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林大幹

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(2016年10月)
林 大幹
はやし たいかん
国立環境研究所より公表された肖像
1992年 撮影)
生年月日 (1922-02-23)1922年2月23日
出生地日本の旗日本千葉県香取郡笹川町(現・東庄町
没年月日 (2004-07-11)2004年7月11日(82歳没)
死没地日本の旗日本 千葉県旭市
出身校小見川農学校卒業
前職笹川町議会議員
所属政党無所属→)
自由民主党福田派石原G渡辺派
称号従三位
勲一等瑞宝章
配偶者林ちよ[1]
子女長男・林幹雄(元衆議院議員、第21代経済産業大臣
内閣宮澤改造内閣
在任期間1992年12月12日 -1993年8月9日
選挙区旧千葉2区
当選回数6回
在任期間1972年12月11日 -1979年9月7日
1980年6月23日 - 1993年6月12日
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林 大幹(はやし たいかん、1922年大正11年〉2月23日 -2004年平成16年〉7月11日)は、日本政治家。位階は従三位

自由民主党衆議院議員(6期)、環境庁長官。長男は自民党衆議院議員の林幹雄

来歴・人物

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千葉県香取郡笹川町(現・東庄町)出身。本来の名前の読み仮名は「ひろもと」だが、「たいかん」の読みが定着した。小見川農学校[2]を経て安岡正篤の主宰する金鶏学院に学ぶ。

戦後は一時期笹川町議を務めた後、自民党本部事務局入り。1972年第33回衆議院議員総選挙旧千葉2区から無所属で立候補し初当選(当選同期に小泉純一郎加藤紘一山崎拓石原慎太郎村岡兼造保岡興治瓦力三塚博越智通雄野田毅深谷隆司など)、自民党の追加公認を受けた。

党内では1973年に中川一郎・石原慎太郎らが結成した「青嵐会」に加わり、その後清和会(福田派)に入会。中川の総裁選出馬に際しては「預け」の形で中川派に入るも、中川の死後に中曽根→渡辺派に属した。1992年宮澤改造内閣環境庁長官として初入閣。

翌1993年に行われた衆院選には立候補せず、長男・幹雄に地盤を譲り政界から引退した。

1999年11月の秋の叙勲で勲一等瑞宝章を受章(勲二等から昇叙)[3][4]

2004年7月11日腎不全のため千葉県旭市の病院で死去した。82歳没。死没日付をもって従三位に叙された[5]

回想記『四十にして志を立つ 安岡正篤先生に学ぶ』(竹井出版1988年)がある。

脚注

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[脚注の使い方]
  1. ^(おくやみ)林ちよさんが死去 林幹雄衆院議員の母”. 日本経済新聞. 日本経済新聞社 (2012年6月4日). 2024年12月25日閲覧。
  2. ^毎日新聞千葉支局・編『ちば人国記Ⅱ』p.137毎日新聞社ISBN 4620306665
  3. ^『官報』号外第215号7頁 平成11年11月4日
  4. ^「99年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、外国人、在日外国人の受章者一覧」『読売新聞』1999年11月3日朝刊
  5. ^『官報』第3905号11頁 平成16年8月3日
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