| 東京藝術大学 | |
|---|---|
音楽学部正門(上野キャンパス) | |
| 大学設置 | 1949年(昭和24年)[1] |
| 創立 | 1887年(明治20年)[1] |
| 学校種別 | 国立 |
| 設置者 | 国立大学法人東京芸術大学 |
| 本部所在地 | 東京都台東区上野公園12-8 北緯35度43分10秒東経139度46分20秒 / 北緯35.71944度 東経139.77222度 /35.71944; 139.77222座標:北緯35度43分10秒東経139度46分20秒 / 北緯35.71944度 東経139.77222度 /35.71944; 139.77222 |
| 学生数 | 3,217 |
| キャンパス | 上野キャンパス(東京都台東区) 取手キャンパス(茨城県取手市) 横浜キャンパス(神奈川県横浜市中区) 千住キャンパス(東京都足立区) |
| 学部 | 美術学部 音楽学部 |
| 研究科 | 美術研究科 音楽研究科 映像研究科 国際芸術創造研究科 |
| ウェブサイト | www |
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東京藝術大学(とうきょうげいじゅつだいがく、英語: Tokyo University of the Arts)は、東京都台東区上野公園12番8号に本部を置く、日本の国立芸術大学。1887年(明治20年)に図画取調掛、音楽取調掛をそれぞれ改組した東京美術学校 (旧制)と東京音楽学校 (旧制)を前身として、1949年(昭和24年)に新制大学として設置された[1]。
国立大学法人法(および旧国立大学設置法)に基づく法的な正式名称は「東京芸術大学」である。大学設置時点では当用漢字ではなかった旧字体の「藝」も公式ホームページなどで使用している。大学の略称は藝大(芸大)[2]、東京藝大(東京芸大)。2008年(平成20年)4月1日から、英語表記をそれまでのTokyo National University of Fine Arts and Music から、Tokyo University of the Arts に変更した[3]。
日本の芸術系大学の中でも最高峰と位置付けられ[2]、きめ細かな少人数教育を通じて、国内外の第一線で活躍する数多の芸術家や教育者、研究者を育成・輩出してきた[4]。附属の東京芸術大学大学美術館のコレクションには、卒業・修了作品の買い上げも含まれる[5]。
本学は1949年(昭和24年)5月31日、前身の東京美術学校 (旧制)と東京音楽学校 (旧制)が統合して設立[注 1]された大学である[6]。2004年(平成16年)4月1日に「国立大学法人東京芸術大学」となり、同時に東京芸術大学を設置した。
1878年(明治11年)、伊沢修二は目賀田種太郎と連名で、音楽教育の意見書を文部大臣に提出した。1879年(明治12年)、文部省部局として、伊沢修二を御用掛とする音楽取調掛が竹平町(現・千代田区一ツ橋)に設立され、日本の音楽教育に関する諸調査等を目的とした。
翌1879年(明治12年)に現在の東京大学本郷キャンパス構内の文部省用地に移転し、以降、東京師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)生や東京女子師範学校附属幼稚園(現・お茶の水女子大学附属幼稚園)生への音楽教育を行う教員の育成を行い、音楽専門教育機関の役割を果たすようになった。その後、数回の名称変更を経て、1887年(明治20年)10月4日に「東京音楽学校」と改称される。1890年(明治23年)5月12日には新校舎(現在の旧東京音楽学校奏楽堂が含まれていた校舎)が現在の奏楽堂の位置に落成された。
また1893年(明治26年)に、一時東京高等師範学校(東京教育大学を経た、現在の筑波大学)の附属学校となったが、1899年(明治32年)に独立。数回にわたる機構改革を経て、「東京芸術大学」開学後の1952年(昭和27年)に閉校した。
1885年(明治18年)に文部省の図画調査会において官立美術学校の設立が提案され、アーネスト・フェノロサ、岡倉天心、狩野芳崖等が中心となって図画取調掛が竹平町(現・千代田区一ツ橋)の文部省内の部局として設立される。
