核兵器 (かくへいき、英 :nuclear weapon )は、核分裂 の連鎖反応、または核融合反応 で放出される膨大なエネルギーを利用し、爆風 、熱放射 や放射線 効果の作用を破壊に用いる兵器 の総称。原子爆弾 、水素爆弾 、中性子爆弾 などの核爆弾 (核弾頭 )とそれを運搬する運搬兵器で構成される。技術の根幹が原子力発電と同様であり、原子力発電による生成物が核兵器の燃料となり得る。そのため核兵器の燃料が単純製造されることはほとんど無く、核兵器保有国の自国内にある原子力発電所から供給される使用済み核燃料 が利用される。
核兵器は生物兵器 、化学兵器 と合わせてNBC兵器(またはABC兵器)とよばれる大量破壊兵器 である。一部放射能兵器 も含めて核兵器と称する場合があるが、厳密には放射能兵器を核兵器に分類するのは誤りである。
核兵器は、人類 が開発した最も強力な兵器の一つであり、一つの爆弾で都市 を壊滅させる事も可能である。通常兵器と比較して広範囲に、無差別に、残留放射能として長年にわたり破壊的影響を与える。開発されてから20世紀 後半に配備数が世界中に増えるにつれ核戦争 の脅威が想定されるようになり、単なる兵器としてだけではなく国家 の命運、人類の存亡にも影響するものとして、開発・配備への動きのみならず、規制・廃棄の動きなど様々な議論の対象となってきた。現在までに実戦使用されたのはアメリカ合衆国 による、第二次世界大戦 における日本への2発 (広島 ・長崎 )のみである。
核兵器は核分裂を主とする原子爆弾と核融合を主とする水素爆弾の大きく二つに分類される。この二つを同程度の兵器サイズで比較すると、原子爆弾は設計が容易だが大威力化に限界があり、水素爆弾は複雑な設計が要求されるが最大威力を大きくすることができる。また、兵器の形態としても、開発当初は大型航空爆弾のみであったが、その後ミサイル や魚雷 の弾頭 、砲弾 までも様々なものが開発されている。
主に核分裂によるもの -原子爆弾 ガンバレル型 - 核燃料を片側へ押し込む方式 インプロージョン型(爆縮型) - 核燃料を球状の中心へ圧縮する方式 主に核融合によるもの -水素爆弾 (熱核兵器)テラー=ウラム型 - 第1段階に原爆を用いる。 純粋水爆 - 第1段階に原爆を用いない。実現していない。主に爆発の効果に注目した分類 -中性子爆弾 ・コバルト爆弾 戦術目的 -戦術核兵器 [ 1] 。戦場で使用される核兵器[ 1] 。非戦略核兵器の意味では戦域核兵器を含む[ 1] 。 戦略目的 -戦略核兵器 [ 1] 。敵国本土を攻撃目標とするため、長距離運搬手段と組み合わせて用いる[ 1] 。ただし、各国の地理的条件により、戦略核兵器と戦術核兵器の明確な境界は無い[ 1] 。 アメリカ軍 では核兵器に関する事故を次のように分類している (en:United States military nuclear incident terminology )。
ブロークンアロー (英語:Broken Arrow「折れた矢」の意)- 紛失・暴発・投棄・破壊・強奪・核兵器施設等の核汚染などの事故ベントスピア (英語:Bent Spear「曲がったやり」の意)- ブロークンアローより軽微な事態。輸送ミス、輸送部品の破損などダルソード (英語:Dull Sword「なまくらの剣」の意)- 核兵器に関わるスパナ やテスターの破損などの小さなインシデントを報告する際の用語Nucflash - 核戦争を起こしかねない核爆発 が起こったことを報告する際の符牒ドイツ西部ノルトライン=ヴェストファーレン州 に所在するDülmen-Visbeckウェポン・ストレージエリア (英語版 ) のバンカー26 NATOは冷戦時代に、ウェポン・ストレージエリア (英語版 ) と呼ばれる厳重に管理されたエリアに保管していた。1988年以降、電子システムと保管庫や運用などが見直され、Weapons Storage and Security System (英語版 ) (WS3)に発展させた[ 2] 。
