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| ← ← | 1976年 -1999年 |
| (州旗) | (紋章) |
| 公用語 | インドネシア語 ポルトガル語 | ||||||||||||||||||||||
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| 言語 | バリ語 ファタルク語(英語版) ジャワ語 テトゥン語 スンダ語 ウアブ・メト語(英語版) | ||||||||||||||||||||||
| 宗教 | カトリック教会 プロテスタント イスラム教 ヒンドゥー教 仏教 アニミズム | ||||||||||||||||||||||
| 首都 | ディリ | ||||||||||||||||||||||
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| 通貨 | ルピア | ||||||||||||||||||||||
| 現在 | |||||||||||||||||||||||
東ティモール(ひがしティモール、インドネシア語:Timor Timur)は、インドネシアによる東ティモール占領下の1976年から1999年まで存在した、事実上のインドネシアの州である。
ポルトガルから東ティモール民主共和国として独立した9日後の1975年12月7日に、インドネシアによる侵攻が行われ、1976年7月17日にインドネシアに併合され、27番目の州となった。しかし、国際連合はこの併合を認めず、ポルトガルを正式な宗主国としていた。
1999年8月30日に国連主催の独立の是非を問う住民投票が行われ、東ティモール人による賛成が大多数を占めた。これを受けて、投票の結果を不服としていた併合派の民兵と、その後ろ盾であるインドネシア国軍が東ティモール紛争を引き起こし、これを鎮圧するべく東ティモール国際軍が派遣され、1999年10月19日にインドネシアは併合を正式に取り消した。
この州は13の県(カブパテン)、1つの行政町(コタ・アドミニストラティフ)、そしてそれらに属する郡(クチャマタン)に分割された[1][2]。
座標:南緯8度33分東経125度34分 / 南緯8.55度 東経125.56度 /-8.55; 125.56