その後、小石川植物園の集会所に事務局を移転したのち、1887年(明治20年)10月4日に「東京美術学校」と改称、開校に先立つ1888年(明治21年)12月にあらためて現在の上野校地の敷地内(旧教育博物館跡)に移転し、1889年(明治22年)2月に開校した[8]。校舎は旧教育博物館の居抜きの形で利用した。当初は日本画、木彫、工芸の三科で、後に西洋画科、建築科などが設置された。敷地は東京音楽学校と合わせると現在の上野校地とほぼ同一だが、東京音楽学校は現在の奏楽堂以北のみで、それ以外を東京美術学校が占めていた[9]。「東京芸術大学」開学の2年後、1952年(昭和27年)に閉校した。
アカンサス (Acanthus spinosus) の葉の輪郭を模様化した中に「芸大」の文字を収めたデザイン[16]。美術学部と音楽学部が統合されて芸大となった1949年以降、新しい徽章を定める必要が生じたため、校内のコンペから選ばれた。美術学部工芸科鋳金部の清水廣(清水九兵衛)の作品。
この他に早期音楽教育を目標に掲げた以下の教育プログラムが2014年(平成26年)より順次開始されている。
美術研究科には「東京藝術大学の講座に関する規則」によると、講座として、保存修復、保存科学がある。いずれも博士講座。このほか、美術学部の項で列挙した講座も教育・研究に当たる。
横浜キャンパスを拠点とする、学部を持たない独立した大学院である。修士課程と博士課程が置かれており、2005年(平成17年)に設置された映画専攻を始め、メディア映像専攻、博士課程の設置を経て、2008年(平成20年)にはアニメーション専攻が設置された[21]。
1951年(昭和26年)に設置された、音楽に関する技能を教授する2年制のコースである。個人指導による授業が展開されている[25]。
奈良県や京都府を中心に存在する飛鳥以降の各時代の建築物、絵画、彫刻、工芸品等の日本古来の優れた作品の研究を行っている。主に美術研究旅行や、教職員・学生の古美術研究、および実習に利用される[26]。なお、この施設は奈良県奈良市登大路に設置されている。
写真を中心とした視覚芸術に関する研究の増大を目的に上野校地に開設された。開設授業として、写真表現演習II、写真概論、現代写真論があり、そのほかに集中講義も実施している[27]。
上野校地内の開架閲覧室、試聴室、音響研究室、小泉文夫記念資料室からなる。開架閲覧室は、音楽の専門書、参考図書をはじめ、楽譜、マイクロフィルム、レコードなどを所蔵し、レポートや卒業論文、博士論文などの作成、または個人の研究に利用できる音楽学部の学生・教員の研究施設である。試聴室は、個人の研究のためにテープやレコードを聴く施設である。音響研究室は、室内音響や電子音響の研究、録音・録画方法の研究、楽器や音声の音色・ピッチに関する研究などを行う施設である。録音室、音響実験室、楽器研究室、AV実習室、内外の音響学会誌を揃えたゼミ室が付設されている。小泉文夫記念資料室は、音楽民族学の研究資料を整理保管、研究する施設である。資料の大半は、小泉文夫教授が世界数十か国の現地調査で収集したもので、諸民族の楽器700余点をはじめ、書籍、楽譜、録音録画資料を観覧、閲覧できる[28]。
2006年(平成18年)秋、千住キャンパスが開校した際に設置された。足立区をはじめとする学外との連携企画について、その立案、調整、実施を担う[29]。
附属図書館は、1949年(昭和24年)5月の東京芸術大学発足時に、東京美術学校文庫と東京音楽学校図書課の蔵書を統合することで始まったものである。46万点の蔵書のうち8割近くは、芸術関係の資料である。同附属図書館は上野校地および取手校地に設けられている[30]。
1994(平成6年)年に開館した取手館、1996年(平成8年)に開館した上野館、2024年(令和6年)に完成した取手収蔵棟がある。現在の収蔵品は2万8000件近くに達している。上野館の二階にはホテルオークラ ミュージアムカフェが、地下には絵画材料を小規模に販売している「画翠芸大店」がある。なお、1931年(昭和6年)3月に東京美術学校敷地内に開設した売店は現・有限会社レモン(レモン画翠)の流れにある[31]。
社会連携活動の総合窓口として上野校地に2007年設置。国際化社会の中で日本が戦略的文化外交を展開するための事業や、技術開発力と文化外交力を身につけた人材育成を遂行することを目的として、2013年(平成25年)-2018年(平成30年)の期間限定で「アートイノベーションセンター」を設置していた[32]。
