鮎川駅に停車中の2000形(左)と3000形(右) | |||
| 概要 | |||
| 現況 | 廃止 | ||
| 起終点 | 起点:大甕駅 終点:常北太田駅、鮎川駅 | ||
| 駅数 | 14駅 | ||
| 運営 | |||
| 開業 | 1928年12月27日 (96年前) (1928-12-27) | ||
| 廃止 | 2005年4月1日 (2005-4-1) | ||
| 所有者 | 日立電鉄 | ||
| 使用車両 | 使用車両の節を参照 | ||
| 路線諸元 | |||
| 路線総延長 | 18.1 km (11.2 mi) | ||
| 軌間 | 1,067 mm (3 ft 6 in) | ||
| 最小曲線半径 | 160m[1] | ||
| 電化 | 直流600V架空電車線方式 | ||
| 運行速度 | 最高60 km/h (37 mph)[1] | ||
| 最急勾配 | 30.0‰[1] | ||
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| テンプレートを表示 | |||
| 停車場・施設・接続路線 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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日立電鉄線(ひたちでんてつせん)は、茨城県常陸太田市の常北太田駅と日立市の鮎川駅とを結んでいた日立電鉄の鉄道路線である。
『鉄道要覧』には大甕駅 - 常北太田駅間と大甕駅 - 鮎川駅間の2路線に分けて記載されていたが、事実上1本の路線だった。なお、路線名はどちらも日立電鉄線だった[2]。
2004年2月1日、橋梁などの設備更新の経費がかさむことなどを理由に2005年3月31日限りでの廃止が表明され、2005年4月1日をもって廃線となった。最終運転日は前日の3月31日。廃線後は日立電鉄傘下の日立電鉄交通サービス(後に茨城交通と合併)により、バスによる代替路線の新設・既存路線の増発が行われている。
常陸太田市と日立市との都市間輸送を担っていた。全日制の高等学校が常陸太田市内に3校・日立市内に8校あり(いずれも路線廃止当時)、県立高校の学区も同じ学区同士だった両市間での通学需要が大きかった。
途中駅のほとんどは周辺が農地で人家が少なく、常北太田駅と大甕駅の両駅の利用が目立っていた。日立港の最寄で駅周辺が密集した市街地である久慈浜駅 - 大甕駅間の1駅間だけの利用も多かった。
路線の廃止が発表された際には地元高校生らが路線存続を訴え、ニュースなどで話題となった。
常磐線と太平洋に挟まれる形で走行し、常磐線とは200 - 800 mほどの距離を置きながら並走していた。沿線は日立市の密集した市街地で、日立製作所およびその関連企業の工場が多く点在しており、太平洋に至近であることから海水浴場も多い。
沿線人口は多いものの、終点の鮎川駅は日立駅の3 km手前にあり、商業施設が集積する日立駅周辺へのアクセス利用には向いていなかった。その利便性の低さが、日立電鉄線の利用者が伸びない一因でもあった。
日中は1時間に2本ほどの本数。大甕駅で常磐線に接続するダイヤのため、20 - 40分の不定な間隔だった。そのため駅によっては、1時間に1本という時間帯があった。朝ラッシュ時はおおむね15分間隔で、1時間に4本ほど運行されていた。
常北太田駅 - 鮎川駅間の全区間を走行する列車を基本とし、早朝・深夜を中心に区間列車が設定されていた。
以下のデータは2001年6月のものであり、2004年3月12日まではダイヤ改正のたびに、列車本数が若干増減している。
大甕駅 - 常北太田駅間の終電は22時半、大甕発鮎川行きが22時20分過ぎで、折り返し40分過ぎ発が終電だった。土曜・休日は終電が早かった。
日中の運転間隔を60分間隔とする大幅な減便が実施され、同時に日立電鉄線の廃止も発表された時期である。
大甕発の終電は繰り上がり、両方向とも22時過ぎ、折り返し鮎川発20分過ぎが終電であった。
ラッシュ時などに例外があったが2002年12月1日からは列車は2両編成に固定されている。かつてはラッシュ時に4両編成や、逆に日中閑散時には1両編成での運用があった。
全列車がワンマン運転を行っていた。駅員配置時間を除くと先頭車両後ろ乗り前降りで、後ろ側の車両の扉と先頭車両の中央の扉は無人駅や駅員配置時間以外の時間には開かない。終日駅員配置は大甕駅と常北太田駅のみであった。
日立電鉄線の近年の輸送実績を下表に記す。廃止直前の年間輸送実績が約140万人。1キロあたりの1日の平均乗車人員を表す輸送密度では最終年度の2004年度が1303人/日だった。全国的な鉄道廃止実績からみると、路線延長20 km程度で、140万人またはこれ以下の輸送実績で現在でも運営されている中小私鉄は多数存在しており、比較的高い輸送実績レベルでの廃止となった。表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
日立電鉄線は沿線に工場が多く立地していたことや、当時は日立市内の道路事情が悪かったため、ローカル私鉄にしては通勤定期の比率が高かった。バブル崩壊後に日立製作所やその関連会社が工場閉鎖など大掛かりな合理化を実施したため、モータリゼーションも加わって沿線人口や通勤利用者の著しい減少につながり、廃止の一因になった[要出典]。下記統計でも1995年以降の10年で半減以下に落ち込んだ利用者急減ぶりが読み取れる。