ソビエト連邦でも同様に核兵器を保管する施設があったが、ロシア以外ではソビエト連邦崩壊とワルシャワ条約終了後に廃墟となっている場合がある[ 3] 。また、ウクライナ、ベラルーシやカザフスタンは、1994年12月5日にアメリカ、イギリス、フランス、中国、そしてロシアからの安全保障の保証と引き換えに核兵器を放棄した(ブダペスト覚書 )[ 4] [ 5] 。
原爆の被害者 核兵器使用後の都市(1945年、広島) 1930年代 、中性子 による原子核 の分裂が連鎖的に行われれば、莫大なエネルギーが放出されると仮説 が立てられていた。オットー・ハーン によるウラン の核分裂の発見を経て、1939年 、レオ・シラード 、エンリコ・フェルミ 、フレデリック・ジョリオ=キュリー の3グループはウランの中で中性子数が増倍する現象を発見し、これによって連鎖反応が可能になることを示した。それを受けて各国で原子炉 の開発が開始された。
当初は必ずしも兵器目的ではなかったが、この年の9月 に第二次世界大戦 が勃発すると、核分裂の巨大エネルギーを兵器として利用する原子爆弾の可能性が活発に議論されることになる。1940年 5月3日 付けの理研の仁科芳雄 と東京帝国大学 理学部 化学科 の木村健二郎 等の論文に、ウラン238 に高速中性子 を照射した実験において、今では核兵器の爆発によって生成することが知られているネプツニウム 237[ 6] を生成した[ 7] ことが記され、同年、アメリカ合衆国 の物理学誌フィジカル・レビュー に掲載された[ 8] 。また、同実験では、1回の核分裂で10個以上の中性子が放出され核分裂連鎖反応 (超臨界 )を伴うことが知られている対称核分裂 による生成物[ 9] が生成されたことが、『Fission Products of Uranium produced by Fast Neutrons(高速中性子 によって生成された核分裂生成物 )』と題して、同年7月6日付けの英国の学術雑誌ネイチャー に掲載された[ 10] [ 11] 。原爆の検討は連合国 側・枢軸国 側ともに行われていた[ 注釈 1] 。
トリニティ実験 での核爆発 (1945)この時代で原爆開発を組織的に最も推進できたのはアメリカ合衆国 であった。当時のアメリカ合衆国にはナチス・ドイツ のユダヤ人 迫害から逃れてアメリカに移民した優秀な科学者が大勢おり、その一人のレオ・シラードが1939年8月 にアルベルト・アインシュタイン の署名を得て、大統領のフランクリン・ルーズベルト に核連鎖反応 の実現への協力とアドルフ・ヒトラー の核保有の危険性を訴える手紙 を送った。これがアメリカ合衆国の原爆開発に至る最も早いきっかけとなった。その後、1941年10月にウラン爆弾が実現可能であることを伝える報告書がイギリス のMAUD委員会 からもたらされ、1942年 6月に原子爆弾の秘密開発プロジェクト、マンハッタン計画 が開始された[ 12] 。
ウラン濃縮 プラント・プルトニウム生産炉の各巨大工場の建設、そしてロバート・オッペンハイマー が率いるロスアラモス研究所 には優秀な科学者を全米から集め、アメリカ合衆国の軍・産・学の総力を挙げた国家プロジェクトとなった。最初の原爆は1945年 7月16日 に完成(3個)し、そのうち1個(ガジェット )によりアラモゴード の砂漠で世界最初の原爆実験 を実施した。残りの2つの原爆が日本 に投下された。
世界初の原子爆弾の実使用は、1945年8月6日 午前8時15分に広島 に対して濃縮ウラン 型原爆リトルボーイ のB-29 (エノラ・ゲイ )からの投下で実行された。ついで1945年8月9日 午前11時2分には長崎 に対してプルトニウム 爆縮 型原爆ファットマン がB-29 (ボックスカー )から投下された。
原爆投下により両都市は一瞬にして壊滅し、数十万人が無差別に殺害された。原爆炸裂によるキノコ雲 の頂点は17kmと成層圏 に達し、雲からは放射性物質を含む黒い雨 が30kmの範囲に降り注ぎ、被曝の人的被害を拡大した。
