| 村上 誠一郎 むらかみ せいいちろう | |
|---|---|
| 生年月日 | (1952-05-11)1952年5月11日(73歳) |
| 出生地 | |
| 出身校 | 東京大学法学部卒業 |
| 前職 | 河本敏夫衆議院議員秘書 |
| 所属政党 | 自由民主党(高村派→無派閥) |
| 称号 | 法学士(東京大学・1977年) |
| 子女 | 村上信太郎(長男) |
| 親族 | 村上紋四郎(曾祖父) 村上常太郎(祖父) 村上信二郎(父) 村上孝太郎(伯父) 村上清(叔父) 岡田克也(義弟) |
| 公式サイト | 村上誠一郎公式サイト-自由民主党衆議院議員 |
| 内閣 | 第1次石破内閣 第2次石破内閣 |
| 在任期間 | 2024年10月1日 -2025年10月21日 |
| 内閣 | 第2次小泉改造内閣 第3次小泉内閣 |
| 在任期間 | 2004年9月27日[1] -2005年10月31日[2] |
| 選挙区 | (旧愛媛2区→) (愛媛2区→) 比例四国ブロック |
| 当選回数 | 13回 |
| 在任期間 | 1986年7月6日 - 現職 |
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村上 誠一郎(むらかみ せいいちろう、1952年〈昭和27年〉5月11日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(13期)、自由民主党愛媛県支部連合会常任顧問[3]。
総務大臣(第31・32代)、行政改革担当大臣兼構造改革特区・地域再生担当大臣兼内閣府特命担当大臣(規制改革・産業再生機構)(第2次小泉改造内閣・第3次小泉内閣)、財務副大臣(第2次森改造内閣・第1次小泉内閣)、大蔵総括政務次官(第2次森改造内閣)、大蔵政務次官(宮澤改造内閣)、衆議院政治倫理審査会会長、同大蔵委員会委員長、同石炭対策特別委員会委員長、自由民主党愛媛県支部連合会会長などを務めた[4]。
祖父は東京控訴院次席検事を務めた村上常太郎、父は通産官僚で衆議院議員を務めた村上信二郎。義弟(妹の夫)副総理を務めた衆議院議員の岡田克也。長男は愛媛県議の村上信太郎。
曾祖父が初代町長を務めた愛媛県越智郡宮窪町(現・今治市)生まれ。1965年(昭和40年)に東京教育大学附属小学校(現・筑波大学附属小学校)、1971年(昭和46年)に東京教育大学附属中学校・高等学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。1977年、東京大学法学部第3類(政治コース[5])を卒業[6]。大学時代は、第一高等学校・東京大学弁論部で活動する。
1983年(昭和58年)、第37回衆議院議員総選挙に旧愛媛2区(定数3)から無所属で出馬したが、森清、井原岸高、越智伊平と自民党候補が既に3人いたこともあり、落選。なお旧愛媛2区は父・信二郎の選出選挙区でもあるが、信二郎は1972年に議員在職のまま死去し、誠一郎は同年の補欠選挙に出馬しなかったために1983年の誠一郎の出馬まで別の自民党候補3人と社会党候補一人で定数3の議席を争う形の選挙区となっていた。

1986年(昭和61年)、選挙区の自民党公認候補の一人であった井原岸高が政界引退し、前回の無所属から自民党公認を受けて第38回衆議院議員総選挙に再び旧愛媛2区から出馬し、初当選。定数3人が全員自民党公認候補であった[8]。新政策研究会(河本派)に所属。1996年10月に河本敏夫が政界引退後は、番町政策研究所へと改名された高村派に所属し、同派事務総長も務めた。
1993年(平成5年)、自由民主党財政部会長に就任。同年3月、自民党愛媛県連会長に就任。1994年(平成6年)に、衆議院議事進行係に就任する。
1996年の第41回衆議院議員総選挙では、小選挙区比例代表並立制導入に伴い愛媛2区から出馬し、4選。以後、愛媛2区で連続9選。この頃は梶山静六の側近であった[10]。
1997年、北側一雄によって村上大蔵委員長解任決議案を出される[11]。
同年、道後温泉付近の「宝荘ホテル」にて田中寅彦と角落ちで将棋を指している[12]。
同年、小沢一郎について、「政局を混乱に陥れた小沢氏は、はっきり言って極刑に値するでしょうね。」とコメントしている[13]。
2001年、第2次森改造内閣で初代財務副大臣(原則として衆議院関係と日銀金融政策決定会合の担当[14])に任命され、第1次小泉内閣まで務める。
