 人] 2005年3月末 |
| 総計 | | 男女別 |
| 年齢 | 人口 | 男 | 年齢 | 女 |
| 0〜4歳 |     | 4,241 | 2,211 |     | 0〜4歳 |     | 2,030 |
| 5〜9 |     | 4,781 | 2,473 |    | 5〜9 |    | 2,308 |
| 10〜14 |  | 4,984 | 2,589 |     | 10〜14 |     | 2,395 |
| 15〜19 |   | 5,347 | 2,785 |     | 15〜19 |     | 2,562 |
| 20〜24 |    | 6,294 | 3,385 |    | 20〜24 |      | 2,909 |
| 25〜29 |    | 6,473 | 3,294 |   | 25〜29 |    | 3,179 |
| 30〜34 |      | 7,768 | 3,976 |   | 30〜34 |    | 3,792 |
| 35〜39 |      | 6,892 | 3,474 |   | 35〜39 |    | 3,418 |
| 40〜44 |    | 6,288 | 3,223 |    | 40〜44 |  | 3,065 |
| 45〜49 |    | 6,333 | 3,172 |    | 45〜49 |    | 3,161 |
| 50〜54 |      | 7,421 | 3,670 |     | 50〜54 |    | 3,751 |
| 55〜59 |      | 9,837 | 4,773 |     | 55〜59 |  | 5,064 |
| 60〜64 |    | 8,981 | 4,302 |    | 60〜64 |      | 4,679 |
| 65〜69 |      | 7,633 | 3,524 |   | 65〜69 |    | 4,109 |
| 70〜74 |     | 7,117 | 3,133 |   | 70〜74 |   | 3,984 |
| 75〜79 |    | 5,764 | 2,372 |     | 75〜79 |    | 3,392 |
| 80〜84 |     | 3,721 | 1,304 |   | 80〜84 |     | 2,417 |
| 85〜89 |   | 2,029 | 585 |  | 85〜89 |    | 1,444 |
| 90歳以上 |    | 1,168 | 259 |  | 90歳以上 |    | 909 |
 |
| 桐生市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 桐生市の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 桐生市 ■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 |
桐生市(に相当する地域)の人口の推移
| 1970年(昭和45年) | 146,489人 | | | 1975年(昭和50年) | 148,376人 | | | 1980年(昭和55年) | 147,744人 | | | 1985年(昭和60年) | 146,825人 | | | 1990年(平成2年) | 142,838人 | | | 1995年(平成7年) | 138,193人 | | | 2000年(平成12年) | 134,298人 | | | 2005年(平成17年) | 128,037人 | | | 2010年(平成22年) | 121,704人 | | | 2015年(平成27年) | 114,714人 | | | 2020年(令和2年) | 106,445人 | |
|
| 総務省統計局国勢調査より |
| 国勢調査人口の変遷 [単位 人] |
