Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


コンテンツにスキップ
Wikipedia
検索

昭聖王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
昭聖王 金俊邕
新羅
第39代国王
王朝新羅
在位期間799年 -800年
諡号昭聖大王
生年?
没年貞元16年(800年)6月
恵忠大王
聖穆太后
テンプレートを表示
昭聖王
各種表記
ハングル소성왕
漢字昭聖王
発音ソソンワン
日本語読み:しょうせいおう
ローマ字Soseong Wang
テンプレートを表示

昭聖王(しょうせいおう、生年不詳 -800年)は、新羅の第39代の王(在位:799年 - 800年)であり、姓は金、は俊邕(しゅんよう)。父は第38代元聖王の元太子であった金仁謙(夭逝して恵忠太子とされ、昭聖王の即位後に恵忠大王と追封)、母は角干(1等官)の金神述の娘の淑貞夫人(聖穆太后と追封)。王妃は大阿飡(5等官)の金叔明の娘の桂花夫人[1]。『三国史記』新羅本紀・昭聖王紀の分注には昭成王という表記も見られる。

即位まで

[編集]

三国史記』新羅本紀においても、元聖王紀と昭聖王紀とでは昭聖王の即位前の略歴について異なった事情を伝えており、系統の異なる史料が存在したものと見られている[2]

元聖王紀の記述
元聖王7年(791年)10月に、大阿飡の位から侍中となり、8年(792年)8月に病気のために侍中から退官。11年(795年)1月に、太子に立てられた。
昭聖王紀(即位紀)の記述
元聖王7年(791年)に父の金仁謙が死去し、宮中で養われるようになった。5年(789年)にはに使者として派遣され、大阿飡の位を受けた。6年(790年)には波珍飡(4等官)となり、宰相(上大等か?)となった。7年(791年)に侍中となり、8年(792年)には兵部の令(長官)になった。11年(795年)に太子となり、14年12月29日799年2月8日)に元聖王の死去すると新年を迎えて王位を継いだ。

治世

[編集]

799年3月に、官僚養成機関である国学の学生のための禄邑として、菁州老居県(慶尚南道巨済市長承浦邑)をあてがった。これは、新羅の下代(宣徳王以降)の特色である律令制度と貴族連合体制の制度とを融合したものの現れと見られている[3]

在位2年にして800年6月に死去し、昭聖とされた。王陵については未詳。唐の徳宗からは<開府儀同三司・検校太尉・新羅王>に冊封されるところであったが、冊命使が新羅入りする前に昭聖王が死去したため、冊命使は引き上げたという[4]

脚注

[編集]
  1. ^三国遺事』王暦では、王妃は夙明公の娘の桂花王后とする。叔明と夙明とは同音(숙명)。
  2. ^井上訳注1980 p.352 注20
  3. ^井上訳注1980 p.352 注21
  4. ^『旧唐書』211・新羅伝「貞元十六年(800年)、授俊邕開府儀同三司、檢校太尉、新羅王。令司封郎中、兼御史中丞韋丹持節冊命。丹至鄆州、聞俊邕卒、其子重興立、詔丹還。」

関連項目

[編集]

参考文献

[編集]
新羅(第39代:799年 -800年
  • 数字は歴代、( ) 内は在位。「居西干」「次次雄」「尼師今」「麻立干」はいずれも新羅独自の「王」号。
  • 赤字は女王。
上代

1.赫居世居西干(前57-4) / 2.南解次次雄(4-24) / 3.儒理尼師今(24-57) / 4.脱解尼師今(57-80) / 5.婆娑尼師今(80-112) / 6.祇摩尼師今(112-134) / 7.逸聖尼師今(134-154) / 8.阿達羅尼師今(154-184) / 9.伐休尼師今(184-196) / 10.奈解尼師今(196-230) / 11.助賁尼師今(230-247) / 12.沾解尼師今(247-261) / 13.味鄒尼師今(262-284) / 14.儒礼尼師今(284-298) / 15.基臨尼師今(298-310) / 16.訖解尼師今(310-356) / 17.奈勿尼師今(356-402) / 18.実聖尼師今(402-417) / 19.訥祇麻立干(417-458) / 20.慈悲麻立干(458-479) / 21.知麻立干(479-500) / 22.智証麻立干(500-514) / 23.法興王(514-540) / 24.真興王(540-576) / 25.真智王(576-579) / 26.真平王(579-632) / 27.善徳王(632-647) / 28.真徳王(647-654)

中代

29.武烈王(654-661) / 30.文武王(661-681) / 31.神文王(681-692) / 32.孝昭王(692-702) / 33.聖徳王(702-737) / 34.孝成王(737-742) / 35.景徳王(742-765)

下代

36.恵恭王(765-780) / 37.宣徳王(780-785) / 38.元聖王(785-799) / 39.昭聖王(799-800) / 40.哀荘王(800-809) / 41.憲徳王(809-826) / 42.興徳王(826-836) / 43.僖康王(836-838) / 44.閔哀王(838-839) / 45.神武王(839) / 46.文聖王(839-857) / 47.憲安王(857-861) / 48.景文王(861-875) / 49.憲康王(875-886) / 50.定康王(886-887) / 51.真聖王(887-897) / 52.孝恭王(897-912) / 53.神徳王(912-917) / 54.景明王(917-924) / 55.景哀王(924-927) / 56.敬順王(927-935)

カテゴリカテゴリ
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=昭聖王&oldid=100996199」から取得
カテゴリ:
隠しカテゴリ:

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp