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村上信二郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
村上 信二郎
むらかみ しんじろう
生年月日 (1918-11-27)1918年11月27日
出生地日本の旗日本広島県広島市
没年月日 (1972-08-26)1972年8月26日(53歳没)
出身校東京帝国大学法学部卒業
前職内務官僚
所属政党自由民主党三木派
称号従四位
勲三等旭日中綬章
法学士(東京帝国大学)
親族村上紋四郎(祖父)
村上孝太郎(兄)
村上誠一郎(息子)
岡田克也(娘婿)
選挙区旧愛媛2区
当選回数2回
在任期間1967年1月29日 -1972年8月26日(在職中死去)
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村上 信二郎(むらかみ しんじろう、1918年(大正7年)11月27日 -1972年(昭和47年)8月26日)は、日本の政治家内務通産官僚衆議院議員(2期)を務めた。従四位勲三等

経歴

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1918年(大正7年)、広島県に生まれる。広島県立広島第一中学校を経て東京府立第四中学校へ転校し、その後、第一高等学校を卒業。卒業後は短期現役海軍主計科士官(12期)を志願し[1]1944年(昭和19年)9月、海軍経理学校に入学。1945年に卒業した[1]。同年6月、海軍主計少尉に任官[1]。舞鶴施設本部付兼第101部隊長を務めて終戦を迎え、その後、解員(復員)した[1]

1945年(昭和20年)9月、東京帝国大学法学部を卒業。翌1946年(昭和21年)、内務省に入省。同期には第2次橋本内閣法務大臣を務めた松浦功がいる。1947年(昭和22年)、香川県経済部商工課長。1948年(昭和23年)、高等文官試験の行政科に合格。1949年(昭和24年)、通商産業省に入省。同期には第1次森内閣労働大臣を務めた牧野隆守、通産事務次官を務めた藤原一郎大分県知事を務めた平松守彦、中小企業信用保険公庫総裁を務めた大永勇作、経済企画事務次官を務めた井川博、官房審議官を務めた織田季明、通産省工業検査所所長を務めた小泉孝夫がいる。1950年(昭和25年)、警察予備隊本部長官秘書官1957年(昭和32年)、ジョージタウン大学大学院に留学。1966年(昭和41年)8月、防衛庁長官官房審議官兼内閣総理大臣官房審議官。同年9月、退官。

1967年(昭和42年)、第31回衆議院議員総選挙愛媛2区から出馬し初当選。1969年(昭和44年)、第32回衆議院議員総選挙で再選。1972年(昭和47年)8月26日、衆議院議員在任中に死去。53歳没。同月28日、特旨を以て位記を追賜され、死没日付で従四位勲三等に叙され、旭日中綬章を追贈された[2]追悼演説は同月31日、衆議院本会議で藤田高敏により行われた[3]

家族

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脚注

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  1. ^abcd『海軍主計科士官物語〈短現総覧〉』56、813頁。
  2. ^『官報』第13708号13頁 昭和47年8月31日
  3. ^第70回国会 衆議院 本会議 第4号 昭和47年10月31日 | テキスト表示 | 国会会議録検索システム

参考文献

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  • 『海軍主計科士官物語〈短現総覧〉』浴恩出版会、1968年。
  • 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』(衆議院、1990年)

外部リンク

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↓:途中辞職、失職など、↑:補欠選挙で当選。
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