原爆の成功に軍当局は喜んだが、原爆使用の実体が明らかになってくると世界は震撼し、原爆開発に関係した科学者からも原爆反対の声があがっていくことになる。
マンハッタン計画中の1943年、エドワード・テラー らによって、原爆が火球内部で生み出す高温により熱核暴走 (thermonuclear runaway) を引き起こす熱核兵器 のアイデアが提示されていた。すなわち、この兵器では、軽い核を核融合 させ、その熱によってさらなる核融合を際限なく引き起こす。臨界質量 に制約される原爆とは異なって、このような爆弾は融合する核の燃料がある限りいくらでも強力なものにできる。融合のための燃料として、重水素 と三重水素 (トリチウム)の組み合わせが用いられるため、この爆弾は水素爆弾 (水爆)として知られる。また、原爆を第1段階とし、それにより第2段階としての核融合を引き起こす水爆の設計は特にテラー=ウラム型 と呼ばれる。
核の力によるアメリカ合衆国の単独覇権は想定通りとならなかった。予想以上に早く、1949年 にソ連 が原爆実験 に成功したからである。これ以降、世界は不安定な核開発競争を繰り広げながら、核兵器を保有したまま全面戦争を防止するという核抑止 戦略に進むことになった。
ソ連の原爆実験成功後、アメリカは1950年に水爆開発を決定し、それ以降、ロスアラモスでテラーらが開発に当たった。1952年にマーシャル諸島のエニウェトク環礁で最初の水爆実験が行われたが(アイヴィー作戦 )、これは60トンもある巨大な装置であった。翌1953年には、ソ連でもアンドレイ・サハロフ らが開発に当たった独自方式の水爆実験に成功した(RDS-6 )。さらに翌年の1954年にはアメリカが小型化した水爆実験をビキニ環礁で行った(ブラボー実験 )。この爆発は想定を大きく上回るものとなり、風下にいた第五福竜丸 船員などに放射性降下物 による深刻な被爆を引き起こした。
なお、ソビエト連邦 (ソ連)の原爆開発には、CFR(外交問題評議会 )メンバーであり、ルーズベルト政権の商務長官兼任大統領主席補佐官であったハリー・ホプキンス が、意図的にソ連に原爆技術を移転(ヴェノナ文書 も参照)したという、レーシー・ジョーダン(en:George Racey Jordan )少佐 のアメリカ議会委員会での宣誓供述がある[ 13] 。
地下サイロから発射されるドニエプルロケット (1960年代) アメリカ合衆国(青)とソビエト連邦(ロシア、赤)の核兵器保有量の推移(1945年-2014年) バスター・ジャングル作戦 の核実験を至近距離で見つめるアメリカ陸軍 兵士たち。核攻撃直後の被爆地における作戦行動能力の調査という名目であったが、人体への影響を調査する実験体であったとも言われる。トライデント I ミサイルとその再突入体(1981年10月2日)冷戦 時代には、アメリカ合衆国とソ連の間で核兵器の大量製造、配備が行われた。1952年 にイギリス、1960年 にフランス 、1964年 に中華人民共和国 (中国)、1974年 にインド が原子爆弾を開発・保有した。1952年にアメリカ合衆国、1955年 にソビエト連邦、1958年 にイギリス、1967年 に中国、1968年 にフランスが水素爆弾を開発・保有した。核兵器の量は地球上の全人類を滅ぼすのに必要な量を遥かに上回ることになっていく。アメリカは1950年代半ばから世界のアメリカ軍基地で大量破壊核兵器の配備を進めた。また、ソビエトは1970年代半ばから欧州全域を射程に収める核弾頭搭載可能な中距離弾道ミサイルを配備した(のち、1987年の中距離核戦力全敗条約で米ソ合わせて2700基の中距離ミサイルが撤去・廃棄)[ 14] 。核兵器保有国は最盛期には、アメリカ合衆国は1966年 に約32,000発、ソビエト連邦は1986年 に約45,000発、イギリスは1981年 に350発、フランスは1992年 に540発、中国は1993年 に435発、五か国合計で1986年に約7万発[ 15] を保有していた。また、核による先制攻撃を通じて相手国に致命的なダメージを負わせ、戦争に勝利するという戦略を不可能にするべく、相手国の攻撃を早期に探知し、報復するためのシステムが構築された。この戦略は相互確証破壊 と呼ばれ、冷戦期の核抑止 をめぐる議論で重要な役割を果たした。また核兵器を搭載したロケット、ミサイルの性能を誇示するため宇宙開発競争 が起こり、ボストーク1号 の有人宇宙飛行、アポロ11号 の有人月面着陸に繋がった。
