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日本の華族一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「叙爵」の表現に関してはこのページのノートでの議論に基いて記述されています。編集作業を行う方は、ノートに目を通してから作業を行ってください。

日本の華族一覧(にほんのかぞくいちらん)は、1869年明治2年)から1947年昭和22年)までの日本に存在した華族制度において、1884年(明治17年)7月7日に制定された華族令による叙爵者(爵位を授けられた者)の一覧である。

ここでは五十音順で表記する。

目次
 
   
 
   
 

あ行

[編集]

[編集]
叙爵者
(名前の読み)
爵位種別出自・出身叙爵日備考
相浦紀道
(あいうら のりみち)
男爵勲功肥前国明治28年8月20日海軍中将、日清戦争の功により叙爵。昭和18年11月に孫助一は爵位を返上
青木周蔵
(あおき しゅうぞう)
子爵勲功長州藩明治20年5月9日条約改正にあたり功。のち外務大臣
青木重義
(あおき しげよし)
子爵武家摂津麻田藩1万石明治17年7月8日
青山忠誠
(あおやま ただしげ)
子爵武家丹波篠山藩6万石明治17年7月8日
青山幸宜
(あおやま ゆきよし)
子爵武家美濃郡上藩4万8000石明治17年7月8日貴族院子爵議員
青山貞
(あおやま ただす)
男爵勲功越前国明治20年5月24日元老院議官、秋田県知事等を務めた功
青山胤通
(あおやま たねみち)
男爵勲功美濃苗木藩士大正6年12月14日ペスト菌研究者。東京帝大医科大学長等を歴任
明石元二郎
(あかし もとじろう)
男爵勲功筑前福岡藩大正8年10月24日陸軍大将台湾総督在任のまま死去の前々日に叙爵
赤松則良
(あかまつ のりよし)
男爵勲功幕府十五番組御徒士御家人明治20年5月24日造船学で重きをなす。昭和20年7月子の範一没後、襲爵手続きせず
秋田映季
(あきた あきすえ)
子爵武家陸奥三春藩5万石明治17年7月8日
秋月種繁
(あきづき たねしげ)
子爵武家日向高鍋藩2万7000石明治17年7月8日父の種樹は参与、のち明治天皇の侍読
秋元興朝
(あきもと おきとも)
子爵武家上野館林藩6万石明治17年7月8日
浅田信興
(あさだ のぶおき)
男爵勲功武藏川越藩士明治40年9月21日日露戦争に功。陸軍大将
浅野長勲
(あさの ながこと)
侯爵武家安芸広島藩42万6500石明治17年7月7日戊辰戦争に出兵、維新後元老院議官
浅野忠純
(あさの ただずみ)
男爵武家広島藩家老・三原領3万石明治33年5月9日筆頭家老。叙爵時の名は哲吉。
浅野守夫
(あさの もりお)
男爵武家広島藩家老・東城領1万石明治33年5月9日
浅野養長
(あさの やすなが)
男爵武家浅野侯爵家分家明治21年11月1日
足利於菟丸
(あしかが おとまる)
子爵武家下野喜連川藩5000石(10万石格)明治17年7月8日古河公方足利家小弓公方足利家の末裔
飛鳥井雅望
(あすかい まさもち)
伯爵公家花山院流花山院家支流難波家庶流928石明治17年7月7日
阿蘇惟敦
(あそ これあつ)
男爵神官阿蘇神社神職明治17年7月8日
足立正声
(あだち まさな)
男爵勲功因幡鳥取藩士明治39年12月15日宮内省東宮亮・諸陵頭を歴任
姉小路公義
(あねがこうじ きんとも)
伯爵公家三条家分家200石明治17年7月7日父の公知は幕末、攘夷派の中心として活躍
阿野実允
(あの さねちか)
子爵公家閑院流阿野家478石明治17年7月8日昭和19年12月子季忠没後に後継者を欠く
油小路隆晃
(あぶらのこうじ たかてる)
伯爵公家四条家分家150石明治17年7月7日
阿部正功
(あべ まさこと)
子爵武家陸奥棚倉藩10万石明治17年7月8日
阿部正桓
(あべ まさたけ)
伯爵武家備後福山藩11万石明治17年7月7日箱館戦争で功
阿部正敬
(あべ まさのり)
子爵武家上総佐貫藩1万6000石明治17年7月8日福山阿部家の分家。貴族院子爵議員。
安保清康
(あぼ きよやす)
男爵勲功肥前国明治29年6月5日海軍中将に進み、日清戦争で功
綾小路有良
(あやのこうじ ありかず)
子爵公家宇多源氏200石明治17年7月8日
新井清一
(あらい きよかず)
男爵勲功肥前国明治40年10月2日父の晴簡は陸軍中将に進み、日露戦争に功
荒尾之茂
(あらお これしげ)
男爵武家鳥取藩家老・米子領1万5000石明治39年9月17日之茂の夫人は三井高保の三女
荒尾嘉就
(あらお よしなり)
男爵武家鳥取藩家老・倉吉領1万2000石明治39年9月17日
荒木貞夫
(あらき さだお)
男爵勲功東京都狛江市昭和10年12月26日満州事変の功により叙爵、のちA級戦犯
荒木田泰圀
(あらきだ やすくに)
男爵神官伊勢神宮神職明治23年8月27日
有坂成章
(ありさか なりあきら)
男爵勲功長州藩士明治40年9月21日陸軍で有坂砲を発明して陸軍中将
有地品之允
(ありち しなのじょう)
男爵勲功長州藩士武術指南役1000石明治29年6月5日日清戦争に功
有馬頼万
(ありま よりつむ)
伯爵武家筑後久留米藩21万石明治17年7月7日
有馬頼之
(ありま よりゆき)
子爵武家下野吹上藩1万石明治17年7月8日貴族院子爵議員。子の聰頼が昭和18年11月に爵位返上
有馬道純
(ありま みちずみ)
子爵武家越前丸岡藩5万石明治17年7月8日
有馬新一
(ありま しんいち)
男爵勲功薩摩国明治40年9月21日海軍中将に進み、日露戦争で功
有馬頼多
(ありま よりかず)
男爵武家有馬伯爵家分家明治30年7月1日
有吉立礼
(ありよし たつひろ)
男爵武家肥後熊本藩家老1万8000石明治39年9月17日上卿三家(第三座)
粟田彰常
(あわた あきつね)
侯爵皇族東久邇宮家昭和15年10月25日東久邇宮稔彦王の三男、願いに依り臣籍降下
粟田口定孝
(あわたぐち さだたか)
男爵公家勧修寺流葉室家庶流50石明治17年7月8日
安藤信守
(あんどう のぶもり)
子爵武家陸奥磐城平藩3万石明治17年7月8日
安東貞美
(あんどう さだよし)
男爵勲功信濃飯田藩士明治40年9月21日陸軍大将、日露戦争に功あり
安藤直行
(あんどう なおゆき)
男爵武家紀伊田辺藩3万8800石明治17年7月8日紀州徳川家附家老
安部信順
(あんべ のぶまさ)
子爵武家三河半原藩2万250石明治17年7月8日昭和21年12月養子の信明没後、襲爵手続きせず

