| 松崎 公昭 まつざき きみあき | |
|---|---|
| 生年月日 | (1943-09-08)1943年9月8日 |
| 出生地 | |
| 没年月日 | (2018-06-29)2018年6月29日(74歳没) |
| 死没地 | |
| 出身校 | 早稲田大学第一商学部 |
| 前職 | 千葉県議会議員 |
| 所属政党 | (無所属→) (自由民主党→) (新生党→) (新進党→) (国民の声→) (民政党→) (民主党(鹿野グループ)→) 民進党 |
| 称号 | 正四位 旭日重光章 |
| 子女 | 三男・松崎太洋(千葉県議会議員) |
| 選挙区 | (比例南関東ブロック→) 千葉8区 |
| 当選回数 | 4回 |
| 在任期間 | 1996年 -2005年 2009年 -2012年 |
| 選挙区 | 柏市選挙区 |
| 当選回数 | 3回 |
| 在任期間 | 1987年 -1996年 |
| 当選回数 | 3回 |
| 在任期間 | 1975年 -1987年 |
| テンプレートを表示 | |
松崎 公昭(松﨑 公昭[1]、まつざき きみあき、1943年9月8日 -2018年6月29日[2])は、日本の政治家。
衆議院議員(4期)、千葉県議会議員(3期)、柏市議会議員(3期)、総務副大臣、民主党政策調査会副会長を歴任。
千葉県柏市生まれ。柏市立柏第二中学校、千葉県立東葛飾高等学校(第34期生)を経て1967年に早稲田大学第一商学部を卒業。早稲田大学時代にはドキュメンタリー映画の制作に取り組み、その際の仲間に広河隆一がいる。
東京のOA機器販売会社で営業マンとして働く。退職後、父の経営する製麺業の「株式会社柏食品」に就職する。その後、柏食品とその他の系列会社を統合し「株式会社カリフ」を設立、中小企業の経営者として活動する。
1975年に柏市議会議員に31歳で初当選、以後三期12年務める(無所属)。市議会議員を務める中で地方に光が当たる政治とするには地方分権が必要であると強く想い、1987年に千葉県議会議員選挙に立候補し当選、以後三期9年務めることとなる(自由民主党→新生党)。

さらに地方分権を実現するには国の仕組みを変える必要があるとの考えから1996年には新進党公認で第41回衆議院議員総選挙に挑戦し、比例南関東ブロックで当選。翌1997年に新進党が分裂したことに伴い、鹿野道彦が党首を務める国民の声に参加する。この後、国民の声が民政党、民主党へと統合していくのに伴い、新しい党へと移っていくこととなるが、常に鹿野と行動をともにしている。1998年、(新)民主党の結党に参加。2000年には民主党公認で第42回衆議院議員総選挙に立候補し衆議院議員2期目に当選。2001年9月の民主党役員人事では会計監査、第3次鳩山由紀夫「次の内閣」の総務省政治改革担当総括副大臣に就任[3]。2003年の第43回衆議院議員総選挙で3期目に当選している。
2005年にも同党公認で第44回衆議院議員総選挙に臨むも、小泉旋風の煽りを受け落選した。2009年の第45回衆議院議員総選挙では、千葉8区で自民党の桜田義孝に約4万票の差を付け比例復活も許さず、国政に復帰した。この選挙によって民主党は政権交代した。
2010年には衆議院政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員会委員長に就任。同年の民主党代表選挙では小沢一郎に一票を投じる。この投票について松崎は「参議院のねじれを解消できるリーダーはどちらか、民主党を分裂させない結果をつくるにはどうしたらよいか」を考えた結果としている。
2011年民主党代表選挙では、農林水産大臣の鹿野道彦に立候補を要請し、推薦人に名を連ねる。鹿野について松崎は「十数年の鹿野さんとのお付き合いの中で、人間としての「味」「温かさ」という、今の民主党の政治家に欠けているのではないかと私が考えている資質が鹿野さんには非常に豊かであることを私は知っています。人間としての「味」「胆力」そして人間の「幅」を持」つと評価している。鹿野は敗北したものの、代表選後の素交会(鹿野グループ)結成に参加した。

その後同年9月に成立した野田内閣では総務副大臣に就任。総務副大臣として情報通信・放送・郵政を担当。これについて、「これまでの政治活動から、地方分権・地域主権を担当すると思ったが、郵政、放送、電波、ICT(情報通信技術)の担当になった。これらは将来の日本の成長分野なので、海外展開の目玉となるようにしていきたい」と語っている。
2012年10月の内閣改造に伴い総務副大臣を退任。民主党政策調査会副会長に就任。同年12月の第46回衆議院議員総選挙では、前回下した桜田義孝に敗れ、比例復活ならず落選。
2014年、党の「70歳定年制」を理由に政界から引退すると伝えられた[4]。その後、その年の第47回衆議院議員総選挙において千葉8区から立候補をし、比例南関東ブロックで復活当選をした太田和美を後継者として指名。
2018年春の叙勲で旭日重光章を受章。
同年6月29日3時8分、食道がんのため千葉県柏市の病院で死去[2]。74歳没。叙正四位[5][6]。
2019年4月、三男の松崎太洋が千葉県議会議員選挙に柏市選挙区より立憲民主党公認で立候補し初当選を果たした[7]。

| 議会 | ||
|---|---|---|
| 先代 牧野聖修 | 2010年 - 2011年 | 次代 山田正彦 |
| 公職 | ||
| 先代 鈴木克昌 平岡秀夫 | 2011年 - 2012年 黄川田徹と共同 →大島敦と共同 | 次代 大島敦 藤末健三 |
| 第41回 (定数23) |
| ||||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 第42回 (定数21) |
| ||||||||||||||||
| 第43回 (定数22) |
| ||||||||||||||||
| 第44回 (定数22) |
| ||||||||||||||||
| 第45回 (定数22) |
| ||||||||||||||||
| 第46回 (定数22) |
| ||||||||||||||||
| 第47回 (定数22) |
| ||||||||||||||||
| 第48回 (定数22) |
| ||||||||||||||||
| 第49回 (定数22) |
| ||||||||||||||||
| 第50回 (定数23) |
| ||||||||||||||||
| ↓:途中辞職、失職、在職中死去など、↑:繰り上げ当選。 | |||||||||||||||||