また核兵器の小型化にともない冷戦期には戦略 的な使用のみならず戦場などで使用される戦術核兵器 も開発され、同時代のミサイル の信頼性の低さを補うための対空核ミサイル、潜水艦を確実に沈めるための核魚雷、敵部隊を一撃で殲滅するための核砲弾 など、ありとあらゆるものの核兵器化が行われた。戦略爆撃機 、弾道弾搭載原子力潜水艦(SSBN) 、大陸間弾道弾(ICBM) の三つは戦略核の三本柱(トライアド)といわれた。
冷戦期には核兵器管理に関連してブロークン・アロー (核兵器の紛失・落下事故)も問題となった(パロマレス米軍機墜落事故 やチューレ空軍基地米軍機墜落事故 を参照)。
核兵器の大量使用の後には、地表は放射性物質 で汚染され、また放射性物質を含む灰(放射性降下物 )が降ることになる。巻き上がった灰によって日光が遮られ、地表の気温が低下し、植物が枯れ、人間が生存できない環境になることが指摘された。このような状態は核の冬 と呼ばれる。この核の冬を生き延びるための手段は用意されなかった。爆心からある程度離れた地点で、核爆発時の熱、爆風、放射線を逃れ、核爆発後の放射能の減衰を待つための核シェルター と呼ばれる地下施設が考案されたのみである。このように核兵器を使用すること自体が人類の絶滅に直結するため、核兵器の使用につながる戦争を抑止できるとされる。
核兵器の恐怖や核戦争 のリスク、放射線 による殺傷の残酷さなどは知識人、作家、政治家、政治活動家、一般市民など多くの人々の関心を呼んだ。そのため反核運動 が生まれた。一方で、核兵器を廃絶することで通常兵器による戦争が誘発されるため、平和のために核抑止力 を維持すべきとの主張もみられる。
ソ連崩壊後は、経済情勢の悪化や汚職 の蔓延に伴う管理体制の不備から、旧ソ連地域から第三国への核兵器や技術者の流出が危惧された。
1998年 にはパキスタン が核保有国となり、カシミール 地方の領有権を巡るインド ・パキスタン の国境紛争が核兵器の使用につながる可能性があると懸念された。
北朝鮮 は、2006年10月9日 に核実験を実施、核保有国となった。その後も2009年5月25日 、2013年2月12日 、2016年1月6日 、同9月9日 、2017年9月3日 に核実験を行った。
核兵器の計画時から現在までの、核兵器の開発・保有・使用に対する、管理・規制・反対・廃絶などの動きには以下がある。
第二次世界大戦中の原爆使用に反対する動きはフランクレポート があり、第二次世界大戦終了後にはパグウォッシュ会議 などがある。
第二次世界大戦直後の1946年、核兵器の廃絶と原子力エネルギーの国際管理を目指し、アメリカからアチソン=リリエンソール報告 およびそれを基にしたバルーク・プラン が国際連合 (国連)に提示された。この案は、国連機関のような超国家的な国際機関にウラン採掘から原子力利用までの独占的な管理権限を与え、核開発の不正に対する制裁には安全保障理事会 の拒否権 を適用しないという画期的な内容であった。しかし、核独占を維持したまま査察を優先しようとするアメリカに対し、自国での原爆開発を急ぐソ連は、これを主権侵害であると激しく反発した。ソ連は対案として、国際管理の議論よりも先にアメリカの核兵器廃棄を求めたが、相互不信の壁は厚く交渉は決裂した。1948年には国連での議論が事実上停止した。
1959年 の南極条約 以来、各地域で非核地帯 が条約で設定された。一部の条約は核保有国も参加している。