| 自治体 | 年 | 人口 | 備考 |
| 桐生町 | 1920年(大正9年) |    | 3万7,674 | |
| 桐生市 | 1925年(大正14年) |    | 4万2,553 | 1921年(大正10年)市制施行 |
| 1930年(昭和5年) |   | 5万2,906 | |
| 1935年(昭和10年) |      | 7万6,145 | 1933年(昭和8年)境野村を編入 |
| 1940年(昭和15年) |     | 8万6,086 | 1937年(昭和12年)広沢村を編入 |
| 1947年(昭和22年) |     | 9万1,482 | |
| 1950年(昭和25年) |      | 9万5,533 | |
| 1955年(昭和30年) |      | 11万6,935 | 1954年(昭和29年)梅田村、相生村、川内村を編入 |
| 1960年(昭和35年) |     | 12万3,010 | 1959年(昭和34年)菱村を編入 |
| 1965年(昭和40年) |      | 12万7,880 | |
| 1970年(昭和45年) |    | 13万3,141 | 1968年(昭和43年)田沼町の一部を編入 |
| 1975年(昭和50年) |     | 13万4,239 | |
| 1980年(昭和55年) |    | 13万2,889 | |
| 1985年(昭和60年) |    | 13万1,267 | |
| 1990年(平成2年) |      | 12万6,446 | |
| 1995年(平成7年) |    | 12万0,377 | |
| 2000年(平成12年) |    | 11万5,434 | |
| 2005年(平成17年) |      | 12万8,037 | 2005年(平成17年)新里村、黒保根村を編入 |
- 総面積274.57km2
- 林野面積 197.18km2
- 可住地面積 77.39km2
- 耕地面積 17.80km2
- 林野面積率 71.8%
- 可住地面積率 28.2%
- 可住地内耕地率 23.0%
この地域の歴史は古く、奈良時代には既に朝廷へ「あしぎぬ(絹)」を献上したと記されている。養蚕業・絹織物業がこの地域において栄えた理由については諸説があるが、中央(大和地方)からその技術を持った人々が移り住んだ結果という説が最も有力である。それを思わせる伝承も「白滝姫伝説(「桐生織」の項目を参照)」によって、当地方に語り継がれている。織物業はその後の桐生の発展の基盤となり、現在に至っている。
『吾妻鏡』などの文献によれば、平安時代末期に桐生六郎の名が見えることから、地名としての「桐生」は平安時代には既に存在していたと考えられている。ついで1350年には柄杓山(城山)に城を築き、桐生氏(藤姓足利氏の系統)の始めとされる桐生国綱、1500年代中頃に桐生氏の全盛期を築いた桐生助綱の名が見られる。桐生氏は1500年代後半に由良成繁によって滅ぼされ、以降、成繁は柄杓山城を本拠としたが、子の国繁の時に豊臣秀吉の小田原征伐により領地替えが行われた。
1600年、関ヶ原の戦いを直前に控えた徳川家康が小山に在陣中、急遽西進して石田三成を討伐することを決定するが、その際に不足した軍旗を僅かの時間に揃えたのが桐生の村々であった。これにより桐生の絹は一層名を高めたという。
現在の市街地が形成され始めたのは1600年頃、徳川家康の家臣であった大久保長安の命令を受けた大野尊吉によるものとされる。渡良瀬川と桐生川に挟まれた扇状地に桐生天満宮を基点として桐生新町が形成され、絹織物業の発展とともに市街地は郊外に広がっていった。起点となった天満宮前は現在の本町一丁目となっており、二丁目とあわせて当時の区割りと建物がそのまま残された景観が保たれている。
