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村田英雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曖昧さ回避この項目では、歌手について説明しています。本名が同音異字の「村田秀雄」の俳優については「団時朗」を、旧芸名が「北くすお」と同音異字の元俳優については「北九州男」をご覧ください。
村田 英雄
1962年
基本情報
出生名梶山勇
別名京山茶目丸(前々名)
酒井雲坊(前名)
二階堂伸
北くすお
生誕 (1929-01-17)1929年1月17日
日本の旗日本福岡県浮羽郡吉井町(現・うきは市
出身地日本の旗日本佐賀県東松浦郡相知町(現・唐津市
死没 (2002-06-13)2002年6月13日(73歳没)
大阪市都島区
ジャンル演歌歌謡曲浪曲
職業演歌歌手俳優
担当楽器
活動期間1958年 -2002年
レーベル日本コロムビア(1958 - 1971)
東芝EMI(1971 - 2001)
事務所新栄プロダクション
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村田 英雄(むらた ひでお、公称1929年(昭和4年)1月17日 -2002年(平成14年)6月13日)は、日本演歌歌手俳優佐賀県東松浦郡相知町(現・唐津市)出身。出生は福岡県浮羽郡吉井町(現・うきは市)である。本名:梶山 勇。血液型はAB型。新栄プロダクションに所属していた。愛称は、ムッチー。浪曲で鍛え上げた歌声と男らしい風貌、世界観を持ち味に、戦後歌謡界の黄金期をリードした演歌界を代表する歌手の一人である。

生涯

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浪曲師から歌手へ

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福岡県浮羽郡吉井町(現・うきは市)に、二代目広沢虎吉の弟子であった実父・広沢仙遊(本名・近藤官七)、やはり浪曲師であった実母・矢野ツタ子の子として生まれる。生後まもなくツタ子の姉弟子である出利葉スミ子の養子となる。その後、スミ子が梶山春雄と結婚し、一家は佐賀県東松浦郡相知町(現・唐津市)へ引っ越す。

4歳の時、両親が雲井式部一座に加わり巡業先で雲井式部から京山茶目丸と名付けてもらい、宮崎県の孔雀劇場にて『中山安兵衛婿入り』初舞台を踏む。その後大人気の浪曲師に因んで少年 酒井雲と改名。無許可で名乗っていたが、本家の知るところとなり、これが機縁となり大阪道頓堀の劇場に出演中の酒井雲本人を訪ね、楽屋で声しらべをしてもらい、5歳のときに酒井雲門下に弟子入りし、当時師匠が住んでいた大阪市西九条に移住し修行を開始する。64番目の弟子であった。この時、師匠から酒井雲坊の名前をもらい、13歳で真打昇進、14歳で「酒井雲坊一座」の座長となり、その後も九州にて地方公演を続ける。

1945年、16歳で海軍に志願し、佐世保鎮守府相浦海兵団輸送班に配属される。6月19日、福岡市吉塚の専売局に砂糖を輸送する任務に就いた際に、福岡大空襲に遭遇。翌日、十五銀行ビル地下室の遺体搬送作業に従事した[1]

1947年に少女浪曲師の吉田伊万里(本名 野口ユイ子)と結婚。

1949年、浪曲界に顔の利いた西川芸能社(現 新栄プロダクション)前社長・西川幸男(浪曲師出身で、初代木村友衛門下だった)に宛て、自ら手紙を書きマネージメントを依頼。師匠・酒井雲と西川が合意、「日本一の浪曲師」を夢見て、妻子を九州に置いて上京し、25歳で村田英雄に改名。数年後に妻子を呼び寄せる。新婚当時は浪曲人気といえども貧乏の中で生活していたが、ラジオでの口演や実演で少しずつ名前が売れ出し、若手浪曲師として注目を集めるようになる。

1958年、たまたまラジオで村田の口演を聴いた古賀政男に見出され、すでに映画演劇で知られていた十八番の芸題(演目)であった浪曲『無法松の一生』を古賀が歌謡曲化(歌謡浪曲)、同曲で歌手デビューを果たした。

  • 尚、従来、舞台と映画で知られていたこの作品を取り上げたのは、師匠である酒井雲自身が浪曲界でも屈指の読書家であり『文芸浪曲』(文字の読み書きの出来ない人々にも文学に親しんでもらおうと考えだした芸題群の事)という浪曲のジャンルを確立し、この事を見習って、自身も北九州を舞台とした代表的な文学作品であった同作を取り上げた事と、文学界きっての偏屈者と噂された原作者の岩下俊作自身が浪曲ファンで浪曲化を承諾したといわれる。

しかし、同年に三船敏郎&高峰秀子主演によるリメイク版映画の公開があったものの、ヒットに恵まれず(わずかに「人生劇場」のリバイバルヒットがあったのみ)NHK紅白歌合戦NHK総合ラジオ第1#NHK紅白歌合戦出場歴参照)への出場も果たせずにいた。

1961年11月に発売した西條八十作詞船村徹作曲の王将ミリオンセラーとなり、翌1962年第4回日本レコード大賞特別賞を受賞。「王将」のヒットで、以前出した「無法松の一生」「人生劇場」なども相乗効果でヒット、人気を確立する。

「王将」は1962年三國連太郎&淡島千景主演(監督:伊藤大輔、脚本:伊藤大輔東映東京)、1973年には勝新太郎&中村玉緒主演 (監督:堀川弘通、脚本:笠原良三、東宝)でそれぞれ、映画化され、村田の代表作の一つとなった。

1973年、持病の糖尿病の悪化で倒れ、一年間休業するも復帰。1970年代に入ってからはヒットもなく一時低迷するも、演歌ブーム最中の1979年に、有線放送から「夫婦春秋」(1967年発売)がヒットし、相乗効果で(当時の)新曲「人生峠」、続いて「夫婦酒」をヒットさせ健在ぶりをアピールした。また1981年1982年には、ラジオ番組『ビートたけしのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)でその豪快なキャラクターや逸話をネタとして取り上げられた事で若年層からの人気も獲得する。

1988年、ともに同年代で同時期に活躍し、歌謡界をリードしてきた三橋美智也春日八郎と「三人の会」を結成、ジョイント・コンサートなどで活動した。作風はデビューから一貫して『男』、『人生』、『夫婦』を題材に歌った曲が多い。また『二階堂伸』、『北くすを』、『北くすお』、のペンネームで作詞、作曲もこなしている。

俳優としては1939年新興キネマ京都作品の少年浪曲師としての初出演を皮切に、1974年まで任侠映画等に多数出演。身長160cmと小柄ながら、男らしい風貌と鍛え上げた声で1960年代後半は東映任侠映画に欠かせない主演スターとして活躍。鶴田浩二高倉健北島三郎千葉真一らと多数共演した。

持病の糖尿病が再び悪化した1991年以降も闘病生活を送りながらも「演歌が再び注目されるまで歌う」という執念から精力的に活動し、話題を集めた。

  • 1993年 芸能生活60周年を記念し、『俺は村田だ!!』を出版。
  • 1997年 半生記『生命あってこそ』を出版。芸能生活65周年記念パーティーを開く。
  • 1999年11月13日福岡県浮羽郡吉井町(現うきは市)の生家に石柱を建立、翌2000年10月18日に若宮八幡宮に生誕地記念碑が建立される。
  • 2000年 石田須眞子と再婚(但し未入籍)。