核実験 の制限には、1963年の部分的核実験禁止条約 があるが、地下核実験を含め禁止する1996年の包括的核実験禁止条約 (CTBT) は、2022年 現在も発効していない。ただし臨界前核実験 はいずれの条約でも禁止されていない。
核兵器の拡散防止では、1968年に国連総会 で核拡散防止条約 (NPT) が採択された。これはアメリカ合衆国、ソ連、イギリス、フランス、中国(五大国 )のみを国際的に認められた「核兵器保有国」として核軍縮義務を規定し、他の「非核兵器保有国」の核兵器保有を禁止し「核の平和利用」に限定するものである。
1996年 には国際司法裁判所 が勧告的意見「核兵器の威嚇または使用の合法性国際司法裁判所勧告的意見 」の判断[ 16] を下し、そこでは「厳格かつ効果的な国際管理の下において、すべての側面での核軍縮に導く交渉を誠実に追求し、かつ完結させる義務が存在する」[ 17] とした。
これまで世界合計で累計2000回以上の核爆発が起きた。赤:ロシア/ソビエト連邦、青:フランス、薄青:米国、紫:英国、黒:イスラエル、黄色:中国、オレンジ:インド、茶色:パキスタン、緑:北朝鮮、薄緑:核兵器・実験被害国。インド洋南部の黒い点はヴェラ事件 の地点。 主要な核兵器保有国間であるアメリカ合衆国とソ連は、1969年から戦略兵器制限交渉 (SALT) が行われ、1972年 には第一次戦略兵器制限交渉 (SALT-I) および弾道弾迎撃ミサイル制限条約 (ABM条約)が締結されたが、後継の第二次戦略兵器制限交渉 (SALT-II) はソビエト連邦によるアフガニスタン侵攻 に反発するアメリカ合衆国議会 により批准されずに無効化した。
1982年 からは戦略兵器削減条約 (START) が開始され、1987年には中距離核戦力全廃条約 が締結され、1991年 に両国政府が相互査察により条約の履行を確認した。
1991年には第一次戦略兵器削減条約 (START I) が締結され、2001年に両国政府が相互査察で条約の履行を確認した。1991年のソ連崩壊 後も、継承国であるロシア連邦 が戦略兵器削減条約を引き継いだ。
1993年には後継の第二次戦略兵器削減条約 (START II) が調印され、アメリカ合衆国上院 は批准したがロシア議会 が批准せず、1997年に米露両国政府が条約の履行時期の2007年 への延期とミサイル防衛システムの配備を制限する追加議定書に署名し、ロシア議会は批准したがアメリカ上院が批准せず条約は発効しなかった。第三次戦略兵器削減条約の交渉も不調となった。
2001年 に第一次戦略兵器削減条約が定めた廃棄が完了したが、ミサイル防衛 を推進するアメリカ合衆国によって弾道弾迎撃ミサイル制限条約 の破棄が行われたため、ロシアは第二次戦略兵器削減条約を実行しないと表明した。
2002年 のモスクワ条約 では核兵器の配備数の削減を削減(廃棄は義務付けず保有は容認)を定めた。
2009年 1月 に就任したアメリカ合衆国のバラク・オバマ 大統領は、核兵器軍縮政策の最終目標として核兵器保有国の協調による核兵器の廃絶を掲げ、2010年4月にアメリカ合衆国連邦政府 とロシア政府 は第一次戦略兵器削減条約からさらに核弾頭と運搬手段を削減する第四次戦略兵器削減条約 に署名したが、2023年にロシアが履行停止を宣言した。
国連総会 では1994年 から2012年 まで19年連続で核兵器廃絶決議 を採択している。2009年はアメリカ合衆国が初めて共同提案国となった。2009年にアメリカ合衆国のオバマ大統領は、アメリカ合衆国大統領としては初めて核廃絶に向けた「核兵器のない世界(核なき世界)」の演説を行い、ノーベル平和賞 を受賞した。しかしアメリカ合衆国は核兵器を保有し続けることを言明しロシア、中国も核放棄を否定した。2012年には核兵器廃絶決議は184か国の賛成で採択された[ 18] 。
核保有国 核共有国 NPT のみ 非核兵器地帯 また、ある地域において核兵器の実験・使用・製造・生産・取得・貯蔵・配備等を禁止する条約が締結されることがあり、この条約を結んだ地域は非核兵器地帯 と呼ばれる。