| 年 度 | 輸送実績(乗車人員):万人/年度 | 輸送密度 人/1日 | 特 記 事 項 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 通勤定期 | 通学定期 | 定 期 外 | 合 計 | |||
| 1961年(昭和36年) | 717 | 旅客輸送実績最高値を記録 | ||||
| 1975年(昭和50年) | 225.6 | 69.4 | 111.8 | 406.8 | 3,351 | |
| 1976年(昭和51年) | 216.4 | 70.8 | 110.8 | 398.0 | 3,230 | |
| 1977年(昭和52年) | 218.1 | 73.9 | 111.0 | 403.1 | 3,197 | |
| 1978年(昭和53年) | 222.0 | 76.2 | 109.3 | 407.5 | 3,215 | |
| 1979年(昭和54年) | 232.4 | 76.7 | 106.3 | 415.4 | 3,292 | |
| 1980年(昭和55年) | 233.2 | 81.3 | 104.0 | 418.7 | 3,356 | |
| 1981年(昭和56年) | 234.4 | 82.5 | 99.4 | 416.5 | 3,298 | |
| 1982年(昭和57年) | 232.1 | 79.9 | 100.2 | 412.2 | 3,232 | |
| 1983年(昭和58年) | 231.7 | 79.4 | 99.9 | 410.9 | 3,209 | |
| 1984年(昭和59年) | 225.7 | 81.6 | 95.9 | 403.2 | 3,164 | |
| 1985年(昭和60年) | 216.6 | 83.5 | 92.8 | 392.9 | 3,063 | |
| 1986年(昭和61年) | 206.3 | 80.9 | 87.1 | 374.3 | 2,913 | |
| 1987年(昭和62年) | 210.7 | 80.9 | 84.9 | 376.5 | 2,939 | |
| 1988年(昭和63年) | 210.8 | 81.8 | 86.2 | 378.8 | 2,929 | |
| 1989年(平成元年) | 211.1 | 80.3 | 88.3 | 379.7 | 2,995 | |
| 1990年(平成2年) | 222.1 | 79.1 | 86.4 | 387.6 | 3,082 | |
| 1991年(平成3年) | 230.2 | 78.1 | 88.0 | 396.3 | 3,105 | |
| 1992年(平成4年) | 229.2 | 75.4 | 91.1 | 395.7 | 3,073 | |
| 1993年(平成5年) | 224.0 | 75.2 | 89.5 | 388.7 | 3,073 | |
| 1994年(平成6年) | 216.9 | 76.3 | 86.9 | 380.1 | 3,085 | |
| 1995年(平成7年) | 189.9 | 75.7 | 83.6 | 349.2 | 2,876 | |
| 1996年(平成8年) | 169.0 | 70.9 | 82.0 | 321.9 | 2,656 | 全列車ワンマン運転化 |
| 1997年(平成9年) | 149.5 | 64.6 | 77.7 | 291.8 | 2,399 | |
| 1998年(平成10年) | 141.3 | 59.8 | 73.5 | 274.6 | 2,271 | |
| 1999年(平成11年) | 117.0 | 54.0 | 69.6 | 240.6 | 2,009 | |
| 2000年(平成12年) | 102.3 | 50.8 | 67.3 | 220.4 | 1,853 | |
| 2001年(平成13年) | 89.1 | 49.4 | 65.0 | 203.5 | 1,710 | |
| 2002年(平成14年) | 65.7 | 46.8 | 64.6 | 177.1 | 1,516 | |
| 2003年(平成15年) | 55.3 | 45.4 | 60.8 | 161.5 | 1,406 | |
| 2004年(平成16年) | 44.2 | 38.0 | 57.2 | 139.4 | 1,303 | |
| 2005年(平成17年) | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0 | 全線廃止 |
日立電鉄線の近年の収入実績を下表に記す。旅客運賃収入は1993年(平成5年)以降減少した。表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
| 年 度 | 旅客運賃収入:千円/年度 | 運輸雑収 千円/年度 | 総合計 千円/年度 | ||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 通勤定期 | 通学定期 | 定 期 外 | 手小荷物 | 合 計 | |||
| 1975年(昭和50年) | 171,101 | ←←←← | 85,573 | 373 | 257,047 | 5,615 | 262,662 |