闘病

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村田の人生は「糖尿病との闘い」でもあった。食生活では大の野菜嫌いで、「太い声を出すには何より肉を食べることだ」として肉を多食した上、無類の酒好きであった。こうした生活習慣が影響し、35歳で発症。

発症から約8年後の1972年から1973年にかけて病状悪化のため一時入院。その後1991年、長年連れ添った妻・ユイ子が死去。その3日前には「三人の会」の仲間で公私共に親しかった先輩歌手の春日八郎も死去したことで、心労が重なり再び病状が悪化、見かねた周囲の関係者からの勧めで妻の葬儀終了後に治療のため入院。退院後は後見人(『全国村田英雄後援会』幹部)と「大阪のお母さん」と呼んでいた長年の愛人(ユイ子も生前「この人ならば」と半ば公認していた)石田須眞子(2009年11月1日、78歳没)が住む大阪府門真市に身を寄せ、ここを本拠地とし、仕事のある際だけ上京する生活を続ける。また同地で村田の闘病生活の支えとなっていた須眞子と「男としてけじめをつける」と再婚(2000年5月発表)。結婚式も挙げ、合計140歳の高齢婚と大いに話題となった。

体調管理を行い小康を得ていたが1995年頃より糖尿病の合併症が深刻となり、体も痩せてしまった。入退院を繰り返すようになるが、その頃も無理を押して当時村田の物真似を度々披露していた清水アキラのために、『オールスター爆笑ものまね紅白歌合戦!!』(フジテレビ系)のご本人登場で「皆の衆」を歌唱をするなどステージに立ち続けていた。しかし同年8月には急性心筋梗塞、欝血性心不全で一時意識不明に陥る。翌1996年1月には「三人の会」の仲間・三橋美智也が亡くなり、村田は病室から無理を押して葬儀にも参列した。「この前、私が倒れたとき真っ先に駆けつけて頂いたのが(三橋)先輩だった。まさか先に逝かれるとは」と思いを語っている。

そうした心労が祟り、1996年2月白内障手術のための入院中に倒れ、6時間におよぶ心臓バイパス手術を受けた(白内障の手術は回復した翌3月に受けた)。さらに5月には右下肢閉塞性動脈硬化症により、切断以外に治療方法がない程に壊疽状態が悪化したため、右膝下12センチで切断。軽石でかかとを洗っていたら、そのかかとが外れてしまったという程に壮絶なものであった。切断することに関しては、三橋の葬儀参列時には村田本人が既に決断していた。このとき「一切無になりたかった」と剃髪(病の影響で90年代以降、かつらを着用していた)。以後は坊主頭に作務衣がトレードマークになった。

翌97年には大月みやこ公演への特別出演という形で全国公演を実施。回復ぶりを示したものの、同年10月に低血糖発作(今まで呑んだことの無かった白ワインを酒と思わずに大量摂取したためと本人が苦笑いしながら会見)を起こし、一時は生死すら危ぶまれた。12月には糖尿病性網膜症のため左目を手術。2000年1月には左足も同様に切断。それまでは義足で歩いていたが完全に車椅子生活となる。さすがの村田も大きなショックを受けるも「足がなくても歌は歌える」と自ら鼓舞をするなど、ますますその存在感を示した。

2001年4月、同じ浪曲師出身で長年のライバルと言われた三波春夫も死去。村田は「もっと歌って欲しかった。非常に寂しい」「これで生き残ってるのは俺一人だけだな…」と憔悴しきった表情でインタビューに答えている。同年6月に「私にはもう時間がない、生きているうちに何としてでも世に出さなければ」と、「三人の会」のコンサートで発表したオリジナル楽曲をレコード会社の垣根を越えてCD化にこぎつけた。

2002年5月に体調を崩し入院していたが、6月13日午前9時52分、合併症の肺炎のため、大阪市都島区大阪市立総合医療センターで死去[2][3]。73歳没。戒名は「玉泉院英聲日楽大居士」(ぎょくせんいんえいしょうにちぎょうだいこじ)。墓所は静岡県富士宮市の富士桜自然墓地公園。没後に勲四等瑞宝章を授与された(勲記は没日の2002年6月13日付)。

共演経験のある室田日出男が3日後に死去、ビートたけしは「村田さんの次は室田さんが…」と故人を悼んだ。

なお死去5日前の6月8日には、スポーツ報知が訃報の誤報を一面に掲載。その情報を受けてテレビ番組「やじうまワイド」、東京スポーツ日刊ゲンダイが同様に報道し、その後訂正・謝罪するという騒動が発生している。

親族・家族

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実父・広沢仙遊、実母・矢野ツタ子

生後、ツタ子の姉弟子の出利葉スミ子の養子になる。その後、梶山春夫と結婚

妻 吉田伊万里(本名:野口ユイ子)

長男 裕司

長女 みどり

次男 達也

2000年 石田須眞子と再婚(但し未入籍)

記念館等

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村田英雄記念館

2004年5月23日に地元の有志により村田の業績を後世に伝えるため故郷の佐賀県相知町(現唐津市)に「村田英雄記念館」がオープンした。旧・佐賀銀行相知支店として使用されていた店舗を改装した館内では、遺品の展示や、楽屋の再現コーナー、出演映画や出演番組を放映する音響コーナーなどがあり、喫茶コーナーでは遺品のカップや食器をそのまま利用して提供しており、BGMのリクエストにも応えている。

開館初年度の入館者は約2万4000人に達したが、開館日も減るなどにより2023年度は約420人に減少し[4]、2025年3月16日で閉館することになった[5]。展示品等は唐津市が保管する予定[4]

年に1回「村田英雄音楽祭」、「生誕祭」(1月17日)が行われている。2009年には福岡県うきは市も合同に「生誕祭」を行い、村田英雄を通して両市の交流が深まることとなった。

2016年1月17日に地元の寄付を募り、JR相知駅構内に記念碑が建立される。

NHK紅白歌合戦出場歴

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NHK紅白歌合戦1961年第12回に初出場を果たす。その後1972年第23回まで12年連続で出場するが、1973年第24回は、糖尿病治療のため入院中だったため事前に出場辞退を表明し、連続出場は12回でストップ。それでも1974年第25回へ2年ぶりに返り咲いた。

70年代はヒットが出ず、紅白でも過去のヒットを歌う形が長く続いていたが、79年に12年前に発売した「夫婦春秋」が有線リクエストで人気を得て、それに相乗し当時の新曲「人生峠」が20万枚を超えるヒット。続けて「夫婦酒」もヒットしレコード歌手の第一線に返り咲く。1980年代に入っても、発売する曲はほとんどオリコンランキングにチャートインするなど根強い人気を見せ、1987年第38回迄に14年連続で出場した。

しかし1988年第39回で2度目の紅白落選となったが、1989年第40回では第1部(昭和の紅白)へ2年振りの再復帰を果たし、通算記録では27回の出場を達成するも、当回が村田の生涯最後の紅白出演と成った。

