Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


コンテンツにスキップ
Wikipedia
検索

早川三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曖昧さ回避この項目では、官僚について記述しています。経営者の同名の人物については「早川三郎 (実業家)」をご覧ください。
この記事には参考文献外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注によって参照されておらず、情報源が不明瞭です 脚注を導入して、記事の信頼性向上にご協力ください。2020年5月
この記事で示されている出典について、該当する記述が具体的にその文献の何ページあるいはどの章節にあるのか、特定が求められています ご存知の方は加筆をお願いします。2020年5月
早川三郎

早川 三郎(はやかわ さぶろう、1888年 <明治21年>4月8日 -1973年 <昭和48年>4月19日)は、日本の内務官僚政治家県知事警視総監位階正四位

経歴

[編集]

神奈川県出身。地主・早川耕造の三男として生まれる。東京府立三中第六高等学校を経て、1915年5月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。1914年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1915年8月、内務省に入り宮崎県属となる。

1916年9月、宮崎県警視を兼務。以後、宮崎県東諸県郡長、同県理事官埼玉県理事官、同県地方課長、同県視学官香川県書記官警察部長、岡山県書記官・警察部長、広島県書記官・警察部長などを歴任。1928年7月、内務事務官・警務官となる。さらに、警保局警務課長、奈良県書記官・内務部長などを務めた。

1931年12月、佐賀県知事に就任。以後、三重県鹿児島県広島県の各知事を歴任。1937年1月、警視総監に就任したが、約一ヶ月で辞任した。その後、中華民国新民会中央指導部次長、帝都高速度交通営団理事東京市会議員東京都議会議員、日本放送協会専務理事などを歴任。

1946年1月、愛知県知事に就任し、同年7月まで在任。同年8月から1951年8月まで公職追放となった。1973年死去。死没日付をもって従四位から正四位に進階した[1]

脚注

[編集]
[脚注の使い方]
  1. ^昭和48年 1973年5月17日付 官報 本紙 第13915号 21頁

参考文献

[編集]
佐賀県の旗佐賀県知事(官選第29代:1931-1933)
官選
伊万里県
第一次佐賀県
第二次佐賀県
公選
カテゴリカテゴリ
三重県の旗三重県知事(官選第29代:1933-1935)
官選
県令
知事
公選
カテゴリカテゴリ
鹿児島県の旗鹿児島県知事(官選第21代:1935-1936)
官選
県令
知事
公選
カテゴリカテゴリ
広島県の旗広島県知事(官選第28代:1936-1937)
官選
参事
県令
知事
公選
カテゴリカテゴリ
警視総監 (第41代:1937)
大警視
警視総監
現・警察法
施行前
現・警察法
施行以後
カテゴリカテゴリ
愛知県の旗愛知県知事(官選第37代:1946)
官選
県令
知事
公選
カテゴリカテゴリ
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=早川三郎&oldid=106598423」から取得
カテゴリ:
隠しカテゴリ:

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp