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来馬琢道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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来馬琢道
くるま たくどう
生年月日1877年11月28日
出生地日本の旗日本東京府
(現・東京都
没年月日 (1964-07-10)1964年7月10日(86歳没)
出身校曹洞宗大学卒業
前職僧侶
現職僧侶
所属政党無所属→)
緑風会
宗教曹洞宗
選挙区全国区
当選回数1回
在任期間1947年5月3日 -1950年5月2日
浅草区会議員
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来馬 琢道(くるま たくどう、1877年11月28日[1] -1964年7月10日[2][3][4])は、日本僧侶政治家参議院議員(1期)。仏前結婚式の創始者ともされる。

来歴・人物

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東京出身。来馬立道西有穆山に師事。1900年、浅草の曹洞宗万隆寺に晋山し、翌年曹洞宗大学を卒業[2]。仏教青年伝道会に携わり、自坊で「仏前結婚式」の導師を務めるなど多彩な活動を行なう。1911年にはシャムの皇帝戴冠式に出席。曹洞宗宗議会議長、教学部長、庶務部長、顧問など宗内の重要ポストに就き、『曹洞宗全書』の編纂に尽力。1932年には大陸に渡り満洲内蒙古の宗教事情を調査した。日朝親善協会会長なども務めた。晩年には大本山永平寺の西堂となった[4]1945年紺綬褒章受章[1]

政治家としては浅草区会議員を経て1947年第1回参議院議員通常選挙無所属全国区で立候補し補欠当選[5]緑風会に所属した[2]1948年国鉄の各駅に飾られたクリスマスツリーは。憲法違反であるとして政府を追求したが、内閣は季節的な装飾であるとの解釈を示す出来事があった[5]1950年第2回参議院議員通常選挙に全国区から緑風会公認で立候補したが、落選した[6]

1956年春の褒章で少年保護団体千葉星華学校教務顧問として更生事業に関わり司法保護委員保護司としても尽くしたことにより藍綬褒章受章[7]

1964年7月10日、脳軟化症のため遷化した[3][4]

著書

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  • 『各宗高僧伝』鴻盟社、1900
  • 『承陽大師御一代記』鴻盟社、1905
  • 『禅門宝鑑』鴻盟社、1911

このほか、雑誌『仏教』の主幹でもあった。

脚注

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  1. ^ab紺綬褒章名鑑 昭和17年~昭和22年 200コマ』 -国立国会図書館デジタルコレクション
  2. ^abc議会制度百年史 貴族院・参議院議員名鑑 160コマ』 -国立国会図書館デジタルコレクション
  3. ^ab宗務時報 (3) 33コマ』 -国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ^abc大乗禅 = The mahayana zen buddhism 41(7)(501) 20コマ』 -国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ab世相風俗観察会『増補新版 現代世相風俗史年表 昭和20年(1945)-平成20年(2008)』河出書房新社、2003年11月7日、29頁。ISBN 9784309225043 
  6. ^選挙大観 1950 14コマ』 -国立国会図書館デジタルコレクション
  7. ^『官報』第8804号175-178頁 昭和31年5月7日号

参考文献

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  • 『激動の日本政治史』阿坂書房、1979年。
  • 『現代仏教を知る大事典』金花舎、1980年。
  • 『議会制度百年史 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
第1回
(定数100)
3年議員
偶数回
第2回
(定数50)
3年議員
第4回
(定数50)
3年議員
第6回
(定数50)
3年議員
第8回
(定数50)
3年議員
第10回
(定数50)
3年議員
第12回
(定数50)
奇数回
第3回
(定数50)
3年議員
第5回
(定数50)
3年議員
第7回
(定数50)
3年議員
第9回
(定数50)
第11回
(定数50)
†:当選無効・失格など、↓:途中辞職・死去など、↑:繰上げ当選または補欠選挙で当選(合併選挙で当選した3年議員を除く)。
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