松平 純子(まつだいら じゅんこ、本名:坂本久美子[1]、1952年10月7日 - )は、日本の元女優、歌手。
栃木県塩谷郡塩谷町生まれ[1]。矢板中央高等学校卒業後、京都の演劇塾・長田学舎に入る[1]。修行時代に東映のプロデューサー・俊藤浩滋にスカウトされ、1972年東映入社[1]。引退した藤純子に代わるスターの一人として期待され、1975年まで東映の映画に出演した[1]。しかし栃木訛りを取るよう厳しく言われ[2]、それが気懸りで女優業に違和感があった[2]。小室等や吉田拓郎らフォーク歌手と遊んでいるうち、なまりなんか気にしない人間性剥き出しのフォークの世界に憧れ[2]、小室が所属していたベルウッド・レコードに所属[2]。1974年「女はぐれ鳥」で歌手デビュー。デイリースポーツ1975年5月12日付けの松平のインタビューで、所属事務所は春日プロと書かれていることから[2]、東映はこれ以前に退社したものと見られる。吉田拓郎が松平にほれ込み「両国橋」を提供[2]。自身のラジオ番組『吉田拓郎のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)で同曲を紹介すると翌日、松平の自宅にドサッとファンレターが届いた[2]。東映時代のファンからは「あの松平さんが、まさかと思った。でも声を聴いたらそうだった」と、歌をやっていることを知らない人も多かった[2]。これを機に一時、フォーク界のアイドルのようになった[2]。
映画出演は1975年の『爆発! 暴走族』(東映)以降は途絶え[1]、その後はテレビドラマで活躍[1]、結婚して芸能界から引退した。