2003年自由民主党総裁選挙では派閥領袖の高村正彦の推薦人に名を連ねるが、高村は現職の小泉純一郎首相らに敗れ、落選した。翌年の2004年(平成16年)には第2次小泉改造内閣で内閣府特命担当大臣(規制改革、産業再生機構)として初入閣し、また、行政改革担当、構造改革特区・地域再生担当の国務大臣にも同時に就任した。2005年(平成17年)の郵政解散では当初閣議で異論を唱えたが、小泉首相の説得を受け、解散に同意した。第3次小泉内閣では全閣僚が再任され、第3次小泉改造内閣発足により退任。ポスト小泉をめぐる2006年自由民主党総裁選挙では谷垣禎一財務大臣を支持し推薦人にも名を連ねたが、谷垣は最下位に終わった。2007年自由民主党総裁選挙では福田康夫を、2008年自由民主党総裁選挙では与謝野馨の推薦人に名を連ねた[15]。2009年(平成21年)の第45回衆議院議員総選挙では自民党に逆風が吹き荒れる中、対立候補に比例復活を許さず8選。
2012年(平成24年)の第46回衆議院議員総選挙では愛媛2区で9選。なお、村上は小選挙区比例代表並立制の導入以降、5回の総選挙で対立候補に比例復活を許してこなかったが、この総選挙では初めて対立候補(日本維新の会公認・みんなの党推薦の西岡新)が比例四国ブロックで復活した。2014年(平成26年)の第47回衆議院議員総選挙では愛媛2区で10選[17]。
2017年(平成29年)の第48回衆議院議員総選挙では愛媛2区で11選[18]。2020年の自民党総裁選では石破茂の推薦人に名を連ねた[19]。
2021年(令和3年)の自民党総裁選では議員会館で二つ隣の部屋に事務所がある岸田文雄に「ご自身の政策をおやりになりますか」と聞き「やる」と答えたから応援した」としたが、「首相になったら安倍路線を踏襲しているように見られている。全く残念です」とした[20]。同年の第49回衆議院議員総選挙では愛媛2区で12選[21]。
2022年(令和4年)10月12日、自民党の党紀委員会は、銃撃され死亡した安倍晋三元首相を「国賊」と発言したとされる村上について、党員としての品位をけがす行為に当たるとして1年間の党役職停止処分とすることを決めた。村上は発言について書面で「記憶はしていないが不用意な発言であり撤回したい」などと弁明したため、党紀委員会は発言が事実であると認定した[22][23]。
2023年(令和5年)2月10日、衆議院小選挙区の「10増10減」に伴い愛媛県内の選挙区が4から3に減ることを受け、自民党は新しい区割りの愛媛2区の支部長に父や村上の対立候補として戦った前述の岸高の孫である井原巧(この時点では・愛媛3区)を充て、村上を比例代表候補とすることを決めた[24]。

2024年10月1日、岸田文雄首相の退陣に伴って発足した、第1次石破内閣において石破茂の推薦人を務めた村上は第31代総務大臣に就任した[25](閣議での席次は首相の左隣[26])。
2024年10月27日が投票日の第50回衆議院議員総選挙では比例四国ブロックで自民党の名簿順位単独1位での立候補となり[27]、当選した。
また、2024年4月に「反社会勢力(統一教会[28])に選挙で応援され、裏金で政治活動をしていた人たちの政権に正統性があるのか、と見られてしまう状況にあると思います」と発言していたが[29]、政治資金パーティー収入の裏金問題が発覚した[30]ものの自民党の公認を得てその衆院選に立候補した[31]井原巧(井原は世界平和連合が開催した「井原巧先生を励ます会」に出席し[32]、統一教会の関連団体「天宙平和連合」が創設した世界平和国会議員連合による「日本・世界平和議員連合懇談会」を務めている[33])の応援をした[34]。
同年11月11日に発足した第2次石破内閣において総務大臣に再任[35]。2025年10月21日の石破内閣総辞職により、総務大臣を退任した。
義弟の岡田克也議員の実父である実業家の岡田卓也から2015年2月12日に100万円の寄付金を得ている。その寄付金が平成27年度(2015年度)の政治団体や個人からの寄付の約4分の1を占めている[73]。
| 当落 | 選挙 | 執行日 | 年齢 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 定数 | 得票順位 /候補者数 | 政党内比例順位 /政党当選者数 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 落 | 第37回衆議院議員総選挙 | 1983年12月18日 | 31 | 旧愛媛県第2区 | 無所属 | 5万1423票 | 16.84% | 3 | 4/6 | / |
| 当 | 第38回衆議院議員総選挙 | 1986年07月06日 | 34 | 旧愛媛県第2区 | 自由民主党 | 7万9171票 | 25.07% | 3 | 2/5 | / |
| 当 | 第39回衆議院議員総選挙 | 1990年02月18日 | 37 | 旧愛媛県第2区 | 自由民主党 | 6万4084票 | 20.29% | 3 | 3/5 | / |
