| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | 栃木県塩谷郡高根沢町 |
| 生年月日 | (1956-09-09)1956年9月9日(69歳) |
| 身長 体重 | 184 cm 75 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 1976年 ドラフト4位 |
| 初出場 | 1978年4月3日 |
| 最終出場 | 1980年10月5日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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村上 之宏(むらかみ ゆきひろ、1956年9月9日 - )は、栃木県塩谷郡高根沢町出身の元プロ野球選手(投手)。
高根沢商業高では2年次の1973年、秋季関東大会県予選で準決勝に進むが、宇都宮学園に0-1で惜敗。
卒業後は1975年に日本通運浦和へ入社し、1976年の都市対抗では東芝府中の補強選手として出場。愛媛相互銀行との2回戦では先発し好投、惜敗するものの各球団に注目される。この時のチームメイトに落合博満がいた。1976年のドラフトで南海ホークスに4位指名されるが、会社の慰留もあったため、ドラフトの交渉権を保留したまま残留。1977年の都市対抗にエースとして出場し、1回戦で先発するが丸善石油に敗退。その後、ドラフト期限内に南海に入団した。
1年目の1978年は開幕から一軍に上がり、カーブとフォークを武器に、先発・中継ぎ・抑えと幅広く起用される。同年は40試合登板で5勝8敗3Sを記録し、新人王に選ばれる[1]。2年目の1979年は6月に故障し、2ヶ月を棒に振るが5勝を挙げる。3年目の1980年は開幕から先発陣の一角として起用されるが結果を残せず、5月には一時戦列を離れる。8月に復活し2完投を含む先発3連勝を記録するが、その後は打ち込まれ7連敗を喫した。1981年にキャンプで肘を故障すると、その後は一軍での登板が無くなり、1982年限りで自由契約。広島の入団テストを受けるも採用されなかった。
引退後は、浦和市の水産会社に務めている[2]。
| 年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1978 | 南海 | 40 | 11 | 4 | 1 | 0 | 5 | 8 | 3 | -- | .385 | 561 | 132.0 | 126 | 9 | 53 | 2 | 5 | 69 | 1 | 0 | 58 | 53 | 3.61 | 1.36 |
| 1979 | 34 | 7 | 1 | 0 | 0 | 5 | 6 | 2 | -- | .455 | 417 | 90.1 | 94 | 13 | 54 | 1 | 7 | 52 | 6 | 0 | 57 | 52 | 5.20 | 1.64 | |
| 1980 | 24 | 20 | 3 | 0 | 0 | 4 | 11 | 0 | -- | .267 | 509 | 103.2 | 116 | 20 | 87 | 0 | 4 | 49 | 5 | 0 | 90 | 85 | 7.36 | 1.96 | |
| 通算:3年 | 98 | 38 | 8 | 1 | 0 | 14 | 25 | 5 | -- | .359 | 1487 | 326.0 | 336 | 42 | 194 | 3 | 16 | 170 | 12 | 0 | 205 | 190 | 5.25 | 1.63 | |
| 1950年代 | |
|---|---|
| 1960年代 | |
| 1970年代 | |
| 1980年代 | |
| 1990年代 | |
| 2000年代 | |
| 2010年代 | |
| 2020年代 | |
| 記述のない年は該当者なし | |