さらにコロムビアに所属していた女性の紅組歌手(美空ひばり・島倉千代子・都はるみ等)が、紅白歌合戦でトリになることが多かった事情もあり、他の常連歌手と異なりコロムビアの村田は白組トリを一度も務めておらず、トリ未経験の歌手としては2014年第65回まで最多出場回数の珍記録保持者でもあった[注釈 1][注釈 2]。なお1962年第13回1979年第30回1982年第33回では、村田が白組トリ候補として挙がっていたが、結局実現する事は皆無だった。

年度/放送回曲目出演順対戦相手備考
1961年(昭和36年)/第12回王将06/25松山恵子紅白初出場
1962年(昭和37年)/第13回2王将(2回目)23/25松山恵子(2)
1963年(昭和38年)/第14回3柔道一代14/25畠山みどり
1964年(昭和39年)/第15回4皆の衆13/25島倉千代子
1965年(昭和40年)/第16回5柔道水滸伝20/25水前寺清子
1966年(昭和41年)/第17回6祝い節20/25水前寺清子(2)
1967年(昭和42年)/第18回7浪花の勝負師08/23越路吹雪
1968年(昭和43年)/第19回8竜馬がゆく19/23扇ひろ子
1969年(昭和44年)/第20回9王将(3回目)15/23西田佐知子
1970年(昭和45年)/第21回10闘魂01/24水前寺清子(3)トップバッター
1971年(昭和46年)/第22回11人生劇場16/25いしだあゆみ
1972年(昭和47年)/第23回12ここで一番07/23佐良直美紅白連続出場が12回でストップ
1974年(昭和49年)/第25回13皆の衆(2回目)16/25ペドロ&カプリシャス2年ぶりに紅白復帰出場
1975年(昭和50年)/第26回14無法松の一生10/24水前寺清子(4)
1976年(昭和51年)/第27回15男の土俵16/24水前寺清子(5)
1977年(昭和52年)/第28回16男だけの唄15/24由紀さおり
1978年(昭和53年)/第29回17人生劇場(2回目)22/24島倉千代子(2)
1979年(昭和54年)/第30回18人生峠21/23青江三奈
1980年(昭和55年)/第31回19夫婦酒21/23青江三奈(2)
1981年(昭和56年)/第32回20なみだ坂15/22青江三奈(3)
1982年(昭和57年)/第33回21夫婦春秋19/22石川さゆり
1983年(昭和58年)/第34回22空手一代14/21都はるみ
1984年(昭和59年)/第35回23冬の海11/20牧村三枝子
1985年(昭和60年)/第36回24男の一生18/20石川さゆり(2)
1986年(昭和61年)/第37回25男吉良常18/20島倉千代子(3)
1987年(昭和62年)/第38回26男の花吹雪14/20神野美伽紅白連続出場が14回でストップ
1989年(平成元年)/第40回27王将(4回目)第1部に出演(対戦相手なし)2年ぶりに復帰、生涯最後の紅白出場

(注意点)

  • 対戦相手の歌手名の()内の数字はその歌手との対戦回数を表す。
  • 曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
  • 出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。

村田英雄の持ち歌が紅白歌合戦で他の歌手によって歌唱された例

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年度/放送回歌手名曲目備考
2017年(平成29年)/第68回福田こうへい王将

人物・エピソード

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ギャグとムッチーブーム

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1980年代に入るとテレビの露出は減り、いわゆる「大御所」的なポジションになっていたが、ビートたけしが自らの番組で取り上げた事から、若年層のファンが急増し三橋美智也のミッチーに対抗し「ムッチーブーム」と言われるようになる。

そもそもの発端は、1981年に始まった『ビートたけしのオールナイトニッポン』内の「デカ頭コーナー」だった。芸能界では有名な三波春夫とのエピソードから派生し、「村田先生の頭はデカい」という話になり、どの位デカいかのネタを投稿するコーナーが出来た。「セーターを試着しようとしたら、頭が出なかった」等の「頭がデカい」ネタから徐々にトンチンカンな村田の言動や行動をネタにする内容に転じて行き、リスナーの間でブームになる。その噂を聞きつけた村田本人からニッポン放送に電話があり、急遽番組に出演して行ったトークが好評で、任侠物のラジオドラマを作るなど、同番組に度々出演するようになる。当時いわゆる「業界聴取率」が高かった同番組がテレビ番組などへも影響を与え、従来は出演しなかったバラエティー番組コント番組などへも出演の幅が広がり、「ムッチーブーム」と言われるまでになったものである。

  • 代表的なネタ
    • ホテルフロントに「村田だ!!キー出せ!!」と言った後、売店で「村田だ!!ガムくれ!!」と言った。
    • NHKのディレクターに、「ずぶの素人」と言おうとして「バカ野郎!俺は、ブスの素人じゃねえんだぞ!」と言った。
    • バーに行ったとき、キープボトルを出してもらおうとして、「村田だ!ボルト出せ!」と言った。
    • 村田に乗っている車の名を尋ねると「キャデラック」と言おうとして「俺のは…デラックスだ!」と答えた。
    • 海外旅行の際、必要書類の“sex”(性別)の欄に“週2回”と書いた。
    • 飛行機に乗っている時、エコノミークラスを通りかかり揺れた際に「2等なんか乗るから揺れるんだ」。
    • ステーキレストランでステーキの焼き具合を聞かれて「しょうが焼き」、「カルビ」と答えた(「ガスで焼け!」、「しっかり焼いてくれ!」とも)。
    • 若手を説教していた時に「人という字はお互いに支え合って」と言いながら「入」と書いた。
    • 舞台の上手・下手(かみて・しもて)を「じょうず・へた」と読んだ(後述)。
    • ラスベガススロットマシンをやり、オレンジの横一線に「みかんなんて貰ったってしょうがねえな」。
    • 出されたコーヒーに砂糖とミルクを大量に入れて「うーん、やっぱりコーヒーはブラックに限るな」と言った。
    • ラジオ番組にゲスト出演した際、ヒットチャートを見て「このサウンドトラックと言う歌手はすごいですね、ベスト10に6曲も入ってる!」。
    • 司会者から「この歌は村田さんの『十八番』(ここでは「おはこ」ではなく「じゅうはちばん」)ですね」と尋ねられ、「この歌は3番までしかないですよ。そんなにある訳ないじゃないですか」と答えた。
    • 付き人に向かって「ベートーベンって奴は偉いじゃねえか。俺の歌を作ってるぞ」と、交響曲第3番『英雄(えいゆう)』を指しながら言った。
    • コーヒー専門店で注文の際、コーヒーの銘柄を聞かれ『ネスカフェ』と答えた。
    • リップクリームと間違えて唇にソックタッチを塗っていた。
  • その他にも「(朝食は)和食にしますか?洋食にしますか?」と聞かれ、「バカ野郎!!朝食だ。」と答えたというものや、力うどん(ちからうどん)「かうどんをくれ」と注文した、ABCDE「ABCDヨ」と言った、など数多い逸話があるが、これらの大半は、たけし自身やたけし軍団高田文夫らたけしのブレーン、或いは当時のハガキ職人、ラジオリスナーらが考えた作り話が広がったものである。
  • ビートたけしと所ジョージが司会を務めるTBS系列(毎日放送制作)の番組「たけし・所のドラキュラが狙ってる」で、清水アキラと共演したことがある。

