| けいせんまち 桂川町 | |||||
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| 国 | |||||
| 地方 | 九州地方 | ||||
| 都道府県 | 福岡県 | ||||
| 郡 | 嘉穂郡 | ||||
| 市町村コード | 40421-7 | ||||
| 法人番号 | 5000020404217 | ||||
| 面積 | 20.14km2 | ||||
| 総人口 | 12,240人[編集] (推計人口、2025年9月1日) | ||||
| 人口密度 | 608人/km2 | ||||
| 隣接自治体 | 飯塚市、嘉麻市 | ||||
| 町の木 | カツラ | ||||
| 町の花 | ヒマワリ | ||||
| 町の花木 | キンモクセイ | ||||
| 桂川町役場 | |||||
| 町長 | 井上利一 | ||||
| 所在地 | 〒820-0696 福岡県嘉穂郡桂川町大字土居424番地1号 北緯33度34分44秒東経130度40分41秒 / 北緯33.57883度 東経130.67808度 /33.57883; 130.67808座標:北緯33度34分44秒東経130度40分41秒 / 北緯33.57883度 東経130.67808度 /33.57883; 130.67808 | ||||
| 外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
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桂川町(けいせんまち)は、福岡県の中央部に位置する町。嘉穂郡に属しており、筑豊地域[1](都市計画の圏域では筑豊都市圏)を構成する自治体の一つである[2]。
福岡県の中央部、筑豊地域の南端部に位置する町。福岡市から東へ約25km、北九州市から南西へ約55km、筑豊の中心都市である飯塚市から南西へ約7kmの場所にある。
土居の宝塚遺跡からは、紀元前10世紀から紀元前4世紀のものと見られる石器が見つかっており、その頃から人類がいたとみられている。6世紀には、国の特別史跡である王塚古墳をはじめ、いくつかの前方後円墳が作られた。装飾古墳だけでも60基以上発見されており、これは全国の装飾古墳の約1割にあたる[3]。そのほかにも、影塚、二塚などの遺跡からは、有刻銅釧などの筑豊地方と朝鮮半島との交流を示唆する資料が発掘されている。その後、1024年からは安楽寺(現太宰府天満宮)により荘園(土師庄)として所有されていた。
鎌倉時代以降、城尾城(土師)、茶臼山城(寿命)などの城が建てられたが、江戸時代までに全て破却された。江戸時代初期には、長崎街道が整備され、九州各地から小倉方面への街道としてにぎわった。また、江戸時代中期には石炭の採掘も行われるようになった。
| 代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 |
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| 初 | 諌山茂太 | 1939年11月2日 | 1942年7月2日 |
| 2 | 穂坂茂吉 | 1942年7月31日 | 1943年11月27日 |
| 3 | 山辺俊太郎 | 1943年12月28日 | 1945年10月8日 |
| 4 | 吉田繁 | 1946年2月5日 | 1955年4月30日 |
| 5 | 瓜生真夫 | 1955年5月1日 | 1963年4月30日 |
| 6 | 八児勝 | 1963年5月1日 | 1975年4月30日 |
| 7 | 秋吉博 | 1975年5月1日 | 1979年4月30日 |
| 8 | 田崎保 | 1979年5月1日 | 1984年9月29日 |
| 9 | 穂坂周一郎 | 1984年11月11日 | 1990年2月20日 |
| 10 | 岩見智波 | 1990年4月8日 | 2002年4月7日 |
| 11 | 谷口裕教 | 2002年4月8日 | 2004年12月10日 |
| 12 | 前田説生 | 2005年1月17日 | 2006年10月13日 |
| 13 | 井上利一 | 2006年11月19日 | 現職 |
| 桂川町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 桂川町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 桂川町 ■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
桂川町(に相当する地域)の人口の推移
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| 総務省統計局国勢調査より | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
他の筑豊の市町村と同様、かつては炭鉱が町の経済を支えていたが現在ではすべて閉山しており、跡地を工業団地として再利用することで再生を図っている。

かつて町内を上山田線が通っていたが、駅は設置されていなかった。
町内に高速道路は通っていない。最寄りインターチェンジは九州自動車道の八幡インターチェンジ、福岡インターチェンジ、および大分自動車道の筑後小郡インターチェンジ。