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望月優子

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(2023年3月)
もちづき ゆうこ
望月 優子
望月 優子
『中日新聞』1960年6月19日付朝刊より
本名鈴木 美枝子
すずき みえこ
生年月日 (1917-01-28)1917年1月28日
没年月日 (1977-12-01)1977年12月1日(60歳没)
出生地日本の旗日本神奈川県横浜市
職業女優映画監督
ジャンル映画舞台
活動期間1950年 -1969年
配偶者鈴木重雄(1942 - 1977年)
著名な家族中村雅子(妹)
加藤嘉(義弟)
主な作品
映画
カルメン故郷に帰る
お茶漬の味
晩菊
受賞
ブルーリボン賞
主演女優賞
1957年』、『うなぎとり
助演女優賞
1954年晩菊
その他の賞
毎日映画コンクール
女優主演賞
1953年日本の悲劇[1]
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鈴木 美枝子
すずき みえこ
生年月日 (1917-01-28)1917年1月28日
出生地神奈川県横浜市
没年月日 (1977-12-01)1977年12月1日(60歳没)
出身校東京市立忍岡高等女学校(現東京都立忍岡高等学校)中退
前職女優
所属政党日本社会党
称号正五位
勲三等宝冠章
配偶者鈴木重雄
選挙区全国区
当選回数1
在任期間1971年7月4日 - 1977年7月3日
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望月 優子(もちづき ゆうこ、本名:鈴木 美枝子、旧姓:里見[2]1917年1月28日 -1977年12月1日)は、日本女優映画監督政治家参議院議員(1期、日本社会党)。位階正五位

来歴

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神奈川県横浜市出身。妹は女優の中村雅子。加藤嘉は義弟(妹の夫)。1930年、東京市立忍岡高等女学校(現東京都立忍岡高等学校)を中退。

望月美恵子の芸名でムーランルージュ新宿座などで初舞台を踏む。

1942年川端康成の媒酌で鈴木重雄と結婚。戦後は劇団民藝に参加。

1950年松竹と契約。1958年』での演技が評価されてブルーリボン主演女優賞受賞。三益愛子と並んで「母物映画女優」と呼ばれた。

1959年(昭和34年)8月2日モスクワ国際映画祭に出席のため、ソビエト連邦を訪問。同年8月27日、日本に帰国した。当時はまだ海外渡航自由化の前で、貴重なモスクワ訪問となった。

同年12月14日、在日朝鮮人の帰還事業における最初の帰国船が新潟港を出港した[3]。1960年(昭和35年)、望月は、北朝鮮への帰国事業を題材に、朝鮮総連の支援を得て、教育映画『海を渡る友情』(東映)を監督した。出演は加藤嘉水戸光子西村晃[4]。以後、『おなじ太陽の下で』(1962年)、そして全日本自由労働組合製作の『ここに生きる』(同年)と、計3本の映画を監督した[5]

1960年(昭和35年)10月20日に日比谷公会堂で行われた浅沼稲次郎の日本社会党葬で、草野心平の追悼詩を朗読した[6]

1967年(昭和42年)4月に行われた東京都知事選挙では美濃部亮吉の推薦人に名を連ねた[7]

1971年(昭和46年)6月の第9回参議院議員通常選挙日本社会党公認で全国区から本名の鈴木美枝子で出馬し、初当選[8][9]

1977年(昭和52年)7月の第11回通常選挙では望月優子の名で出馬して落選した[8][10]

落選から約5か月後の1977年12月1日乳癌のため死去、60歳。死没日をもって勲三等宝冠章追贈、正五位に叙される[11]。墓所は多磨霊園(23-1-43-4)。

主な作品

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映画(出演)

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カルメン故郷に帰る』(1951年)
本日休診』(1952年)

映画(監督)

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  • 『海を渡る友情』(1960年)
  • 『おなじ太陽の下で』(1962年)
  • 『ここに生きる』(1962年)

テレビドラマ

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著書

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  • 生きて愛して演技して 平凡社 1957 (人間の記録双書)
  • 生きて生きて生きて 集団形星 1969
  • 美しく生きたい 魂という袋 国土社 1971 (ホームライブラリー)
  • 母として女として 惜しみなき愛の記録 日本文芸社 1972

脚注

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  1. ^毎日映画コンクール 第8回(1953年)”. 毎日新聞社. 2025年10月21日閲覧。
  2. ^望月 優子」『新撰 芸能人物事典 明治~平成 / 新訂 政治家人名事典 明治~昭和』https://kotobank.jp/word/%E6%9C%9B%E6%9C%88%20%E5%84%AA%E5%AD%90コトバンクより2023年5月12日閲覧 
  3. ^中野晃 (2024年12月15日). “65年前に始まった北朝鮮への「帰国事業」を考える 大阪で集会開催”. 朝日新聞. 2025年1月2日閲覧。
  4. ^望月優子と左幸子 女優監督のまなざし”. 日本映画における女性パイオニア. 2025年1月2日閲覧。
  5. ^望月優子”. 日本映画における女性パイオニア. 2023年10月10日閲覧。
  6. ^浅沼追悼出版編集委員会 編『驀進 人間機関車ヌマさんの記録』日本社会党、1961年6月10日、277頁。 
  7. ^アサヒグラフ』1967年4月28日号、朝日新聞社
  8. ^ab『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』336頁。
  9. ^『国政選挙総覧 1947-2016』551頁。
  10. ^『国政選挙総覧 1947-2016』554頁。
  11. ^『官報』第15274号15-16頁 昭和52年12月9日号

参考文献

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  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。

外部リンク

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3年議員
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†:当選無効・失格など、↓:途中辞職・死去など、↑:繰上げ当選または補欠選挙で当選(合併選挙で当選した3年議員を除く)。
ブルーリボン賞 主演女優賞
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2000年代
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