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曽禰達蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曽禰達蔵
日本建築学会発行「建築雑誌1938年2月号」より
生誕1853年1月3日
江戸
死没1937年12月6日
国籍日本の旗日本
出身校工部大学校
職業建築家
所属三菱合資会社
曾禰中條建築事務所
建築物慶應義塾図書館旧館
旧鹿児島県庁舎本館(現・県政記念館)
日本郵船神戸支店
曽禰達蔵

曽禰 達蔵(そね たつぞう、旧字体曾禰 達󠄁藏1853年1月3日嘉永5年11月24日〉 -1937年昭和12年〉12月6日)は日本建築家。正五位。

同郷の辰野金吾とともにジョサイア・コンドルに学んだ日本人建築家の第1期生。「一丁ロンドン」と呼ばれた丸の内の三菱系貸事務所建築群の設計に関わった。のち後輩の中條精一郎1868年 -1936年)とともに設計事務所を開設し、慶應義塾図書館鹿児島県庁舎本館、明治屋京橋ビルなどを設計した。日本造家学会(現日本建築学会)創立委員・会長。

経歴

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主な作品

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建造物名所在地状態指定備考1
みつひしいちこうかん/三菱一号館1894年13東京都千代田区現存しない設計:ジョサイア・コンドル。曽禰は現場主任として関与。
みつひしにこうかん/三菱二号館1895年13東京都千代田区現存しない共同設計:ジョサイア・コンドル
みつひしさんこうかん/三菱三号館1896年13東京都千代田区現存しない共同設計:ジョサイア・コンドル
きゆうみつひしきんこうこうへし/旧三菱銀行神戸支店1900年28兵庫県神戸市現存しない別名・ファミリアホール
みつひしよんこうかん/三菱四・六・七号館1904年13東京都千代田区現存しない
なかさきそうせんしよせんしようかく/長崎造船所占勝閣1904年42長崎県長崎市世界遺産明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成遺産
みつひしここうかん/三菱五号館1905年13東京都千代田区現存しない
きゆうとうきようそうここうへし/旧東京倉庫神戸支店兵庫出張所1906年28兵庫県神戸市
けいおうたいかくとしよかん/慶應義塾図書館1912年13東京都港区重要文化財現在は斯道文庫や福澤諭吉記念慶應義塾史展示館などが入る
とうきようかいしようひるていんくきゆう/東京海上ビルディング旧館1918年13東京都千代田区現存しない
きゆうにほんゆうせんこうへ/旧日本郵船神戸支店1918年28兵庫県神戸市現・神戸メリケンビル
につせきひるてい/日石ビルディング1922年13東京都千代田区現存しない旧・有楽館
ゆうせんひるていんく/郵船ビルヂング1923年13東京都千代田区現存しない
めいしやひる/明治屋ビル1924年27大阪市中央区
きゆうかこしまけんちようしや/旧鹿児島県庁舎本館1925年46鹿児島県鹿児島市登録有形文化財現・県政記念館
おかさわらはくしやくてい/小笠原伯爵邸1927年13東京都新宿区東京都選定歴史的建造物
きゆうみついきんこうおたる/旧三井銀行小樽支店1927年01北海道小樽市重要文化財
けいおうきしゆくたいかくひよういん/慶應義塾大学医学部予防医学教室1929年13東京都新宿区
とうきようかいしようひるていんくしん/東京海上ビルディング新館1930年13東京都千代田区現存しない
めいしやひるていんく/明治屋京橋ビル1933年13東京都中央区中央区指定有形文化財
こうたんしやひる/講談社ビル1933年13東京都文京区
けいおうきしゆくたいかくひよしきや/慶應義塾大学日吉キャンパス1934年14神奈川県横浜市港北区
いわさきけあたみへつてい/岩崎家熱海別邸1935年22静岡県熱海市
みついすみともきんこうおおさかちゆうおうし/三井住友銀行大阪中央支店1936年27大阪市中央区
けいおうきしゆくようちしや/慶應義塾幼稚舎1936年13東京都港区共同設計:谷口吉郎
きゆうたなかみつあきへつてい/田中光顕別邸1937年14神奈川県小田原市登録有形文化財現・小田原文学館本館
  • 旧三菱銀行神戸支店(1900年竣工)
    旧三菱銀行神戸支店(1900年竣工)
  • 長崎造船所 占勝閣(1904年竣工)
    長崎造船所 占勝閣(1904年竣工)
  • 慶應義塾図書館旧館(1912年竣工)
    慶應義塾図書館旧館(1912年竣工)
  • 旧鹿児島県庁舎(1925年竣工)
    旧鹿児島県庁舎(1925年竣工)
  • 慶應義塾大学医学部予防医学教室(1929年竣工)
    慶應義塾大学医学部予防医学教室(1929年竣工)
  • 三井住友銀行大阪中央支店(1936年竣工)
    三井住友銀行大阪中央支店(1936年竣工)

系譜

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その他

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  • 唐津藩主小笠原家の嗣子・長行小姓を勤めており、戊辰戦争の際は共に会津に向かうが、長行の命で唐津へ帰っている(設計作品の小笠原伯爵邸の当主は小倉藩主の方)。
  • 海軍から三菱に移ったのは海外視察をしたかったためだという。三菱入社後、1893年にシカゴ博覧会等のため渡米、1901年には岩崎久弥に随行しロンドンへ出張した。

著作・文献

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  • 石田潤一郎著、増田彰久写真『日本の建築 明治大正昭和7 ブルジョワジーの装飾』(三省堂、1980年)

脚注

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  1. ^北原糸子 編、松浦律子 編、木村玲欧 編『日本歴史災害事典』吉川弘文社、2012年6月11日、374頁。ISBN 9784642014687 
  2. ^笠潤平「曽禰武-忘れられた実験物理学者勝木 渥著DWELL◎積文堂314頁定価(2500円+税)」『物理教育』第56巻第2号、日本物理教育学会、2008年、149頁、doi:10.20653/pesj.56.2_149ISSN 0385-6992NAID 110007491493 
  3. ^久保田政周 (男性)『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
  4. ^山川端夫 (男性)『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]

関連項目

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外部リンク

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日本建築学会会長 (第6代:1918年 - 1921年)
造家学会
建築学会
日本建築学会
社団法人日本建築学会
一般社団法人日本建築学会
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