| 1976年(昭和51年) | 208,178 | ←←←← | 102,672 | 479 | 311,329 | 6,458 | 317,787 |
| 1977年(昭和52年) | 215,044 | ←←←← | 104,240 | 624 | 319,908 | 7,209 | 327,147 |
| 1978年(昭和53年) | 241,834 | ←←←← | 117,898 | 480 | 360,212 | 7,659 | 367,873 |
| 1979年(昭和54年) | 254,028 | ←←←← | 115,629 | 430 | 370,088 | 7,530 | 377,619 |
| 1980年(昭和55年) | 272,092 | ←←←← | 123,220 | 381 | 395,693 | 7,741 | 403,435 |
| 1981年(昭和56年) | 303,697 | ←←←← | 127,801 | 273 | 431,771 | 10,058 | 441,832 |
| 1982年(昭和57年) | 314,698 | ←←←← | 134,446 | 264 | 449,408 | 15,366 | 464,774 |
| 1983年(昭和58年) | 329,487 | ←←←← | 144,546 | 166 | 474,199 | 11,015 | 485,214 |
| 1984年(昭和59年) | 328,521 | ←←←← | 143,815 | 65 | 472,401 | 11,176 | 483,577 |
| 1985年(昭和60年) | 343,113 | ←←←← | 145,728 | 1 | 488,842 | 10,044 | 498,886 |
| 1986年(昭和61年) | 336,181 | ←←←← | 142,498 | 0 | 478,679 | 16,544 | 495,223 |
| 1987年(昭和62年) | 292,033 | 66,767 | 148,627 | 0 | 507,427 | 11,205 | 518,632 |
| 1988年(昭和63年) | 293,444 | 66,750 | 148,038 | 0 | 508,232 | 12,300 | 520,532 |
| 1989年(平成元年) | 302,074 | 74,715 | 158,655 | 0 | 535,444 | 12,401 | 547,845 |
| 1990年(平成2年) | 317,064 | 76,159 | 158,756 | 0 | 551,979 | 12,624 | 564,603 |
| 1991年(平成3年) | 321,389 | 75,100 | 165,586 | 0 | 562,075 | 12,421 | 574,496 |
| 1992年(平成4年) | 321,505 | 72,114 | 177,373 | 0 | 570,992 | 12,213 | 583,205 |
| 1993年(平成5年) | 325,770 | 85,584 | 186,585 | 0 | 597,939 | 14,545 | 612,484 |
| 1994年(平成6年) | 316,193 | 92,232 | 182,741 | 0 | 591,166 | 12,104 | 603,270 |
| 1995年(平成7年) | 275,162 | 95,200 | 178,096 | 0 | 548,458 | 14,148 | 562,606 |
| 1996年(平成8年) | 242,034 | 90,285 | 174,872 | 0 | 507,191 | 12,617 | 519,808 |
| 1997年(平成9年) | 222,214 | 85,266 | 178,855 | 0 | 486,365 | 17,104 | 503,469 |
| 1998年(平成10年) | 211,622 | 81,980 | 177,718 | 0 | 471,320 | 24,103 | 495,423 |
| 1999年(平成11年) | 176,042 | 75,673 | 168,058 | 0 | 419,773 | 23,186 | 442,959 |
| 2000年(平成12年) | 153,415 | 71,655 | 164,803 | 0 | 389,873 | 41,966 | 431,839 |
| 2001年(平成13年) | 134,335 | 68,604 | 158,064 | 0 | 361,003 | 38,338 | 399,341 |
| 2002年(平成14年) | 101,027 | 65,584 | 159,271 | 0 | 325,882 | 29,452 | 355,334 |
| 2003年(平成15年) | 87,032 | 64,648 | 144,246 | 0 | 295,926 | 26,188 | 322,114 |
| 2004年(平成16年) | 72,878 | 55,802 | 146,842 | 0 | 275,522 | 41,388 | 316,910 |