[編集]
叙爵者
(名前の読み)
爵位種別出自・出身叙爵日備考
井伊直憲
(いい なおのり)
伯爵武家近江彦根藩20万石明治17年7月7日戊辰戦争で倒幕軍に加わった
井伊直安
(いい なおやす)
子爵武家越後与板藩2万石明治17年7月8日貴族院子爵議員
飯田俊助
(いいだ としすけ)
男爵勲功長門国明治40年9月21日陸軍中将に進み、日露戦争に功
伊江朝永
(いえ ちょうえい)
男爵武家旧琉球王尚家分家明治23年5月26日[1]
伊賀氏広
(いが うじひろ)
男爵武家土佐藩家老・宿毛領6300石明治33年5月9日山内豊信(容堂)の弟。伊賀氏初代山内可氏山内一豊の甥。養父氏成の維新の功
伊木忠愛
(いぎ ただなる)
男爵武家岡山藩家老・虫明領3万3300石明治39年9月17日筆頭家老
池尻知房
(いけがみ ともふさ)
子爵公家勧修寺流50石3人扶持明治17年7月8日
池田章政
(いけだ あきまさ)
侯爵武家備前岡山藩31万5200石明治17年7月7日
池田勝吉
(いけだ かつよし)
男爵武家岡山池田家分家明治17年7月8日
池田謙斎
(いけだ けんさい)
男爵勲功東京都明治31年2月2日日本最初の医学博士
池田長準
(いけだ ながとし)
男爵武家岡山藩家老・周匝領2万2000石明治33年5月9日
池田輝知
(いけだ てるとも)
侯爵武家因幡鳥取藩32万石明治17年7月7日
池田徳定
(いけだ のりさだ)
子爵武家因幡若桜藩1万5000石明治17年7月8日鳥取池田家分家
池田徳潤
(いけだ のります)
男爵武家播磨福本藩1万573石明治17年7月8日交代寄合播磨神崎郡福本領主。明治27年1月爵位返上
池田源
(いけだ はじめ)
子爵武家因幡鹿奴藩3万石明治17年7月8日鳥取池田家分家
池田博愛
(いけだ ひろのり)
男爵武家岡山藩家老・津高領1万石明治39年9月17日建部池田家
池田政礼
(いけだ まさのり)
子爵武家備中生坂藩1万5000石明治17年7月8日
池田政保
(いけだ まさやす)
子爵武家備中鴨方藩2万5000石明治17年7月8日
池田政和
(いけだ まさやす)
男爵武家岡山藩家老・天城領3万2000石明治24年12月28日
生駒親承
(いこま ちかつぐ)
男爵武家出羽矢島藩1万5200石明治17年7月8日交代寄合出羽由利郡矢島領主
諫早家崇
(いさはや いえたか)
男爵武家佐賀藩家老・諫早領2万2500石明治30年10月27日親類同格家老、戦国大名・龍造寺氏の一門
石井菊次郎
(いしい きくじろう)
子爵勲功上総国大正5年7月14日明治44年8月24日男爵→子爵。外務大臣
石川重之
(いしかわ しげゆき)
子爵武家常陸下館藩2万石明治17年7月8日明治20年に爵位を返上するが、明治32年再び子爵
石川成徳
(いしかわ なりよし)
子爵武家伊勢亀山藩6万石明治17年7月8日
石黒忠悳
(いしぐろ ただのり)
子爵勲功幕府代官手代大正9年9月24日明治28年8月20日男爵→子爵。陸軍医総監を歴任。昭和16年4月没後に嫡男忠篤(当時農林大臣)が襲爵手続きせず栄典喪失[2]
石河光熙
(いしこ みつてる)
男爵武家尾張徳川家家老・美濃駒塚領1万石明治33年5月9日
石田英吉
(いしだ えいきち)
男爵勲功土佐国明治29年6月5日大正15年3月24日に孫の英一郎は爵位返上[3]
伊地知正治
(いじち まさはる / しょうじ)
伯爵勲功薩摩国明治17年7月17日戊辰戦争で功をなし、維新後、左院の議長
伊地知幸介
(いじち こうすけ)
男爵勲功薩摩国明治40年9月21日陸軍中将に進み、日露戦争で功
石本新六
(いしもと しんろく)
男爵勲功播磨姫路藩士明治40年9月21日陸軍中将に進み、日露戦争に功
石山基文
(いしやま もとふみ)
子爵公家中御門流30石3人扶持明治17年7月8日参与・侍従を歴任
伊集院兼寛
(いじゅういん かねひろ)
子爵勲功薩摩藩士明治20年5月24日海軍少将、元老院議官、貴族院議員を歴任
伊集院五郎
(いじゅういん ごろう)
男爵勲功薩摩藩士明治40年9月21日元帥海軍大将に進み、日露戦争に功
伊集院彦吉
(いじゅういん ひこきち)
男爵勲功薩摩藩士大正9年9月7日パリ講和会議に全権委員として参加、その功労による
伊瀬知好成
(いせち よしなり)
男爵勲功薩摩藩明治40年9月21日陸軍中将に進み、日露戦争に功
井田譲
(いだ ゆずる)
男爵勲功美濃大垣藩明治22年11月22日[4]維新・西南戦争の功。陸軍少将、特命全権公使、元老院議官等歴任
板垣退助
(いたがき たいすけ)
伯爵勲功土佐藩士明治20年5月9日東山道先鋒総督府参謀。華族一代論を主張し、没後襲爵手続きせず
板倉勝弼
(いたくら かつすけ)
子爵武家備中高梁藩2万石明治17年7月8日
板倉勝弘
(いたくら かつひろ)
子爵武家備中庭瀬藩2万石明治17年7月8日
板倉勝観
(いたくら かつみ)
子爵武家上野安中藩3万石明治19年4月24日元川越藩主松平康載。松井(松平)家を離籍後に板倉家の婿として家督相続
板倉勝達
(いたくら かつみち)
子爵武家三河重原藩2万8000石明治17年7月8日
伊丹重賢
(いたみ しげかた)
男爵勲功京都府明治29年6月5日諸官を歴任、後に元老院議官
一木喜德郎
(いちき きとくろう)
男爵勲功遠江掛川藩昭和8年4月25日文部大臣宮内大臣等を歴任
一条実輝
(いちじょう さねてる)
公爵公家九条流摂関家2044石明治17年7月7日海軍大佐から東宮侍従長に任ぜられた
一条実基
(いちじょう さねもと)
男爵公家一条公爵家分家明治35年3月10日
市橋長寿
(いちはし ながひさ)
子爵武家近江仁正寺藩1万7000石明治17年7月8日
五辻安仲
(いつつじ やすなか)
子爵公家宇多源氏200石明治17年7月8日岩倉使節団に随行
伊藤圭介
(いとう けいすけ)
男爵勲功愛知県明治34年1月22日シーボルトに師事。日本最初の理学博士
伊東祐麿
(いとう すけまろ)
子爵勲功薩摩藩士明治17年7月7日海軍中将に進み、軍務局長等を歴任
日向飫肥藩伊東氏の一門
伊東祐帰
(いとう すけより)
子爵武家日向飫肥藩5万1080石明治17年7月8日
伊藤雋吉
(いとう としよし)
男爵勲功丹後田辺藩士明治28年8月20日海軍中将に進み、日清戦争に功
伊東長トシ
(いとう ながとし)
子爵武家備中岡田藩1万303石明治17年7月8日トシの字は卆の左下に百の字、右下が千の字
伊藤博文
(いとう ひろぶみ)
公爵勲功長州藩明治40年9月21日明治17年7月7日伯爵→明治28年8月5日侯爵→公爵
伊藤文吉
(いとう ぶんきち)
男爵勲功伊藤公爵家分家明治42年11月1日伊藤博文の養子。夫人は桂太郎の四女
伊東巳代治
(いとう みよじ)
伯爵勲功肥前国大正11年9月25日明治28年8月20日男爵→明治40年9月23日子爵→伯爵
伊東祐亨
(いとう すけゆき / ゆうこう)
伯爵勲功薩摩藩士明治40年9月21日明治28年8月5日子爵→伯爵。初代連合艦隊司令長官
日向飫肥藩伊東氏の一門
伊東義五郎
(いとう よしごろう)
男爵勲功信濃松代藩士明治40年9月21日海軍中将に進み、日露戦争に功
到津公誼
(いとうづ きみよし)
男爵神官宇佐神宮神職明治17年7月8日後の当主の公斉は宇佐神宮宮司
稲垣長敬
(いながき ながひろ)
子爵武家志摩鳥羽藩3万石明治17年7月8日
稲垣太祥
(いながき もとよし)
子爵武家近江山上藩1万3430石明治19年7月16日
稲田邦植
(いなだ くにたね)
男爵武家徳島藩家老・淡路洲本領1万4357石明治29年6月9日筆頭家老
稲葉久通
(いなば ひさみち)
子爵武家豊後臼杵藩5万60石明治17年7月8日
稲葉正邦
(いなば まさくに)
子爵武家山城淀藩10万2000石明治17年7月8日内国事務総裁兼務御役
稲葉正善
(いなば まさよし)
子爵武家安房館山藩1万石明治17年7月8日
井上馨
(いのうえ かおる)
侯爵勲功長州藩士明治40年9月21日明治17年7月7日伯爵→侯爵
井上勝
(いのうえ まさる)
子爵勲功長州藩士明治20年5月24日造幣寮の確立、鉄道発展に寄与。鉄道庁長官
井上毅
(いのうえ こわし)
子爵勲功肥後熊本藩家老長岡監物家臣明治28年1月7日憲法発布に尽力。教育勅語や諸法令を起草
井上正順
(いのうえ まさより)
子爵武家下総高岡藩1万石明治17年7月8日
井上正巳
(いのうえ まさおと)
子爵武家常陸下妻藩1万石明治17年7月8日
井上正英
(いのうえ まさひで)
子爵武家上総鶴舞藩6万石明治17年7月8日
井上良馨
(いのうえ よしか)
子爵勲功薩摩藩士明治40年9月1日海軍大将。明治20年5月24日男爵→子爵。昭和9年2月子隠居後、孫の良正は襲爵手続きせず
井上光
(いのうえ ひかる)
男爵勲功周防岩国藩士明治40年9月21日陸軍大将に進み、日露戦争に功
井上良智
(いのうえ よしとも)
男爵勲功薩摩国明治40年9月21日海軍中将に進み、日露戦争に功
茨木惟昭
(いばらき これあき)
男爵勲功紀州藩士明治28年8月20日陸軍中将に進み、日清戦争に功
今枝直規
(いまえだ なおのり)
男爵武家加賀藩家老1万2000石明治33年5月9日今枝内記家。貴族院男爵議員
今城定徳
(いまき さだよし)
子爵公家花山院流庶流118石明治17年7月8日
今園国映
(いまその くにてる)
男爵公家勧修寺流勧修寺家庶流50石明治17年7月8日貴族院男爵議員
入江為守
(いりえ ためもり)
子爵公家御子左流30石3人扶持明治17年7月8日貴族院議員で、東宮侍従長
石井行昌
(いわい ゆきまさ)
子爵公家桓武平氏高棟王流130石明治17年7月8日
岩城隆治
(いわき たかはる)
子爵武家出羽亀田藩2万石明治17年7月8日明治22年に夭折し弟の岩城隆長が家督相続。
岩倉具定
(いわくら ともさだ)
公爵公家村上源氏150石明治17年7月8日岩倉具視の次男。その功により叙爵
岩倉具経
(いわくら ともつね)
子爵公家岩倉公爵家分家明治24年4月23日具視の三男。明治17年7月8日男爵。その功により長男具明が子爵に陞爵。
岩倉具徳
(いわくら とものり)
男爵公家岩倉公爵家分家明治17年7月8日具視の孫。明治16年7月13日、特旨ヲ以テ華族ニ被列候事[5]
岩倉道倶
(いわくら みちとも)
男爵公家岩倉公爵家分家明治29年12月3日具視の四男
岩佐純
(いわさ じゅん)
男爵勲功越前国明治40年9月23日宮中の侍医として奉仕
岩崎久彌
(いわさき ひさや)
男爵勲功土佐藩明治29年6月9日父の岩崎彌太郎三菱会社を創立し、実業に功あり
岩崎彌之助
(いわさき やのすけ)
男爵勲功土佐藩明治29年6月9日日本銀行総裁を歴任。彌太郎の弟。昭和20年12月子小弥太没後、襲爵手続きせず
岩下方平
(いわした みちひら)
子爵勲功薩摩藩士明治20年5月9日元老院議官をつとめる
石野基佑
(いわの もとすけ)
子爵公家中御門流30石3人扶持明治17年7月8日
岩村通俊
(いわむら みちとし)
男爵勲功土佐藩家老宿毛領主伊賀家臣明治29年6月5日農商務大臣、宮中顧問官を歴任
岩村高俊
(いわむら たかとし)
男爵勲功土佐藩家老宿毛領主伊賀家臣明治29年6月5日通俊の弟

[編集]
叙爵者
(名前の読み)
爵位種別出自・出身叙爵日備考
上杉茂憲
(うえすぎ もちのり)
伯爵武家出羽米沢藩14万石明治17年7月7日沖縄県令・元老院議官を歴任
上杉勝賢
(うえすぎ かつかた)
子爵武家出羽米沢新田藩1万石明治17年7月8日
上田有沢
(うえだ ありさわ)
男爵勲功阿波徳島藩士明治40年9月21日日露戦争に功あり。陸軍大将
上田亀次郎
(うえだ かめじろう)
男爵武家広島藩家老・小方領1万石明治33年5月9日
上野正雄
(うえの まさお)
伯爵皇族北白川宮家明治30年7月1日北白川宮能久親王の六男で臣籍降下
上原勇作
(うえはら ゆうさく)
子爵勲功薩摩藩士大正10年4月18日明治40年9月21日男爵→子爵。陸軍大将
植松雅徳
(うえまつ まさとみ)
子爵公家村上源氏130石明治17年7月8日
植村家壺
(うえむら いえひろ)
子爵武家大和高取藩2万5000石明治17年7月8日
宇佐川一正
(うさがわ かずまさ)
男爵勲功長州藩士明治40年9月21日日露戦争の功により叙爵。陸軍中将
宇治家彦
(うじ いえひこ)
伯爵皇族久邇宮家昭和17年10月5日久邇宮多嘉王の二男で、昭和17年に臣籍降下
太秦供康
(うずまさ ともやす)
男爵公家水無瀬一門桜井支流50石明治17年7月8日養父太秦供親興福寺慈尊院住職。陸軍歩兵少佐、貴族院男爵議員を務めた。
内田康哉
(うちだ やすや)
伯爵勲功肥後熊本藩藩医大正9年9月7日明治40年11月4日男爵→子爵→伯爵
内田正学
(うちだ まさあきら)
子爵武家下総小見川藩1万石明治17年7月8日
内田正敏
(うちだ まさとし)
男爵勲功土佐国明治40年9月21日海軍中将に進み、日清・日露戦争に功
内山小二郎
(うちやま こじろう)
男爵勲功因幡鳥取藩士大正10年11月26日陸軍大将に進み、第一次世界大戦の功で叙爵
内海忠勝
(うつみ ただかつ)
男爵勲功長州藩士明治33年5月9日内務大臣
梅小路定行
(うめこうじ さだゆき)
子爵公家勧修寺流勧修寺家庶流30石3人扶持明治17年7月8日貴族院子爵議員
梅園実紀
(うめぞの さねこと)
子爵公家閑院流西園寺家庶流150石明治17年7月8日
梅渓通善
(うめだに みちたる)
子爵公家村上源氏150石明治17年7月8日巨人軍名誉オーナー正力亨夫人実家
裏辻彦六郎
(うらつじ ひころくろう)
子爵公家閑院流西園寺家庶流150石明治17年7月8日
裏松良光
(うらまつ たるみつ)
子爵公家日野家支流130石明治17年7月8日陸軍歩兵少佐・貴族院子爵議員
瓜生外吉
(うりゅう そときち)
男爵勲功加賀大聖寺藩士明治40年9月21日海軍大将に進み、日露戦争に功

[編集]
叙爵者
(名前の読み)
爵位種別出自・出身叙爵日備考
榎本武揚
(えのもと たけあき)
子爵勲功旗本明治20年5月24日幕臣だが、赦免され海軍中将等を歴任

