『月魄』(つきしろ)は、1908年(明治41年)に発表された菊池幽芳による日本の小説であり、同作を原作とし、1912年(明治45年)に福宝堂と横田商会、1922年(大正11年)に、松竹蒲田撮影所、1923年(大正12年)に松竹下加茂撮影所、1932年(昭和7年)に新興キネマ、1938年(昭和13年)に大都映画でそれぞれ製作・公開された日本の劇映画である[1]。
小説『月魄』の初出は、菊池幽芳の勤務先が発行する『大阪毎日新聞』、および『東京日日新聞』紙上で、1908年(明治41年)に掲載された。同年、金尾文淵堂から単行本が、『月魄 藤乃の巻』、『月魄 倭文子の巻』に分巻して刊行されている[2]
菊池本人の回想するところによれば、本作の女主人公「倭文子」は、発表当時の日本における「理想の女性像」であるとのことである[3]。
「家庭小説」のジャンルを確立したと言われた[4]『己が罪』(1899年 - 1900年)、『乳姉妹』(1903年)、『毒草』(1917年)、『彼女の運命』(1923年)同様、本作もすぐに映画化された[1]。1938年(昭和13年)の再映画化は、唯一トーキー作品であった[1]。
| 月魄 | |
|---|---|
| 脚本 | 原作菊池幽芳 |
| 製作 | 福宝堂 |
| 配給 | |
| 公開 | |
| 製作国 | |
| 言語 | 日本語 |
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『月魄』(つきしろ)は、1912年(明治45年)製作・公開、福宝堂製作・配給による日本のサイレント映画、女性映画である。監督・脚本、出演者等、不明である。
| 月魄 | |
|---|---|
| 脚本 | 原作菊池幽芳 |
| 製作 | 横田商会 |
| 配給 | |
| 公開 | |
| 製作国 | |
| 言語 | 日本語 |
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『月魄』(つきしろ)は、1912年(明治45年)製作・公開、横田商会製作・配給による日本のサイレント映画、女性映画である。監督・脚本、出演者等、不明である。
| 月魄 | |
|---|---|
| 監督 | 賀古残夢 |
| 脚本 | 伊藤大輔 |
| 原作 | 菊池幽芳 |
| 製作 | 松竹蒲田撮影所 |
| 出演者 | 川田芳子 東栄子 |
| 撮影 | 長井信一 |
| 配給 | |
| 公開 | |
| 製作国 | |
| 言語 | 日本語 |
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『月魄』(つきしろ)は、1922年(大正11年)製作・公開、賀古残夢監督による日本のサイレント映画、女性映画である。
| 幽芳集 月魄 | |
|---|---|
| 監督 | 池田義信 |
| 脚本 | 野村芳亭 |
| 原作 | 菊池幽芳 |
| 製作 | 松竹下加茂撮影所 |
| 出演者 | 川田芳子 高尾光子 |
| 編集 | 長井信一 |
| 配給 | |
| 公開 | |
| 製作国 | |
| 言語 | 日本語 |
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『幽芳集 月魄』(ゆうほうしゅう つきしろ)は、1923年(大正12年)製作・公開、池田義信監督による日本のサイレント映画、女性映画である。オムニバス映画『幽芳集』の1篇として製作され、野村芳亭監督の『幽芳集 己が罪』および『幽芳集 乳姉妹』とともに3本立てで公開された。
| 月魄 | |
|---|---|
| 監督 | 渡辺新太郎 |
| 脚本 | 八尋不二 |
| 原作 | 菊池幽芳 |
| 製作 | 新興キネマ |
| 出演者 | 森静子 高津慶子 |
| 撮影 | 川崎常次郎 |
| 配給 | |
| 公開 | |
| 製作国 | |
| 言語 | 日本語 |
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『月魄』(つきしろ)は、1932年(昭和7年)製作・公開、渡辺新太郎監督による日本のサイレント映画、女性映画である。
| 月魄 | |
|---|---|
| 監督 | 吉村操 |
| 脚本 | 大井利与 |
| 原作 | 菊池幽芳 |
| 製作 | 大都映画 |
| 出演者 | 琴糸路 松風千枝子 |
| 撮影 | 広川朝次郎 |
| 配給 | |
| 公開 | |
| 製作国 | |
| 言語 | 日本語 |
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『月魄』(つきしろ)は、1938年(昭和13年)製作・公開、吉村操監督による日本のトーキー、女性映画である。