和食 登録基準 R1, R2, R3, R4, R5[ 1] 参照 869 登録史 登録年 2013
日本料理 (にほんりょうり)とは、日本 の風土 や社会 の中で育まれた料理[ 2] [ 3] [ 4] 。洋食に対し、「和食 (わしょく)」とも呼ばれる[ 5] 。
日本料理の定食 の例。日本料理の配膳では、左に飯 、右に汁物 、間に漬物 を置き、奥におかず を置く[ 6] 。 文献によっては、下記のような定義付けがなされる場合がある。
日本の農林水産省 は、和食文化について「日本の気候風土に根差した伝統を土台とし、その上で時代や環境に応じ変化する消費者の嗜好や技術などを踏まえ、絶えず進化し続けている生きた文化」と説明しており、こうした生活文化であるとの観点から、明確な定義はなく、個々の人々によって解釈されているのが実情としている[ 9] [ 10] 。
日本では野菜 ・果物 ・魚介類 ・海藻 などの食材が量、種類とも非常に豊富であり[ 11] 、これは日本が置かれている幾つかの地理条件 が関係している。
ほとんどの料理は、ご飯に対するおかず という位置づけであり、米と酒 に調和している[ 3] 。
歴史的に肉食 が禁止され、長きにわたり乳製品 などの家畜製品は普及しなかった[ 12] (乳製品には蘇 と醍醐 が例外的にあるだけで欠如した)。食用油 の使用も中世までは発展せず、例外的に唐菓子 があり、南蛮料理に由来する天ぷら によって、油の使用が急速に普及していった[ 3] 。このため、肉や油脂に代わる味つけとしてだし が発達している[ 12] 。
こうした背景が淡白な味つけを生んでいる[ 3] 。強い香辛料 はあまり使われず、旬 の味、素材の持ち味が生かされている[ 3] 。主要な調味料である味噌 や醤油 は大豆 を発酵させた調味料で、これもうま味 を伴う。甘みづけには水飴 ・みりん が使われ、現在[いつ? ] は砂糖 が多用されている。
現在[いつ? ] の日本では流通が発達したため世界中の食品や調味料が入手でき、日本料理への応用も行われている[ 13] 。
漬物 もまた日本の食生活とともにあった。奈良時代の天平 年間(710年から794年)の木簡 にウリの塩漬け の記録があり、平安時代に成立した『延喜式 』には酢漬け、醤漬け、粕漬け などの記載がある。室町時代から江戸時代にかけて全国に漬物屋ができ、江戸時代には種類を増やし各地方の名物となった[ 23] 。
納豆 は大陸から伝来してから日本人の技術で改良され、古くは納豆菌ではない奈良時代の発酵 大豆「くさ」があった。納豆は京都の大徳寺、天竜寺で作られ寺納豆、浜名湖の大福寺の浜納豆とも言われ、糸引き納豆は室町時代中期に生まれている[ 24] 。
日本の一人あたりの鶏卵 消費は多く、IEC(国際鶏卵委員会)が公表したデータでは2022年 には一人あたり年間消費数339個で世界2位になっている[ 25] 。歴史的には卵焼き 、茶碗蒸し 、カステラ などの南蛮菓子 などに、明治以降は丼物 、粉もの などで利用されている。
鰹節と昆布 ダシ は、鰹節 ・昆布 ・椎茸 が三大である[ 26] 。煮干し も使われる。
日本国外では味は、五味 として甘辛酸苦鹹と説明してきたが、日本人は鰹節のうま味 を加えて六味としてきた[ 26] 。日本料理以外の鶏ガラなどのように油脂が浮くことがない[ 26] 。こうしたダシは、日本料理の方向を決定する要因となり、粋、優雅、上品さ、質素で格調高い、淡白で奥深い味が精進、懐石、侘び寂び料理を生み出してきた[ 26] 。鰹節の原型は、平安時代『延喜式 』に素干しの保存食の堅魚(かたうお)があるが、今のように燻したのは江戸時代の1674年である[ 26] 。
調味料 については、塩 (食塩)は20世紀末に自由化されると非常に多様な種類が流通するようになった。日本列島は親潮 ・黒潮 が流れる5つの海域に囲まれている[ 27] 。6世紀ごろになると海藻を焼いてその灰を使った灰塩ではなく、海藻を煮詰める藻塩が生まれ、『万葉集』に詠まれた。奈良時代になると塩田 や釜が製塩に使われるようになり、揚浜式(8世紀)、入浜式(中世)の塩田が各地に海浜に造られた。1952年からイオン交換膜式を用いた塩専売法 による食塩事業を国が始めたことで塩田は消滅した。昔ながらの塩田を求めて起こった1971年からの自然塩運動により、1997年に新たに塩事業法が施行され、製塩は自由となった[ 27] 。イオン交換膜式では塩化ナトリウム99%以上となり塩辛さだけが際立つが、それ以外の製法ではマグネシウム の苦味、カリウム の酸味、カルシウム の甘味が複雑な味を醸し出す[ 27] 。料理の基本は、塩梅、ダシ、火加減とされ、多様な調味料がない昔には、塩と梅干しのサジ加減が重要であった[ 27] 。日本では基本的に岩塩 は取れないとされる。
酢 は、酸味とともに抗菌作用があり重宝されてきた[ 28] 。古くは『万葉集 』に醤酢(ひしおす)の記述がみられ、奈良時代にはナスの酢漬けがあり、中世には酢飯が開発された[ 28] 。歴史的には米酢 が使われてきた。
醤油 は、伝来したものを日本人が独自に作りあげた。大豆と小麦と塩を発酵させたもので、中国の醤(じゃん)など大陸のものとは微生物、製法が大きく異なる。アジアが起源と言われるが確認はされておらず、その元となった比之保(ひしお)は弥生時代から大和時代に日本に伝来したとされ、平安時代には広く浸透し魚を使ったものがもっとも普及し、魚醤 のようなものとして伝来したと考えられる[ 29] 。