1983年、ビートたけしのオールナイトニッポンのゲストとして満を持して番組に登場、トーク中心の構成となったが、途中、紹介されるネタを怒るどころか、豪快に笑い飛ばしながら事実を解説し、「いやあ、たけちゃんや聴いてくれている皆さんが、こうしていじってくれるということは芸人冥利に尽きるよ!!!」と終始嬉しそうに語っていた。

この事が機縁となり、後にビートたけしとテレビCM(サントリー「バイオミンX」)で共演を果たした。CMは、バス停にスーツ姿のたけしとなぜかステージ衣装とメイクで書類封筒を持つ村田が並んでおり、村田がたけしに「お勤めですか?」と尋ね、「役所関係に・・・ちょっと」答えるたけしにバイオミンXを勧める。今度はたけしが「お勤めですか?」と尋ねると、村田が「芸能関係に・・・ちょっと」と答える、というコント仕立てのもので、決め台詞は「新しく新発売!」というものだった[注釈 3]。ビートたけしが発した「村田だ!」のフレーズは人気となり、清水アキラが'86年頃から始めた村田のものまねでさらに広く浸透した。こうした人気を受け、1989年には村田自身がシングル『あゝ万次郎』のカップリングとして『俺が村田だ』という曲を収録している。たけしがコメンテーターを務める『情報7days ニュースキャスター』(TBS)でも一時、オールナイトニッポン当時のネタを紹介していた。

2014年7月15日に放送された『ニッポン放送開局60周年記念 ラジオで聴いた「忘れられぬミュージック」』で高田文夫は、当時余りにもネタにされ過ぎたことに不満を感じた村田が若い衆に「自分の所に連れてこい」と命じて、たけしと高田を呼びつけ、説教した時の逸話を語っている。この時村田は「いいか、たけちゃん。いや、たけし。お前は漫才師だ。俺は歌手だ。高田、お前は作家だ。お互い仕事のジャングルが違うんだ。俺のジャングル入って来るな。」それを聞いた高田とたけしは「俺らターザンじゃねえ」と小声で呟いた言う。しかし、この話も作り話である可能性は高く、番組パーソナリティーの上柳昌彦からは「それ本当なんですか ?」と突っ込まれているが、高田はあくまで「本当なんだって !」と主張している。

三波春夫との仲

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村田と同じ浪曲出身の演歌歌手、三波春夫とは互いにライバル同士という位置付けであり歌番組での競演も多かった。有名であった三波と村田の不仲説は実際のところ、周囲の関係者やマスコミ、世論が作り出した先入観と偏見に近いものがある。村田は三波を先輩歌手として慕い、ゴルフや食事を共にする仲だった。「上手・下手事件」[6]など、半ば面白おかしく伝えられているが、実際はほぼ同時期にデビューした良きライバルとして互いに意識していた程度であり、犬猿の仲というほどのものではなかった。

村田が1996年に右脚を切断した際、三波は励ましの電話をかけるなど、晩年まで親交は続いた。村田は基本的に「男の演歌」を保守的なまで一筋に歌い続けたが、三波は後年、自分の持ち歌にハウスサウンドラップを融合させるなど革新的な新しいものにも挑戦しており、仕事に対する考え方や取り組む姿勢、そのスタイルは全く対照的だった。

その他

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また作詞家でフランス文学者だった西條八十は当初、王将の作詞を拒み続けたという(将棋を指したこともなかった)。だが、村田が西條の自宅に何度も断られても足を運ぶことでついに了承した。

NHK紅白歌合戦で『王将』を歌った際には、村田本人が3番の歌詞の『何が何でも勝たねばならぬ』の一節を好んでいたこともあり、また『絶対に白組が勝つ』という心意気を込めて必ず1番と3番を歌ったという[7]

また、自ら作詞・作曲を手掛けた曲もあり、作品の中で『二階堂伸』(作詞者名義)、『北くすお』(作曲者名義)というペンネームを用いていた。

東映任侠映画を中心に映画出演が続いたため、「村田は歌をやめたのか」と皮肉られ、その後は一切出演しなかった。

女に手を出すのが早かったという。テレビ番組『たけし・所のドラキュラが狙ってる』で女千人斬りの伝説を認めた。番組内で「千人ぐらいは斬ってるだろうな」と述べている。若き日は『ハヤブサのヒデ』と呼ばれたという。