桐生の織物産業の将来性は江戸幕府にも高く評価され、幕府の成立とともに天領とされた。近隣の村々(みどり市、旧藪塚本町(現太田市)、旧新里村)などの農村部では、養蚕が盛んに行われ、多くの富を蓄積。桐生道、古戸道、足尾銅山街道、日光例幣使街道などの諸街道によって日光・熊谷・川越・八王子と結ばれ、全国に広く絹織物を広めた。
天保年間に全国に先駆けてマニュファクチュアを導入。明治・大正・昭和初期にかけて日本の基幹産業として発展し、外貨獲得に貢献した。昭和中後期は、和装離れから絹織物産業は下火となったが、代わって自動車部品産業や遊技機産業が成長。幾つものチャレンジングな企業が生まれ、今日の桐生を支えている。
1947年9月、カスリーン台風による被害を受ける。50人余が死亡、流出家屋約200戸、当時の市内の半数約10000戸が浸水[13]。
戦前の桐生市役所
旧桐生市役所庁舎(2011年12月)- 所在地 〒376-8501
- 群馬県桐生市織姫町1番1号
- 所在地 〒376-0194
- 群馬県桐生市新里町武井693番地
- 所在地 〒376-0196
- 群馬県桐生市黒保根町水沼182番地3
桐生市市民憲章
- わたくしたちは、美しい山々と、
- 清らかな流れにつつまれた、わたくしたちのまち桐生を、
- より明るく豊かにするために、この市民憲章を定めます。
- 一、わたくしたちは、伝統を尊び、自然を愛して、美しい桐生をつくりましょう。
- 一、わたくしたちは、互いに助け合い、きまりを守って、明るい桐生をつくりましょう。
- 一、わたくしたちは、健康を保ち、楽しい家庭を築いて、平和な桐生をつくりましょう。
- 一、わたくしたちは、教養を高め、理想を掲げて、文化のかおり高い桐生をつくりましょう。
- 一、わたくしたちは、織都を誇り、近代産業を伸ばして、活気ある桐生をつくりましょう。
— 昭和40年11月3日制定[32]
- 桐生警察署(清瀬町)
- 東交番(東3丁目)
- 駅前交番(宮前町2丁目)
- 境野町交番(境野町1丁目)
- 広沢町交番(広沢町4丁目)
- 相生町交番(相生町2丁目)
- 梅田駐在所(梅田町2丁目)
- 川内駐在所(川内町3丁目)
- 菱町駐在所(菱町2丁目)
| - 大間々分庁舎(旧・大間々警察署、みどり市大間々町桐原)
- 小林駐在所(新里町小林)
- 新川駐在所(新里町新川)
- 水沼駐在所(黒保根町水沼)
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#交通も参照。
- 環状道路・広域幹線道路
- 四方を山川に囲まれた桐生市街地は、地理的な分断要素が多いことから、市内各地区の連絡を強化するため、内環状道路・外環状道路の整備を推進している。2007年時点、内環状道路に位置づけられている美原通りを南に延伸する形で「錦琴平線」の整備が行われている。
- 北関東自動車道に接続する片側2車線の広域幹線道路(桐生大橋線・中通り大橋線)、国道50号バイパス(前橋笠懸道路)の建設が決定され、40年来の懸案だった道路整備が解決に向かっており、新たな局面に向けて動き出している。
- 土地区画整理事業
- 桐生駅、西桐生駅、新桐生駅、相老駅などの市内主要駅周辺の土地区画整理事業が計画され、このうち、桐生駅周辺地区は1986年度から実施され2007年度に完成している。
- 自然環境の保全・活用
- 八王子丘陵や渡良瀬川などの自然環境をいかした余暇機能の充実を推進し、市街地に隣接した丘陵地・河川敷に公園の新規整備、桐生市運動公園の拡充整備が計画されている。
- 高い下水道普及率
- 下水道普及率は市街区域で90%を超え、全体でも76%と、県内12市では最も高い普及率となっている。
生活保護分野にて水際阻止や支給費の分割、一部支給、受け取り偽造など、市による様々な違法行為が発覚した。群馬県より市に特別監査が入り、窓口を訪れた市民が生活保護を申請しようとしても受け付けなかった「申請権の侵害」が疑われる対応が複数あったと指摘されたほか、是正が勧告された[33]。原因として公務員としての規範意識を低下させるような組織体制や職場風土があったことなどが、不適切対応をした一因であったことも否定できないとされている[34]。