[編集]
叙爵者
(名前の読み)
爵位種別出自・出身叙爵日備考
大井成元
(おおい しげもと)
男爵勲功長州藩士大正10年4月18日陸軍大将に昇進後シベリア出兵の功で叙爵
大炊御門幾麿
(おおいのみかど いくまろ)
侯爵公家花山院流大炊御門家400石明治17年7月7日
大浦兼武
(おおうら かねたけ)
子爵勲功薩摩藩士明治44年8月24日明治40年9月21日男爵→子爵。内務大臣を歴任
大岡忠敬
(おおおか ただたか)
子爵武家三河西大平藩1万石明治17年7月8日徳川吉宗の信任厚かった越前守忠相の子孫
大岡忠貫
(おおおか ただつら)
子爵武家武蔵岩槻藩2万3000石明治17年7月8日
大木喬任
(おおき たかとう)
伯爵勲功肥前佐賀藩士明治17年7月7日司法卿・元老院議長などを歴任
正親町実正
(おおぎまち さねまさ)
伯爵公家閑院流西園寺家庶流355石明治17年7月7日養父の公董は戊辰戦争で功をなす
正親町季董
(おおぎまち すえただ)
男爵公家正親町伯爵家分家明治22年5月6日公董の三男。大正11年9月子季光没後に後継者を欠く
大久保利和
(おおくぼ としなか)
侯爵勲功薩摩藩士御小姓与明治17年7月7日父の利通は王政復古に大きな働きをした
大久保忠礼
(おおくぼ ただのり)
子爵武家相模小田原藩11万3192石明治17年7月8日大久保彦左衛門家の本家
大久保忠寛
(おおくぼ ただひろ)
子爵勲功旗本明治20年5月24日維新後、東京府知事・元老院議官を歴任し、叙爵
大久保忠順
(おおくぼ ただより)
子爵武家下野烏山藩3万石明治17年7月8日
大久保教正
(おおくぼ のりまさ)
子爵武家相模荻野山中藩1万3000石明治17年7月8日
大久保春野
(おおくぼ はるの)
男爵勲功県社淡海國玉神社祠官家明治40年9月21日日露戦争に功あり。叙爵後、陸軍大将。昭和11年4月養子の光野没後、襲爵手続きせず
大隈重信
(おおくま しげのぶ)
侯爵勲功肥前佐賀藩士砲術長300石大正5年7月14日明治20年5月9日伯爵→侯爵
大倉喜八郎
(おおくら きはちろう)
男爵勲功越後新発田藩大正4年12月1日幕末に鉄砲で財をなす。大倉財閥を形成
大蔵平三
(おおくら へいぞう)
男爵勲功岡山県明治40年9月21日陸軍中将に進み、日露戦争に功
大河内輝耕
(おおこうち きこう)
子爵武家上野高崎藩8万2000石明治17年7月8日大河内松平家
大河内信古
(おおこうち のぶひさ)
子爵武家三河豊橋藩7万石明治17年7月8日大河内松平家
大河内正質
(おおこうち まさただ)
子爵武家上総大多喜藩2万7200石明治17年7月8日大河内松平家
大迫尚敏
(おおさこ なおはる)
子爵勲功薩摩国明治40年9月21日明治28年8月20日男爵→子爵。陸軍大将
大迫貞清
(おおさこ さだきよ)
子爵勲功薩摩国明治20年5月24日警視総監・元老院議官を歴任
大島久直
(おおしま ひさなお)
子爵勲功出羽久保田藩士槍術師範明治40年9月21日明治28年8月20日男爵→子爵。陸軍大将
大島義昌
(おおしま よしまさ)
子爵勲功長州藩士明治40年9月21日明治28年8月20日男爵→子爵。陸軍大臣
大角岑生
(おおすみ みねお)
男爵勲功愛知県(本籍:高知県)昭和10年12月26日満州事変の功により叙爵。海軍大臣
大関増勤
(おおぜき ますとし)
子爵武家下野黒羽藩1万8000石明治17年7月8日
太田資美
(おおた すけよし)
子爵武家上総松尾藩5万3000石明治17年7月8日
大谷光瑩
(おおたに こうえい)
伯爵僧家浄土真宗涼風殿明治29年6月9日徳川家康から寺域を得、以後、浄土真宗東本願寺法主
大谷光尊
(おおたに こうそん)
伯爵僧家本願寺門跡明治29年6月9日その子が光瑞西本願寺法主
大谷喜久蔵
(おおたに きくぞう)
男爵勲功若狭小浜藩藩校「順造館」教授大正9年12月28日陸軍大将に進み、シベリア出兵の功で叙爵。大正12年11月没後、襲爵手続きせず
大田原一清
(おおたわら かずきよ)
子爵武家下野大田原藩1万1400石明治17年7月8日
大寺千代田郎
(おおでら ちよたろう)
男爵勲功薩摩藩明治28年8月20日父の安純の日清戦争中の功により叙爵
大鳥圭介
(おおとり けいすけ)
男爵勲功旗本明治33年5月9日幕臣で五稜郭にたてこもり入獄した。昭和6年11月子の富士太郎没後、襲爵手続きせず
大沼渉
(おおぬま わたる)
男爵勲功下野国黒羽藩明治32年10月14日陸軍少将に進み、維新の功により叙爵。昭和19年11月曾孫靖の没後女戸主となり栄典喪失
大原重朝
(おおはら しげとも)
伯爵公家宇多源氏庭田家庶流30石3人扶持明治21年1月17日明治17年7月8日子爵→伯爵
大宮以季
(おおみや もちすえ)
子爵公家閑院流西園寺家庶流130石明治17年7月8日貴族院子爵議員
大村純雄
(おおむら すみお)
伯爵武家肥前大村藩2万7900石明治24年4月23日明治17年7月8日子爵→伯爵
大村寛人
(おおむら ひろと)
子爵勲功周防吉敷郡鋳銭司村字大村村医明治21年1月17日祖父の益次郎は日本陸軍の創始者
大村武純
(おおむら たけずみ)
男爵武家大村伯爵家分家明治42年12月20日
大森鍾一
(おおもり しょういち)
男爵勲功静岡県大正4年12月1日京都府知事を14年間勤める
大山巌
(おおやま いわお)
公爵勲功薩摩藩士明治40年9月21日明治17年7月7日伯爵→侯爵→公爵
岡市之助
(おか いちのすけ)
男爵勲功山口県大正5年7月6日陸軍中将に進み、日清・日露戦争、第一次世界大戦の功あり。陸軍大臣
岡玄卿
(おか げんけい)
男爵勲功岡山県明治40年9月23日宮中顧問官、侍医頭を勤め、日露戦争の功により叙爵
岡内重俊
(おかうち しげとし)
男爵勲功土佐藩明治33年5月9日司法官、元老院議官を勤め、維新の功により叙爵
岡崎国良
(おかざき くによし)
子爵公家勧修寺流30石3人扶持明治17年7月8日
岡崎生三
(おかざき せいぞう)
男爵勲功土佐藩士明治40年9月21日日露戦争に功あって陸軍中将に進み叙爵
岡沢精
(おかざわ くわし)
子爵勲功長門国明治40年9月21日明治28年8月20日男爵→子爵。陸軍大将等を歴任
小笠原忠忱
(おがさわら ただのぶ)
伯爵武家豊前小倉藩15万石明治17年7月7日戊辰戦争における奥羽出兵に功あり
小笠原長育
(おがさわら ながなり)
子爵武家越前勝山藩2万2700石明治17年7月8日
小笠原長生
(おがさわら ながなり)
子爵武家肥前唐津藩6万石明治17年7月8日海軍中将に進む
小笠原寿長
(おがさわら ひさなが)
子爵武家豊前千束藩1万石明治17年7月8日貴族院子爵議員
小笠原貞孚
(おがさわら さだちか)
子爵武家播磨安志藩1万石明治17年7月8日
岡野敬次郎
(おかの けいじろう)
男爵勲功東京都大正14年12月18日司法大臣・文部大臣を歴任
岡部長職
(おかべ ながもと)
子爵武家和泉岸和田藩5万3000石明治17年7月8日
小川又次
(おがわ またじ)
子爵勲功豊前小倉藩明治40年9月21日明治28年8月20日男爵→子爵。陸軍大将
沖守固
(おき もりかた)
男爵勲功因幡鳥取藩明治33年5月9日各府県知事・元老院議官を歴任
沖原光孚
(おきはら こうふ)
男爵勲功岩国藩明治40年9月21日陸軍中将に進み、日露戦争に功
大給恒
(おぎゅう ゆずる)
伯爵武家信濃田野口・竜岡藩1万6000石明治40年9月23日大給松平家、明治17年7月8日子爵→伯爵
大給近道
(おぎゅう ちかみち)
子爵武家豊後府内藩2万1200石明治17年7月8日大給松平家
奥保鞏
(おく やすかた)
伯爵勲功豊前小倉藩明治40年9月21日明治28年8月20日男爵→伯爵。元帥・陸軍大将
奥田直紹
(おくだ なおつぐ)
子爵武家越後椎谷藩1万石明治17年7月8日旧姓堀
奥田直暢
(おくだ なおのぶ)
子爵武家越後村松藩3万石明治17年7月8日旧姓堀
奥田直明
(おくだ なおあきら)
子爵武家信濃須坂藩1万石明治17年7月8日旧姓堀
奥田義人
(おくだ よしと)
男爵勲功因幡国鳥取藩士大正6年8月14日文部大臣・東京市長・中央大学長を歴任
奥平昌邁
(おくだいら まさゆき)
伯爵武家豊前中津藩10万石明治17年7月7日奥平昌服・昌邁父子は戊辰戦争で功を挙げた
奥村栄滋
(おくむら てるしげ)
男爵武家加賀藩家老1万7000石明治33年5月9日奥村河内守家
父の栄通の功による
奥村則英
(おくむら のりひで)
男爵武家加賀藩家老1万2000石明治33年5月9日奥村内膳家
父の則友の功による
小倉英季
(おぐら ひですえ)
子爵公家閑院流150石明治17年7月8日陸軍歩兵大佐・貴族院子爵議員
尾崎忠治
(おざき ただはる)
男爵勲功土佐藩明治33年5月9日判事・大審院長を歴任
尾崎三良
(おざき さぶろう)
男爵勲功京都府明治29年6月5日国事に尽くし、元老院議官等を歴任
小沢武雄
(おざわ たけお)
男爵勲功筑前小倉藩明治20年5月24日陸軍中将・陸軍士官学校長等を歴任
押小路公亮
(おしこうじ きんあき)
子爵公家閑院流130石明治17年7月8日
押小路師成
(おしこうじ もろなり)
男爵公家大外記54石明治17年7月8日
織田長純
(おだ ながずみ)
子爵武家大和芝村藩1万石明治17年7月8日信長の弟・有楽斎の系統
織田信及
(おだ のぶひろ)
子爵武家大和柳本藩1万石明治17年7月8日信長の弟・有楽斎の系統
織田信敏
(おだ のぶとし)
子爵武家出羽天童藩2万石明治17年7月8日信長の二男、信雄が祖
織田信親
(おだ のぶちか)
子爵武家丹波柏原藩2万石明治17年7月8日
愛宕通致
(おたぎ みちずみ)
子爵公家村上源氏130石明治17年7月8日桂宮家祗候・殿掌
音羽正彦
(おとは ただひこ)
侯爵皇族朝香宮家昭和11年4月1日朝香宮鳩彦王二男、臣籍降下。昭和19年2月戦死後に後継者を欠く
小野尊光
(おの たかみつ)
男爵神官日御碕神社神職明治17年7月8日貴族院男爵議員
小畑美稲
(おばた うましね)
男爵勲功土佐藩明治29年6月5日司法畑を歩き、元老院議官を歴任
小原忠迪
(おはら ただみち)
男爵武家美濃大垣藩家老750石明治33年5月9日父の忠寛の維新時の功により叙爵