ディスコグラフィ

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シングル

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発売日曲順タイトル作詞作曲編曲規格品番
1958年7月A面無法松の一生吉野夫二郎古賀政男A-3070
B面度胸千両
10月A面馬喰一代野村俊夫A-3093
B面居酒屋の恋
11月A面⺟恋い月夜A-3109
B面伊太郎鴉
1959年1月A面よさこい三度笠星野哲郎船村徹A-3135
B面江戸の残月
2月A面一本気仙太郞節西沢爽古賀政男A-3147
B面逢いに来たのか
3月A面流れる雲吉野夫二郎島津伸男船村徹A-3164
B面海の悪太郎船村徹
4月A面つばくろ一座石本美由起雑賀晴雄船村徹SA-186
B面人生劇場佐藤惣之助古賀政男
6月A面人情寄席星野哲郎船村徹SA-208
B面徳利と殿様内藤貞夫船村徹
7月A面男沓掛時次郎門田ゆたか竹岡信幸若木みのるSA-218
B面流転太鼓星野哲郎米山正夫
8月A面蟹工船遠藤実藤原秀行SA-230
B面ソーランしぶき
9月A面黒田武士島田磬也福岡県民謡船村徹SA-241
B面田原坂の美少年船村徹
12月A面達者でいなよってサ相馬詩彦遠藤実藤原秀行A-3205
B面山ッこ故郷
A面由良さんこちら牧房雄細田義勝A-3206
B面赤い夕日の金州城関沢新一竹岡信幸松尾健司
1960年4月A面鼻唄がらす石本美由起雑賀晴雄船村徹A-3222
B面赤城の三人男船村徹
5月A面国定忠治関沢新一竹岡信幸細田義勝SA-368
B面吉良の仁吉野村俊夫船村徹
6月A面独眼竜参上関沢新一遠藤実山路進一SA-403
B面すいすい道中[注釈 4]
8月A面追分さんど笠石本美由起船村徹SA-432
B面多助馬子唄
A面ジャコ萬と鉄魚住秀SA-442
B面北海の女
9月A面船唄三度笠石本美由起万城目正松尾健司SA-463
B面信濃路無宿
11月A面酒造りの歌星野哲郎遠藤実SA-478
B面庫男の唄
A面俺は陽気な渡り鳥石本美由起浜口庫之助SA-488
B面船足ぁ軽いぞ星野哲郎
1961年2月A面新豪傑節岩瀬ひろし島津伸男安藤実親SA-526
B面おいどん節
3月A面
[注釈 5]
竜馬の恋五味渕洸船村徹SA-541
A面侍ニッポン西條八十松平信博松尾健司SA-553
B面江戸の白梅青山七郎船村徹
4月A面さのさ太鼓星野哲郎堀場正雄SA-560
B面月の大漁船石本美由起上原げんと
7月A面雪麿一本刀佐藤正道船村徹SA-655
B面関の弥太っぺ谷屋充
A面
[注釈 6]
流転街道五味渕洸山路進一SA-659
A面
[注釈 7]
山にかかる夕陽星野哲郎船村徹SA-673
8月A面木遣りの兄貴石本美由起万城目正船村徹SA-683
B面お江戸勇み肌
11月A面王将西條八十船村徹SA-735
B面小春月夜
1962年1月A面着流し侍魚住秀中村順範松尾健司SA-776
B面新内三味線玉置金之助堀場正雄
A面愁風小倉城原田茂安船村徹SA-808
B面九州男児福島一美船村徹
2月A面
[注釈 8]
人生旅情野村俊夫船村徹SA-799
A面明治は遠くなりにけり丘灯至夫SA-801
B面人生行路
3月A面沓掛小唄長谷川伸奥山貞吉船村徹SA-828
B面お島千太郎旅唄西條八十
B面
[注釈 9]
あゝ戦友よ眠れかし佐藤惣之助古賀政男SA-829
6月A面風雲児星野哲郎服部良一SA-901
B面荒原哀歌
7月A面男度胸辻本茂上原げんとSA-910
B面河原の石石田テル遠藤実山路進一
9月A面荒くれ一代石本美由起竹岡信幸安藤実親SA-950
B面飯場がらす山路進一
10月A面
[注釈 10]
ばんば踊並岡龍司松尾健司SA-1006
A面小倉祇園太鼓原田茂安船村徹SA-1007
B面武蔵小次郎
舟島の決戦場
11月A面男の夜明け星野哲郎遠藤実山路進一SA-991
B面壮士劇場
A面開化書生節中川明徳古賀政男佐伯亮SA-1010
B面あゝ花に埋ずめん
12月A面殺陣師段平野村俊夫船村徹SA-1045
B面浪花の女
1963年2月A面柔道一代星野哲郎山路進一SA-1047
B面講道館の鬼近藤竜太郎
4月A面がんくつ王丘灯至夫船村徹SA-1104
B面悲願
5月A面大菩薩峠野村俊夫古関裕而SA-1097
B面女人流転
6月A面
[注釈 11]
白鷺の城星野哲郎市川昭介SAS-46
7月A面まず一献西沢爽船村徹SAS-47
B面黒髪ながき君なれば
A面
[注釈 12]
江州音頭並岡龍司滋賀県民謡松尾健司SA-1110
8月A面男一匹関沢新一遠藤実安藤実親SAS-88
B面流しやくざ
9月A面
[注釈 13]
花の英傑北条琳都子古賀政男SAS-132
12月A面遊俠伝星野哲郎関野幾生松尾健司SAS-154
B面男の涙松坂直美
1964年1月A面姿三四郎関沢新一安藤実親SAS-183
B面白虎星野哲郎遠藤実安藤実親
A面男の土俵村田英雄山路進一SAS-201
B面相撲小唄村田英雄山路進一
2月A面眠狂四郎の唄野村俊夫SAS-187
B面浪人ぶし
4月A面
[注釈 14]
男の意気地は
だてじゃない
古野哲哉SAS-219
5月A面お秋という女西沢爽SAS-236
B面みだれ雲
A面
[注釈 15]
花をたむけてねんごろに中山正男古関裕而SAS-257
A面
[注釈 16]
福山トンド服部龍太郎広島県民謡松尾健司SA-1137
6月A面王者高野晴雄古賀政男佐伯亮SAS-272
B面こゝろ意気古野哲哉安藤実親
7月A面皆の衆関沢新一市川昭介SAS-273
B面"男"関東綱五郎平井健一
A面
[注釈 17]
野々市じょんから石川県民謡松尾健司SA-1143
9月A面
[注釈 18]
花と竜村田英雄山路進一SAS-317
10月A面お手を拝借石本美由起上原げんとSAS-336
B面佐渡の朝吉
A面坊主拳法関沢新一安藤実親SAS-373
B面訣別野村俊夫
12月A面これが次郎長決定盤!星野哲郎市川昭介SAS-382
B面旅人さん村田英雄安藤実親
1965年1月A面風来物語北くすお村田英雄市川昭介SAS-414
B面義侠一代藤島信人由比治郎
2月A面悲恋大阪港西沢爽船村徹SAS-435
B面侠客伝
3月A面俺いらやん衆北くすお村田英雄安藤実親SAS-439
B面男一代江藤彦武
5月A面若い衆関沢新一市川昭介SAS-479
B面男たちよ
6月A面海の男の子守唄高野公男船村徹SAS-503
B面ひとり酒
A面あゝ薩摩義士野村俊夫安藤実親SAS-540
B面鹿児島よかとこ
A面
[注釈 19]
さぬきおどり香川県民謡市川昭介SA-1176
7月A面俺は素浪人北くすお二階堂伸SAS-558
B面近藤勇石本美由起上原げんと
8月A面堅気一筋関沢新一安藤実親SAS-541
B面夢で候
A面宮本武蔵有吉伸古賀政男佐伯亮SAS-575
B面鶺鴒の舞南葉二
A面
[注釈 20]
備中松山おどり岡山県民謡安藤実親SA-1179
9月A面柔道水滸伝関沢新一安藤実親SAS-586
B面柔道小唄戸塚三博
11月A面明治劇場石本美由起安藤実親SAS-610
B面たまの逢瀬に北くすお
1966年1月A面日本男児石本美由起船村徹SAS-636
B面海に生きる上原げんと
2月A面弁慶安藤実親SAS-666
B面山よ小川よ草笛よ鎌多俊与
3月A面独航船の男西沢爽船村徹SAS-668
B面明日と言う日が
あるじゃァないか
4月A面少林寺拳法の歌竹岡範男宮田東峰安藤実親SAS-694
B面男ざかり関沢新一
A面坂本龍馬里見義裕山路進一SAS-695
B面龍馬節関沢新一
6月A面祝い節大矢弘子和田香苗塩瀬重雄SAS-718
B面お待ちなせェ石本美由起鎌多俊与
A面
[注釈 21]
万国博音頭三宅立美古賀政男佐伯亮SAS-728
8月A面満月の恋唄石本美由起北くすお安藤実親SAS-753
B面英雄太鼓和田香苗
9月A面瞼の母中川明徳古賀政男佐伯亮SAS-770
B面涙の忠太郎
11月A面嵐の男関沢新一安藤実親SAS-816
