| まつだいら けん 松平 健 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
家康行列にて(2018年4月8日) | |||||
| 本名 | 鈴木 末七[1](すずき すえしち) | ||||
| 生年月日 | (1953-11-28)1953年11月28日(71歳) | ||||
| 出身地 | |||||
| 身長 | 177cm | ||||
| 血液型 | B型[2] | ||||
| 職業 | 俳優、歌手、タレント、司会者、YouTuber | ||||
| ジャンル | 映画・テレビドラマ・CM | ||||
| 活動期間 | 1970年 - | ||||
| 活動内容 | 1974年:テレビドラマ初出演 1978年:『暴れん坊将軍』 1979年:『草燃える』 2004年:「マツケンサンバ」発表 2005年:『義経』 | ||||
| 配偶者 | 大地真央(1990年 - 2004年) 松本友里(2005年 - 2010年)[注釈 1] 一般女性(2015年 - ) | ||||
| 事務所 | 三喜プロモーション | ||||
| 主な作品 | |||||
| テレビドラマ 『暴れん坊将軍』 『草燃える』 『走れ!熱血刑事』 『峠の群像』 『元禄繚乱』 『利家とまつ』 『テレビ朝日開局45周年記念企画 忠臣蔵』 『義経』 『鬼平外伝 正月四日の客』 『リーガルハイ』 『鎌倉殿の13人』 映画 『石井のおとうさんありがとう』 『バルトの楽園』 楽曲 『マツケンサンバⅡ』 | |||||
| |||||
| テンプレートを表示 | |||||
| 松平健 | ||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| YouTube | ||||||||
| チャンネル | ||||||||
| 活動期間 | 2020年7月17日 - | |||||||
| ジャンル | エンターテインメント、トーク、料理 | |||||||
| 登録者数 | 20.4万人 | |||||||
| 総再生回数 | 47,271,606回 | |||||||
| ||||||||
| チャンネル登録者数・総再生回数は 2025年4月26日時点。 | ||||||||
| テンプレートを表示 | ||||||||
松平 健(まつだいら けん、1953年〈昭和28年〉11月28日 - )は、日本の俳優、歌手、声優、タレント、司会者、YouTuber。本名、鈴木 末七(すずき すえしち)[1]。愛称は、マツケン。

大工の棟梁だった父と、大酒飲みの夫を内職などで支える母のもと、7人兄姉の末っ子として生まれる[3]。豊橋市立旭小学校[4]、豊橋市立青陵中学校卒業。愛知県立豊橋工業高等学校(現・愛知県立豊橋工科高等学校)を中退後、寿司店で働く[3]。その後、石原裕次郎に憧れて俳優を志し、1970年(昭和45年)に上京。石原プロモーションに入社を直訴するもかなわず、宝映テレビプロダクション養成所を経て、劇団フジに入団[5]。舞台の主演を務めるようになる[5]。当初、1971年(昭和46年)の初舞台作品『兄嫁』での自分の役名でもあった松本二郎を芸名として名乗り[6]、同僚に稲川淳二がいた(稲川が上京直後でデビュー前の松平健に東京中を案内して回ったこともある)。デビューは1972年(昭和47年)のテレビドラマ『マドモアゼル通り』で、この時期に松平健に改名した。芸名を名付けたのはこのマドモアゼル通りの監督をしていた浅野正雄で、当時1972年のミュンヘンオリンピックのバレーボール日本代表監督としてチームを金メダルに導いた松平康隆と、高倉健に由来していると言われている[6][7]。この当時『ウルトラマンタロウ』のオーディションを受けるも、最終選考で落選[5]。
1974年(昭和49年)に勝新太郎が主宰する勝プロダクションに入り、勝の付き人を経験する傍ら、1975年(昭和50年)に勝主演の『座頭市物語』に出演した。1976年(昭和51年)に昼ドラマ『人間の條件』(フジテレビ系)において、初の主人公・梶役を演じた。
1978年(昭和53年)に『暴れん坊将軍』(テレビ朝日系)の主役徳川吉宗に抜擢される。同作は2008年(平成20年)まで放送回数832回を数える長寿番組となり、時代劇スターとして認知され、彼の代表作となった。前後して出演した大河ドラマ(NHK総合)の『草燃える』では北条義時、『峠の群像』では石野七郎次、『元禄繚乱』では色部又四郎、『利家とまつ』では柴田勝家、『義経』では武蔵坊弁慶[注釈 2]、『おんな城主 直虎』では武田信玄、『鎌倉殿の13人』では平清盛[注釈 3]を演じており、同ドラマの常連俳優のひとりである。徳川吉宗や上記以外にも高杉晋作・斎藤道三・大友宗麟・大石内蔵助・遠山景元・徳川家康など歴史上の人物をドラマ化したもので出演している。
1980年(昭和55年)には、自身初となる刑事ドラマ『走れ!熱血刑事』(テレビ朝日系)にて主演。
2004年(平成16年)6月には『新説!歴史将軍』(フジテレビ系)にて、バラエティ番組の初司会を務めた。同年夏、舞台公演の終わりに華美な衣装で熱唱する「マツケンサンバ」のパフォーマンスが、芸能マスコミから注目を浴びた。それまで同曲のCDは公演会場でのみ売られていたが、この評判を受け「マツケンサンバII」が7月7日に全国発売され、松平の愛称として『マツケン』という呼称が浸透するようになる。「マツケンサンバII」はオリコンシングル部門で初登場17位を記録(最高位は3位)。8月の『神宮外苑花火大会』では歌と踊りを披露し、秋には宝塚歌劇団の運動会の入場行進でも踊られた。12月31日の『第55回NHK紅白歌合戦』(NHK総合・ラジオ第1、#NHK紅白歌合戦出場歴参照)及び『第46回日本レコード大賞』(TBSテレビ・ラジオ)に「マツケンサンバII」では、両者ともに出場したすべての男性歌手で最も高い視聴率を記録した[8]。以後、2006年まで「マツケンサンバ」がブームとなり、2004 - 2005年にTBS系列で放送されたドラマ『3年B組金八先生(第7シリーズ)』の劇中においても、生徒役の俳優が着ぐるみを着て「マツケンサンバII」を流して踊りながら商店街を駆け抜けるシーンが採用されたほど、当時の小中学生にも広く浸透し、大ブレイクした。