か行

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叙爵者
(名前の読み)
爵位種別出自・出身叙爵日備考
海江田信義
(かいえだ のぶよし)
子爵勲功薩摩藩士明治20年5月24日元老院議官等を歴任。長女は東郷平八郎夫人
香川敬三
(かがわ けいぞう)
伯爵勲功常陸水戸藩郷士明治40年9月23日明治20年5月9日子爵→伯爵
風早公紀
(かぜはや きんこと)
子爵公家閑院流姉小路支流30石3人扶持明治17年7月8日
花山院忠遠
(かさんのいん ただとう)
侯爵公家花山院家715石明治17年7月7日
梶野行篤
(かじの ゆきあつ)
男爵公家石井庶流40名明治17年7月8日
鹿島萩麿
(かしま はぎまろ)
伯爵皇族山階宮家昭和3年7月20日山階宮菊麿王四男で、臣籍降下
賀島政一
(かしま まさかず)
男爵武家徳島藩家老・牛岐領1万石明治33年5月9日父の政範の維新時の功による。昭和17年12月の没後、襲爵手続きせず
勧修寺顕允
(かじゅうじ あきよし)
伯爵公家勧修寺家708石明治17年7月7日貴族院伯爵議員
片岡利和
(かたおか としかず)
男爵勲功土佐国明治33年5月9日侍従
片岡七郎
(かたおか しちろう)
男爵勲功薩摩藩士明治40年9月21日日露戦争に功あり、のち海軍大将
片桐貞健
(かたぎり さだたけ)
子爵武家大和小泉藩1万1100石明治17年7月8日
片倉景光
(かたくら かげみつ)
男爵武家仙台藩家老・白石城主1万8000石明治31年7月20日北海道開拓の功による
交野時万
(かたの ときつむ)
子爵公家桓武平氏高棟王流30石3人扶持明治17年7月8日松坂屋」の伊藤家とつながる
華頂博信
(かちょう ひろのぶ)
侯爵皇族伏見宮家大正15年12月7日伏見宮博恭王三男で、大正15年に臣籍降下
勝安芳
(かつ やすよし)
伯爵勲功旗本小普請組明治20年5月9日戊辰戦争のとき、江戸城無血開城を導いた。
桂太郎
(かつら たろう)
公爵勲功長州藩士120石余明治44年4月21日明治28年8月20日子爵→伯爵→侯爵→公爵
葛城茂麿
(かつらぎ しげまろ)
伯爵皇族山階宮家昭和4年12月24日山階宮菊麿王の五男。臣籍降下
勘解由小路資生
(かでのこうじ すけより)
子爵公家日野流130石明治17年7月8日国事御用掛・元老院御用掛・貴族院議員等を歴任
加藤高明
(かとう たかあき)
伯爵勲功尾張名古屋藩藩士大正15年1月28日明治44年8月24日男爵→子爵→伯爵
加藤明実
(かとう あきざね)
子爵武家近江水口藩2万5000石明治17年7月8日
加藤友三郎
(かとう ともさぶろう)
子爵勲功安芸広島藩13石大正12年8月24日大正9年9月7日男爵→子爵。内閣総理大臣
加藤泰令
(かとう やすのり)
子爵武家伊豫新谷藩1万石明治17年7月8日
加藤泰秋
(かとう やすあき)
子爵武家伊豫大洲藩6万石明治17年7月8日
加藤弘之
(かとう ひろゆき)
男爵勲功但馬出石藩士明治33年5月9日帝国学士院長・元老院議官等を歴任
加藤定吉
(かとう さだきち)
男爵勲功東京都大正5年7月14日海軍大将。第一次大戦に功あり
楫取素彦
(かとり もとひこ)
男爵勲功長門国大津郡三隅村明治20年5月24日維新に功あり。元老院議官
金子堅太郎
(かねこ けんたろう)
伯爵勲功筑前福岡藩士勘定所附昭和9年1月4日明治33年5月9日男爵→子爵→伯爵
金子有卿
(かねこ ありのり)
男爵神官物部神社神職明治17年7月8日貴族院男爵議員
鹿野勇之進
(かの ゆうのしん)
男爵勲功信濃国松代藩士明治40年9月21日日清・日露戦争に功あって叙爵。海軍中将
加納久宜
(かのう ひさよし)
子爵武家上総一宮藩1万3000石明治17年7月8日子の久朗日本住宅公団総裁千葉県知事を歴任
樺山資紀
(かばやま すけのり)
伯爵勲功薩摩藩士明治28年8月5日明治17年7月7日子爵→伯爵。海軍大将・文部大臣を歴任
神尾光臣
(かみお みつおみ)
男爵勲功信濃諏訪藩士大正5年7月14日陸軍大将で第一次世界大戦に功
上村彦之丞
(かみむら ひこのじょう)
男爵勲功薩摩国明治40年9月21日日露戦争に功あり。海軍大将。昭和22年2月に孫邦之丞は爵位を返上
亀井茲明
(かめい これあき)
伯爵武家石見津和野藩4万3000石明治24年4月23日父の茲監の功。明治17年7月8日子爵→伯爵
烏丸光亨
(からすまる みつゆき)
伯爵公家日野別家954石明治17年7月7日父の光徳は国事に尽力し、戊辰戦争で功を挙げる
唐橋在綱
(からはし ありつな)
子爵公家菅原家182石明治17年7月8日
川上操六
(かわかみ そうろく)
子爵勲功薩摩藩士明治28年8月5日陸軍大将・参謀総長。戊辰・日清・西南戦争に功。昭和9年9月孫邦良の没後女戸主となり栄典喪失
川口武定
(かわぐち たけさだ)
男爵勲功紀州藩士明治28年8月20日陸軍から海軍に転じ主計総監に進み、日清戦争の功により叙爵
川崎祐名
(かわさき すけな)
男爵勲功鹿児島県明治33年5月9日陸軍会計監督長
川崎芳太郎
(かわさき よしたろう)
男爵勲功鹿児島県大正9年1月13日造船業など実業界で活躍。旧神戸川崎財閥。昭和21年4月子の武之助没後、襲爵手続きせず
河瀬真孝
(かわせ まさたか)
子爵勲功長門国明治20年5月24日侍従長特命全権公使等を歴任
河田景与
(かわた かげとも)
子爵勲功鳥取藩士明治20年5月24日維新に功あり。兵部大丞、福岡藩大参事、鳥取県権令などを歴任。
川田小一郎
(かわた こいちろう)
男爵勲功土佐国土佐郡旭村明治28年10月31日岩崎彌太郎を助け、三菱汽船会社等を創業。日本銀行総裁
河鰭実文
(かわばた さねふみ)
子爵公家閑院流150石明治17年7月8日
河辺隆次
(かわべ たかつぐ)
男爵公家四条家分家油小路氏庶流明治17年7月8日明治30年3月爵位返上
河辺博長
(かわべ ひろなが)
男爵神官伊勢神宮神職明治17年7月8日貴族院男爵議員
川村純義
(かわむら すみよし)
伯爵勲功薩摩藩士明治17年7月7日維新前後の国事に奔走。海軍大将
川村景明
(かわむら かげあき)
子爵勲功薩摩藩士明治40年9月21日明治28年12月4日男爵→子爵。元帥・陸軍大将
神田孝平
(かんだ たかひら)
男爵勲功美濃国不破郡岩手村明治31年7月4日維新後、新政府の諸制度の整備に尽力。昭和5年6月に孫金樹は爵位を返上
甘露寺義長
(かんろじ よしなが)
伯爵公家勧修寺家嫡流200石明治17年7月7日子の受長昭和天皇侍従次長。のち明治神宮宮司

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叙爵者
(名前の読み)
爵位種別出自・出身叙爵日備考
紀俊尚
(き としひさ)
男爵神官日前神宮・國懸神宮神職明治17年7月8日紀伊国造
菊池大麓
(きくち だいろく)
男爵勲功江戸箕作家・父方の菊池家を継ぐ明治35年2月27日東京帝国大学長・文部大臣等を歴任。大正10年3月子泰二没後に後継者を欠く
菊池武臣
(きくち たけおみ)
男爵勲功肥後国明治17年7月8日先祖菊池氏南朝への忠節と維新の功により叙爵。旧姓交代寄合米良氏。貴族院男爵議員。
菊亭脩季
(きくてい ゆきすえ)
侯爵公家閑院流1655石明治17年7月7日
木越安綱
(きごし やすつな)
男爵勲功加賀藩明治40年9月21日陸軍中将に進み、日露戦争に功
北大路公久
(きたおおじ きんひさ)
男爵公家三条末流21石明治17年7月8日
北垣国道
(きたがき くにみち)
男爵勲功鳥取県明治29年6月5日地方行政の功
北河原公憲
(きたかわはら きみのり)
男爵公家四辻庶流45石明治17年7月8日
北小路俊親
(きたこうじ としちか)
子爵公家大江氏嫡流60石明治17年7月8日
北小路俊昌
(きたこうじ としまさ)
男爵公家大江氏北小路家別家明治17年7月8日明治34年3月に子の俊岳は爵位を返上
北小路随光
(きたこうじ よりみつ)
子爵公家日野家柳原支流30石3人扶持明治17年7月8日
北里柴三郎
(きたざと しばさぶろう)
男爵勲功肥後国北里村総庄屋大正13年2月11日北里研究所を設立した医学博士。昭和6年6月没後、襲爵手続きせず
北島脩孝
(きたじま ながのり)
男爵神官出雲国造家出雲大社神職明治17年7月8日出雲北島教会大教主
北畠通城
(きたばたけ みちしろ)
男爵公家久我家庶流明治17年7月8日柏崎県知事・宮中祗候・霊山神社宮司を歴任
北畠治房
(きたばたけ はるふさ)
男爵勲功大和国明治29年6月5日大審院判事、大阪控訴院長を歴任
吉川経健
(きっかわ つねたけ)
子爵武家周防岩国藩6万石明治24年4月23日長州藩一門家老
明治17年7月8日男爵→子爵
吉川重吉
(きっかわ ちょうきち)
男爵武家吉川子爵家分家明治24年11月21日貴族院男爵議員
木戸正二郎
(きど しょうじろう)
侯爵勲功長州藩大組士170石明治17年7月7日父は木戸孝允毛利元就の七男天野元政の血を引く
木梨精一郎
(きなし せいいちろう)
男爵勲功長門国明治29年6月5日王事に尽くし、維新後、諸官を歴任
木下俊哲
(きのした としあき)
子爵武家豊後日出藩2万5000石明治17年7月8日藩祖の父が豊臣秀吉夫人ねね
木下利恭
(きのした としもと)
子爵武家備中足守藩2万5000石明治17年7月8日
木辺孝慈
(きべ こうじ)
男爵僧家浄土真宗錦織寺住職明治29年6月9日
木俣畏三
(きまた いぞう)
男爵武家彦根藩家老1万石明治33年5月9日
肝付兼行
(きもつき かねゆき)
男爵勲功薩摩藩士明治40年9月21日日露戦争に功。海軍中将・大阪市長を歴任。
京極高徳
(きょうごく たかのり)
子爵武家讃岐丸亀藩5万1500石明治17年7月8日
京極高典
(きょうごく たかまさ)
子爵武家讃岐多度津藩1万石明治17年7月8日
京極高富
(きょうごく たかとみ)
子爵武家丹後峰山藩1万1144石明治17年7月8日
京極高厚
(きょうごく たかあつ)
子爵武家但馬豊岡藩1万5000石明治17年7月8日
清浦奎吾
(きようら けいご)
伯爵勲功肥後国鹿本郡来民村明照寺住職昭和3年11月10日明治35年2月27日男爵→子爵→伯爵
清岡長説
(きよおか ながつく)
子爵公家菅原家30石3人扶持明治17年7月8日
清岡公張
(きよおか ともはる)
子爵勲功高知県明治20年5月9日地方官を歴任、元老院議官となり叙爵
清棲家教
(きよす いえのり)
伯爵皇族伏見宮家明治21年6月28日伏見宮邦家親王第15皇子。明治21年臣籍降下

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叙爵者
(名前の読み)
爵位種別出自・出身叙爵日備考
九鬼隆義
(くき たかよし)
子爵武家摂津三田藩3万6000石明治17年7月8日「九鬼水軍」当主九鬼嘉隆の後裔
九鬼隆備
(くき たかとも)
子爵武家丹波綾部藩1万9500石明治17年7月8日
九鬼隆一
(くき りゅういち)
男爵勲功丹波綾部藩一門明治29年6月5日綾部藩家老九鬼隆周の養子
帝国博物館館長・枢密顧問官を歴任
櫛笥隆督
(くしげ たかまさ)
子爵公家四条家庶流183石明治17年7月8日貴族院子爵議員
九条道孝
(くじょう みちたか)
公爵公家九条流摂関家嫡流3043石明治17年7月7日戊辰戦争に奥羽鎮撫総督として従軍
九条良政
(くじょう よしまさ)
男爵公家九条公爵家分家明治35年3月10日道孝の四男
九条良致
(くじょう よしむね)
男爵公家九条公爵家分家明治41年3月23日道孝の五男。昭和15年8月没後、襲爵手続きせず
楠田英世
(くすだ ひでよ)
男爵勲功肥前国明治33年5月9日司法大丞・元老院議官を歴任。大正10年10月養孫咸次郎没後に後継者を欠く[6]
楠本正隆
(くすもと まさたか)
男爵勲功肥前大村藩明治29年6月5日東京府知事・元老院議官・衆議院議長を歴任
久世広業
(くぜ ひろなり)
子爵武家下総関宿藩4万8000石明治17年7月8日
久世通章
(くぜ みちふみ)
子爵公家村上源家200石明治17年7月8日貴族院子爵議員・蹴鞠保存会会長
朽木綱貞
(くつき つなさだ)
子爵武家丹波福知山藩3万2000石明治17年7月8日
久邇邦久
(くに くにひさ)
侯爵皇族久邇宮家大正12年10月25日久邇宮邦彦王の二男、臣籍降下
国司直行
(くにし なおゆき)
男爵武家長州藩永代家老明治33年5月9日祖父の親相は、馬関で攘夷を行い国事に奔走
久保田譲
(くぼた ゆずる)
男爵勲功播磨国明治40年9月21日文部大臣をつとめ、日露戦争の功により叙爵
倉富勇三郎
(くらとみ ゆうざぶろう)
男爵勲功筑後国竹野郡儒学者大正15年10月26日法制局長官・枢密顧問官を歴任
倉橋泰顕
(くらはし やすてる)
子爵公家安倍家庶流150石明治17年7月8日大正8年11月孫の泰昌没後、後継者なく無嗣断絶
栗野慎一郎
(くりの しんいちろう)
子爵勲功筑前福岡藩明治45年3月18日明治45年3月18日男爵→子爵
久留島通簡
(くるしま みちひろ)
子爵武家豊後森藩1万2500石明治17年7月8日村上水軍」来島村上家後裔
「簡」の字は「日」が「月」なのが正しい
黒川通軌
(くろかわ みちのり)
男爵勲功伊予小松藩士明治20年5月24日陸軍中将。昭和12年10月孫の秀雄没後、襲爵手続きせず
黒木為楨
(くろき ためもと)
伯爵勲功薩摩藩士明治40年9月21日陸軍大将。明治28年8月20日男爵→伯爵
黒瀬義門
(くろせ よしかど)
男爵勲功岡山県明治40年9月21日陸軍中将に進み、日清・日露戦争に功
黒田一義
(くろだ かずよし)
男爵武家福岡藩大老・三奈木領1万6205石明治33年5月9日三奈木黒田家
黒田清隆
(くろだ きよたか)
伯爵勲功薩摩藩士4石明治17年7月7日北海道開拓に功。のち内閣総理大臣
黒田清綱
(くろだ きよつな)
子爵勲功薩摩国明治20年5月24日子の清輝洋画家として有名
黒田長成
(くろだ ながしげ)
侯爵武家筑前福岡藩52万3100石明治17年7月7日
黒田長和
(くろだ ながとし)
男爵武家黒田侯爵家分家明治29年12月3日
黒田長徳
(くろだ ながのり)
子爵武家筑前秋月藩5万石明治17年7月8日
黒田久孝
(くろだ ひさたか)
男爵勲功東京都明治28年8月20日陸軍中将に進み、日清戦争に功。昭和3年8月養子の善治隠居後、襲爵手続きせず
黒田和志
(くろだ よりゆき)
子爵武家上総久留里藩3万石明治17年7月8日黒田侯爵家とは別系統。貴族院子爵議員。
桒原輔長
(くわばら すけなが)
子爵公家菅原氏庶流30石3人扶持明治17年7月8日大正8年10月爵位返上