B面あゝドックの町よ石本美由起北くすお安藤実親
1967年2月A面河内野郎和田香苗SAS-836
B面どっこい人生
3月B面
[注釈 22]
日本よい国関沢新一古賀政男甲斐靖文SAS-865
4月A面男の城市川昭介SAS-872
B面父子鳥石本美由起和田香苗
7月A面夫婦春秋関沢新一市川昭介SAS-915
B面楽しからずや友きたる
10月A面浪花の勝負師三浦康照山本丈晴河村利夫SAS-964
B面裸一貫俺はやる
1968年1月A面捨てて勝つ赤城慧佐伯亮SAS-1029
B面太陽に祈ろう
3月A面男の道原田茂安河村利夫SAS-1045
B面小倉音頭
4月A面
[注釈 23]
その火を絶やすな石本美由起SAS-1044
5月A面丸ッコ人生関沢新一桜田誠一SAS-1086
B面あいつ
8月A面竜馬がゆく赤城慧土橋啓二河村利夫SAS-1142
B面竜馬しぐれ
10月B面
[注釈 24]
椎茸音頭渡辺行久飯田一実桜田誠一SAS-1187
11月A面汐鳴西條八十和田香苗佐伯亮SAS-1204
B面旅情和田香苗
1969年2月A面残月三浦康照河村利夫SAS-1239
B面男おけさ北くすお村田英雄河村利夫
5月A面石本美由起古賀政男佐伯亮SAS-1266
B面男の大盃
8月A面義兄弟桜田誠一SAS-1312
B面男の手
12月A面彌太郎月夜山本丈晴甲斐靖文SAS-1366
B面すすきの宿
1970年1月A面親分白鳥朝詠和田香苗SAS-1376
B面人生番外地
3月A面
[注釈 25]
博多ばやし松岡歳雄森脇憲三甲斐靖文SAS-2010
5月A面闘魂川内康範猪俣公章竹村次郎SAS-1419
B面友情
10月A面怒濤北原じゅんSAS-1463
B面準備ようそろ荒金義喜
1971年1月A面勝負房前智光
丘灯至夫
西川幸男SAS-1486
B面丘灯至夫ロイ大竹
4月A面
[注釈 26]
武将 伊達政宗三浦康照船村徹SAS-1508
B面
[注釈 27]
人形佐七村田英雄市川昭介SAS-1524
6月A面志摩の海房前智光和田香苗佐伯亮SAS-1536
B面のんだくれ忠臣蔵西沢爽和田香苗
発売日曲順タイトル作詞作曲編曲規格品番
1971年10月A面俺は生きる藤田まさと武哲小杉仁三TP-2555
B面男の意地松井由利夫大沢浄二斉藤恒夫
1972年3月5日A面拝啓故郷おふくろさん松井由利夫
梶野真澄
TP-2639
B面ここで一番松井由利夫やまだ寿夫
7月A面人生の詩なかにし礼猪俣公章竹村次郎TP-2687
B面男の酒
11月A面心意気だよ遠藤実只野通泰TP-2750
B面傷だらけの狼
1973年2月A面石松ひとり旅石坂まさを鈴木邦彦池田孝TP-2798
B面一本刀土俵入り松井由利夫遠藤実斉藤恒夫
1974年10月A面息子よ麻生啓介竜崎孝路TP-20062
B面昭和旅吉田旺
1975年6月A面同期節聖川湧
ちあき哲也
聖川湧北野ひろしTP-20148
B面なあ、お前たかたかし浜圭介川上了
1976年5月A面風と雲と虹と福田善之山本直純伊東慶樹TP-10001
B面ひとり笛
11月A面父帰る藤田まさと四方章人竹村次郎TP-10110
B面俺とお前遠藤実斉藤恒夫
1977年1月A面めおと雲荒金きよしTP-10150
B面ダンチョネ黒田節大沢浄二
7月A面男だけの唄川内康範竹村次郎TP-10261
B面兄弟櫻川内康範岡千秋
10月A面夫婦舟千家和也高田弘TP-10303
B面恋太鼓
1978年2月A面九州鴉二階堂伸北くすお斉藤恒夫TP-10363
B面女無法太鼓
10月A面こっちゃこい酒場門井八郎泉みどり伊藤雪彦TP-10469
B面もらい泣き鳥井実山路進一
1979年4月A面
[注釈 28]
新田節吉野よし彦植村亨成田征英TP-10559
6月20日A面花と竜二階堂伸北くすお斉藤恒夫TP-10600
B面男の土俵
8月A面人生峠宮原哲夫小松原てるを池多孝春TP-10620
B面いのちの旅路
1980年6月A面昭和自叙伝藤田まさと猪俣公章TP-17002
B面夫婦酒はぞのなな岡千秋
12月A面釣舟の宿横井弘船村徹TP-17106
B面ひとり行く道
1981年3月A面大昭和音頭金子知司陸奥高志伊藤雪彦TP-17121
B面青空音頭二階堂伸岡千秋
A面飛車角の唄秩父重剛大沢浄二斉藤恒夫TP-17122
B面恋太鼓千家和也岡千秋高田弘
8月A面なみだ坂松本礼児むらさき幸小杉仁三TP-17200
B面ふたりで生きるはぞのなな岡千秋馬場良
1982年6月A面母の道翁明和田香苗TP-17346
B面場末人情瀧竜二山路進一
8月A面女房どの鳥井実岡千秋池多孝春TP-17380
B面演歌船はぞのなな
1983年6月A面空手一代鈴木かずみTP-17489
B面人生まったなしはぞのなな片山隼
1984年2月A面死ぬまで一緒だよ南陽子伊藤雪彦TP-17589
B面夢割り酒茅大介伊戸のりお
6月A面冬の海玉川良一岬司郎池多孝春TP-17633
B面夫婦灯りやまと大よこやま聖
12月A面男の一生賀川幸生TP-17675
B面駒師一代荒川利夫むらさき幸
1985年8月31日A面マイト野郎宮原哲夫TP-17756
B面ふるさと王よし子大沢浄二
A面夫婦雨宮原哲夫奈和成悟伊戸のりおTP-17757
B面お父っつぁん おっ母さん二階堂伸岡千秋池多孝春
A面ふたり道白鳥園枝TP-17758
B面男の酒いわせ灯詩
A面男の暦二階堂伸泉みどりTP-17759
B面将軍安藤実親
A面君盃をあげたまえ西沢爽市川昭介馬場良TP-17760
B面おとこ道中岡俊哉岡千秋池多孝春
12月21日A面男侠松山千春竜崎孝路TP-17800
B面法印遊侠伝磯ゆうじ竹田喬池多孝春
1986年2月21日A面祝い歌三田志ん也奈和成悟TP-17827
B面日本の踊り王よし子金田一あきら
4月23日A面男吉良常二階堂伸市川昭介TP-17846
B面男ぶし吉田旺岡千秋
1987年1月16日A面男三代王良TP-17926
B面おとこの傷津木野友奈和成悟
5月25日A面男の花吹雪吉秋雅規北くすおTP-17964
B面俺は男大山りゅうじ賀川幸生
9月5日A面男のしるべ林夢二鈴木かずみTP-17995
B面春がくるとくだとしお尾崎はるみ伊藤雪彦
12月25日A面嫁ぐ日よ二階堂伸市川昭介池多孝春RT07-2058
B面自立ってみろ麻こよみ猪俣公章
1988年11月26日A面二代目無法松松倉久雄首藤正毅前田俊明RT07-2248
B面夫婦みち三谷勉山田年秋
1989年2月22日A面あゝ万次郎賀川幸生池多孝春RT07-2321
B面俺が村田だ田中祭鬼奈和成悟伊戸のりお
1990年2月21日01男伊達鈴木かずみ池多孝春TODT-2481
02男のまつり二階堂伸鈴木かずみ
9月12日01山頭火加藤智TODT-2575
02高橋直人深谷昭馬場良
1991年4月19日01父子船中村正義池多孝春TODT-2656
02男酒
12月4日01人生太鼓高橋直人岡千秋TODT-2772
02浪花人情尾崎はるみ
1993年7月7日01男の祈り松本礼児山田太郎丸山雅仁TODT-3068
02花の宴三園みよじ竹田喬
1994年10月19日01昭和ひと桁人生噺星野哲郎美樹克彦TODT-3335
02古い奴賀川幸生馬場良
1995年9月6日01心機一天石本美由起遠藤実池多孝春TODT-3564
02武士のうた二階堂伸たもと正
1997年1月16日01男の友情村田英雄TODT-3905
02新築祝い伊藤進章津軽けんじ
6月18日01天下の夢松本礼児山田太郎丸山雅仁TODT-3986
02男節石本美由起水森英夫池多孝春
1998年8月7日01忍耐船村徹蔦将包TODT-5182
02人生舞台鈴木宗敏花野こうじ池多孝春
1999年6月23日01男 朝吉二階堂伸和田香苗TODT-5312
02しぐれ太鼓北小路匠岡千秋
2000年6月25日01男の門出中村正義TODT-6040
02あんたの女房
2002年7月17日01人生二万七千五百日麻こよみ岡千秋TODT-6100
02芝居小屋高橋直人奈和成悟