- 生活保護費受取偽造
2022年10月27日、ケースワーカーが申請者の同姓の他人の印章を勝手に押印し、保護費を受け取ったように偽装したことが発覚、ケースワーカーと指導員の2人が私文書偽造や虚偽公文書作成で刑事告発された[35]。また、調査の結果1000本以上の印鑑を受給者から預かり市職員が書類に押印していた[36]。
- 生活保護費一部しか支給せず
2023年8月、桐生市は申請者に1日1000円ずつ窓口で手渡し、合計で3万円ほどしか支給していなかったことが、司法書士会の申し入れで発覚、その後全額が支給された[37]。また、ハローワークに行って求職活動をした証明がないと支給されないなどの違法な対応によって本来の保護費の半分程度しか支給されていなかった[36]。
- 水際作戦疑惑
生活保護の相談員として警察OBの採用を開始した際、「刑事課などで暴力団対応経験者を希望」とのただし書きをつけて警察OB紹介の依頼状を送付していた。桐生市生活保護違法事件全国調査団は「生活保護申請者を萎縮させる『水際作戦』が疑われる」と指摘している[38]。市による第三者委員会が設立され、「罵声は日常茶飯事だった」、「職員が高飛車な態度で対応していた。保健福祉部長の席がついたてで囲われ、状況が把握できずおかしいと思った」など福祉課保護係の異常な業務実態に関する市職員からの内部通報が6件確認された[39]。
- 選挙区:桐生市選挙区
- 定数:3人
- 任期:2023年4月30日 - 2027年4月29日[40]
- 投票日:2023年4月9日
- 当日有権者数:89,647人
- 投票率:42.01%
| 候補者名 | 当落 | 年齢 | 党派名 | 新旧別 | 得票数 | 議会所属会派 | 備考 |
|---|
| 井田泰彦 | 当 | 45 | 無所属 | 現 | 10,808票 | つる舞う | |
| 相沢崇文 | 当 | 47 | 自由民主党 | 現 | 10,586票 | 無所属 | |
| 亀山貴史 | 当 | 45 | 自由民主党 | 現 | 9,446票 | 自由民主党 | |
| 腰塚有吾 | 落 | 43 | 無所属 | 新 | 6,201票 | ――― | |
- 任期 : 2024年(令和6年)10月27日 - 2028年(令和10年)10月26日(「第50回衆議院議員総選挙」参照)
古くから織物産業が栄えたが、現在は機械金属産業とあわせて二大基幹産業となっている。
伝統の織物業は、炭素繊維を用いた特殊布や、映画・ドラマ衣装などで生き残りをはかっている。ハリウッド映画の『SAYURI』で、主演のチャン・ツィイー、コン・リー、桃井かおりらが身につけていた丸帯は、桐生市で作られたものである。
神社仏閣のお守り袋の製織を手掛ける岩秀織物、喪服帯・七五三祝着や和装小物の製造を行う佐啓産業、「和粋庵」ブランドで作務衣・甚平を製造する伊田繊維、ネクタイなどネックウェア生地を製造するアルファテックスなどに加え、マフラー製造の松井ニット技研に代表されるニット業、撥水加工を施した風呂敷「ながれ」で知られる朝倉染布、オリジナルブランド「色創館」を展開する土田産業など染色整理業が盛んである。
機械金属産業は、撚糸機や管巻機などの織物準備機械の製造から発達しており、ミツバ、小倉クラッチなど自動車部品産業が盛んである。「築地銀だこ」を展開するホットランドや、中古物件販売で業績を伸ばすカチタスなど、中小の新興企業にも元気の良い企業がある。
中心市街地においては、郊外に広大な農地を持たなかったため、大型商業施設が出来ず、近隣他市(伊勢崎市・太田市・足利市など)と比べて比較的商店街としての機能を保っており、個人商店・小規模小売の力が強いといえる。また、市街地地価の下げ止まり感から、新川公園など充実したインフラを求めて幾つかのマンション建設計画があるなど、市街地回帰現象も見られ始めている。