2005年(平成17年)2月19日、ニューヨーク・タイムズ紙に日本での「マツケンサンバII」ブームに関する記事が、松平のコメントつきで掲載された[9]。3月8日には東京ドームでマツケンサンバのコンサートも行い、南原清隆や香取慎吾(“カツケン”名義)と共演した。4月から『バニラ気分!』内で『マツケン・今ちゃん・オセロのGO!GO!サタ』で、バラエティ番組にも本格的に進出した。8月、地元・豊橋市の「豊橋ふるさと大使」に就任。9月14日には「マツケンサンバII」の続編に当たる「マツケンサンバIII」が発売され、初登場オリコンシングル部門17位を記録。17日には出身地の愛知県で開催された愛・地球博(愛知万博)の長久手会場内(愛・地球広場)で、「マツケンサンバIII」を披露、10,000人の観客は総立ちとなった。12月31日には『年忘れにっぽんの歌』に出演し、20分間にわたって『マツケンサンバI・II・III』をメドレーで熱唱した。
2006年(平成18年)に『マツケンのAWA踊り』を発売。振付はパパイヤ鈴木が担当。豊橋まつりで豊橋発祥のええじゃないかをテーマにした「マツケンのええじゃないか」を豊橋球場で披露、約1万人を集める。
2007年(平成19年)5月18日、ナゴヤドームの中日ドラゴンズ -読売ジャイアンツ戦で始球式を務めた。7月に秋元康とのコラボレーションによるシングル「マツケン・パラパラ」を“KEN MATSUDAIRA”名義で発売。今回は、その名の通りパラパラがテーマ。熱い夏を吹き飛ばすアッパー系のナンバーで、松平は長髪のウィッグにゴージャスな白いスーツという姿で、パラパラの振り付けにも果敢に挑戦した。
2008年(平成20年)4月に、地元中日ドラゴンズの応援歌「燃えよドラゴンズ! 2008」を熱唱。「暴れん坊将軍」にちなみ、2008年版の歌詞には「天下を取る」など勇ましいフレーズが含まれている。カップリング曲として新曲「マツケン燃えドラ盆おどり」も収録。「マツケンサンバII」の振付師、真島茂樹が振り付けを担当し、ナゴヤドームで観客が一緒になって踊れるような曲となっている。4月12日付のオリコンデイリーランクで10位になった。同年、自らがプロデュースしている美人美脚ユニット「Luxis」をデビューさせ、プロデューサーとしても活動している。
2012年(平成24年)10月より、政府広報が展開する、悪質商法などの「高齢者の消費者トラブル」防止に関する啓発をするイメージキャラクター未然奉行に就任した[10]。
11月、自らプロデュースするカレー「マツケンカレー」を発売。11月1日に東京都内にて発売記念イベントが行われた[11]。
2015年(平成27年)より愛知県が展開している観光PRキャンペーン「モノスゴ愛知でマツケン」のキャンペーンキャラクターを務めており、同キャンペーンのサイトで公開されている動画「こちらマツケン。こちら愛知県」にも出演している(年度ごとにバージョンが変わる)[12][13]。
2021年(令和3年)11月19日、第72回NHK紅白歌合戦(NHK総合・ラジオ第1)に”カラフル”特別企画で出場することが発表された(2004年以来17年ぶり2回目の出場)[14]。
演劇『風と共に去りぬ』の縁で1990年(平成2年)に大地真央と結婚したが、2003年(平成15年)に離婚[15]。その後、2005年(平成17年)10月12日に14歳年下の元タレント・女優の松本友里と再婚。2006年(平成18年)10月31日に長男が誕生した。しかし2010年(平成22年)11月15日、松本が自宅で自殺。ショックを受けながらも、松平は千秋楽まで舞台を務めた。2015年7月、40歳代の一般人女性と再々婚[16]。
他多数
| 年度 | 放送回 | 回 | 曲目 | 出演順 | 対戦相手 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 2004年 | 第55回 | 初 | マツケンサンバII | 21/28 | 一青窈 | |
| 2021年 | 第72回 | 2 | マツケンサンバII ザ・カラフルREMIX(2回目) | 特別企画 | なし | 前半トリ |
2021年に「マツケンサンバ」が再ブレイクした直後は、ほとんどのCMが「マツケンサンバ」をアレンジしたCM・あるいはその衣装で出演するCMが大半である。例として、「マツケンアリマ66」「マツケンサンブレイク」「マツケンルンバ」など。
{{cite web2}}: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ)エランドール賞 新人賞 | |
|---|---|
| 1950年代 | |
| 1960年代 | |
| 1970年代 |
|
| 1980年代 | |
| 1990年代 | |
| 2000年代 | |
| 2010年代 | |
| 2020年代 | |
日本映画批評家大賞 主演男優賞 | |
|---|---|
| 1990年代 | |
| 2000年代 | |
| 2010年代 | |
| 2020年代 | |
※2017年度は授賞式中止 | |