味噌 は、701年の『大宝令 』には未醤(みしょう)が記載され、日本で造られた「噌」の字を後に当てたとされ、生産地の名をつけ各地の気候や風土、農産物、土地の者の嗜好を反映している[ 29] 。
飴 は、もち米 などのデンプン を糖化 したもので、『日本書紀』『延喜式』にも記載がある甘味料である[ 30] 。砂糖 は奈良時代にも薬として伝来し、室町時代には菓子にも使われたが、輸入量が大きく増加するのは江戸時代である[ 31] 。18世紀前後になると輸入された砂糖が菓子に広く使われるようになり[ 30] 、次第に調味料となっていった。砂糖・塩・酢・醤油・味噌で「さしすせそ 」とする近代の語呂合わせがある。
薬味 には、ワサビ ・生姜 ・唐辛子 ・山椒 ・ネギ ・シソ などがある。
季節感が重視される。旬の食品は美味しく、また市場に豊富に出回り値段も安く栄養価も高くなるため、味を楽しむ好機と考えられている。七草がゆ のように、野草特有の自然なあく強さや苦味も味わう。また初鰹 のような季節を先取りする「走り」、落ち鮎 のような翌年まで食べられなくなる直前の「名残」など、同じ食品でも走り、旬、名残と3度の季節感が楽しまれる。
季節の表現は切り方 や色でも表現される。春は淡いウド などをサクラ の花びらに見立てて切る。夏は青みのシロウリ やキュウリ を雷や蛇腹に切る。秋は鮮やかなニンジン などをモミジ やイチョウ の葉に切る。冬や新年はユズ を松葉 に切ったり、ニンジンを梅の花 に切ったり、ダイコン とニンジンで紅白を表現したりする[ 7] [ 8] [ 32] [ 33] 。
また山水盛りや吹き寄せ盛りのように、自然そのものを表した盛りつけもなされる[ 7] [ 8] 。
調理場を「板場」、料理人や料理長を「板前 」[ 2] とまな板 と関連づけて呼び、切ること自体を煮炊きから独立した調理のひとつとしている。「切る」ことを重視する姿勢は「割主烹従(かっしゅほうじゅう)」と呼ばれ、包丁を使って「割く(切る)」ことが主で、「烹る(火を使う)」ことが従とされ[ 34] 、食品そのものの味を重視することにつながる。また「割主烹従」から「割烹 」という言葉も生まれ、日本料理そのものやそれを提供する店を表す[ 2] 。
日本料理の椀物(吸物 )と刺身 は、合わせて「椀刺」や「椀差」と呼ばれ、重視される[ 35] [ 36] [ 37] [ 38] [ 39] 。その味によって腕前を確かめられるともされる[ 34] 。
膳 と食器 日本料理の献立 やメニューは、米 を中心とした穀物 に生理的熱量 や栄養 を依存するものであった。穀物は飯 などに料理されて食事の主たる主食 として扱われる。主食に対する副食の惣菜 は、飯を食べるための食欲刺激として用いられ、御飯の友 などという概念もある。また飯の代わりに米による日本酒 伴う宴会 などでは、惣菜がそのまま肴 (さかな)としても用いられる。飯と汁物 に惣菜 からなる、一汁一菜 や一汁三菜 など複数の料理から成ることが多い。[ 3] [ 12] 伝統的に左を上位とする風習があるため、主たる飯を左側に置いたり、魚の頭を左向きに置いたりして配膳することが多い。日常の食事などでは、これらの料理は一度にまとめて配膳されることが多いが、懐石料理 などでは、一品(あるいは一膳)ずつ順番に配膳される。
食器は、漆器 、陶器 、磁器 など。家庭では、ご飯茶碗・箸は、各人専用のもの(属人器 )を用いる習慣がある。暖かい時期には、薄手で浅めの磁器 を主に、暑くなるとガラス の器なども使われる。涼しい時期には、厚めで深手の陶器 を主に、寒くなると蓋つきの器なども使われる。また漆器 では、蒔絵 や沈金 などの絵柄で季節を表現することがある[ 7] [ 8] [ 32] [ 33] 。
日本料理は各家庭のほかに、蕎麦屋 や寿司屋 などの専門店、居酒屋 や料亭 や割烹 、また待合 やお茶屋 、行楽地 、さらに現代では宇宙食 など、さまざまな場所で食事ができる[ 32] 。
行楽 (花見 など)、旅行 (巡礼 、駅弁 など)の際に屋外で食される「弁当 」も日本の文化の一つである。
大乗仏教 では肉を食べることおよび一部のネギ属の植物が忌避されており(禁葷食 )、この戒律を守るため精進料理 がある。江戸時代まで、仏教の考え方から獣肉食は一部の地域を除いて一般的ではなかったが、明治時代 以降に獣肉食は国内で広く広がった。現在[いつ? ] の日本料理は精進料理を除いて食のタブー は弱いと思われるが[独自研究? ] 、羊肉 やアヒル肉 など普及の問題であまり一般的ではない肉がある。