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叙爵者
(名前の読み)
爵位種別出自・出身叙爵日備考
小池正直
(こいけ まさなお)
男爵勲功鶴岡藩士明治40年9月21日陸軍医務局長となり日露戦争の功により叙爵
小出英延
(こいで ふさのぶ)
子爵武家丹波園部藩2万6700石明治17年7月8日
郷純造
(ごう じゅんぞう)
男爵勲功美濃国黒野、幕臣明治33年5月9日財政畑を進み、大蔵次官となる
河野敏鎌
(こうの とかま)
子爵勲功土佐藩士明治26年10月30日文部卿・農商務卿・農商務大臣等を歴任
鴻池善右衛門
(こうのいけ ぜんえもん)
男爵勲功大阪府明治44年8月25日経済の発展に功あり叙爵
神山郡廉
(こうやま くにきよ)
男爵勲功土佐藩士明治20年5月24日維新に尽力し、のち元老院議官
久我通久
(こが みちつね)
侯爵公家村上源家700石明治17年7月7日戊辰戦争で功。女優久我美子の生家
久我通保
(こが みちやす)
男爵公家久我侯爵家分家明治31年2月2日通久の三男
五条為栄
(ごじょう ためしげ)
子爵公家菅原氏高辻庶流171石明治17年7月8日参与・元老院議官・貴族院子爵議員
五条頼定
(ごじょう よりさだ)
男爵勲功筑前国広澄流清原氏庶流明治30年7月1日先祖の南北朝時代の功により叙爵
児玉源太郎
(こだま げんたろう)
伯爵勲功周防徳山藩士100石明治40年10月2日明治28年8月20日男爵→明治39年4月11日子爵。子児玉秀雄の家督相続時に父・源太郎の生前の功により、子爵から伯爵に陞爵。
児玉清雄
(こだま きよお)
男爵勲功紀伊国明治40年10月2日父・児玉徳太郎の日露戦争における功により叙爵
籠手田安定
(こてだ やすさだ)
男爵勲功肥前平戸藩士明治32年3月31日滋賀県令・元老院議官等を歴任
後藤新平
(ごとう しんぺい)
伯爵勲功仙台藩一門水沢伊達氏家臣昭和3年11月10日明治39年4月11日男爵→子爵→伯爵
後藤象二郎
(ごとう しょうじろう)
伯爵勲功土佐藩士馬廻格150石明治20年5月9日山内容堂を補佐して大政奉還を推進。長女は岩崎彌太郎夫人。昭和12年7月孫の保弥太没後、襲爵手続きせず
五島盛主
(ごとう もりぬし)
子爵武家肥前福江藩1万2500石明治17年7月8日
近衛篤麿
(このえ あつまろ)
公爵公家近衛流摂関家嫡流2860石明治17年7月7日五摂家筆頭。学習院院長等を歴任。昭和20年12月子の文麿没後、襲爵手続きせず
近衛秀麿
(このえ ひでまろ)
子爵公家近衛公爵家分家大正8年1月9日篤麿の二男。指揮者として有名。昭和21年5月爵位返上
小早川四郎
(こばやかわ しろう)
男爵武家山口藩毛利家一門明治17年7月8日毛利家一門小早川家の名跡相続、毛利公爵家当主毛利元徳の子。貴族院男爵議員
小松輝久
(こまつ てるひさ)
侯爵皇族北白川宮家明治43年7月20日北白川宮能久親王の四男で、同年に臣籍降下
小松帯刀
(こまつ たてわき)
伯爵勲功薩摩藩家老・吉利領2600石明治29年6月9日祖父清廉(帯刀)の勲功により叙爵、禰寝氏当主
小松行正
(こまつ ゆきまさ)
男爵公家石井家庶流明治18年5月2日貴族院男爵議員
小村寿太郎
(こむら じゅたろう)
侯爵勲功日向飫肥藩士明治44年4月21日明治35年2月27日男爵→伯爵→侯爵
米田虎雄
(こめだ とらお)
子爵勲功熊本藩家老3万石大正3年5月13日父・長岡監物の勲功により叙爵。明治25年10月15日男爵→子爵
近藤基樹
(こんどう もとき)
男爵勲功東京都昭和4年12月26日海軍造船中将に進み、造船技術の発展に寄与
近藤廉平
(こんどう れんぺい)
男爵勲功阿波国明治44年8月25日岩崎彌太郎と共に日本郵船を創設。のち社長

さ行

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叙爵者(名前の読み)爵位種別出自・出身叙爵日備考
西園寺公望
(さいおんじ きんもち)
公爵公家閑院流597石大正9年9月7日明治17年7月7日侯爵→公爵。戊辰戦争に功。昭和21年7月養子の八郎没後、襲爵手続きせず
西郷従道
(さいごう じゅうどう)
侯爵勲功薩摩藩士御勘定方小頭47石余明治28年8月5日明治17年7月7日伯爵→侯爵。西郷隆盛の弟
西郷寅太郎
(さいごう とらたろう)
侯爵勲功薩摩藩士御勘定方小頭47石余明治35年6月3日父は西郷隆盛。憲法発布の大赦で叙爵
税所篤
(さいしょ あつし)
子爵勲功薩摩藩士明治20年5月24日国事に尽くし、のち元老院議官
斎藤実
(さいとう まこと)
子爵勲功仙台藩一門水沢伊達氏家臣大正14年4月9日明治40年9月21日男爵→子爵。内閣総理大臣
嵯峨公勝
(さが きんとう)
侯爵公家閑院流三条家分家正親町三条家350石余明治21年1月17日明治17年7月7日伯爵→侯爵
阪井重季
(さかい しげすえ)
男爵勲功土佐藩士明治40年9月21日陸軍中将。長女は寺田寅彦夫人
酒井忠亮
(さかい ただあき)
子爵武家越前敦賀・鞠山藩1万石明治17年7月8日小浜藩酒井伯爵家の分家
酒井忠彰
(さかい ただあきら)
子爵武家上野伊勢崎藩2万石明治17年7月8日姫路藩酒井伯爵家の分家
酒井忠興
(さかい ただおき)
伯爵武家播磨姫路藩15万石明治20年6月23日雅楽頭流宗家
酒井忠績
(さかい ただしげ)
男爵武家姫路藩分家旗本5000石明治22年5月11日大正9年6月15日子の忠弘は失爵した[7]
酒井忠篤
(さかい ただずみ)
伯爵武家出羽庄内・大泉藩17万石明治17年7月7日徳川四天王酒井忠次の後裔
佐衛門尉流宗家
酒井忠勇
(さかい ただとし)
子爵武家安房勝山藩1万2000石明治22年5月11日小浜藩酒井伯爵家の分家。明治32年7月爵位返上
酒井忠匡
(さかい ただまさ)
子爵武家出羽松山・松嶺藩2万500石明治17年7月8日庄内藩酒井家伯爵家の分家
酒井忠道
(さかい ただみち)
伯爵武家若狭小浜藩10万3500石明治17年7月7日姫路藩酒井伯爵家の分家
酒井忠惇
(さかい ただとし)
男爵武家姫路藩分家旗本御小姓組番頭5000石明治22年3月2日
榊原政敬
(さかきばら まさたか)
子爵武家越後高田藩15万石明治17年7月8日徳川四天王榊原康政の後裔
阪谷芳郎
(さかたに よしお)
子爵勲功広島県明治40年9月21日昭和16年11月男爵→子爵。のち東京市長
坂本俊篤
(さかもと としあつ)
男爵勲功信濃諏訪・高島藩士明治40年9月21日海軍中将、日露戦争に功
相良頼紹
(さがら よりつぐ)
子爵武家肥後人吉藩2万2100石明治17年7月8日昭和21年5月養子の頼綱は爵位返上
相楽綱直
(さがら つななお)
男爵公家九条流摂関家二条家庶流富小路家分家35石明治17年7月8日昭和18年10月養子公愛戦死後に後継者を欠く
鷺原量長
(さぎはら かずなが)
男爵公家勧修寺流嫡流甘露寺別家40石明治17年7月8日明治21年5月爵位返上
佐久間左馬太
(さくま さまた)
伯爵勲功長州藩士明治40年9月21日明治20年5月24日男爵→子爵→伯爵
桜井忠興
(さくらい ただおき)
子爵武家摂津尼崎藩4万石明治17年7月8日桜井松平家
桜井供義
(さくらい ともよし)
子爵公家水無瀬流庶流30石3人扶持明治17年7月8日
桜井錠二
(さくらい じょうじ)
男爵勲功石川県昭和14年1月28日理化学研究所日本学術振興会の設立の尽力
佐々木高行
(ささき たかゆき)
侯爵勲功土佐藩士明治42年4月29日明治17年7月7日伯爵→侯爵
佐双定雄
(さそう さだお)
男爵勲功加賀国明治40年10月2日父の左仲海軍造船総監に進み、日露戦争に功あり
佐竹義堯
(さたけ よしたか)
侯爵武家出羽久保田・秋田藩20万5800石明治17年7月7日
佐竹義理
(さたけ よしただ)
子爵武家出羽岩崎藩2万石明治17年7月8日
佐竹義尚
(さたけ よしなお)
男爵武家久保田藩家老・角館領1万石明治33年5月9日佐竹北家
昭和21年5月孫の敬次郎は爵位返上
佐竹義雄
(さたけ よしお)
男爵武家久保田藩家老・湯沢領主明治33年5月9日佐竹南家
佐竹義脩
(さたけ よしなお)
男爵武家佐竹子爵家分家明治22年10月16日昭和4年12月子の義立は爵位返上
佐竹義準
(さたけ よしのり)
男爵武家久保田藩家老明治39年9月17日佐竹東家
佐竹義遵
(さたけ よしゆき)
男爵武家久保田藩家老・大館領7200石明治33年5月9日佐竹西家
佐藤進
(さとう すすむ)
男爵勲功千葉県明治40年9月21日陸軍軍医監に進み、日露戦争の功で叙爵。順天堂医院院長
佐藤昌介
(さとう しょうすけ)
男爵勲功陸奥国昭和3年11月10日教育に尽力した功。昭和21年5月子の昌彦は爵位返上
真田幸民
(さなだ ゆきとも)
伯爵武家信濃松代藩10万石明治24年4月23日明治17年7月8日子爵→伯爵
真田幸世
(さなだ ゆきよ)
男爵武家真田伯爵家分家明治29年6月30日
実吉安純
(さねよし やすずみ)
子爵勲功薩摩国明治40年9月21日明治33年5月9日男爵→子爵。海軍軍医総監
佐野常民
(さの つねたみ)
伯爵勲功肥前佐賀藩士明治28年10月31日明治20年5月24日子爵→伯爵。日本赤十字社初代社長
佐野延勝
(さの のぶかつ)
男爵勲功東京都明治29年12月3日日清戦争に功あり叙爵。陸軍中将。昭和19年4月子の智勝没後、襲爵手続きせず
鮫島員規
(さめしま かずのり)
男爵勲功薩摩藩士明治40年9月21日海軍大将に進み、日露戦争に功あり
鮫島重雄
(さめしま しげお)
男爵勲功薩摩藩士明治40年9月21日陸軍大将に進み、日露戦争に功あり叙爵。昭和3年4月没後、女戸主となり栄典喪失
澤為量
(さわ ためかず)
伯爵公家広澄流清原氏庶流伏原家分家30石3人扶持明治24年4月23日明治17年7月8日子爵→伯爵。為量・宣嘉の功により宣嘉長男宣量が陞爵。
澤宣元
(さわ のりもと)
男爵公家沢伯爵家別家明治28年5月27日為量の孫。父宣嘉の功。
沢村重
(さわむら しげし)
男爵武家肥後熊本藩家老1万1000石明治39年9月17日
三条実美
(さんじょう さねとみ)
公爵公家閑院流嫡流472石明治17年7月7日実美の功により公爵。内閣制度発足に伴い内大臣となった
三条公輝
(さんじょう きんてる)
男爵公家三条公爵家分家明治25年2月19日実美の三男。大正13年5月、三条公爵家相続により廃家
三条西公允
(さんじょうにし きんあえ)
伯爵公家閑院流正親町三条家分家502石明治17年7月7日父の季知は幕末王事に尽力
三宮義胤
(さんのみや よしたね)
男爵勲功近江国明治29年6月5日宮内省に出仕して功あり。大正8年12月子錫馬の没後女戸主となり栄典喪失