- 主な生産物
- 園芸
- 畜産
桐生市は、北関東工業地域のうち、関東内陸工業地域に属する。
- 市内の工業団地
- 境野工業団地
- 相生第一工業団地
- 相生第二工業団地
- 相生西工業団地
- 新里工業団地
- 新里芝工業団地
- 新里芝第二工業団地
- 板橋工業団地
- 山上工業団地
市の告示で指定金融機関等が指定されており、2024年(令和6年)4月1日の告示では桐生信用金庫が指定金融機関、その他10の金融機関が指定代理金融機関及び収納代理金融機関に指定されている[43]。
桐生市内に本店または支店を置く銀行、信用金庫、労働金庫
- 群馬銀行 桐生支店、桐生南支店、新桐生支店、あいおい支店、新里支店、桐生市役所(ATM)
- 東和銀行 桐生支店、桐生西支店
- 横浜銀行 桐生支店
- 足利銀行 桐生支店、桐生市役所出張所、新宿支店
- 桐生信用金庫 本店営業部、本町支店、 西支店、新桐生支店、相生支店、広沢支店、川内支店、東支店、境野支店、梅田支店、桐生市役所出張所
- しののめ信用金庫 桐生支店、新里支店
- 中央労働金庫 桐生支店
ATMコーナーのみ設置されている銀行
かつては平和、SANKYO、フライングガーデン、ホットランドの本社もあった。
市内の政治・経済・文化を扱う桐生タイムス新聞社、FM桐生がある。
- 姉妹都市
- 提携都市
- 岩下病院 (本町4丁目)
- 大和病院 (稲荷町)
- 桐生厚生総合病院 (織姫町)
- 岸病院 (相生町2丁目)
- 高木病院 (相生町5丁目)
市制施行当時の行政区画は町制時代の5つの大字(桐生・新宿・東安楽土・西安楽土・下久方)に基づく5区体制であったが、市勢の発展に伴い、旧区画では対応が難しくなったため、1929年(昭和4年)に10区体制に移行した。
その後、昭和初期の境野村・広沢村合併、昭和の大合併、菱村の越境合併により11区から17区が新設され、相生町の人口増加により15区の一部が分離し18区として新設された。
平成の大合併では、新里村・黒保根村と合併し、19区から22区が新設され、22区体制となった。なお、旧新里・黒保根両村は間にみどり市を挟んだ飛地である。
| 設置年 | 区 | 2005年 国勢調査 人口[44] | 所属町 |
1929年 (昭和4年) | 1区 | 1,435人 | 本町1-3丁目、横山町 |
| 2区 | 740人 | 本町4-6丁目 |
| 3区 | 3,201人 | 稲荷町、錦町1-3丁目、織姫町、桜木町、美原町、清瀬町 |
| 4区 | 3,761人 | 新宿1-3丁目、三吉町1-2丁目、小梅町、琴平町 |
| 5区 | 1,855人 | 浜松町1-2丁目 |
| 6区 | 2,740人 | 仲町1-3丁目、東町、泉町、高砂町、旭町、川岸町 |
| 7区 | 5,039人 | 東1-7丁目 |
| 8区 | 6,219人 | 末広町、宮前町1-2丁目、堤町1-3丁目、巴町1-2丁目、元宿町 |
| 9区 | 2,953人 | 永楽町、小曾根町、宮本町1-4丁目 |
| 10区 | 4,370人 | 東久方町1-3丁目、西久方町1-2丁目、天神町1-3丁目、平井町 |
1933年 (昭和8年) | 11区 | 9,522人 | 境野町1-7丁目 |
1937年 (昭和12年) | 12区 | 8,299人 | 広沢町1-3丁目 |
| 13区 | 9,735人 | 広沢町4-7丁目、広沢町間ノ島 |
1954年 (昭和29年) | 14区 | 4,278人 | 梅田町1-5丁目 |
| 15区 | 19,294人 | 相生町2丁目の一部、3-5丁目 |
| 16区 | 10,344人 | 川内町1-5丁目 |
1959年 (昭和34年) | 17区 | 9,891人 | 菱町1-5丁目 |
1977年 (昭和52年) | 18区 | 5,451人 | 相生町1丁目、2丁目の一部 |