日本列島の旧石器時代 に蒸し焼き調理に用いられたと考えられている礫群 (山梨県 南巨摩郡 南部町 の天神堂遺跡 )。 群馬県 の岩宿遺跡 で更新世 のローム層 から旧石器時代 の石器 が発見された。岩手県 の花泉遺跡 では約2万年前のハナイズミモリウシ 、オーロックス 、ヤベオオツノジカ 、ヘラジカ 、ナツメジカ、ナウマンゾウ 、ノウサギ などの化石 が大量にまとまって発見された。これらの化石の骨は石器で切るなどした解体痕がある。また研磨 して先端を尖らせた骨角器 と、敲石と思われる使用痕のある石器も発見された。これらから花泉遺跡は狩猟 による動物を解体し食肉 を得たキルサイトと考えられている。また長野県 の野尻湖 湖底に位置する立が鼻遺跡 (野尻湖遺跡群 の1つ)も約4万年から2万4000年前のナウマンゾウとヤベオオツノジカを主としたキルサイトと考えられている。東京都 の野川遺跡 などからは礫群 や配石 (置石)が発見されている。礫群は焼けたこぶし大の石が数十から100個ほど1か所にまとまったもので、動物質の有機物が付着したものも発見されている。礫群は食肉を焼くのに用いたと考えられている。また木器 や樹皮 などによる容器 に水や食品とともに礫群の焼け石を入れ煮るのに用いたとも考えられている。当時の日本列島 は大部分が亜寒帯 性の針葉樹林 が広がっており、植物性 の食品は乏しく漁撈 も未発達なため、ビッグゲームハンティングと呼ばれる大型哺乳類 を主とした狩猟 に依存した生活だったと考えられている。哺乳類などの動物はフグ などの毒 のあるものが少なく、内臓 や筋肉 、皮膚 や脂肪 や血液 、骨髄 や脳髄 など、骨 や毛 などを除けば、大部分が可食部である。寄生虫 や微生物 など病原体 の問題もあるが、生 でも食べることができる。レバ刺し や膾 、カルパッチョ やユッケ やタルタルステーキ のような料理や、火 が使える状況であれば礫石などを利用して、石焼 や蒸し焼き などの焼肉 のような料理が考えられている。またさいぼし やジャーキー などのように干肉 にして保存食 にしたとも考えられている[ 40] [ 41] [ 42] [ 43] [ 44] 。
日本列島の縄文時代に用いられた水煙土器。 鹿児島県 霧島市 の上野原遺跡 (鹿児島県上野原縄文の森 )に復元された実験用集石 。約1万年前に地球規模の気候変動で氷期 から間氷期に変わり完新世 が始まる。日本列島では温暖化に伴い針葉樹林は北海道 や高山帯 に限られ、本州 の東側にブナ やナラ 、クリ やクルミ などの落葉広葉樹林 が、本州の西側と四国 、九州 、南西諸島 にはカシ やシイ 、クスノキ などの照葉樹林 が広がる。ナウマンゾウやヤベオオツノジカなどの大型哺乳類は絶滅あるいは生息しなくなり、ニホンジカ やイノシシ など中小哺乳類が増える。また、海面の上昇にともない対馬海流 の流量も増え、日本海 側も太平洋 側とともに暖流 と寒流 の交わる良漁場 となる。このような風土 の変化にともない縄文時代 が始まり、打製石器 ・磨製石器 とともに縄文土器 が用いられる。世界的には中石器時代 あるいは新石器時代 に相当するが、農耕 や牧畜 は普及せず、採集に加えて狩猟 や漁撈 を主とする生活である[ 40] [ 41] [ 42] [ 45] 。
土器を用いて煮る ことが発達し、採集による植物性食物の利用が増えた。竪穴建物 近くの地面を掘り、クルミ 、ドングリ 、クリ 、トチ などの堅果類 を備蓄 した貯蔵穴 が多く検出されている。クルミは脂質 を多く含み生でも食べられるが、クリやドングリやトチはデンプン を多く含み、生のベータデンプンは消化 されにくいため、水と熱とで結晶構造 を破壊し、アルファデンプンに変える必要がある。またドングリはタンニン を含む種類が多く、石皿 と磨石 で潰したり粉にし、水に晒したり茹でたりして灰汁 抜きをした。トチは非水溶性のサポニン やアロインを含み、灰 を加えて煮ることで灰汁抜きをした。またクズ やワラビ 、ヤマノイモ やウバユリ 、ヒガンバナ など野生の芋 類も、アルカロイド などの毒を水に晒すなどして除去し、デンプンを利用したと考えられている。動植物の遺物 による調査と、遺骨 コラーゲン の同位体 比による調査から、これら植物性のデンプンから熱量 の大半を得ていたことが分かる。植物性の食品の利用が増えたのにともない、従来の食肉 やレバー や血液 などから摂取していた塩の必要性が生じ、海水 を土器で煮る製塩も行われた。日本原産の香辛料 であるサンショウ を入れた土器も発見されている。また栽培作物であるソバ やオオムギ やアワ 、エゴマ やリョクトウ やヒョウタン などが、少ないながら出土している[ 40] [ 41] [ 44] [ 45] 。
狩猟 による食肉 は大半がイノシシ とニホンジカ によるもので、その他カモシカ やエゾヒグマ やツキノワグマ 、タヌキ やアナグマ などさまざまである。またキジ やカモ 、ガン などの鳥類 も対象とした。狩猟は縄文時代に登場した弓矢 によるものを主とし、罠 や落とし穴 なども用いた。またイヌ は飼育 されており、猟犬 として用いたと考えられている。北海道ではアザラシ やトド 、オットセイ などの海獣 などを対象とし、回転式離頭銛 が用いられた。イノシシは伊豆諸島 や北海道から遺物が発見されており、移動や飼育 、動物儀礼 などについて議論されている[ 40] [ 41] [ 42] 。
漁撈 による魚介類 は、貝塚 を主に形成するハマグリ やアサリ 、カキ やシジミ などの二枚貝 が多い。内湾性のスズキ やボラ 、クロダイ やコチ などを対象とし、骨角器 によるヤス や石錘 を利用した漁網 も用いた。またイワシ やサバ など小魚を対象とし、漁網によるものもある。東北地方 の三陸 沿岸では外洋性のマグロ やカジキ を対象とし、骨角器による釣り針 や、回転式離頭銛を用いた。九州 北西部でも外洋性のマグロやサワラ 、シイラ やサメ を対象とし、骨角器による組み合わせ式釣り針を用いた。内陸河川 でのサケ やマス も、北海道や東北地方では重要な食品であったとする考えもある[ 40] [ 41] [ 42] 。