デュエット・シングル

[編集]
発売日デュエット曲順タイトル作詞作曲編曲レーベル規格品番
1960年
12月
島倉千代子A面
[注釈 29]
お染半九郎石川潭月古賀政男日本
コロムビア
SA-492
1961年
4月
A面
[注釈 30]
ホレホレ音頭服部レイモンドSA-602
1962年
4月
五月みどりA面
[注釈 31]
湯の山音頭山田繁雄古賀政男佐伯亮SA-869
1963年
4月
島倉千代子A面北九州盆唄原田茂安古賀政男SA-1101
-B面くろい太陽
(歌:村田英雄)
船村徹
1970年
4月
加賀城みゆきA面新加古川音頭植原繁市山本丈晴甲斐靖文SAS-2014
-B面(フォーク・ダンス)-
1980年
2月
葵ひろ子A面にっぽん音頭青山五平市川昭介馬場良東芝EMITP-10680
B面あすなろ囃子
1983年
3月
松山恵子A面一年音頭由井みどり東幸じ池多孝春TP-17468
-B面万博音頭
(歌:村田英雄)
長坂嘉明加納弘伊藤雪彦
1989年
6月7日
坂本冬美A面平成5・5ゴーゴー音頭石本美由起猪俣公章馬場良RT07-2367
-B面おまえと生きる
(歌:村田英雄)
高橋直人花笠薫池多孝春

企画シングル

[編集]
発売日名義曲順タイトル作詞作曲編曲規格品番
1960年
2月
島倉千代子
村田英雄
花村菊江
五月みどり
岡田ゆり子
A面
[注釈 32]
日本よいとこ関沢新一古賀政男SA-300
1961年
2月
島倉千代子
村田英雄
花村菊江
岡田ゆり子
榊原貴代子
A面
[注釈 33]
日本晴れだよ西條八十上原げんとSA-531
1962年
2月
島倉千代子
村田英雄
五月みどり
岡田ゆり子
榊原貴代子
A面
[注釈 34]
日本一だよ古賀政男SA-811
1965年
4月
村田英雄
都はるみ
大下八郎
A面
[注釈 35]
昭和音頭石本美由起古賀政男佐伯亮SAS-500
発売日曲順タイトル作詞作曲レーベル規格品番
2001年
6月27日
01哀愁村田英雄三橋美智也東芝EMITODT-6083
01男のふるさと春日八郎キングレコードKIDX-604

アルバム

[編集]

ベスト・アルバム

[編集]
発売日タイトルレーベル規格品番
2000年10月12日村田英雄 2001全曲集東芝EMITOCT-24443
2001年10月6日村田英雄 2002全曲集TOCT-24670
2002年4月20日ゴールデンベスト日本コロムビアCOCA-70269
2002年9月26日村田英雄 2003全曲集東芝EMITOCT-24846〜47
2003年9月10日村田英雄 2004全曲集TOCT-25142
2004年6月23日村田英雄特選集 無法松の一生日本コロムビアCOCP-32733〜34
2009年2月18日決定盤 村田英雄大全集COCP-35435〜36
2012年4月18日スター☆デラックス 村田英雄COCP-37259
2013年7月24日完全保存盤 村田英雄 名曲集東芝EMITOCT-12050
2015年6月24日村田英雄きわみベスト50日本コロムビアCOCP-39164〜66
2017年5月24日ゴールデン☆ベスト 村田英雄ユニバーサルUPCY-7295
2018年7月18日村田英雄全曲集 王将日本コロムビアCOCP-40439
2018年11月21日決定盤 村田英雄 大傑作選COCP-40549〜50

カバー・アルバム

[編集]
発売日タイトルレーベル規格品番
2002年11月16日ヒットカバー名曲集東芝EMITOCT-24887

CD-BOX

[編集]
発売日タイトルレーベル規格品番
1999年5月21日村田英雄 歌謡浪曲全集日本コロムビアCOCJ-30372〜77
2011年10月26日村田英雄 歌謡浪曲浪曲全集COCJ-37021〜27

タイアップ曲

[編集]
楽曲タイアップ
1959年一本気仙太郞節映画『一本気仙太郞』主題歌
1960年独眼竜参上NTV系ドラマ『独眼竜参上』主題歌
1961年雪麿一本刀NET系ドラマ『雪麿一本刀』主題歌
山にかかる夕陽映画『旗本退屈男 謎の七色御殿』主題歌
1963年柔道一代映画『柔道一代』主題歌
男一匹映画『浅草の侠客』主題歌
1964年姿三四郎フジテレビ系ドラマ『姿三四郎』主題歌
白虎NTV系ドラマ『白虎』主題歌
眠狂四郎の唄映画『眠狂四郎殺法帖』主題歌
花と竜NTV系ドラマ『村田英雄の花と龍』主題歌
坊主拳法NTV系ドラマ『坊主拳法』主題歌
1965年風来物語NET系ドラマ『風来物語』主題歌
悲恋大阪港映画『日本侠客伝 浪花篇』主題歌
柔道水滸伝フジテレビ系ドラマ『柔道水滸伝』主題歌
明治劇場映画『任侠男一匹』主題歌
1966年弁慶NTV系ドラマ『弁慶』主題歌
嵐の男映画『任侠柔一代』主題歌
1968年捨てて勝つ映画『捨てて勝つ』主題歌
1970年親分映画『関東義兄弟』主題歌
1971年人形佐七NET系ドラマ『人形佐七捕物帳』主題歌

出演

[編集]

映画

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人生劇場 飛車角』(1963年)
  • 阿波狸合戦1939年新興キネマ) 配役:茶坊主
  • 後藤又兵衛 乳呑三千石1939年新興キネマ) 配役:少年浪曲師
  • 旗本退屈男 謎の七色御殿 1961年 (東映) 配役:民吉
  • 恋しぐれ・秩父の夜祭 1961年 (大映) 配役:信次
  • 新・人生劇場 1961年 (大映) 配役:村上
  • 仲よし音頭・日本一だよ 1962年 (大映) 配役:村田英雄
  • 王将 1962年 (東映) 配役:榊原
  • 柔道一代 1963年 (東映) 配役:大村竜作
  • 浅草の侠客 1963年 (東映) 配役:雷門千吉
  • 関東遊侠伝 1963年 (日活) 配役:村田親分
  • 人生劇場 飛車角 1963年 (東映) 配役:寺兼
  • 男の嵐 1963年 (松竹) 配役:乱菊松二郎
  • やくざの歌 1963年 (東映) 配役:村尾
  • 東海遊侠伝 1964年 (日活) 配役:村田
  • 任侠男一匹 1965年 (東映) 配役:阿波登喜蔵
  • 関東流れ者 1965年 (東映) 配役:高島伯太郎
  • 日本侠客伝 浪花編 1965年 (東映) 配役:和田島義雄
  • 関東やくざ者 1965年 (東映) 配役:高島伯太郎
  • 兄弟仁義 1966年 (東映) 配役:鳴子治三郎
  • 続兄弟仁義 1966年 (東映) 配役:藤ヶ谷初太郎
  • 男の勝負 1966年 (東映) 配役:藤岡重助
  • 北海遊侠伝 1967年 (東映) 配役:立花伊之助
  • 兄弟仁義 関東命知らず 1967年
  • 兄弟仁義 関東兄貴分 1967年
  • さくら盃 義兄弟1969年
  • さくら盃 仁義 1969年
  • 関東義兄弟 1970年
  • 関東兄弟仁義 任侠 1971年
  • 王将1973年東宝) 配役:審判係町田
  • 三婆 1974年 (東宝) 配役:田中

