特定非営利活動法人東亜天文学会(とうあてんもんがっかい、英:NonprofitOriental Astronomical Association, NPOOAA)は、1920年9月25日に「天文同好会」として創立された日本で一番古い天文同好会[1]。1932年10月15日に「東亞天文協会」と改称[2]、1943年頃に更に改称して2014年現在の名称である「東亜天文学会」となる[3]。1920年11月『天界』創刊。
京都帝国大学理学部に勤務していた山本一清らによって、「天文学の発展のため」には、明治時代から大正初期における天文学分野において、それまでは官製のプロが中心の天文学フォーラムだけではなく、星に親しんでいるアマチュアからプロの天文学者までが協力する必要があるという認識で始まった団体である[1]。
東亜天文学会の名前は、当時紙が配給統制品だったため、配給を受けやすくするためにつけられた。また、法人化の検討も行われたこともあり、長い間メリットなどがないために検討は途中で止まっていたが、2012年10月1日付で特定非営利活動法人(NPO法人)化の申請が行われ、同年12月20日付でNPO法人としての東亜天文学会の設立が認証された[4]。
活動内容は幅広く、他のNPO法人や公開天文台等との連携によって、太陽黒点・惑星・変光星・二重星などの天体観測はもとより、天文学史・天文民俗学などの分野でも大きな成果を上げている[1]。会に加入しているのは、プロの研究者をはじめとして、有名・無名のアマチュア天体観測家、一般の愛好家まで幅広い。関西や中部各地で例会が開かれており、東京にも支部がある。年に一回の総会も開かれる。
賛助会員は、西村製作所株式会社、協栄産業株式会社など。
『天界』によれば、惑星は火星だけに及ばず、月、木星、土星、金星や水星など幅広い対象を観測している観測者のレポートをはじめとするデータ等を掲載。また、上述のように変光星観測や流星群観測でも時代を先取りした活動を紹介している。太陽黒点観測に関しては、継続的観測によって、科学的かつ精密なデータをレポートしており、フレア観測や太陽の突発的な現象、果てはプロミネンス観測、太陽電波観測までと幅広い。
また、各地の公開天文台や公共施設の会議室などで例会を開いており、誰でも参加できる。
会員のレポートは、海外天文台の訪問紀行や地元学校教育施設の天文台の紹介なども行っており、天文学との関わりを大切にした記事を掲載している。
機関紙への投稿の受付は、多くの天文雑誌と違い、研究レポートの形のみとなっている。商業雑誌と違い、専門ライターが記事を書いているわけではないので、基本的に天体観測や天体機材に対する予備知識のない読者への配慮はされていない。