| 当 | 第40回衆議院議員総選挙 | 1993年07月18日 | 41 | 旧愛媛県第2区 | 自由民主党 | 7万2924票 | 24.43% | 3 | 1/4 | / |
| 当 | 第41回衆議院議員総選挙 | 1996年10月20日 | 44 | 愛媛県第2区 | 自由民主党 | 11万8966票 | 70.32% | 1 | 1/3 | / |
| 当 | 第42回衆議院議員総選挙 | 2000年06月25日 | 48 | 愛媛県第2区 | 自由民主党 | 11万3616票 | 24.08% | 1 | 1/3 | / |
| 当 | 第43回衆議院議員総選挙 | 2003年11月09日 | 51 | 愛媛県第2区 | 自由民主党 | 9万9208票 | 58.32% | 1 | 1/4 | / |
| 当 | 第44回衆議院議員総選挙 | 2005年09月11日 | 53 | 愛媛県第2区 | 自由民主党 | 11万5297票 | 59.21% | 1 | 1/3 | / |
| 当 | 第45回衆議院議員総選挙 | 2009年08月30日 | 57 | 愛媛県第2区 | 自由民主党 | 9万4843票 | 47.99% | 1 | 1/4 | / |
| 当 | 第46回衆議院議員総選挙 | 2012年12月16日 | 60 | 愛媛県第2区 | 自由民主党 | 7万7078票 | 46.76% | 1 | 1/4 | / |
| 当 | 第47回衆議院議員総選挙 | 2014年12月14日 | 62 | 愛媛県第2区 | 自由民主党 | 5万7168票 | 48.03% | 1 | 1/4 | / |
| 当 | 第48回衆議院議員総選挙 | 2017年10月22日 | 65 | 愛媛県第2区 | 自由民主党 | 6万2516票 | 48.85% | 1 | 1/4 | / |
| 当 | 第49回衆議院議員総選挙 | 2021年10月31日 | 69 | 愛媛県第2区 | 自由民主党 | 7万2861票 | 57.49% | 1 | 1/3 | / |
| 当 | 第50回衆議院議員総選挙 | 2024年10月27日 | 72 | 比例四国ブロック | 自由民主党 | ーー票 | ーー | 6 | / | 1/3 |
国会議員白書によると、1986年7月の初当選から、2022年時点で衆議院委員会内在籍時通算出席回数907回発言回数123回。在籍期別各種会議出席30回・発言数3回[78]。
1986年7月の初当選から、2022年時点で本会議発言統計衆議院在籍時通算17回18833文字(41期(1996/10/20~2000/06/24)12回10205文字)[79]。
体重110kgを超す巨漢で、スーツは特注。ニックネームは「兄者」や「政界の小錦」。本人曰く、何をやっても痩せないとのこと[80]。
クラシック音楽、漢詩、映画鑑賞、将棋[81]が趣味。
村上本人によれば、戦国時代に名を馳せた村上海賊の子孫で18代目である[82][63]。
| 村上伊勢吉 | 村上紋四郎 | 村上常太郎 | 村上孝太郎 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 村上隆逸(分家)[92] | 村上信二郎 | 村上誠一郎 | 村上信太郎 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 村上清 | 岡田多津子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 岡田惣一郎 | 岡田卓也 | 岡田克也 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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|---|---|---|
| 先代 松本剛明 | 第31・32代:2024年 - 2025年 | 次代 林芳正 |
| 先代 金子一義 | 第5・6代:2004年 - 2005年 | 次代 中馬弘毅 |
| 先代 金子一義 | 第4・5代:2004年 - 2005年 | 次代 廃止 |
| 先代 創設 | 若林正俊→尾辻秀久と共同 2001年 - 2002年 | 次代 谷口隆義 尾辻秀久 |
| 議会 | ||
| 先代 額賀福志郎 | 1997年 - 1998年 | 次代 村井仁 |
| 先代 金子原二郎 | 1994年 - 1995年 | 次代 愛野興一郎 |
| 国務大臣(行政改革担当) | |
|---|---|
| 行政刷新担当大臣 | |
| 国務大臣(行政改革担当) | |