| 2005年(平成17年) | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| 年度 | 輸送人員(人) | 貨物量(トン) | 営業収入(円) | 営業費(円) | 営業益金(円) | その他益金(円) | その他損金(円) | 支払利子(円) | 政府補助金(円) |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1929 | 235,782 | 4,005 | 35,155 | 33,337 | 1,818 | 自動車業2,422 | 償却金3,253 | ||
| 1930 | 333,113 | 11,741 | 59,189 | 101,240 | ▲ 42,051 | 自動車業12,258 | 雑損償却金2,337 | 32,150 | |
| 1931 | 288,733 | 9,673 | 48,338 | 49,641 | ▲ 1,303 | 自動車業4,446 | 雑損25 | 11,994 | 17,106 |
| 1932 | 255,867 | 9,763 | 39,615 | 42,163 | ▲ 2,548 | 雑損償却金11,349 自動車業1,310 | 18,123 | 32,458 | |
| 1933 | 268,401 | 10,214 | 37,135 | 39,100 | ▲ 1,965 | 雑損償却金18,858 自動車9,644 | 14,163 | 44,272 | |
| 1934 | 282,322 | 12,226 | 40,193 | 39,120 | 1,073 | 自動車業15,560 | 雑損償却金56,438 | 18,008 | 57,813 |
| 1935 | 375,446 | 13,497 | 40,836 | 45,071 | ▲ 4,235 | 自動車業13,220 債務免除金48,520 減資差益金220,000 | 雑損償却金205,536 | 26,646 | 58,910 |
| 1936 | 465,921 | 13,147 | 43,484 | 43,897 | ▲ 413 | 自動車業5,793 | 雑損償却金34,812 | 23,522 | 59,849 |
| 1937 | 571,012 | 21,308 | 56,772 | 52,757 | 4,015 | 不用土地売却金18,310 | 雑損償却金52,325 | 19,161 | 53,421 |
| 1939 | 1,004,145 | 23,147 | |||||||
| 1941 | 1,750,734 | 37,060 | |||||||
| 1943 | 2,508,935 | 29,397 | |||||||
| 1945 | 4,657,454 | 35,301 |
日立電鉄は1991年から1997年にかけて廃車となった車両の多くを農家や運送会社などの民間に譲渡した。2025年現在でも旧日立電鉄線沿線を中心に残っているが、その多くは車体の劣化が激しいためいつ撤去されてもおかしくない状態のものが多い。
| 駅名 | 駅間キロ | 営業キロ | 接続路線 | 線路 | 所在地 |
|---|---|---|---|---|---|
| 常北太田駅 | - | 0.0 | 東日本旅客鉄道:水郡線(常陸太田駅) | ◇ | 常陸太田市 |
| 小沢駅 | 1.5 | 1.5 | | | ||
| 常陸岡田駅 | 1.0 | 2.5 | ◇ | ||
| 川中子駅 | 1.8 | 4.3 | | | ||
| 大橋駅 | 1.8 | 6.1 | ◇ | 日立市 | |
| 茂宮駅 | 1.0 | 7.1 | | | ||
| 南高野駅 | 1.2 | 8.3 | | | ||
| 久慈浜駅 | 1.1 | 9.4 | ◇ | ||
| 大甕駅 | 2.1 | 11.5 | 東日本旅客鉄道:常磐線 | ◇ | |
| 水木駅 | 1.5 | 13.0 | ◇ | ||
| 大沼駅 | 1.4 | 14.4 | ◇ | ||
| 河原子駅 | 1.1 | 15.5 | | | ||
| 桜川駅 | 1.1 | 16.6 | ◇ | ||
| 鮎川駅 | 1.5 | 18.1 | ◇ |
変電所は、桜川変電所、シリコン整流器(500kW)、久慈浜変電所、シリコン整流器(1000kW)、常陸岡田変電所、シリコン整流器(500kW)[8][9]。開業時は久慈変電所のみ、回転変流器(交流側454V直流側600V)直流側の出力150kW、常用1、予備1、製造所三菱電機[10]。
廃線跡については、道路に転用された区間もあれば、特に整備されず空き地または畦道となっている区間もある。また各駅の駅舎やホームといった設備は全て取り壊されており、当時の面影を残すものは無くなっている。

廃線から約8年後の2013年3月25日に旧久慈浜駅 -大甕駅間の廃線跡の一部をバス専用道路へ転用し、ひたちBRTの運行が開始された。また同年4月24日には旧久慈浜駅に日立市立南部図書館が建設され、建物入口付近には日立電鉄線の歴史を刻んだ銘板と、分岐器・レールの一部が設置されている。建物自体も一部が日立電鉄の旧形電車の塗装を模したデザインとなっている。
2018年3月26日には旧大沼駅 - 旧河原子駅間付近の廃線跡がひたちBRTの専用道路となったため、大甕駅東口 -常陸多賀駅間でもひたちBRTの運行が開始された[11]。翌2019年3月16日には旧大甕駅 - 旧大沼駅間付近の廃線跡もひたちBRTの専用道路となったため、専用道区間は日立市立南部図書館から旧河原子駅付近までの約6.1 kmとなり、大甕駅西口への乗り入れも開始された[12]。