料理としては、堅果類などのデンプンをこねて灰の中で焼いたビスケット やクッキー のような縄文クッキー が出土している。また土器の利用により、デンプンを団子 状にして煮たすいとん のようなものや、水で溶いて煮て粥 状にしたものも考えられている。食肉や魚介類はすいとんや粥に混ぜたり、汁物 や吸物 のような羹 や、鍋料理 のようなものが考えられている[ 40] [ 41] [ 44] [ 46] 。また、旧石器時代 から行われている蒸し焼き 調理も継続して行われており、こぶし大の石を一ヶ所に多量に集積して過熱した「集石 」と呼ばれる遺構が各地で検出されている。なお、旧石器時代の「礫群 」と縄文時代の「集石 」は、現代考古学 用語としての名称が異なるが、構造・機能面では同一のものと考えられている[ 47] [ 48] 。
採集や狩猟や漁撈は自然 によるもので、四季 のある日本列島では季節性が表れる。宮城県 の里浜貝塚 における調査では、春にはアサリ や木の芽や若草などの山菜 を採集し、夏にはマグロやアジ やサンマ などの漁撈と海水による製塩、秋にはサケの漁撈と堅果類の採集、秋から冬にかけてニホンジカの狩猟と土器の製作と、季節に応じた食生活を行っていた。また食生活は、自然だけでなく人口密度 なども含めた生態学 的条件でも異なり、さらに北海道礼文島 の船泊遺跡と浜中2遺跡のように、同時期同地域にあっても集団の歴史的や社会的な文化 にもより異なる。沖縄諸島 や奄美諸島 ではこの時代を貝塚時代 の前期とも呼び、伊波式土器や荻堂式土器を伴う独自の文化でもある。また沖縄県波照間島 の下田原貝塚では、八重山土器やピラ型石器、イノシシの骨が出土しており、このころ先島諸島 では漁撈とともにイモやアワ の畑作 農耕 やイノシシの飼育が行われていたと考えられている。この文化は、九州や沖縄本島 などからの縄文文化の影響はほとんど受けず、台湾 や中国大陸 江南 の影響を受けた独自の文化と考えられている。このように地域や時代、集団によって多様な食文化 を伴う縄文時代は、さまざまな定義があるが縄文土器を基準にして、北海道から沖縄県 まで日本列島のほぼ全域を対象とし、約1万6000年から1万2000年前に始まり、紀元前 900年から紀元前400年のまで続いたとされる[ 40] [ 41] [ 42] 。
日本の弥生時代の遺跡に水田を復元したもの(登呂遺跡 ) 稲作 と栽培種イネ は、アフリカ のニジェール川 周辺に起源するアフリカイネ と、アジア に起源し世界各地に伝搬したアジアイネとの2つがある。中国大陸 の長江 流域では、紀元前1万年ごろのイネの資料の発見、紀元前6000年ごろの湖南省 彭頭山遺跡 から籾殻 の混じった土器の発見、紀元前5000年ごろの浙江省 河姆渡遺跡 が発見されている。河姆渡遺跡は約400平方メートルの範囲に籾殻などが堆積していて、鋤 や臼 と杵 なども伴うほぼ完成された水田 稲作が行われた。紀元前3000年ごろの浙江省銭山漾遺跡などの良渚文化 に続き、紀元前1000年ごろの江南江淮地域に幾何学印文陶文化が表れる。また黄河 流域では、紀元前1万年ごろにアワ やキビ の利用があり、紀元前6000年ごろに中流域でアワと農具 が発見で栽培が考えられ、紀元前3000年ごろに長江流域からのイネと西アジア からのムギ が伝来し、紀元前2000年ごろにマメ の栽培で五穀 が揃うことになる[ 40] [ 41] [ 45] 。
朝鮮半島 では紀元前4000年ごろの黄海北道 知塔里遺跡から炭化したアワもしくはヒエ の粒の発見、紀元前2000年ごろの京畿道 の欣岩里遺跡から陸稲 と思われる粒がオオムギ やアワなど畑 作物とともに発見、紀元前8世紀ごろには忠清南道 松菊里遺跡などで炭化米が発見、紀元前7世紀から6世紀の無去洞峴遺跡などから水田が発見されている[ 40] [ 41] [ 45] 。
中国大陸東北部とロシア 東部では、紀元前1000年ごろのアムール州 や黒竜江省 のアムール川 沿いや沿海地方 では、ウリル文化やヤンコフスキー文化や鶯歌嶺上層文化で、それぞれアワやキビの栽培 とブタ を飼育 する農耕 が行われた[ 40] [ 41] [ 45] 。
菜畑遺跡 (佐賀県 唐津市 )の復元水田。弥生時代早期初頭の1区画20 - 30平方メートルの水田跡が発見されている。日本列島では、縄文時代の北海道で、早期の中野B遺跡からヒエ 類が発見、前期の美々貝塚遺跡から畑跡と考えられる遺構が発見されている。また中期の臼尻B遺跡からアワの発見、晩期の塩屋3遺跡からオオムギ とアワが発見されている。これらの縄文時代の北海道から出土する穀物 類は、沿海地方 などからの伝搬が考えられている。縄文時代中期以降の本州や九州などの遺跡では、稲や大麦、小麦、アワ、ヒエ、キビなどが発見され、福岡県 のクリナラ遺跡からは畑跡が発見されている。縄文時代に大陸から畑作物としてイネを含めた穀物が伝搬し、陸稲栽培を含む畑作が行われたと考えられている。また福岡県の板付遺跡 や佐賀県の菜畑遺跡 などで、用水路 や畦 が整備された縄文水田 が、木製の鍬 や石包丁 などの農具 を伴い発見されている。この九州北部で発見された整備された水田や農具を伴う完成された水田稲作文化は、陸稲栽培を含む畑作が発展したのではない。紀元前2000年紀後半から紀元前1000年紀前半にかけて中国大陸の江南や江淮地方 に展開していた金石併用期の幾何学印文陶文化前期の完成された水田稲作農耕文化が、朝鮮半島を経て、あるいは東シナ海 から直接に、九州北部に移民 とともに伝わったと考えられている[ 40] [ 41] [ 45] 。
