| 時任 為基 ときとう ためもと | |
|---|---|
| 生年月日 | 1842年6月14日 |
| 出生地 | (現・鹿児島県鹿児島市) |
| 没年月日 | (1905-09-01)1905年9月1日(63歳没) |
| 前職 | 開拓大書記官 |
| 称号 | 正三位 勲三等旭日中綬章 |
| 在任期間 | 1898年8月 - 1905年9月1日 |
| 在任期間 | 1887年5月18日 -1888年2月29日 |
| 在任期間 | 1898年6月3日 - 1898年7月28日 |
| 在任期間 | 1897年11月13日 - 1898年6月3日 |
| 在任期間 | 1892年8月20日 - 1897年11月13日 |
その他の職歴 | |
(1889年6月8日 - 1892年8月20日) | |
(1888年2月29日 - 1889年6月8日) | |
(1887年1月4日 - 1887年5月18日) | |
| 函館県令 (1882年2月8日 -1886年1月26日) | |
| テンプレートを表示 | |
時任 為基(ときとう ためもと、天保13年5月6日(1842年6月14日)[1][注釈 1] -明治38年(1905年)9月1日)は、日本の内務官僚、政治家。府県知事、元老院議官、貴族院議員。通称・静吉[2]。
薩摩藩士・時任為徳の長男として薩摩国鹿児島郡鹿児島城下新屋敷通町で生まれる。明治4年8月(1871年)、新政府に出仕し東京府典事に就任。
明治5年7月(1872年)、開拓使八等出仕となる。1875年9月、千島樺太交換条約締結に際し理事官としてサンクトペテルブルクへ出張した。その後、札幌本庁民事局長、開拓大書記官、函館県令、北海共同競馬会社会長、函館支庁長などを歴任。
1887年1月、宮崎県知事に就任[3]。同年5月、元老院議官に転じた。1888年2月、高知県知事となる。以後、静岡県・愛知県・大阪府・宮城県[4]の各知事を歴任。1898年8月、貴族院勅選議員に任じられ、死去するまで在任した。1899年8月14日、錦鶏間祗候に任じられた[5]。墓所は品川区の東海寺大山墓地。