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叙爵者(名前の読み)爵位種別出自・出身叙爵日備考
鹿園実博
(しかぞの さねひろ)
男爵公家閑院流嫡流三条支流50石明治17年7月8日奈良華族・貴族院男爵議員
滋野清彦
(しげの きよひこ)
男爵勲功長州藩士明治20年5月24日西南戦争に功あり。のち陸軍中将。大正13年10月子の清武没後、襲爵手続きせず
滋野井公寿
(しげのい きんひさ)
伯爵公家閑院流嫡流三条支流180石明治17年7月7日甲府県知事等をつとめる。子実麗は大正2年1月27日に失爵。
慈光寺有仲
(じこうじ ありなか)
子爵公家宇多源家五辻庶流30石3人扶持明治17年7月8日
宍戸乙彦
(ししど おとひこ)
男爵武家長州藩家老・周防三丘領1万5000石明治33年5月9日一門家老
宍戸璣
(ししど たまき)
子爵勲功長門国明治20年5月24日元老院議官などを歴任
四条隆謌
(しじょう たかうた)
侯爵公家善勝寺流嫡流180石明治24年4月23日明治17年7月7日伯爵→侯爵。七卿の一人。のち陸軍中将
四条隆平
(しじょう たかとし)
男爵公家四条侯爵家別家明治31年7月20日隆謌の弟、養子(廃嫡後分家)
七条信義
(しちじょう のぶのり)
子爵公家水無瀬家200石明治20年4月15日華族令制定時、女戸主の為、信義の代に叙爵
幣原喜重郎
(しではら きじゅうろう)
男爵勲功大阪府門真一番村豪農大正9年9月7日外務大臣・総理大臣を歴任
品川弥二郎
(しながわ やじろう)
子爵勲功長州藩士足軽明治17年7月17日幕末王事に尽力、のち内務大臣
斯波蕃
(しば しげる)
男爵武家加賀藩家老1万石明治33年5月9日維新時に功あり叙爵
足利将軍家一門斯波家の末裔
芝小路豊俊
(しばこうじ とよとし)
男爵公家勧修寺流芝山家分家50石明治17年7月8日
芝亭愛古
(しばてい よしふる)
男爵公家閑院流西園寺家一門正親町家分家40石明治18年5月2日
芝山祐豊
(しばやま すけとよ)
子爵公家勧修寺流勧修寺家分家100石明治17年7月8日
柴山矢八
(しばやま やはち)
男爵勲功薩摩藩士明治40年9月21日東郷平八郎の従兄弟、海軍大将に進み、日露戦争に功あり
渋沢栄一
(しぶさわ えいいち)
子爵勲功武蔵国血洗島村大正9年9月4日実業界で活躍。明治33年5月9日男爵→子爵
渋谷隆教
(しぶたに りゅうきょう)
男爵僧家浄土真宗仏光寺派管長明治29年6月9日
島津珍彦
(しまづ うずひこ)
男爵武家薩摩藩一門・重富領1万4060石明治22年3月2日重富家、父は久光
島津健之助
(しまづ けんのすけ)
男爵武家島津伯爵家分家明治42年12月20日祖父の忠寛の勲功による
島津貴暢
(しまづ たかみつ)
男爵武家薩摩藩一門・垂水領1万8000石明治30年10月27日
島津忠亮
(しまづ ただあきら)
伯爵武家日向佐土原藩2万7000石明治24年4月23日父の忠寛は幕末王事に功。明治17年7月8日子爵→伯爵
島津忠欽
(しまづ ただかた)
男爵武家薩摩藩一門今和泉家明治29年12月3日久光の四男
島津忠弘
(しまづ ただひろ)
男爵武家薩摩藩島津家分家明治28年9月26日忠義の六男
島津忠備
(しまづ ただみつ)
男爵武家薩摩藩島津家分家明治26年3月7日忠義の五男
島津忠義
(しまづ ただよし)
公爵武家薩摩鹿児島藩77万800石明治17年7月7日父・久光と共に王政復古に主動的役割を果たす
島津長丸
(しまづ ながまる)
男爵武家薩摩藩家老・宮之城領1万7000石明治30年10月27日宮之城家
父・久治の戊辰時の功による
島津隼彦
(しまづ はやひこ)
男爵武家薩摩藩一門・出水領1万5000石明治33年5月9日今和泉家
島津久明
(しまづ ひさあき)
男爵武家薩摩藩一門・日置1万7700石明治33年5月9日父・久徴の戊辰時の功による
島津歳久の後裔
島津久家
(しまづ ひさいえ)
男爵武家薩摩藩一門・日向都城領3万9716石明治24年12月28日養父・久寛の勲功による
島津久光
(しまづ ひさみつ)
公爵武家薩摩藩一門明治17年7月7日玉里島津家、島津家の別家で久光は斉彬の異母弟、忠義の実父
島津久賢
(しまづ ひさよし)
男爵武家薩摩藩一門・加治木領1万石明治30年10月27日養父・久宝は戊辰に功あり。貴族院男爵議員。
島村速雄
(しまむら はやお)
男爵勲功土佐国大正5年7月14日第一次世界大戦の功により叙爵
清水資治
(しみず すけはる)
男爵武家長州藩家老2600石明治33年5月9日戦国武将・清水宗治の末裔。義父親春の功による。貴族院男爵議員
清水谷実英
(しみずだに さねあきら)
伯爵公家閑院流西園寺家庶流200石明治17年7月7日父の公考は箱館知事・旧幕軍の追討に功
持明院基哲
(じみょういん もとあき)
子爵公家松木庶流200石明治17年7月8日殿掌・貴族院子爵議員
尚泰
(しょう たい)
侯爵武家琉球王明治18年5月2日琉球王国王家の家系
尚寅
(しょう いん)
男爵武家尚侯爵家分家明治29年6月30日泰の二男
尚順
(しょう じゅん)
男爵武家尚侯爵家分家明治29年6月30日泰の四男
勝田四方蔵
(しょうだ よもぞう)
男爵勲功長門国明治40年9月21日陸軍中将・日露戦争に功
白川資訓
(しらかわ すけのり)
子爵公家白川伯王家200石明治17年7月8日神祇伯神祇大副、大掌典等を歴任し宮中祭祀に携わる。
白川義則
(しらかわ よしのり)
男爵勲功伊豫松山藩士昭和7年5月23日陸軍大将。第一次上海事変に功あり叙爵
白根専一
(しらね せんいち)
男爵勲功長門国明治30年2月7日逓信大臣等を歴任。その功で叙爵
新庄直陳
(しんじょう なおのぶ)
子爵武家常陸麻生藩1万石明治17年7月8日貴族院子爵議員

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叙爵者(名前の読み)爵位種別出自・出身叙爵日備考
末松謙澄
(すえまつ けんちょう)
子爵勲功豊前国前田村大庄屋明治40年9月23日明治28年10月男爵→子爵。内務大臣等を歴任
杉孫七郎
(すぎ まごしちろう)
子爵勲功長門国明治20年5月9日維新時に功をなし、秋田県令等を歴任
杉渓言長
(すぎたに ときなが)
男爵公家四条流山科支流50石明治17年7月8日貴族院男爵議員
鈴木大亮
(すずき だいすけ)
男爵勲功陸奥国明治28年10月31日日清戦争の功により叙爵
鈴木貫太郎
(すずき かんたろう)
男爵勲功下総関宿藩士昭和11年11月20日海軍大将・侍従長等を歴任
周布公平
(すふ こうへい)
男爵勲功長州藩士68石明治41年5月8日父の政之助と公平の功により叙爵
住友友純
(すみとも ともいと)
男爵勲功大阪府明治44年8月25日住友財閥当主。産業の発展に尽くした功。昭和21年5月に子友成は爵位を返上
諏訪忠誠
(すわ ただまさ)
子爵武家信濃諏訪藩3万石明治17年7月8日

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叙爵者(名前の読み)爵位種別出自・出身叙爵日備考
清閑寺盛房
(せいかんじ もりふさ)
伯爵公家勧修寺流嫡流甘露寺家分家180石明治17年7月7日
関博直
(せき ひろなお)
子爵武家備中新見藩1万800石明治17年7月8日貴族院子爵議員
関義臣
(せき よしおみ)
男爵勲功越前福井藩士明治40年9月23日日露戦争の功により叙爵
千家尊福
(せんげ たかとみ)
男爵神官出雲大社宮司、出雲国造家明治17年7月8日叙爵ののち、元老院議官等を歴任
仙石政固
(せんごく まさかた)
子爵武家但馬出石藩3万石明治17年7月8日貴族院子爵議員
千秋季隆
(せんしゅう すえたか)
男爵神官千秋家熱田神宮大宮司明治17年7月8日貴族院男爵議員・学習院教授
千田貞暁
(せんだ さだあき)
男爵勲功薩摩藩士明治31年2月26日維新時に功あり、のち各府県知事を歴任

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叙爵者(名前の読み)爵位種別出自叙爵日備考
宗重正
(そう しげまさ)
伯爵武家対馬厳原藩5万2170石明治17年7月8日
相馬誠胤
(そうま ともたね)
子爵武家陸奥中村藩6万石明治17年7月8日三笠宮家をはじめ財政界に閨閥
副島種臣
(そえじま たねおみ)
伯爵勲功肥前佐賀藩士藩校教授明治17年7月17日維新後参議
曾我祐準
(そが すけのり)
子爵勲功福岡県明治17年7月7日陸軍中将・東宮大夫・枢密顧問官を歴任
曾禰荒助
(そね あらすけ)
子爵勲功長州藩一門家老宍戸家一門明治40年9月21日日英同盟に功。明治35年2月27日男爵→子爵
園基祥
(その もとさち)
伯爵公家中御門庶流持明院家支流186石明治17年7月7日
園池公静
(そのいけ きんしず)
子爵公家閑院流正親町三条庶流30石3人扶持明治17年7月8日第一次奈良県知事・侍従を歴任
園田孝吉
(そのだ こうきち)
男爵勲功鹿児島県大正7年11月26日第十五銀行頭取など、実業界で貢献
園田安賢
(そのだ やすかた)
男爵勲功薩摩国明治29年6月5日維新に功あり、のち警視総監に進む