中西遺跡(奈良県 御所市 )2019年発掘調査時。大畦畔(画像左端:手前から奥方向)の区画内(右側)において、幹線小畦畔(手前から奥方向)・支線小畦畔(左右方向)で水田群が区画される。 九州北部に伝わった水田稲作文化は、急速に西日本を中心に近畿地方 まで伝わるが、東日本には伝わらず停滞する時期がある。これは西日本の照葉樹林に比べて東日本の落葉広葉樹林の方が食品が豊富だったこと、西日本を中心に陸稲栽培を含む畑作が普及し水田稲作を受容しやすかったこと、当時の稲が寒冷地である東日本に不適であったことなどが考えられている。
紀元前後になると寒冷地に適した稲の品種などにより、本州最北端の青森県 まで水田稲作文化が伝わる。紀元前後にはまた鉄 製の農工具が普及した。日本列島の水田稲作文化が普及した時代は、従来の縄文土器と比べて薄く整形されより高温で焼かれた弥生土器 を伴い、弥生時代 と呼ばれる。弥生時代の水田は、1辺が最小で2・3メートル規模の小規模畦畔 により区画される「小区画水田 」と呼ばれるものが多い。弥生時代は紀元前900年ごろに始まり紀元後400年ごろまで続いたとされる。一方で寒冷な北海道では、この時代には稲作文化がおよばず、縄文時代から続く採集や狩猟や漁撈による文化が続き、続縄文時代 と呼ばれ紀元1000年ごろまで続いた。また沖縄など南西諸島では、貝塚時代 の後期とも呼ばれ、これは紀元1300年ごろまで続いた[ 40] [ 41] [ 45] 。
弥生時代の日本列島の様子は、『漢書 』「地理志」で紀元前後には100あまりの小国が分立していたと記録されている。『魏志 』「倭人伝 」では紀元後239年に複数の首長国がある中、卑弥呼 の統治した邪馬台国 が魏 に朝貢し、また魏の使節が訪れたと記録されている。『魏志』「倭人伝」ではまた、「水に潜り貝や魚を採る」「稲や粟を栽培する」「温暖な気候で通年生野菜を食べる」「生姜や柑橘類、山椒、茗荷があるが料理に利用しない」「木や竹の器を用いて手で食べる」「飲酒を好む」など料理や食事に関する記録もある[ 40] [ 41] [ 45] 。
アジアイネは、丈が高く熱帯に適し寒さに弱い長粒で粘りが少ないインディカ種 と、丈が低く低温にも対応し短く丸みのある粒で粘りの多いジャポニカ種 とに大別される。弥生時代に日本列島に伝わった稲はジャポニカ種であり、11世紀以降になってインディカ種が何度か持ち込まれたが現在に至るまで広く普及はしていない。またインディカ種とジャパニカ種とともに、デンプン のひとつであるアミロース の含有量で、糯(もち) と粳(うるち) とも大別される。弥生時代に日本列島に伝わったイネは、中国で粳の栽培が先行したこと、記紀などに糯や餅 が登場しないこと、糯という字が奈良時代 の「正倉院文書尾張正税帳」が初出であることなどから粳であったと考えられている。しかし縄文時代の陸稲などは中国南部や東南アジア から糯が伝わり、弥生時代には糯と粳が混在していたという考えもある[ 40] [ 45] [ 49] 。
福井県 福井市 の糞置遺跡 における弥生時代 のクルミ の貯蔵穴 検出状況。水田稲作が普及しても農耕のみを基盤としたわけではなく、農耕を行いながら従来の狩猟採集漁撈も行っていた。またプラント・オパール の調査から、全面的に稲を長期にわたって栽培したわけではなく、キビ属なども栽培され生産量も多かったと考えられている。種子の遺物からも雑穀 などと呼ばれるアワ やヒエ 、キビ そして麦などの穀物 や、豆やソバ などの準穀物も多い。またドングリやクルミなどの堅果類は稲を超えて多く出土しており、縄文時代のように貯蔵穴 に備蓄した状況が検出されている。
猪と鹿は引き続き狩猟の重要な対象であったが、田畑を荒らす害獣駆除 の側面もあったと考えられている。また鹿に対する猪の割合が増え、頭蓋骨 の変化から猪が家畜 化され豚 となったものも含まれていると考えられている。豚に加えて牛 や馬 、鶏 が持ち込まれ飼われていたが多くは出土せず、また鶏は食べる対象ではなかった。イヌ は猟犬としても用いられたが、埋葬されず解体痕などから食用の対象にもなった。豚や牛、馬などの飼育は、農耕の傍らの小規模なもので乳 の利用などを目的としたものではなく牧畜 ではない。漁撈では従来のものに加えて、水田や用水路などでコイ やフナ 、ナマズ やドジョウ 、タニシ などを対象とした淡水での漁撈が行われる。また内湾での漁撈では管状土垂を用いた網漁や蛸壺 漁などが行われるが巨視的には衰退する。また東日本太平洋側や西北九州での外洋漁撈への特化拡散もみられる。農耕による環境や社会の変化が狩猟や漁撈にも変化をもたらしている[ 40] [ 41] [ 42] [ 45] 。
料理は米などの穀物を炊いた飯がある。弥生土器には外側に煤が内側に米粒がついたものが出土することから、現在と同じ炊き干し法による飯である。米は臼 と竪杵 による精米で、現在販売されている籾殻 を外し果皮 に覆われた玄米 とは異なり、9分撞き程度であったと考えられている。また飯を唾液 により糖化した口噛み酒や麹 を利用したりして酒 を醸造した。フナなどで塩辛 や魚醤 やなれずし なども作ったと考えられている。弥生土器の中には煮炊きに用いた鍋などだけでなく、食器 の形状のものも出土する[ 40] [ 42] [ 45] [ 46] 。