こうした非核兵器化条約の嚆矢となったのは1967年 にメキシコシティ でラテンアメリカ 諸国によって締結されたラテンアメリカ及びカリブ核兵器禁止条約 (トラテロルコ条約 )であり、以後1985年 には南太平洋非核地帯条約 (ラロトンガ条約)がオセアニア 諸国間で[ 20] 、1995年 には東南アジア非核兵器地帯条約 (バンコク条約)が東南アジア 諸国間で、1996年 にはアフリカ非核兵器地帯条約 (ペリンダバ条約)がアフリカ 諸国間で、そして2006年 には中央アジア非核兵器地帯条約 (セメイ条約)が中央アジア 諸国間でそれぞれ締結され、南半球 を中心に広大な非核地帯が地球上に広がることとなった。
実際問題として核兵器は積極的な使用が困難な兵器であり、その存在意義は防衛上あるいは戦略上のものとなる。特にアメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国といった大国は主に戦略的な目的のために核を保持している。
一方パキスタン のような比較的軍事的に脆弱な国は、最後の安全保障 として核に頼る考えを持っている。韓国や台湾、イラクなども同じ思想を持っていたが、韓国・台湾はアメリカの説得・工作により、イラクはイスラエル軍による原子炉破壊(イラク原子炉爆撃事件 )により、それぞれ開発を断念した。また北朝鮮のように、核カードを切って譲歩を導き出そうとする国家も存在する。イスラエルはこの中間で、軍事力はアメリカの援助もあってかなり強大な部類に入るが、中東紛争の切り札として核を(保有の事実を明確にしていないことも含め)重視している。
これらの(一応は合理的な本来の)目的のほかに、国威高揚を目的として核開発 を行う場合も少なくない。究極的な軍事的自立を目指せば核が必要になり、核という先端技術そのものも宇宙開発 同様、国民の自尊心称揚の手段になると考えられるからである。これは一部の強硬な核武装論 者の主張でもある。
南アフリカ共和国は核兵器を開発、配備しながら、廃絶したことを公表した唯一の国である。
上記のことを背景に、核兵器が最終兵器と呼ばれることもある[ 21] 。
2014年クリミア危機 に置いてロシアが核使用を準備したことを示唆したり、北極圏の島や北方領土を含む千島列島が攻撃され戦闘が発生したという仮定のもと核兵器の限定的先制使用の可能性を想定した演習を同じくロシアが行うなど、局地的な戦闘においても積極的な核兵器の投入を想定したケースは存在している[ 22] 。アメリカ合衆国は2018年2月2日核戦略見直しを発表し小型核兵器の開発を打ち出した。核兵器が一度炸裂すると非常に被害が大きくなるためむしろこの被害の大きさが「使えない兵器」としてしまっているという考え方があり、核兵器を小型化すれば「使える兵器」となるという考え方があるとも言われている[ 23] [ 24] 。
日本は第二次世界大戦 中に原爆開発 の理論研究を行っていた。広島市 と長崎市への原子爆弾投下 を一つのきっかけに日本は降伏した。
1958年に山田久就 外務事務次官 は「防御的な」核兵器を保有するオプションについて外務省 内で検討していると駐日アメリカ合衆国大使 のダグラス・マッカーサー2世 に伝えていた。この核兵器はソビエト連邦 からの侵攻に対する備えとして地対空ミサイル に搭載するとされていた。大使はジョン・フォスター・ダレス 国務長官 への電報において、日本世論の強い反核感情を考慮すると首相の岸信介 と外相の藤山愛一郎 は現時点では政策の変更をする段階にないだろうとコメントしている[ 25] 。