た行

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叙爵者(名前の読み)爵位種別出自・出身叙爵日備考
醍醐忠順
(だいご ただおさ)
侯爵公家九条流摂関家一条家支流312石明治17年7月7日
高丘紀季
(たかおか おさすえ)
子爵公家藤原南家藪庶流30石3人扶持明治17年7月8日最後の子爵高丘季昭実業家となる。
高木正善
(たかぎ まさよし)
子爵武家河内丹南藩1万石明治17年7月8日
高木兼寛
(たかぎ かねひろ)
男爵勲功薩摩藩士明治38年3月3日軍医として功あり。海軍軍医総監等を歴任
高倉永則
(たかくら ながつね)
子爵公家藤原北家長良流嫡流150石明治17年7月8日陸軍歩兵大佐・貴族院子爵議員
高崎正風
(たかさき まさかぜ)
男爵勲功薩摩藩士明治20年5月24日維新の功。歌人、國學院院長、枢密顧問官。
高崎五六
(たかさき ごろく)
男爵勲功薩摩藩士明治20年5月24日元老院議官、東京府知事。
高島鞆之助
(たかしま とものすけ)
子爵勲功薩摩藩士明治17年7月8日陸軍中将に進む。陸軍大臣・拓殖務大臣・枢密顧問官等を歴任。
高千穂宣麿
(たかちほ のぶまろ)
男爵神官英彦山神社座主明治17年7月8日実父は徳大寺実則
鷹司信熙
(たかつかさ のぶひろ)
男爵公家鷹司公爵家分家明治38年12月23日陸軍砲兵大佐
鷹司熙通
(たかつかさ ひろみち)
公爵公家近衛流摂関家1500石明治17年7月7日陸軍少将・侍従長・貴族院議員
高辻修長
(たかつじ おさなが)
子爵公家菅原氏嫡流200石明治17年7月8日
高野保建
(たかの やすたけ)
子爵公家中御門庶流持明院家支流150石明治17年7月8日養孫宗順が大正元年12月16日失爵[8]
高橋是清
(たかはし これきよ)
子爵勲功仙台藩士足軽大正9年9月7日大蔵大臣・総理大臣等を歴任
明治40年9月23日男爵→子爵
高橋新吉
(たかはし しんきち)
男爵勲功薩摩藩士大正7年11月26日農商務省商務局長・貴族院議員・日本勧業銀行総裁
高平小五郎
(たかひら こごろう)
男爵勲功陸奥国明治40年11月4日日露戦争の講和全権委員
高松実村
(たかまつ さねむら)
子爵公家閑院流三条西庶流武者小路家分家30石3人扶持明治17年7月8日
滝脇信敏
(たきわき のぶとし)
子爵武家上総桜井藩1万石明治17年7月8日滝脇松平家
多久乾一郎
(たく けんいちろう)
男爵武家佐賀藩家老1万石明治30年10月27日東宮侍従・式部官
武井守正
(たけい もりまさ)
男爵勲功兵庫県明治40年9月23日鳥取県知事石川県知事。のち枢密顧問官
竹内治則
(たけうち はるのり)
子爵公家清和源氏187石明治17年7月8日
竹園康長
(たけぞの みちなが)
男爵公家勧修寺流嫡流甘露寺支流50石明治17年7月8日明治32年8月爵位返上
竹腰正己
(たけのこし まさわれ)
男爵武家美濃今尾藩3万石明治17年7月8日尾張徳川家附家老。貴族院男爵議員
建部秀隆
(たけべ ひでたか)
子爵武家播磨林田藩1万2000石明治17年7月8日
竹屋光昭
(たけや みつあき)
子爵公家日野流広橋家分家180石明治17年7月8日
田尻稲次郎
(たじり いなじろう)
子爵勲功薩摩国明治40年9月23日大蔵次官会計検査院長を歴任
明治28年10月31日男爵→子爵
立花寛治
(たちばな ともはる)
伯爵武家筑後柳河藩11万9600石明治17年7月7日農事試験場を設置して地域の農業振興に貢献。貴族院伯爵議員。
立花種恭
(たちばな たねゆき)
子爵武家筑後三池藩1万石明治17年7月8日
立花小一郎
(たちばな こいちろう)
男爵勲功福岡県大正12年10月16日陸軍大将。のち関東軍指揮官
龍田徳彦
(たつた のりひこ)
伯爵皇族久邇宮家昭和18年6月7日久邇宮多嘉王の三男、臣籍降下
立見尚文
(たつみ なおふみ)
子爵勲功伊勢桑名藩士小姓明治40年10月2日陸軍大将
明治28年8月20日男爵。父の功績により子息豊丸が子爵に陞爵
伊達邦成
(だて くにしげ)
男爵武家仙台藩一門・亘理城主2万3000石明治25年10月15日亘理伊達氏
北海道開拓の功による
伊達正人
(だて まさと)
男爵武家仙台藩一門・岩出山城主1万4600石明治25年10月15日岩出山伊達氏
祖父・邦直の北海道開拓の功による
伊達宗敦
(だて むねあつ)
男爵武家仙台伊達家分家明治22年5月11日宇和島藩主伊達宗城の二男、宗家廃嫡
伊達宗徳
(だて むねえ)
侯爵武家伊予宇和島藩10万石明治24年4月23日伊達伯爵家分家
明治17年7月7日伯爵→侯爵
伊達宗定
(だて むねさだ)
子爵武家伊予吉田藩3万石明治17年7月8日
伊達宗倫
(だて むねとも)
男爵武家宇和島伊達家分家明治25年5月30日宇和島藩主伊達宗城の七男
伊達宗基
(だて むねもと)
伯爵武家陸奥仙台藩62万6000石明治17年7月7日
田中義一
(たなか ぎいち)
男爵勲功長州藩士大正9年9月7日陸軍大臣・内閣総理大臣等を歴任
田中不二麿
(たなか ふじまろ)
子爵勲功尾張藩士明治20年5月9日司法大臣・フランス公使等を歴任
田中光顕
(たなか みつあき)
伯爵勲功土佐藩家老深尾家臣明治40年9月23日明治20年5月9日子爵→伯爵。昭和21年5月孫光素は爵位返上
田中芳男
(たなか よしお)
男爵勲功信濃国大正4年12月1日農務局長・元老院議官等を歴任
谷干城
(たに たてき)
子爵勲功土佐藩士明治17年7月7日陸軍士官学校長・学習院長等を歴任
谷寿衛
(たに としえ)
子爵武家丹波山家藩1万2000石明治17年7月8日
田沼望
(たぬま のぞみ)
子爵武家上総小久保藩1万石明治17年7月8日貴族院子爵議員。子のは大正9年6月15日失爵[7][9]
種子島守時
(たねがしま もりとき)
男爵武家薩摩藩家老・大隅種子島領1万1000石明治33年5月9日戦国大名・種子島時尭の後裔
玉松真幸
(たままつ まさき)
男爵公家閑院流山本家支流30石3人扶持明治17年7月8日養父真弘岩倉具視の側近として王政復古に功
田宮鈴太郎
(たみや すずたろう)
男爵勲功尾張国明治30年10月27日祖父篤輝徳川慶勝の側近として王政復古に功
田村邦栄
(たむら くによし)
子爵武家陸奥一関藩3万石明治17年7月8日伊達伯爵家一門
征夷大将軍坂上田村麻呂の後裔
團琢磨
(だん たくま)
男爵勲功筑前福岡藩士昭和3年11月10日三井合名会社理事長。孫の伊玖磨作曲家として有名

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叙爵者(名前の読み)爵位種別出自・出身叙爵日備考
千種有任
(ちくさ ありとう)
子爵公家村上源氏岩倉家庶流150石明治17年7月8日
長克連
(ちょう かつつら)
男爵武家加賀藩家老3万3000石明治33年5月9日織田信長家臣長連龍の後裔
調所広丈
(ちょうしょ ひろたけ)
男爵勲功薩摩藩士明治33年5月9日高知県知事等を歴任。実父は調所広郷。姓の読みを"ずしょ"から改める。
珍田捨巳
(ちんだ すてみ)
伯爵勲功陸奥国大正9年9月7日明治40年9月21日男爵→子爵→伯爵

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叙爵者(名前の読み)爵位種別出自叙爵日備考
塚本勝嘉
(つかもと かつよし)
男爵勲功大垣藩士明治40年9月21日陸軍中将に進み、西南・日清・日露戦争の功により叙爵
津軽承昭
(つがる つぐあきら)
伯爵武家陸奥弘前藩10万石明治17年7月7日常陸宮正仁親王妃華子の生家
津軽承叙
(つがる つぐみち)
子爵武家陸奥黒石藩1万石明治17年7月8日
津軽楢麿
(つがる ならまろ)
男爵武家津軽伯爵家分家明治22年1月29日承昭の二男
筑波藤麿
(つくば ふじまろ)
侯爵皇族山階宮家昭和3年7月20日山階宮菊麿王の三男。臣籍降下
辻維岳
(つじ いがく)
男爵勲功安芸広島藩士明治23年6月27日王政復古に功。大津県知事などを歴任
辻新次
(つじ しんじ)
男爵勲功信濃松本藩士明治41年12月12日文部次官帝国教育会長を歴任
津田真道
(つだ まみち)
男爵勲功備前岡山藩士明治33年5月9日
土御門晴栄
(つちみかど はれなが)
子爵公家安倍氏嫡流183石明治17年7月8日陰陽師安倍晴明の末裔
土屋挙直
(つちや しげなお)
子爵武家常陸土浦藩9万5000石明治17年7月8日
土屋光春
(つちや みつはる)
男爵勲功三河岡崎藩士明治40年9月21日日清・日露戦争で旅団長・師団長を歴任
都筑馨六
(つづき けいろく)
男爵勲功伊予国西条藩明治41年8月3日枢密院書記官長をつとめる
堤功長
(つつみ いさなが)
子爵公家勧修寺流甘露寺家分家30石3人扶持明治17年7月8日貴族院子爵議員
堤正誼
(つつみ まさよし)
男爵勲功越前国明治33年5月9日禁門の変・戊辰戦争で功
角田武雄
(つのだ たけお)
男爵勲功陸奥国明治40年10月2日秀松の功により叙爵
坪井航三
(つぼい こうぞう)
男爵勲功長州藩士明治28年8月20日海軍中将に進む。昭和3年10月子九八郎没後に襲爵手続きせず
津守国美
(つもり くによし)
男爵神官住吉大社宮司津守氏明治17年7月8日
靏殿忠善
(つるどの ただよし)
男爵公家九条流摂関家分家明治22年12月18日貴族院男爵議員。家名の「靏」を「鶴」と改めた。

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叙爵者(名前の読み)爵位種別出自叙爵日備考
寺内正毅
(てらうち まさたけ)
伯爵勲功長州藩士明治44年4月21日明治40年9月21日子爵→伯爵。日露戦争時の陸軍大臣
寺島宗則
(てらしま むねのり)
伯爵勲功薩摩国出水郡出水郷脇本村郷士明治17年7月7日維新後の外交交渉に尽力
寺島秋介
(てらしま あきすけ)
男爵勲功長州藩士・周防国明治29年6月5日戊辰戦争時、奥羽追討参謀として功。元老院議官・貴族院勅選議員を歴任。
出羽重遠
(でわ しげとう)
男爵勲功陸奥会津藩士明治40年9月21日日露戦争時、第一艦隊司令官として功
田健治郎
(でん けんじろう)
男爵勲功丹波国氷上郡明治40年9月21日逓信大臣司法大臣等を歴任