2005年 (平成17年) | 19区 | 2,553人 | 新里町赤城山、板橋、関、高泉、大久保、奥沢、鶴ケ谷(上鶴ケ谷) |
| 20区 | 5,634人 | 新里町鶴ケ谷(下鶴ケ谷)、山上、小林、武井、野 |
| 21区 | 8,137人 | 新里町新川 |
| 22区 | 2,586人 | 黒保根町水沼、八木原、上田沢、下田沢、宿廻 |
- 旧桐生市内は変更なし
- 新里地区(旧新里村)、黒保根地区(旧黒保根村)は以下のとおり
- 例1:勢多郡新里村大字新川→桐生市新里町新川
- 例2:勢多郡黒保根村大字水沼→桐生市黒保根町水沼
- 備考
- 公立
- 私立
桐生市立中学校の適正規模・適正配置実施計画によって、市街地に所在する中学校が、次のように再編された。
- 公立
- 東幼稚園(東1丁目)
- 西幼稚園(小曾根町)
- 境野幼稚園(境野町6丁目)
- 広沢幼稚園(広沢町4丁目)
| |
- 私立
- 桐生大学附属幼稚園(小曾根町)
- 樹徳幼稚園(広沢町3丁目)
- のびのび幼稚園(新里町新川)
- 白ゆり幼稚園(新里町小林)
- 城山幼稚園(新里町山上)
- すぎの子幼稚園(新里町関)
- 公立
- みつぼり保育園(境野町3丁目)
- 広沢南部保育園(広沢町6丁目)
- 相生保育園(相生町2丁目)
- 黒保根保育園(黒保根町水沼)
- 私立
- 明照保育園(本町6丁目)
- 立正保育園(浜松町1丁目)
- 高砂保育園(仲町1丁目)
- 昭和保育園(東2丁目)
- ひかり保育園(東4丁目)
- 東保育園(東5丁目)
- 元宿保育園(元宿町)
- 桐生北保育園(東久方町1丁目)
- たちばな保育園(西久方町2丁目)
- 沼の上保育園(境野町4丁目)
- おおぞら保育園(広沢町1丁目)
- 広沢保育園(広沢町3丁目)
- 大雄保育園(広沢町3丁目)
- たかぞの保育園(梅田町1丁目)
| - 足仲保育園(相生町1丁目)
- ひまわり保育園(相生町3丁目)
- すみれ保育園(相生町3丁目)
- 太子保育園(相生町5丁目)
- ミドリ丘保育園(相生町5丁目)
- たかのす聖母保育園(川内町2丁目)
- 上の台保育園(川内町3丁目)
- はなぞの保育園(川内町5丁目)
- 菱保育園(菱町3丁目)
- かんのん保育園(菱町4丁目)
- 新里保育園(新里町新川)
- おおぞら保育園(新里町関)
|
- 中央公民館(稲荷町)
- 東公民館(東5丁目)
- 西公民館(永楽町)
- 南公民館(新宿3丁目)
- 北公民館(東久方町3丁目)
- 昭和公民館(美原町)
- 境野公民館(境野町2丁目)
- 広沢公民館(広沢町4丁目)
| - 梅田公民館(梅田町2丁目)
- 相生公民館(相生町2丁目)
- 川内公民館(川内町5丁目)
- 桜木公民館(広沢町2丁目)
- 菱公民館(菱町2丁目)
- 桜木西(如来堂)公民館(相生町1丁目)
- 新里公民館(新里町武井)
- 黒保根公民館(黒保根町水沼)
|
#都市計画も参照。
桐生・大間々地区における鉄道路線の位置関係と配線[46]本市は群馬県随一の鉄道密集地帯で、合計4事業者の鉄道路線が市内に乗り入れており、私鉄各線は市内に多数の駅を有する。小規模ではあるが駅前に中心街と異なる独自の商店街を形成する駅も多い。ターミナル駅が事業者ごとに各所に分散しているため乗換利便性は良いものとは言えず、徒歩連絡を要するケースが多い。
- 桐生駅 - (下新田信号場) -
- 桐生駅 - (下新田信号場) -下新田駅 -相老駅 -運動公園駅 - (大間々駅 -上神梅駅:みどり市) -本宿駅 -水沼駅 -
- 西桐生駅 -丸山下駅 -富士山下駅 -天王宿駅 -桐生球場前駅 - (赤城駅:みどり市) -東新川駅 -新川駅 -新里駅 -
- -新桐生駅 -相老駅 -
※市内に高速道路はないが、隣接する太田市に北関東自動車道の「太田藪塚IC」「太田強戸スマートIC」「太田桐生IC」がある。
- おりひめバス
- 1■梅田線
- 2■川内線
- 3■広沢線
- 4■境野線
- 5■新桐生駅 - 桐生女子高線