若泉敬 は1964年の中国による核実験直後に、「中共の核実験と日本の安全保障」と題するレポートを内閣調査室(現在の内閣情報調査室 )に提出した。若泉は、日本は核武装はしないという国是を貫いた上で、原発開発や国産のロケット開発により潜在的な核兵器能力を保持するべきであると主張した。1968、1970年には内閣調査室が二部構成の「日本の核政策に関する基礎的研究」を、1969年には外務省が「わが国の外交政策大綱」を極秘報告書として作成しており、それらの中でも「核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャルを常に保持する」(外交政策大綱)と指摘されていた[ 26] 。
第二次大戦後の日本政府は、「日本は戦争における世界で唯一の被爆 国」として、原子力 は平和利用に限定し、核兵器拡散防止条約 (NPT) を批准し、国際原子力機関 (IAEA) の査察を受け入れて、非核三原則 を国是 とした[ 27] 。また1994年 以降は国連 総会に16年連続で核兵器廃絶決議案を提出している。
日本は日米安保条約 に基づきアメリカによる核の傘 を提供されている。また非核三原則の一つである「核兵器を持ち込ませず」については検証する手段がなく、日米両政府は秘密裏に核兵器持ち込みを認めていたこともわかっている(日米核持ち込み問題 )。
2006年12月25日に産経新聞は、日本政府が「核兵器の国産可能性について」との資料を作成していたことを報じた。この資料の中では「1〜2年の期限で核兵器を国産化することは不可能」であり、黒鉛減速炉の建設が必要で「小型爆弾を試作するまでに最低でも2千億円〜3千億円の予算と技術者数百人、3〜5年の期間が必要で、核実験せずに開発するとなると費用と期間は更に増える」とされている[ 28] 。
核兵器保有について1978年 3月11日 の衆議院予算委員会で、憲法上は当時の第9条 の範囲で「自衛のための最小限の範囲にとどまる限り」禁止されていないという政府見解が出されたことがある[ 29] [ 30] 。
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核拡散防止条約 において、核保有国による核兵器の国際管理が提唱されたが、この条約に反して、非核保有国が核兵器を保有していくことを核拡散 という。ただし核拡散防止条約 は条約である以上、脱退も認められている。
核保有国からなる「核クラブ」(原子力供給国グループ )の国々では、包括的核実験禁止条約 (CTBT) に同意しているか否かに関わらず他国の新たな核兵器保有を認めていない。特にアメリカ合衆国を中心に地球規模での核開発阻止政策を推し進めており、そういった核クラブ国に証拠を掴まれずに核弾頭の生産や、運搬手段である弾道ミサイル、巡航ミサイル等の開発・運用を継続するのは困難な状況といえる。
核物資や核に関する技術と装置は、たとえそれが平和利用を目的とする原子力発電 用のものであると主張しても、国際原子力機関 (IAEA) の厳しい監視下でしか導入は許されない。一部の国が平和利用を謳いながら核兵器開発に使用するのではないかと常に疑いを持たれており、国際的な核問題の中心課題となっている。
核物質 ソビエト連邦の崩壊時にある程度の量の精製済み核物質が不法な手段で持ち出されたという真実味を帯びた噂があり[要出典 ] 、それを裏付けるようにソ連時代の核科学者がソビエト崩壊後に大量に海外へと流出していた時期[いつ? ] がある。ウラン鉱石そのものは、たとえば日本でも採れるように世界の各地で採掘が可能なため、入手そのものは可能と推察できる。 精製施設 核兵器として使えるだけの精製度の高い核兵器級核物質を得るには、ウランを濃縮するか、プルトニウム生産炉で生産したプルトニウムを精製する必要がある。ウラン濃縮 には大がかりな設備が必要なため、核クラブの監視の目を潜り抜けて秘密裏に建造・運転することは極めて困難である。また、精製に必要となる莫大な電力を賄うために発電所を建設すれば電力需要に不釣合いな発電施設を保有することになり、疑念の目を向けられることになる。兵器級ウランの生産性は極めて低く、ウラン原爆を一発生産するにも多額の資金と長い年月が必要であるが、一方で失敗率が極めて低く信頼性が高い上、構造が単純で寿命が長いことから、一発だけでも何十年にわたって仮想敵国を恫喝することができる。