
人口11,380人、面積100.64km²、人口密度113人/km²。(2025年11月1日、推計人口)
以下の1町を含む。
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。
1897年(明治30年)に再度発足した当時の郡域は、上記1町に下記を加えた区域にあたる。
当初は「囎唹郡」と記され、昭和47年(1972年)に「郡の名称変更」(昭和47年自治省告示第82号)により改称されるまでこの表記であった。なお、古くは口偏のない「贈於郡」の表記も用いられた[注 1]。
また、『筑前国風土記』では当時隣接した肥後国球磨郡との連称表記「球磨囎唹」がみられ、これを熊襲と同定する説もある[1]。
和銅6年(713年)に日向国から大隅国が分割された時点で存在した4郡(肝属郡・囎唹郡・大隅郡・姶羅郡)の一つである。
当初の囎唹郡は大隅国の北半を占め、現在の姶良市や湧水町、伊佐市南部にわたる郡域を有した。大隅国成立後間もない和銅7年(714年)に桑原郡が、次いで天平勝宝7年(755年)に浮浪の請願により菱刈郡が、それぞれ囎唹郡より分割されている[2]。
南北朝時代に編纂された『拾芥抄』および江戸時代に流通した『節用集』(易林本)によれば、大隅国の国府は囎唹郡(贈於郡)に位置したとされる[2]。一方で平安時代に成立した『色葉字類抄』では桑原郡が国府所在地であるとしており、郡域の変動があったとみられている[2]。

| 明治22年 | 明治22年 - 明治45年 | 大正元年 - 昭和20年 | 昭和21年 - 昭和63年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 東囎唹郡 市成村 | 東囎唹郡 市成村 | 明治30年4月1日 囎唹郡 | 市成村 | 昭和31年4月1日 輝北町 | 輝北町 | 昭和47年4月1日 曽於郡 | 平成18年1月1日 鹿屋市 | 鹿屋市 |
| 東囎唹郡 財部村 | 東囎唹郡 財部村 | 大正15年4月1日 財部町 | 財部町 | 平成17年7月1日 曽於市 | 曽於市 | |||
| 東囎唹郡 末吉村 | 東囎唹郡 末吉村 | 大正11年10月1日 末吉町 | 末吉町 | |||||
| 東囎唹郡 岩川村 | 東囎唹郡 岩川村 | 大正13年4月1日 岩川町 | 昭和30年1月20日 大隅町 | 大隅町 | ||||
| 東囎唹郡 恒吉村 | 東囎唹郡 恒吉村 | 恒吉村 | ||||||
| 南諸県郡 志布志村 | 南諸県郡 月野村 | 月野村 | ||||||
| 南諸県郡 東志布志村 | 大正2年7月1日 志布志町 | 志布志町 | 平成18年1月1日 志布志市 | 志布志市 | ||||
| 南諸県郡 西志布志村 | 西志布志村 | 西志布志村 | 昭和33年4月1日 有明町 | |||||
| 南諸県郡 松山村 | 南諸県郡 松山村 | 松山村 | 昭和33年4月1日 松山町 | 松山町 | ||||
| 南諸県郡 大崎村 | 南諸県郡 野方村 | 野方村 | 昭和30年4月1日 西志布志村へ編入 | 昭和33年4月1日 有明町 | ||||
| 昭和30年4月1日 大隅町へ編入 | 大隅町 | 平成17年7月1日 曽於市 | 曽於市 | |||||
| 昭和30年4月1日 大崎町へ編入 | 大崎町 | 大崎町 | 大崎町 | |||||
| 南諸県郡 大崎村 | 昭和11年1月1日 大崎町 | 大崎町 | ||||||
| 先代 - 東囎唹郡・菱刈郡 | 郡の変遷 -1887年 1897年 - | 次代 東囎唹郡・西囎唹郡 (現存) |