遺跡からはドングリがもっとも多く出土するが、農耕が普及し米や粟を主食にし、鶏獣肉、魚、海藻、野菜、山菜を副食にするという日本食の基本ができあがってきた[ 50] 。家畜として導入された豚を食べることは忌避され、鶏も時告鳥(ときつげどり)として別格にあり、卵すら食用にしなかった[ 51] 。次第に食事は、神事の御饌 (しんせん/みけ)として供えられ、神事の後に直会(なおらい)にて神主や村人が一緒に食べ、神人供食の文化が起こった[ 52] 。
3世紀に奈良県 纒向遺跡 に登場した巨大な王墓前方後円墳 などの古墳 は、各地に広がり古墳時代 と呼ばれる。当時の水稲稲作は、弥生時代に引き続き、小区画水田 により行われた。6世紀後半から7世紀にかけて水田の大規模な開発が近畿地方を中心に行われた。5世紀中期の高度な技術による鉄製U字型鋤 先や曲刃鎌 、6世紀後半に登場し代掻き に用いる馬鋤 や7世紀に登場し耕起 に用いる犂 による牛 馬 の利用、7世紀初頭の大阪府 狭山池 などため池 の築造や長大な堤防 による河川 の制御、7世紀後半の条里制 の登場など、これらが背景にある。古墳の周囲や上に並べられた埴輪 には、鹿や猪、犬などの狩猟を描いたもの、馬や鶏を形取ったものなど、支配者による狩猟や乗馬 があった。朝鮮半島から伝わった須恵器 には甑 が多数発見されることから、米を蒸し ておこわ にしていたと考えられている。また従来の炉 に変わって竈 が住居に設けられる[ 40] [ 42] [ 45] [ 53] 。
『古事記 』には豊葦原千五百秋瑞穂国(とよあしはらのちあきながいおあきのみずほのくに)、稲穂が実る国と記され、720年の『日本書紀 』ではウケモチ のお腹から稲が生まれたという神話が書かれている[ 54] 。平安時代末期には強飯に代わり、現代の炊飯されたご飯と同じような姫飯(ひめいい)も食されるが普及はもっと後である[ 50] 。
『日本書紀』に料理の記述がある。主食 と副食 による食事構成が定着し、米 や麦 ・アワ などをおこわ や飯、粥 にして食べていた。副食に用いる食品は、野菜・海藻・魚介類が用いられた。獣肉 等は天武天皇 の675年に、牛・馬・犬・猿 ・鶏の殺生禁止令が出され、表向きは食用とされなくなった。また猪と鹿は殺生禁止の対象とはならなかった。料理法としては、生物・焼物 ・煮物 に加えて、茹物 ・羹 ・和え物 ・炒り物などがある。加工法としては干物 ・塩辛 ・漬物 ・寿司 などがあった。遣唐使 による唐 の影響から、料理も影響を受ける。大饗 (だいきょう/おおあえ)では、飯に膾 や干物に加えて、干物や揚げ物 を含む唐菓子 、木菓子と呼ばれる果物などが台盤に並べられた。箸 とともに匙も使われた。調味は食べる際に塩や酢・醤 (ひしお)・酒で味をつけた[ 53] 。
鎌倉時代 には、武士の支持を受けた禅宗 とともに精進料理 が伝わり、煮染や酒煎など調味の技法が発達する。茶 に加えて、豆腐 、金山寺味噌 など食品加工技術が伝わった。寺院の点心 からうどん や饅頭 、羊羹 などが民間に広まった[ 53] 。
室町時代 の料理人 室町時代 の「一服一銭」での抹茶 現代の炊飯ご飯と同じような、姫飯(ひめいい)が広く普及する[ 50] 。
大饗料理 から派生した本膳料理 が確立した。のちの懐石料理や会席料理にも影響を与えており、出汁と合わせて日本料理の基礎が確立されたと評する論もある[ 55] 。醤油 が作られ用いられた[ 53] 。鰹や昆布を使い、火を使った焼き物、煮物、汁物がたくさん出されるようになり、武家特有の料理が整い日本料理が誕生する[ 31] 。
室町時代 に料理書 『四条流包丁書 』や『大草家料理書 』が書かれたとされる。精進料理 が発達し、出汁 の概念が生まれた。安土桃山時代 に来日したジョアン・ロドリゲス は著書『日本教会史』の中で「能」(実践的な教養)として「弓術・蹴鞠・庖丁 」を挙げている。
懐石料理 が成立する。茶の湯 の発達に伴うものであり、千利休 の影響が大きい。南蛮 船によりてんぷら やがんもどき などの南蛮料理や、南蛮菓子 (カステラ やコンペイトウ など)が伝わった[ 53] 。唐辛子の伝来もこのころである。
日本橋魚市繁栄図(江戸時代 ) 日本の料理文化の基本的な形は、古代から中世にかけての貴族が伝えてきた魚・鳥を軸とした料理に、寺院で発達した精進料理が結びつき、それに武家上層の食事様式の影響を受け、室町時代から江戸初期にかけて成立し、江戸後期に成熟した[ 56] 。その特徴は、個人膳であること、皿数が多いのをご馳走とすることから少量ずつを配膳すること(何汁何菜)、片付け食いではなく選んで食べること(残すことが当然)、獣肉が極端に少ない、酒席膳を第一とするなどがある[ 56] 。
江戸料理 と呼ばれる[ 57] 地元の材料を使用した料理が発展した[ 58] 。
『絵本江戸風俗往来[ 59] 』に「江戸市中町家のある土地にして、冬分に至れば焼芋店のあらぬ所はなし[ 60] 」と焼き芋屋が大人気[ 注 1] であった。初ガツオ・初ナス など縁起を担ぐこともあった[ 57] 。ダシは鰹節を使い、醤油は濃口醤油[ 61] が使われた。コショウなど香辛料 も利用され[ 62] 、芳飯 も鶏飯なども取り入れられ[ 62] 、おじや、ねぎぞうすい[ 63] も食べられるようになった。