1975年(昭和50年)4月学内共同教育研究施設として上野校地に設置が認められたもので、主に正しい発声、発音の授業を開設している[33]。
新しい総合的な舞台芸術作品の創造を行うことを目的として、美術学部・音楽学部の枠を超えた教育研究を行う場を創っている[34]。
東京芸術大学の学生および教職員の保健管理に関する専門的な業務を行い、学生および教職員の心身の健康の保持増進を図ることを目的として、上野校地と取手校地にて運営されている[35]。
学内共同利用施設としてセンターの芸術情報システムを整備運用し、研究、教育および事務処理等の利用に供すると同時にキャンパスネットワークの適切かつ効率的な管理運用を行い、東京藝術大学における情報化を推進している[36]。
東京藝術大学が企画開発した作品や、同大学の教員等が創作した作品等の教育研究成果を、社会に対して積極的に発信するとともに、文化芸術を身近なものにして、心豊かな生活や活力ある社会の実現に寄与することを目的として2005年(平成17年)に上野校地に設置された[37]。
唯一の国立総合芸術大学ではあるが、近年、文部科学省からの「運営費交付金」が減少している[38][39][40]。2008年度(平成20年度)は49.2億円だったが、2022年度(令和4年度)には41.9億円となり、86法人中68位の交付額だった[40]。各大学の目標達成状況や民間資金の獲得状況に応じて交付金が傾斜配分されるため[41]、理系学部がない東京芸大には不利な配分だといわれている[38]。
さらに電気代の高騰や電力供給事業者の倒産で、当初約1億2700万円と見込んでいた2022年度(令和4年度)の電気料金が、3億6400万円程度に膨らむ見込みとなった[38][39]。音楽学部では、部屋の電気代や調律代など維持費がかかる練習用ピアノについて、設置場所や台数を減らす見直しを行った[38][42]。
2023年(令和5年)4月15日には、客員教授のさだまさし、教授の箭内道彦らが「〜まさしと道彦の部屋〜 電気代を稼ぐコンサート LIGHT FOR ARTS!!」を奏楽堂で開催した[39][43]。
その一方で、大学は2023年(令和5年)6月に5.8億円(落札率100%)で、トーセイ株式会社より上野桜木2丁目にある空ビル(旧日展新会館)を購入している[44]。
上野校地では「藝術祭」、通称「藝祭」として毎年9月に、取手校地では「取手藝祭」として毎年11月に催されている。上野校地の藝祭では上野公園内を練り歩く神輿や地元アメ横商店街をサンバ隊で練り歩く[45]。
千住校地における最大の展覧会・成果発表。毎年12月に催される。「千住アートパス」では音楽環境創造科が主催、企画運営している[46]。2019年までは取手校地においても「取手アートパス」を絵画科油画専攻と先端芸術表現科が主催していたが、新型コロナウイルスの流行により2020年は中止、以降は開催されていない[47]。
文化、体育会系の2つのサークルの他、同好会も置かれている[48]。
作曲科における専門研究の一環としての演奏実践を主な目的として2017年(平成29年)3月に設立された[50]。
2003年に創設され、東京藝術大学音楽学部と大学院に在籍する弦楽器の精鋭、25名が中心となって、様々な活動を行う室内オーケストラである[51]。
音楽学部の2~4年までの弦・管・打楽器専攻生を主体として編成されるオーケストラ[52]。
音楽学部器楽科管打楽器専攻学生を中心に組織された吹奏楽団。1935年(昭和10年)、東京音楽学校に生徒吹奏楽団として発足、1949年(昭和24年)に吹奏楽研究部となった[53]。
東京藝術大学に所属するプロフェッショナル・オーケストラであり、オーケストラ演奏を専門とする研究部員によって組織されている。主な活動としては毎年春と秋に開かれる定期演奏会、声楽家との合唱付オーケストラ作品の演奏、オペラ研究部との共演、年度始めの新卒業生(各科最優秀者)紹介演奏がある。その他、年末には恒例の『メサイア』演奏会、『第九』公演などを行っている。教育面では、器楽科、声楽科学生との協奏曲等の共演および作曲家学生の作品演奏(モーニングコンサート)、指揮科学生による演奏会、試験・演習など、学生の演奏経験の拡充に資している。さらに各地の音楽文化向上のための出張演奏も行っている。このオーケストラの前身である旧東京音楽学校管弦楽団は、日本初の本格的なオーケストラであり、現在ではポピュラーに演奏されている、ベートーヴェンの『交響曲第5番「運命」』『第9番「合唱付き」』、チャイコフスキーの『交響曲第6番「悲愴」』などを日本初演した[注 71]。
