
木曽地域に近世から伝わる民謡で、木曽の材木を河川に流して運ぶ「川流し」をモチーフに、木曽川や周囲の山々と人情を歌い上げている。
歌詞中の「中乗りさん」(なかのりさん)は諸説あるが、材木を筏に組んで木曽川を下り運搬する人たちで、先頭を「舳乗り」(へのり)、後ろを「艫乗り」(とものり)、真ん中を「中乗り」といったというのが一般的である[1]。また、歌詞中に「木曽五木」(江戸時代に尾張藩から伐採が禁止された木曽谷の五木、ヒノキ・アスナロ・コウヤマキ・ネズコ(クロベ)・サワラの五種類の常緑針葉樹林)が歌いこまれている。「木曽の御岳さん」は木曽地域の最高峰(標高3,067メートル)である大きな山容の御嶽山である。
木曽節と木曽踊りはいまでは日本全国に知られているが、これには大正から昭和戦前にかけて福島町(のち木曽福島町を経て現・木曽町)の町長を務めた伊東淳(いとう すなお、1876年 - 1942年)の尽力が大きかったといわれている[2]。伊東は木曽の旧・福島村生まれで、地元自治体吏員から後に福島町長に就任、12年間在職した。観光客誘致・地元振興の手段として早くから木曽節に着目、自ら歌い、踊りも指導して、木曽節と木曽踊りを広く紹介した。『木曽のなかのりさん』(1917年)という冊子も発行、1925年には地元酒蔵・中善酒造店に薦めて酒の銘柄を「中乗さん」と改めさせるなどあらゆるPRに努め、「なかのりさん町長」と呼ばれた。
昭和に入ると、木曽節はラジオやレコード等の新メディアで一般に普及するに至り、全国的な知名度を得た。木曽福島駅前には功績を称えて伊東の銅像が立っている。
民謡なのでさまざまな歌詞があるが、次のものが一般的だといわれている。
木曽のナー 中乗りさん
木曽の御岳(おんたけ)さんは ナンジャラホーイ
夏でも寒い ヨイヨイヨイ
合唱:ハー ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイ
※木曽町木曽踊保存会の歌詞は「木曽の御嶽」で、「さん」はつかない。
袷ょ(あわしょ)ナー 中乗りさん
あわしょやりたや ナンジャラホーイ
足袋もそえて ヨイヨイヨイ
合唱:ハー ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイ
人はナー 中乗りさん
人は見目(みめ)より ナンジャラホーイ
ただ心 ヨイヨイヨイ
合唱:ハー ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイ
心ナー 中乗りさん
心細いよ ナンジャラホーイ
木曽路の旅は ヨイヨイヨイ
合唱:ハー ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイイ
笠にナー 中乗りさん
笠に木の葉が ナンジャラホーイ
舞いかかるよ ヨイヨイヨイ
合唱:ハー ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイ
木曽のナー 中乗りさん
木曽の名木 ナンジャラホーイ
ヒノキにサワラ ヨイヨイヨイ
合唱:ハー ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイ
ネズコにー 中乗りさん
ネズにアスヒに ナンジャラホーイ
コウヤマキ ヨイヨイヨイ
合唱:ハー ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイ
| みんなのうた 木曽節 | |
|---|---|
| 歌手 | ザ・ピーナッツ |
| 作詞者 | 日本民謡 |
| 作曲者 | 同上 |
| 編曲者 | 宮川泰 |
| 映像 | アニメーション |
| 映像制作者 | おとぎプロ |
| 初放送月 | 1963年8月 -9月 |
| 再放送月 | なし |
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NHKの『みんなのうた』で、1963年8月に紹介された。編曲は宮川泰、歌はザ・ピーナッツ、映像は横山隆一主催のアニメプロ「おとぎプロダクション」製作によるアニメだった。
『みんなのうた』での放送後、視聴者からの楽譜の希望が多かった曲の一つである[3]。
| 伊藤エミ (姉) -伊藤ユミ (妹) | |||||||
| シングル | 可愛い花 -南京豆売り -キサス・キサス -情熱の花 -乙女の祈り -モスラの歌 -悲しき16才 -心の窓にともし灯を -マイ・ホーム・タウン -ルナ・ナポリターナ -スター・ダスト -月影のキューバ -スク・スク -ヘロー・メリー・ルー -コーヒー・ルンバ -ふりむかないで -私と私 -ジョニー・エンジェル -レモンのキッス -恋のバカンス -ポカンポカン -東京たそがれ/ウナ・セラ・ディ東京 -ジューン・ブライド -スーヴェニール東京 -ドンナ・ドンナ -明日になれば -ローマの雨 -銀色の道 -東京ブルー・レイン -恋のフーガ -恋のロンド -愛への祈り -ガラスの城 -東京の女 -大阪の女 -リオの女 -サンフランシスコの女 -情熱の砂漠 -さよならは突然に -浮気なあいつ -よこがお | ||||||
| アルバム |
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| 楽曲 |
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| 出演 |
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| 関連人物 | |||||||
| 関連会社 | |||||||