- 6■菱線(循環線)
- 7■相生線(循環線)
| - 新里町デマンドタクシー -2012年(平成24年)4月1日運行開始。
- 新里町路線バス - 2012年(平成24年)3月31日廃止。
- 黒保根町デマンドタクシー -2013年(平成25年)4月1日運行開始。
- 黒保根町路線バス(沼田屋タクシーに運行委託)- 2013年(平成25年)3月31日廃止。
|
いずれも桐生駅南口に発着する。
桐生織や桐生和紙などの伝統工芸品や、桐生からくり人形といった伝統芸能が根付いている。
高橋盾、荒川眞一郎、大出由紀子、佐藤秀昭などの著名なファッション・デザイナーを輩出している。令和元年時点で人口11万人程度の自治体の中から、2人のパリコレデザイナー、3人の毎日ファッション大賞受賞者(新人賞込)、4人の東京コレクションデザイナーを輩出[47]。
北関東でも有数のコンサートプロモータである「桐生音協」のお膝元であり、市内や周辺市町村のホールなどではジャンルを問わず様々な公演が多数行なわれている。
わたらせフィルムコミッションが活動し、映画撮影誘致にも積極的である。このFCの設立には行政が加わっていない完全な民間による団体である点に特徴がある。
#公園・緑地も参照。
- 桐生市民体育館(相生町3丁目)
- 青年の家体育館(仲町1丁目)
- 桐生市北体育館(東久方町3丁目)
- 新里社会体育館(新里町山上)
- 黒保根社会体育館(黒保根町水沼)
- 桐生球場(相生町3丁目)
- 桐生境野球場(境野町7丁目)
- 広沢球場(広沢町5丁目)
- 新里総合グラウンド(新里町新川)
- 新里サッカー場(新里町新川)
- 西体育館・西運動場(小曽根町)旧西中学校
- ユーユー広場(相生町3丁目)
- 桐生市陸上競技場(元宿町)
| - 元宿庭球コート(元宿町)
- 相生庭球コート(相生町3丁目)
- 相川庭球コート(相生町3丁目)
- 新里庭球コート(新里町新川)
- 黒保根庭球コート(黒保根町水沼)
- 相撲道場(相生町2丁目)
- 新里剣道場(新里町山上)
- 桐生弓道場(相生町3丁目)
- 新里弓道場(新里町新川)
- 桐生市民プール(相生町3丁目)
- 桐生市新里温水プール「カリビアンビーチ」(新里町野)
- 桐生スケートセンター(東7丁目)
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#スポーツ施設も参照。
- 総合公園
- 運動公園
- 特殊公園
- 地区公園
- 近隣公園
- 街区公園
- 浜松町児童公園(浜松町1丁目)
- 東一丁目児童公園(東1丁目)
- 清水町児童公園(東7丁目)
- 間ノ島広場(広沢町間ノ島)
- 渡良瀬公園(相生町3丁目)
- 武井遺跡公園(新里町武井)
- 森林公園
- 緑化道路
桐生
- 桐生天満宮(天神町1丁目)
- 雷電神社(錦町1丁目)
- 織姫神社(織姫町)
- 八幡宮(新宿2丁目)
- 三峯神社(浜松町1丁目)
- 常祗稲荷神社(仲町3丁目)
- 諏訪機神社(東1丁目)
- 白髭神社(堤町2丁目)
- 美和神社(宮本町2丁目)
- 西宮神社(宮本町2丁目)
- 御嶽神社(宮本町3丁目)
- 八坂神社(宮本町4丁目)
境野
- 賀茂神社(境野町3丁目)
- 諏訪神社(境野町4丁目)
- 八坂神社(境野町6丁目)
- 加茂神社(境野町7丁目)
広沢
- 比呂佐和神社(広沢町3丁目)
- 諏訪神社(広沢町間ノ島)
- 八王子神社(広沢町4丁目)
- 賀茂神社(広沢町6丁目)
梅田
- 兼宮神社(梅田町1丁目)
- 日枝神社(梅田町1丁目)
- 護國神社(梅田町2丁目)
- 雷神岳神社(梅田町3丁目)
- 二渡神社(梅田町4丁目)
- 皆沢八幡宮(梅田町4丁目)
- 石鴨天満宮(梅田町5丁目)
相生
- 賀茂神社(相生町1丁目)
- 愛宕神社(相生町2丁目)
- 八坂神社(相生町3丁目)
- 赤城神社(相生町4丁目)
- 天沼稲荷神社(相生町5丁目)