他方、単価が極めて高いことから大量生産には向かず、現在配備されている核兵器は大量生産が可能で設備も小さく済むプルトニウムを使用するものがほとんどである。 ウラン濃縮に大電力を消費する遠心分離 法ではなくレーザー法を用いれば低消費電力で実現可能であるという見方もある[誰によって? ] が、レーザー法自体が実験室レベルでの研究に留まっているため、実際の消費電力は不明である。仮にレーザー法が低消費電力であっても、高度技術の導入が必要なのは確かである。また、実験室レベルでは実現可能であっても、兵器の工業的生産手段としての量的な実用性は別の問題である。なお、天然ウラン中のウラン235はわずか0.7%であり、兵器用には少なくとも濃縮度80%以上、実用的には90%が望ましい。他方発電燃料の濃縮度は3%から5%程度であり、全くと言ってよいほどの別物である。この濃縮度の大きな違いは特定国家のウランの核技術研究開発が平和目的であるか、軍事目的であるかを知る上で大切である。 実証実験 核爆発装置を兵器として完成するには、少なくとも核爆発実験などの実証実験が不可欠であり、偵察衛星 や高精度地震計、空中の核分裂反応 由来ガスの収集などの監視技術が発達した現在では、多くの痕跡を残す核実験 は秘密裏での実施は困難であるとされる。 臨界前核実験 アメリカ合衆国では1990年代から臨界に至らない「臨界前核実験 」という核兵器の開発法が導入され、核兵器の能力と精度の向上とすでにある核兵器の信頼性の検証をしている[ 31] 。 ロシアでも20世紀末から臨界前核実験を行っている[ 32] とされるが、これらは共に数え切れないほどの核爆発実験ときわめて高度な核物理学の知見の元で、コンピュータ・シミュレーション技術の助けがあって初めて実現した成果である。 核兵器は極めて密集した部分に多大なエネルギーを集中することが可能であり、この性質を利用した平和利用も模索されている。例えば、NASA は地球のすべての生物 にとって脅威となり得る小惑星 の軌道を変える核弾頭 を搭載する宇宙船の設計を進めてきた[ 33] 。地球に小惑星(巨大隕石)が衝突する可能性が生じた場合、現在想定可能な回避手段は核兵器の利用しかない。ただし、小惑星を爆破させる場合単に細別するだけでは再び重力によって集合してしまうので、個々の破片の軌道を八方に反らす高度なシミュレーションを必要とする[ 34] 。小惑星の大きな破片が八方に飛散する状況は大変危険であるので、現実的な方法は小惑星の破壊を最小にして軌道を衝突が防止できる程度までわずかにずらすことである。
また、核分裂連鎖反応 を一定のレベルで抑え、臨界を制御することによって、核爆発 を伴なわず熱エネルギー のみを産出する原子力発電 がある。ただし、スリーマイル島原子力発電所事故 やチェルノブイリ原子力発電所事故 、福島第一原子力発電所事故 に代表されるように、いかに対策を施工しても放射線を伴う放射能 が広域な地域を汚染する危険性を孕んでいる。
また、かつては核兵器を巨大な発破 ととらえ、大規模な土木工事に応用することも検討されていた。平和的核爆発 と呼ばれるこの計画は、アメリカ合衆国、ソビエト連邦両国で検討ならびに実験が行われ、特にソビエト連邦では積極的に使用が検討されていた。この両国以外にも、第2パナマ運河 計画やクラ地峡 運河計画などで使用が検討され、エジプト 西部のカッターラ低地 人工湖計画では詳細な検討が行われたことがある[ 35] が、すべて放射能汚染の危惧により中止された。実行された例としては、ソ連によるウルタ=ブラク天然ガス田での大規模な火災の消火活動があり、3年間の懸命な消火活動でも火の勢いを衰えさせることさえできなかった火災を核爆発から23秒後に鎮火させることに成功した[ 36] 。
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