外食産業も栄えていた。文化8年(1811年)に江戸の町年寄が「食類商売人」の数を奉行所に提出した資料によると、煮売 居酒屋(1,808軒)、団子汁粉(1,680軒)、餅菓子干菓子屋煎餅等(1,186軒)、饂飩蕎麦切屋(718軒)、茶漬一膳飯(472軒)、貸座舗料理茶屋(466軒)、煮売肴屋(378軒)、蒲焼 屋(237軒)、すしや(217軒)、煮売茶屋(188軒)、漬物屋金山寺(130軒)、蒲鉾屋(59軒)、醴(あまざけ)屋(46軒)、獣肉(9軒)という記録が残っている。煮売り屋は惣菜の持ち帰りすなわちの中食 の役割も担っていた。
京都 、大阪の料理は「上方料理」と呼ばれた。北前船 で北海道産の昆布が輸送された。瀬戸内 の魚介類や近郊の野菜に加えて、全国の産物も集められたため「諸国之台所」と評された。
それまで公家 や武家 などの階級、もしくは寺が独占してきた料理技法が出版という形で広く庶民に知れ渡った。『料理切形秘伝抄 』や『料理物語 』などさまざまな料理本が出版された。本格的な外食産業に関しては江戸時代初期には寺院が金銭を受取り料理を提供していたが江戸中期にかけて料理茶屋 ・料理屋が市中に数多く出現した[ 64] 。
江戸後期には会席料理 が登場する。本膳料理を簡略化し、酒の席で楽しむ料理として成り立った。
すき焼き 明治 には、肉食 が公に解禁され、江戸期には細々と食べられていた牛鍋 などが流行した。
柳田國男 は『明治大正史 世相篇』の中で「明治以降の日本の食物は、ほぼ三つの著しい傾向を示していることは争えない。その一つは温かいものの多くなったこと、二つは柔らかいものの好まるるようになったこと、その三にはすなわち何人も心付くように、概して食うものの甘くなってきたことである」と著している[ 65] 。
明治には海外と交渉のある階層を中心に西洋料理 が食べられるようになった。各地の西洋料理店(洋食 店)では、西洋料理のほかに、日本人の手で日本風に作り変えた料理が生み出された。家庭では銘々膳の風習にかわり、ちゃぶ台 が使われるようになった。
第二次世界大戦 後で物資不足の中、アメリカ合衆国 からの食糧援助(ララ物資 )として小麦粉 が大量に輸入され、安価に大量供給された小麦粉により、お好み焼き など小麦の粉食による鉄板焼き 料理、パンの普及が進んだ。経済成長とともに和食中心の食事スタイルが大きく変わり、肉料理の普及、海外料理の日本化も進んだ。
現在[いつ? ] の日本料理は、寿司 の一種であるカリフォルニアロール のように、世界 で発展するものもある。日本でも刺身や寿司に真空調理法 や低温調理法を取り入れたり、食肉の応用で大型の魚類であるマグロ やブリ などを対象に熟成 させて用いるなど、世界や歴史、科学などの知見などを取り入れて発展しているものもある[ 13] 。
2013年にユネスコ の無形文化遺産 に登録された和食は[ 66] 、「多様で新鮮な食品とその持ち味の尊重」「栄養バランスに優れた健康的な食生活」「自然の美しさや季節の移ろいの表現」「正月などの年中行事との密接な関わり」である[ 67] 。日本は「和食」を「いただきます 」や「もったいない 」といった食事という空間に付随することがらも含めた「自然の尊重という日本人の精神を体現した食に関する社会的慣習」として提案[ 68] [ 69] [ 70] 、年末年始 における餅つき や御節料理 、食育 教育を中心にプレゼンテーションを行った[ 71] 。
禅寺での精進料理 百日祝い の儀式 における日本料理伝統的な形式が現在に伝わる料理を挙げる。
正月 に食べる雑煮 と御節料理 年中行事 や冠婚葬祭 など行事と結びついた日本料理も多い。餅 や赤飯 、団子 や寿司 など、季節や地域によらず広く共通するものもある。また色や姿形からタイ やエビ などもよく用いられる[ 8] 。
日常生活の汁物 や惣菜 においては、豆腐 や麩 、コンニャク やワカメ など広く共通して用いられる[ 32] [ 33] 。春のフキ 味噌やニシン 、夏の麦飯 やはったい粉 、秋の芋茎 や干柿 、冬の煮こごり や凍豆腐 、新年の鏡餅 や初竈 、餅花 など、料理の季語 もある[ 2] [ 72] 。
かて飯 やかてもの などの救荒食物 がある[ 2] 。
七草粥 郷土料理 は日本の地方で古くから食べられてきた料理である。アイヌ料理 や沖縄料理 や奄美料理 、くさや や島寿司 、皿鉢料理 などもある。
特定の地域で太平洋戦争 後に新たに食べられるようになったり、21世紀にかけて地域おこし を目的に開発されたりしたご当地グルメ もある。
けんちん汁 芋 の炊き合せ ホウレンソウ のゴマ 和え トンカツ を乗せたカレーライス 鎖国 政策を取りやめ各国と交流 や交易 が増加した、明治時代 以降の日本の料理。
外国料理をもとに日本独自の和洋折衷料理が多数生まれているが、これらを日本料理とするか否かについては専門家により意見が異なり、定義の曖昧さが指摘されている[ 11] [ 74] [ 75] [ 76] 。
Hibachi での玉ねぎ火山寿司 -カリフォルニアロール 、スパイダーロール、スパイシーツナロールなど、果物や日本では使わない食品、調理法で構成された新しい寿司。酢飯が使われない例も多い。照り焼き - 多くの場合、焼き方の一種のことではなく、醤油味を基本とした「テリヤキソースを使った付け焼きグリル料理」のことをテリヤキと称する。魚肉練り製品 - Surimi(すり身 )の名称で、カニカマ を中心にして欧米の消費量が急上昇している。鉄板焼き - 「焼きごて捌き」や「玉ねぎ火山」といった調理人の演出要素がふんだんに盛り込まれた鉄板焼き。味噌汁 - チーズやカリフラワー、レモンの輪切りといった日本ではあまり使用されない食品で構成された新しい味噌汁が生まれている。かつては生魚 やゴボウ の根など世界的には少数派の食材を使用するため、直江津捕虜収容所事件 のような誤解も発生していた。現代では日本食の普及にともない解消されつつある。