川内
- 赤城神社(川内町1丁目)
- 赤城神社(川内町2丁目)
- 三島神社(川内町3丁目)
- 八幡宮(川内町5丁目)
- 白瀧神社(川内町5丁目)
- 赤城神社(川内町5丁目)
菱
- 宇都宮神社(菱町1丁目)
- 八坂神社(菱町2丁目)
- 宇都宮神社(菱町3丁目)
- 八坂神社(菱町4丁目)
- 八幡宮(菱町5丁目)
- 塩宮神社(菱町5丁目)
新里
- 赤城神社(新里町板橋)
- 八幡宮(新里町関)
- 八坂神社(新里町大久保)
- 奥澤神社(新里町奥沢)
- 諏訪神社(新里町山上)
- 赤城神社(新里町武井)
- 鹽竃神社(新里町野)
- 雷電神社(新里町新川)
- 八幡宮(新里町新川)
- 熊野神社(新里町新川)
- 菅原神社(新里町新川)
黒保根
- 黒峯神社(黒保根町水沼)
- 赤城神社(黒保根町八木原)
- 栗生神社(黒保根町上田沢)
- 赤城神社(黒保根町下田沢)
桐生
境野
- 本然寺(境野町1丁目)
- 成就院(境野町1丁目)
- 常泉寺(境野町4丁目)
- 祥雲寺(境野町6丁目)
広沢
- 普門院(広沢町2丁目)
- 神泉寺(広沢町2丁目)
- 大雄院(広沢町3丁目)
- 道風庵(広沢町間ノ島)
- 宝珠院(広沢町4丁目)
- 福厳寺(広沢町5丁目)
- 東方寺(広沢町6丁目)
- 法楽寺(広沢町6丁目)
- 東沢寺(広沢町7丁目)
梅田
- 鳳仙寺(梅田町1丁目。桐生七福神毘沙門天)
- 西方寺(梅田町1丁目。桐生七福神布袋尊)
- 渭雲寺(梅田町1丁目)
- 碧雲寺(梅田町1丁目)
- 長泉寺(梅田町2丁目)
- 高園寺(梅田町3丁目)
- 鷹林寺(梅田町4丁目)
- 長谷寺(梅田町5丁目)
相生
- 報身寺(相生町1丁目)
- 正覚寺(相生町1丁目)
- 大善寺(相生町2丁目)
- 天王院(相生町3丁目)
川内
- 東禅寺(川内町1丁目)
- 千手寺(川内町1丁目)
- 崇禅寺 (川内町2丁目)
- 永明寺(川内町3丁目)
- 雲祥寺(川内町3丁目)
- 観音寺(川内町5丁目)
- 宝徳寺(川内町5丁目)
- 延命寺(川内町5丁目)
- 高源寺(川内町5丁目)
- 観世院(川内町5丁目)
菱
新里
黒保根
- 1月
- 2月
- 3月
- 市制記念日 - 3月1日
- 桐生新町町立て祭 - 3月下旬から4月上旬
- 4月
- チューリップまつり - 4月上旬から中旬(吾妻公園)
- 5月
- 桐生市文化祭 - 5月上旬から6月中旬(市内各所)
- 桐生さつきまつり - 5月下旬から6月上旬(桐生駅構内特設会場)
- 6月
- 8月
- 9月
- 10月
- 11月
- 12月
- 桐生駅イルミネーション - 12月下旬から2月中旬
- 毎月
- 古民具骨董市 - 毎月第1土曜日 日の出から日の入りまで開催(桐生天満宮)
- 買場紗綾市 - 毎月第1土曜日 午前10時から午後3時まで開催(本町一丁目買場通り)
- 桐生楽市(楽市蓙座) - 毎月第1土曜日 午前9時から午後3時まで開催(本町三丁目本町通り)
- 日限地蔵尊縁日 - 毎月24日開催(観音院)
- 『漂流記』(坂口安吾)「車県桃生市」として、商魂息づく商人の町として描かれている。
- 『H2』(あだち充)物語に登場する明和第一高校のモデルが桐生第一高校との説。
- 『惡の華』(押見修造)アニメ版では桐生市の実写風景が素材として用いられている。
五十音順
- 桐生文化史談会『桐生の歴史』1983年(昭和58年)
- 小林一好、今村和昭 みやま文庫145『桐生大間々史帖』1996年(平成8年)
- 桐生市教育委員会『ふるさと桐生のあゆみ』1998年(平成10年)
- 群馬県『「上毛かるた」で見つける群馬のすがた』2014年(平成26年)6月(改訂)
- 群馬県『ガイドマップ「上毛かるた」ゆかりの地 文化めぐり』2017年(平成29年)3月 [第3版]
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