ラジオ

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テレビ

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テレビドラマ

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  • 村田英雄の花と龍(日本テレビ系)1964年10月25日から1965年1月17日まで全13回。
  • 特別機動捜査隊NET
    • 第501話「勝負」(1971年) - 政吉 役
    • 第734話「絶望を越えて」(1975年)
  • 一心太助 第14話「人情勧進相撲」(1972年、フジテレビ / 国際放映) - 仁介 役

CM

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脚注

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出典

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  1. ^「証言 十五ビルで遺体搬出」『火の雨が降った 6・19福岡大空襲』福岡空襲を記録する会 1986年 P.95-96
  2. ^“村田英雄さん亡くなる、73歳”. ZAKZAK. (2002年6月13日). オリジナルの2002年10月18日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20021018003401/http://www.zakzak.co.jp/geino/n-2002_06/g2002061307.html 2014年4月14日閲覧。 
  3. ^“訃報・村田英雄さん”. 日刊スポーツ. (2002年6月13日). オリジナルの2002年10月16日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/20021016002424/http://www.nikkansports.com/jinji/2002/seikyo020613.html 2014年4月14日閲覧。 
  4. ^ab村田英雄記念館が閉館へ 入館者減少で維持難しく”. 毎日新聞 (2025年3月5日). 2025年3月5日閲覧。
  5. ^佐賀県唐津市の「村田英雄記念館」、16日に閉館”. 西日本新聞. 2025年3月14日閲覧。
  6. ^村田と三波春夫が舞台で共演した際、台本に「三波上手(かみて)、村田下手(しもて)」と、立ち位置について書いてあり、村田が「何で三波が上手(じょうず)で俺が下手(へた)なんだ!」と激怒したという逸話。その真偽の程は不明。
  7. ^『ドキュメンタリー紅白歌合戦 あの時あの歌』(日本放送協会出版刊 1984年)より
  8. ^晴れ姿!!旅役者座長大会”. NHK (1980年10月27日). 2021年9月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月18日閲覧。

注釈

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  1. ^なおトリ未経験歌手は、2015年第66回郷ひろみが28回目の出場により、村田の最多記録を上回った。以後も郷は、現在2023年第74回に36回の紅白出場を果たすが、未だトリ未経験・最多回数の珍記録を更新中である。
  2. ^当時同じレコード会社の歌手同士がトリをつとめることは暗黙のタブーとされていた。村田が白組トリを取れなかった経緯の詳細については、『第28回NHK紅白歌合戦』の項を参照。
  3. ^この撮影中にも村田が付き人に「おい!喉乾いたから、オロナミンC買ってこい!」と叫び、撮影スタッフがひっくり返った・・・との、嘘とも本当ともつかないエピソードが紹介されている。ちなみに「バイオミンX」はサントリーが初めて手掛けた“炭酸入りドリンク飲料”で、大塚製薬のオロナミンCは競合商品の急先鋒だった。
  4. ^デュエット:花村菊江
  5. ^B面は香川匂子の「母の故郷」。
  6. ^B面は花村菊江の「木曽の花嫁さん」。
  7. ^B面はこまどり姉妹の「夕焼け三味線」。
  8. ^B面は花村菊江の「島原エレジー」。
  9. ^A面はこまどり姉妹の「涙の日の丸小旗」。
  10. ^B面は花村菊江の「五ヶ瀬川旅情」。
  11. ^B面は神戸一郎、五月みどり、中尾渉、唐品由美の「白鷺ばやし」。
  12. ^B面は近藤洋子の「三国節」。
  13. ^B面は島倉千代子、守屋浩の「まるはち祭」。
  14. ^B面は香川匂子の「東海道むすめ笠」。
  15. ^B面は伊藤久男の「夕陽行」。
  16. ^B面は大下八郎、円山鈴子の「トンド節」。
  17. ^B面は福島佐久一、高野義作の「越中おわら節」。
  18. ^B面は花村菊江の「女の意地」。
  19. ^B面は赤坂小梅の「こんぴら船々」。
  20. ^B面は伊東満、近藤弘子、近藤恵子、西田和江の「田楽ばやし」。
  21. ^B面はこまどり姉妹の「なにわ盆唄」。
  22. ^A面は都はるみの「富士山ばやし」。
  23. ^B面は都はるみの「新おはら節」。
  24. ^A面は青山和子の「伊豆湯ブルース」。
  25. ^B面は都はるみの「博多ワルツ」。
  26. ^B面は津軽洋子・桂子の「非母哀歌」。
  27. ^A面は美空ひばりの「江戸ッ子佐七」。
  28. ^B面は高城くみの「はまゆうの町」。
  29. ^B面は島倉千代子の「恋の梅川」。
  30. ^B面は若山彰の「一世を讃える歌」。
  31. ^B面は神戸一郎、八代政子の「恋の湯の山」。
  32. ^B面はコロムビア・ローズ神戸一郎、能沢佳子、川田孝子伴久美子の「ニコニコ踊り」。
  33. ^B面はコロムビア・ローズ、神戸一郎、五月みどり、香川匂子、唐品由美の「お手をつないで」。
  34. ^B面は花村菊江、中尾渉、香川匂子、八代政子、唐品由美の「仲よし音頭」。
  35. ^B面は北原謙二アントニオ古賀金井克子、谷由美子の「ドレミファ音頭」。

関連項目

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  • 1958年の音楽#デビュー - 同じ年にデビューした歌手
  • 野茂英雄 - 実父が村田英雄のファンだったことから、英雄と付けられた。
  • 三波春夫 - 元・浪曲師という共通の出自から互いにライバルという位置付けであった。
  • 春日八郎
  • 三橋美智也 - 三人の会のメンバー、芸歴はトータルすると村田の方が長いが、レコード歌手として先にデビューし、年長という事で二人を兄事していた。
  • 北島三郎 - 新栄プロの後輩。兄弟仁義シリーズ等で共演。村田のことを最も慕っていたひとり。
  • 鶴田浩二 - 東映仁侠映画で多数競演。
  • ビートたけし
  • 清水アキラ - ムッチーブームに火を付けた。
  • 神野美伽 - 「無法松の一生」を伝授され、『歌謡浪曲 無法松の一生』を歌う。

外部リンク

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