2007年に発刊された高級レストランガイド『ミシュラン 』の東京版では、150軒の掲載店舗のうち、約6割が日本料理店であり、日本料理店も含めて、掲載されたすべての店舗に1つ以上の星がついた[ 注 2] 。また、150軒の掲載店舗に合計190以上の星がつき、それ自体も過去最高であった。2011年に日本はフランスを抜いて、ミシュランの3つ星レストランが最も多い国になった[ 77] 。
2017年に来日した、当時FAO事務局長だったジョゼ・グラジアノ・ダ・シルバ は、日本は先進国の中でも肥満率は4%と低く、日本の伝統的な食事である和食は、健康の改善と長寿に貢献しているとし。「Japan is a global model for healthy diets(日本は健康的な食事と栄養の世界的なモデルである[ 注 3] )」と述べている[ 78] [ 79] 。
一方、英語学者の視点から論ぜられた文化論においては「日本人の多くがスシやサシミを好みますが、生の魚をそのままぺろぺろと食べて、うまいうまいといっている民族の方が、この地球上で絶対少数派であるという自覚はしっかりもつべきでしょう」「我々日本人だけが、世界60億人の味覚の優劣を測るモノサシを一手に独占していると考えることほど、恐ろしい思い上がりはありません」という意見もある[ 80] 。実際、中学・高校時代をアメリカで過ごしていた実業家の松田公太 は、刺身を食べていることを指して現地民から野蛮人扱いされた(当時アメリカは寿司ブーム到来前であったため、無理からぬことであった)というエピソードを明かしている[ 81] 。
2022年、『Nutrients』のメタ分析によれば、日本食は世界から見て健康的である[ 82] 。
食事を通じて健康などに働きかけるマクロビオティック (正食)を通じて紹介された日本料理や調味料が多く、ヨーロッパやアメリカの一部で正食が評価された地域では、日本では一般に使われていない特殊な調理法や食品が使われている場合がある(味噌はパンに塗って食べる場合もある)。企業の大量生産品も一般的であるが、醤油、味噌、豆腐などは古来の製法で作られることも多く、日本で市販されるものとは風味や栄養価が異なる場合もある。アメリカではたまり も流通している。
農林水産省と外務省の調査・集計によると、海外にある日本食を提供するレストランの総数は約11万8,000店(2017年10月時点)である[ 83] 。2013年1月時点調査に比べ2倍以上である。和食だけでなく、ラーメン 店や日本風カレー 店なども含む[ 84] 。2019年には約15万6,000店とさらに増えた[ 85] 。現地の企業などが運営する(本来の日本食と異なる)「なんちゃって日本食」と評しうる店が多いが、一方で日本滞在経験で日本食のよさを知った外国人向けに本物・高級志向の日本食店も増えている[ 86] 。
2007年に、正統的な日本料理店に認証を与える「日本食レストラン推奨制度」を日本貿易振興機構 (JETRO)がフランスで始められた。制度の目的として、道標の提供と日本食文化の認知度向上・普及・浸透、正統的日本料理レストランにチャレンジする機会の提供、日本の食品などジャパン・ブランド輸出促進を挙げている。制度の対象は、日本で一般に「和食」のカテゴリーに入る食事がメニュー のほぼすべてを占めるレストランで、その料理は懐石、寿司、天ぷら、うなぎ、焼き鳥、そば、うどん、丼物、その他伝統の日本食(フランスで創作されたそれに準拠するものも含む)としている[ 87] 。
日本料理コンペティション[ 88] 和食ワールドチャレンジ - 日本人以外の調理師による日本料理コンテスト[ 89] 。 魚肉偽装問題 日本と同様にティラピア (イズミダイ)が鯛 として提供されることも含め[ 90] 、国際的非営利活動組織海洋保護団体Oceana の調査によって、アメリカ合衆国では74%の寿司屋でメニューとは異なる魚(偽物)を提供していたことが判明している[ 91] 。
これに関連して、アメリカ合衆国カリフォルニア州 で韓国人が経営する日本食レストラン約50カ所以上へ、弁護士事務室から「メニューに載っている魚「White Tuna =白マグロ(ビンナガ が一般的)」が提供された魚「Escolar=アブラソコムツ 」と異なる」との手紙が送られ、集団訴訟へ発展する可能性がある[ 92] 。ちなみにアブラソコムツはスズキ目 ではあるがサバ科 のマグロ とは異なり、サバ亜目 クロタチカマス科 の魚である。多量に摂食すると人体へ害があると報告されているため、日本では販売が禁止されている。しかし韓国ではアブラソコムツを白マグロと称し食用されていることから、本問題が発生した。
2015年2月段階では訴訟対象の店舗はカリフォルニア州南部のみだったが、3月にはロサンゼルスの日本料理店(いずれも韓国人が経営)100店舗以上にも訴訟の手紙が届き[ 93] 、4月にはカリフォルニア州北部にも訴訟対象店舗が広がった。またサンフランシスコの店舗にも同様の手紙が届いている[ 94] 。
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