| 全ての座標を示した地図 -OSM |
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大きく分けて上野、取手、横浜、千住の四つのキャンパスが存在する[54]。横浜を除く各キャンパスはJR東日本常磐線に沿っているところから、沿線自治体が芸大と連携して地域振興を図る「JOBANアートライン」事業が行われている[55]。
| 以下の画像7点は全て上野キャンパス |
東京都台東区上野公園・上野桜木(北緯35度43分8.3秒東経139度46分20.5秒 / 北緯35.718972度 東経139.772361度 /35.718972; 139.772361 (東京芸術大学上野キャンパス))
上野キャンパスは敷地が道路によって分かれており、北側には音楽学部、美術学部の一部および大学院国際芸術創造研究科の施設、南側には美術学部の施設などがあるほか、音楽学部から道を挟んだ東南側に体育館があり、この敷地部分のみ上野桜木町にはみ出している。東京音楽学校と東京美術学校は、現在の奏楽堂付近で旧四軒寺通りによって分けられており、後の音楽学部の拡張とともに屏風坂通り(現在の都道452号線)付近に正門が移動することとなった。
1号館から5号館、練習ホール館、奏楽堂、赤レンガ1,2号館、大学会館、事務局・保健管理センター、社会連携センター、音楽学部附属音楽高等学校、不忍荘、車庫、テニスコートが立ち並ぶ。
中央棟、絵画・彫刻・金工の各棟、A - Cの3つの総合工房棟、附属図書館、大学美術館、大学美術館(旧館)、正木記念館、陳列館、藝大アートプラザが立ち並ぶ。

茨城県取手市(北緯35度52分46.4秒東経140度7分3.3秒 / 北緯35.879556度 東経140.117583度 /35.879556; 140.117583 (東京芸術大学取手キャンパス))
取手キャンパスでは、美術学部先端芸術表現科の全学年と、絵画・彫刻・工芸・デザイン・建築の各科の1年次の授業を行う。その他、美術学部共通工房棟、美術学部専門教育棟、メディア教育棟、美術学部登窯、野外制作場、福利施設、短期宿泊施設、大学美術館取手館、大学美術館取手収蔵棟、守衛所が置かれている。 また、メディア教育棟内には附属図書館取手分室、芸術情報センター取手分室が設置されている。
神奈川県横浜市中区(北緯35度26分57.5秒東経139度38分14.0秒 / 北緯35.449306度 東経139.637222度 /35.449306; 139.637222 (東京芸術大学横浜キャンパス))
馬車道校舎、万国橋校舎、元町中華街校舎の3つの校舎が存在し、歴史的建造物である旧富士銀行横浜支店の建物に大学院映像研究科が置かれている。馬車道校舎では映画専攻、元町中華街校舎ではメディア映像専攻、万国橋校舎ではアニメーション専攻がそれぞれ設置されている。
かつては旧新港埠頭客船ターミナルを改修し、研究室やギャラリー、映画スタジオ、アニメーションスタジオが設置された新港校舎が存在したが、横浜市による新港埠頭への新たな客船ターミナルの建設のため大学側に移転を要請、新設された元町中華街校舎にスペースの関係上設置できない映画スタジオ[59]を除き機能を移し、2016年3月に退去した[60]。
東京都足立区(北緯35度44分48.7秒東経139度48分7.6秒 / 北緯35.746861度 東経139.802111度 /35.746861; 139.802111 (東京芸術大学千住キャンパス))
大学院音楽研究科音楽文化学専攻の一部と、音楽学部音楽環境創造科が置かれている。主な施設として、試聴室としての国際規格に基づき設計されデジタルコンソールを備えた音響制作スタジオ、教育目的にアナログミキシングコンソールが導入された録音調整室、浮き床構造や空調設計により室内騒音を抑えるとともに演奏者にとっても理想的な音響となるよう設計された大規模録音スタジオ、22.2マルチチャンネル音響の制作に対応した中規模スタジオ、ダンスや演劇などのイベントに対応できるホールがある[61]。なお、このキャンパスは2006年(平成18年)9月に開設された。
