本社が入居するJPタワー | |
| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 機関設計 | 監査等委員会設置会社[1] |
| 市場情報 | |
| 略称 | 日曹、NISSO |
| 本社所在地 | 〒100-8165 東京都千代田区丸の内二丁目7-2 JPタワー 北緯35度40分47.1秒東経139度45分52.5秒 / 北緯35.679750度 東経139.764583度 /35.679750; 139.764583座標:北緯35度40分47.1秒東経139度45分52.5秒 / 北緯35.679750度 東経139.764583度 /35.679750; 139.764583 |
| 設立 | 1920年2月1日 |
| 業種 | 化学 |
| 法人番号 | 1010001008833 |
| 事業内容 | カセイソーダ、塩素および塩素製品、合成樹脂および可塑物、染料、医薬品、農業用薬品、動物用薬品、肥料その他各種化学工業品の製造、加工、販売 他 |
| 代表者 | 石井彰(代表取締役会長) 阿賀英司(代表取締役社長) |
| 資本金 | 291億6600万円 (2020年3月31日現在)[2] |
| 発行済株式総数 | 3112万7307株 (2020年3月31日現在)[2] |
| 売上高 | 連結:1447億3900万円 単独:838億1100万円 (2020年3月期)[2] |
| 営業利益 | 連結:81億3500万円 単独:37億7200万円 (2020年3月期)[2] |
| 経常利益 | 連結:103億1200万円 単独:54億0900万円 (2020年3月期)[2] |
| 純利益 | 連結:69億6400万円 単独:△2億5900万円 (2020年3月期)[2] |
| 純資産 | 連結:1444億4000万円 単独:1156億6500万円 (2020年3月31日現在)[2] |
| 総資産 | 連結:2105億5600万円 単独:1679億4800万円 (2020年3月31日現在)[2] |
| 従業員数 | 連結:2,744人 単独:1,313人 (2020年3月31日現在)[2] |
| 決算期 | 3月31日 |
| 会計監査人 | EY新日本有限責任監査法人[2] |
| 主要株主 | 日本マスタートラスト信託銀行(信託口) 4.93% 日本トラスティ・サービス信託銀行(信託口) 4.60% 三井物産 3.39% JP MORGAN CHASE BANK 385632 3.18% 日本曹達取引先持株会 3.03% 農林中央金庫 2.96% JP MORGAN CHASE BANK 380684 2.74% みずほ銀行 2.73% INTERACTIVE BROKERS LLC 2.53% BNP PARIBAS SECURITIES SERVICES LUXEMBOURG / JASDEC / JANUS HENDERSON HORIZON FUND 2.18% (2020年3月31日現在)[2] |
| 主要子会社 | 三和倉庫 100.0% |
| 関係する人物 | 中野友禮(創立者) |
| 外部リンク | https://www.nippon-soda.co.jp/ |
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日本曹達株式会社(にほんそーだ、英:Nippon Soda Co.,Ltd.[3])は、東京都千代田区に本社がある日本の化学会社。略称は
農業化学品、医薬中間体、電子材料等の高付加価値有機・無機化学製品及び各種工業薬品等の製造・販売を行う。
2020年3月31日現在の子会社数は38社、関連会社数は8社である[5]。
重化学工業から発達した昭和の新興財閥の一つに数えられた。1940年(昭和15年)には傘下企業が42社まで増え、日曹コンツェルンと呼ばれた。その後、第二次世界大戦後、GHQの指定する15社に数えられ、財閥解体された。

日本曹達の社章は、雪像の「雪うさぎ」を、6つの頂点を持つ環で囲んだもので、古くからの重工業企業としては童心のあるデザインである。雪の結晶は六角であり、それぞれ誠実、勤勉、創意工夫、協調、奉仕、感謝を意味しているという記述もあるが、後年つけ加えられたものだと思われる。
元は1920年の創業初期、二本木工場で「製品に付けるマーク」も議題に含めた会議中、会議室に白い野ウサギが突然飛び込んできて、また駆け去るというハプニングがあったことから、これに絡めて考案されたものと伝えられる。更に、白いウサギのイメージを、創業当初の主力製品であった「苛性ソーダ」「さらし粉」の高純度を象徴する純白性に重ねたものともいう。
2018年8月より、創業100周年に向けた「コミュニケーション・シンボル」として、ウサギのキャラクターであるミッフィーを採用している[6]。
同社は、花王と共同で「キッチンハイターヌメリ取り剤」を開発した。
1942年(昭和17年)に、砂町工場(1945年(昭和20年)空襲により全焼)の近くに社名にちなんだ「日曹橋」が洲崎川に架橋される。洲崎川の埋め立てに伴い1983年(昭和58年)に撤去。明治通りと永代通りとが交わる交差点、都営バスのバス停や公園(日曹橋公園)の名称にその名を残している。[7]