東京都練馬区。石神井寮(学生寮)が置かれていたが、2014年(平成26年)4月に閉寮した[63]。
東京都文京区。外国人教師宿舎が置かれていた[64]が、2017年3月に株式会社オープンハウス・ディベロップメントに売却された[65]。
栃木県那須郡那須町。那須高原研修施設が置かれていた[66]が、2016年(平成28年)10月をもって廃止となった[67]。
千葉県松戸市。国際交流会館が置かれていた[68]が、2022年(令和4年)3月に閉寮した[69]。
旧東京都水道局南千住施設を荒川区役所との協力により[70]、学内整備に必要な移行スペース確保を目的に[71]使用することとなったが、荒川区役所による転貸借は2018年(平成30年)5月に終了した[70]。
上野校地に位置し、演奏芸術センターが運営するコンサートホール。1984年(昭和64年)に解体、移築された旧東京音楽学校奏楽堂の跡地に新たに建築された。地上5階、地下2階のホールでフランスのガルニエ製オルガンが設置されている。座席数は最大で1,140席。
留学生の奨学・生活指導に関する業務を行う施設である[72]。
上野校地に位置する学生および教職員の福利厚生を図るための総合施設である。本来は取手校地において国際化や公開交流に対応した施設が計画されていた[73]が、2025年現在実現していない。
上野校地に位置し、主に保健体育科目の教育・研究および同大本学の行事に利用するほか、学生の課外活動等に利用されている。東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校正門から道路を挟んだ向かい側から右に、約50メートルに位置する[74]。取手校地においても設置がテニスコートおよびプールと共に計画されていた[73]が、2025年現在実現していない。
東京藝術大学および音楽学部附属音楽高等学校の学生・生徒および教職員の教育・研修および課外活動のために使用することを目的として設置された[75]。2016年(平成28年)10月をもって廃止となった[67]。
東京芸術大学の教員、学生、職員が取手校地における正課および課外活動、その他の教育活動を遂行するため、短期の宿泊に利用することを目的として取手キャンパス内に設置された宿泊施設である[76]。
同大学学生、同大学院生のために1975年(昭和50年)に竣工した。なお、同大学音楽学部附属音楽高等学校生徒の入寮はできない。2014年(平成26年)4月に閉寮[77]。
外国人の留学生・研究者に居住の場を提供し、併せて教育研究上の国際交流に寄与することを目的として、松戸校地に設置された[78]。2022年(令和4年)3月をもって閉寮となった[69]。
石神井寮に代わり、東和校地(東京都足立区東和)に2014年(平成26年)に設置された学生寮[79]。
1960年(昭和35年)、長野県黒沢高原に建築学者の山本学治が設計し、建築した。東京藝術大学山岳部の山小屋とされた。
3階部分の一部を美術研究科の研究室が使用している。学生が主体となり、町中アート大学とコジマラジオが運営されていた[80]が、早稲田大学への委託となったのち、2014年度(平成26年度)をもって終了した[81]。
音楽学部と美術学部とで別々に分かれている。
香川県庁や長野県庁と、文化芸術振興や地域振興における包括連携協定を結んでいる[85]。
2017年5月1日時点、23カ国・地域の69大学・機関と大学間交流協定を締結している[86]。
1970年代後半に、当時音楽学部教授だった海野義雄がヴァイオリンの購入を東京芸術大学と学生に斡旋し、その見返りとして楽器輸入販売業者から80万円相当の弓と現金100万円を受け取っていた。1981年(昭和56年)に発覚した。
| 学部 | 美術学部 | 音楽学部 | ||
|---|---|---|---|
| 大学院 | 美術研究科 | 音楽研究科 | 映像研究科 | 国際芸術創造研究科 | ||
| 附属機関 | |||
| 校地 | 上野 | 奈良 |取手 | 横浜 | 千住 | 東和 | 新宿 | ||
| 附属学校 |
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| 関連項目 | |||
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