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叙爵者(名前の読み)爵位種別出自叙爵日備考
土井忠直
(どい ただなお)
子爵武家三河刈谷藩2万3000石明治17年7月8日
土井利恒
(どい としつね)
子爵武家越前大野藩4万石明治17年7月8日
土井利与
(どい としとも)
子爵武家下総古河藩8万石明治17年7月8日
東胤城
(とう たねき)
子爵武家和泉吉見藩1万2000石明治17年7月8日明治11年(1878年)、元の姓である遠藤を旧姓東氏に改姓
東郷平八郎
(とうごう へいはちろう)
侯爵勲功薩摩藩士昭和9年5月29日連合艦隊司令長官
明治40年9月21日伯爵→侯爵
東郷安
(とうごう やすし)
男爵勲功越前国福井藩士明治40年10月2日正路の日露戦争の功により叙爵。貴族院男爵議員
藤堂高潔
(とうどう たかきよ)
伯爵武家伊勢安濃津藩32万3950石明治17年7月7日
藤堂高義
(とうどう たかのり)
子爵武家伊勢久居藩5万3000石明治17年7月8日
藤堂高成
(とうどう たかしげ)
男爵武家安野津藩家老・伊賀名張領1万5000石明治39年9月17日
遠山友悌
(とおやま ともやす)
子爵武家美濃苗木藩1万21石明治17年7月8日
土岐頼知
(とき よりおき)
子爵武家上野沼田藩3万5000石明治17年7月8日美濃源氏嫡流美濃守護土岐氏の後裔
常磐井堯熙
(ときわい ぎょうき)
男爵僧家真宗高田派管長明治29年6月9日父は近衛忠煕
徳川厚
(とくがわ あつし)
男爵武家徳川宗家分家明治17年7月8日徳川慶喜四男。貴族院男爵議員
徳川篤守
(とくがわ あつもり)
伯爵武家清水徳川家10万石明治17年7月7日明治32年4月爵位返上。後に嫡男・好敏が本人の勲功で男爵となる。
徳川篤敬
(とくがわ あつよし)
公爵武家常陸水戸藩35万石昭和4年11月18日水戸徳川家
明治17年7月7日侯爵→公爵
徳川家達
(とくがわ いえさと)
公爵武家駿河静岡藩70万石明治17年7月7日徳川宗家貴族院議長
徳川達孝
(とくがわ さとたか)
伯爵武家田安徳川家10万石明治17年7月7日
徳川達道
(とくがわ さとみち)
伯爵武家一橋徳川家10万石明治17年7月7日
徳川武定
(とくがわ たけさだ)
子爵武家水戸徳川家分家明治25年5月3日昭武二男、海軍技術中将。
徳川誠
(とくがわ まこと)
男爵武家別家徳川慶喜公爵家分家大正2年11月5日慶喜の九男
徳川茂承
(とくがわ もちつぐ)
侯爵武家紀伊和歌山藩55万5000石明治17年7月7日紀州徳川家
徳川義礼
(とくがわ よしあきら)
侯爵武家尾張名古屋藩61万9500石明治17年7月7日尾張徳川家
徳川義恕
(とくがわ よしくみ)
男爵武家尾張徳川家分家明治21年6月23日
徳川好敏
(とくがわ よしとし)
男爵勲功日本陸軍航空兵分野確立の功労昭和3年11月10日清水徳川家(伯爵)の8代目だが、父の篤守のときに爵位返上となり、別途軍功により男爵。
徳川慶喜
(とくがわ よしのぶ)
公爵武家徳川宗家別家明治35年6月3日特旨により公爵を授けられる
徳大寺実則
(とくだいじ さねつね)
公爵公家閑院流410石明治44年4月21日明治17年7月7日侯爵→公爵
徳大寺則麿
(とくだいじ つねまろ)
男爵公家徳大寺公爵家分家大正2年11月5日
土倉光三郎
(とくら みつざぶろう)
男爵武家岡山藩家老・市場領1万1000石明治39年9月17日養父正彦は維新で功労あり。
戸沢正実
(とざわ まさざね)
子爵武家出羽新庄藩6万8200石明治17年7月8日
戸田氏共
(とだ うじたか)
伯爵武家美濃大垣藩10万石明治17年7月7日戊辰戦争で官軍の東山道先鋒をつとめた
戸田氏良
(とだ うじよし)
子爵武家美濃大垣新田・野村藩1万3099石明治17年7月8日
戸田忠友
(とだ ただとも)
子爵武家下野宇都宮藩7万7850石明治17年7月8日
戸田忠行
(とだ ただゆき)
子爵武家下野足利藩1万1000石明治17年7月8日
戸田忠義
(とだ ただよし)
子爵武家下野曾我野藩1万1139石明治17年7月8日貴族院子爵議員
戸田康泰
(とだ やすひろ)
子爵武家信濃松本藩6万3000石明治17年7月8日戸田松平家
外松孫太郎
(とまつ まごたろう)
男爵勲功紀州藩士明治40年9月21日陸軍主計総監に進み、西南・日清・日露戦争の功により叙爵。
昭和20年2月、孫の昭二が襲爵手続を取らず爵位返上
富井政章
(とみい せいしょう)
男爵勲功京都聖護院宮侍大正15年10月28日東京帝国大学法学科教授、同大学長
富岡敬明
(とみおか けいめい)
男爵勲功肥前国明治33年5月9日諸県に勤務し、のち熊本県知事
富岡定恭
(とみおか さだやす)
男爵勲功信濃国松代藩士明治40年9月21日海軍兵学校長などを歴任
富小路敬直
(とみこうじ ひろなお)
子爵公家九条流摂関家二条家支流200石明治17年7月8日
外山光曁
(とやま みつとも)
子爵公家日野家庶流30石3人扶持明治17年7月8日
豊岡健資
(とよおか たけすけ)
子爵公家日野家庶流30石3人扶持明治17年7月8日
鳥居忠文
(とりい ただふみ)
子爵武家下野壬生藩3万石明治17年7月8日鳥居元忠の後裔
鳥尾小弥太
(とりお こやた)
子爵勲功長州藩士明治17年7月7日大阪鎮台司令長官・陸軍中将

な行

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叙爵者(名前の読み)爵位種別出自・出身叙爵日備考
内藤政潔
(ないとう まさきよ)
子爵武家陸奥湯長谷藩1万5000石明治17年7月8日
内藤正愨
(ないとう まさなお)
子爵武家信濃岩村田藩1万5000石明治17年7月8日
内藤政挙
(ないとう まさたか)
子爵武家日向延岡藩7万石明治17年7月8日
内藤信任
(ないとう のぶとう)
子爵武家越後村上藩5万石明治17年7月8日
内藤政共
(ないとう まさとも)
子爵武家三河挙母藩2万石明治17年7月8日海軍造船大技士・貴族院子爵議員
内藤弥三郎
(ないとう やさぶろう)
子爵武家信濃高遠藩3万2000石明治17年7月8日下屋敷・内藤新宿が「新宿」のルーツ
永井尚服
(ながい なおこと)
子爵武家美濃加納藩3万2000石明治17年7月8日
永井直哉
(ながい なおちか)
子爵武家大和櫛羅藩1万石明治17年7月8日
永井直諒
(ながい なおまさ)
子爵武家摂津高槻藩3万6000石明治17年7月8日
長尾顕慎
(ながお あきちか)
男爵公家勧修寺家庶流50石明治17年7月8日明治20年1月爵位返上
長岡護美
(ながおか もりよし)
子爵武家細川侯爵家分家長岡家一門明治24年4月23日明治17年7月8日男爵→子爵
中川久成
(なかがわ ひさなり)
伯爵武家豊後岡藩7万440石明治17年7月7日父の久昭勤皇方として尽力
中川興長
(なかがわ おきなが)
男爵公家勧修寺嫡流甘露寺庶流50石明治17年7月8日興福寺五大院住職・貴族院男爵議員
中島信行
(なかじま のぶゆき)
男爵勲功土佐国高岡郡塚地村郷士明治21年6月5日幕末、坂本龍馬とともに海援隊を組織
中島錫胤
(なかじま ますたね)
男爵勲功阿波国明治29年6月5日華族一代論を主張し死後に襲爵手続きせず
中園実受
(なかぞの さねしげ)
子爵公家藤原南家藪分家130石明治17年7月8日
長谷信篤
(ながたに のぶあつ)
子爵公家桓武平氏高棟王流30石3人扶持明治17年7月8日
中根己巳
(なかね きし)
男爵勲功越前国明治30年10月27日祖父の師質(雪江)公武合体を斡旋した功による
中院通富
(なかのいん みちとよ)
伯爵公家村上源氏久我家庶流500石明治17年7月7日
中御門経明
(なかのみかど つねあき)
侯爵公家勧修寺庶流200石明治21年1月17日明治17年7月7日伯爵→侯爵
幕末、王政復古に尽力した父経之の功による
中御門経隆
(なかのみかど つねたか)
男爵公家中御門侯爵家分家明治17年7月8日海軍大尉・貴族院男爵議員
長松幹
(ながまつ つかさ)
男爵勲功長州藩士・周防国明治29年6月5日太政官歴史課長・修史局長、元老院議官、貴族院勅選議員を歴任
中溝徳太郎
(なかみぞ とくたろう)
男爵勲功肥前佐賀藩明治40年9月21日海軍中将に進み、西南・日清戦争で功
中牟田倉之助
(なかむた くらのすけ)
子爵勲功肥前佐賀藩士海軍方助役明治17年7月7日東海鎮守司令官長等を歴任
中村覚
(なかむら さとる)
男爵勲功近江彦根藩士明治40年9月21日陸軍大将。侍従武官長等を歴任
中村雄次郎
(なかむら ゆうじろう)
男爵勲功伊勢国一志郡久居村明治40年9月23日
中山忠能
(なかやま ただやす)
侯爵公家花山院家支流200石明治17年7月7日明治天皇の生母中山慶子の父
中山信実
(なかやま のぶさね)
男爵武家常陸松岡藩2万5000石明治17年7月8日水戸徳川家附家老
永山武四郎
(ながやま たけしろう)
男爵勲功薩摩藩士明治28年12月4日佐賀の乱・西南戦争で功。昭和20年2月孫敏行死後に襲爵手続きせず
永山盛輝
(ながやま もりてる)
男爵勲功薩摩藩士明治33年5月9日筑摩県権令新潟県令等を歴任
長与称吉
(ながよ しょうきち)
男爵勲功肥後大村藩漢方医明治43年8月25日
長与又郎
(ながよ またろう)
男爵勲功東京神田昭和16年8月15日東京帝国大学医学部長・同大学長、称吉の弟
今帰仁朝敷
(なきじん ちょうふ)
男爵武家琉球王朝第二尚家分家明治23年5月26日[1]
梨羽時起
(なしは ときおき)
男爵勲功長州藩士明治40年9月21日海軍中将に進み、日清・日露戦争で功
鍋島直大
(なべしま なおひろ)
侯爵武家肥前佐賀藩35万7000石明治17年7月7日元老院議官等を歴任
鍋島直柔
(なべしま なおとう)
子爵武家肥前蓮池藩5万2600石明治17年7月8日
鍋島直彬
(なべしま なおよし)
子爵武家肥前鹿島藩2万石明治17年7月8日孫の直紹佐賀県知事を務めた
鍋島直虎
(なべしま なおとら)
子爵武家肥前小城藩7万3252石明治17年7月8日
鍋島茂昌
(なべしま しげはる)
男爵武家佐賀藩家老・武雄領2万1600石明治30年10月27日武雄鍋島家、親類同格家老
戦国大名・龍造寺隆信の後裔
鍋島貞次郎
(なべしま ていじろう)
男爵武家鍋島侯爵家分家大正8年1月9日
鍋島直明
(なべしま なおあきら)
男爵武家佐賀藩家老2万石明治30年10月27日祖父鍋島直暠の維新の功。陸軍少将・貴族院議員
鍋島幹
(なべしま みき)
男爵勲功佐賀藩老明治28年10月31日県知事・元老院議官・貴族院議員を歴任
奈良武次
(なら たけじ)
男爵勲功下野国昭和8年4月25日陸軍大将。侍従武官長等を歴任
奈良原繁
(ならはら しげる)
男爵勲功薩摩国明治29年6月5日昭和19年7月子三次没後女戸主となり栄典喪失
成瀬正肥
(なるせ まさみつ)
子爵武家尾張犬山藩3万5000石明治24年4月23日明治17年7月8日男爵→子爵
尾張徳川家附家老
名和長恭
(なわ ながゆき)
男爵勲功名和神社宮司明治17年7月8日先祖名和氏南朝への忠節により叙爵。
難波宗美
(なんば むねよし)
子爵公家花山院流庶流300石明治17年7月8日
南部利恭
(なんぶ としゆき)
伯爵武家陸奥盛岡藩20万石明治17年7月7日
南部利克
(なんぶ としかつ)
子爵武家陸奥八戸藩2万石明治17年7月8日
南部信方
(なんぶ のぶかた)
子爵武家陸奥七戸藩1万1384石明治17年7月8日
南部甕男
(なんぶ みかお)
男爵勲功土佐国大野見村明治29年6月5日東京控訴院長ののち大審院長
奥州南部氏初代南部光行の末裔
南部行義
(なんぶ ゆきよし)
男爵武家盛岡藩家老・遠野領1万2700石明治30年7月1日

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叙爵者(名前の読み)爵位種別出自・出身叙爵日備考
西寛二郎
(にし かんじろう)
子爵勲功薩摩藩士明治40年9月21日明治28年8月30日男爵→子爵
西周
(にし あまね)
男爵勲功石見津和野藩御典医明治30年1月29日明治期の啓蒙的哲学者
西徳二郎
(にし とくじろう)
男爵勲功薩摩藩士明治28年8月20日
西五辻文仲
(にしいつつじ あやなか)
男爵公家宇多源氏五辻支流40石明治17年7月8日貴族院男爵議員
西尾忠篤
(にしお ただあつ)
子爵武家安房花房藩3万5000石明治17年7月8日
西大路隆修
(にしおおじ たかおさ)
子爵公家四条家支流100石明治17年7月8日
錦小路在明
(にしきのこうじ ありあき)
子爵公家丹波氏30石3人扶持明治31年3月24日
錦織教久
(にしごり ゆきひさ)
子爵公家卜部氏萩原家分家30石明治17年7月8日貴族院子爵議員
西島助義
(にしじま すけよし)
男爵勲功長門国明治40年9月21日陸軍中将に進み、佐賀の乱・日清・日露等の戦争で功
西高辻信厳
(にしたかつじ のぶかね)
男爵公家菅原氏高辻支流明治17年7月8日
西洞院信愛
(にしとういん のぶなる)
子爵公家桓武平氏高棟王流273石明治17年7月8日
西村精一
(にしむら せいいち)
男爵勲功長門国明治40年9月21日陸軍中将に進み、西南・日清・日露戦争で功
二条基弘
(にじょう もとひろ)
公爵公家九条流摂関家1708石明治17年7月7日
二条正麿
(にじょう おさまろ)
男爵公家二条公爵家分家明治35年12月5日貴族院男爵議員
西四辻公業
(にしよつつじ きみなり)
子爵公家閑院流四辻支流30石3人扶持明治17年7月8日大阪府知事・侍従
新田俊純
(にった としずみ)
男爵勲功上野国新田郡田嶋郷内120石明治17年7月8日交代寄合上野国新田郡新田庄内
清和源氏新田氏初代新田義重の末裔、新田氏嫡流
若王子遠文
(にゃくおうじ ふかや)
男爵公家四条流山科家支流30石3人扶持明治17年7月8日若王子住職・貴族院男爵議員
仁礼景範
(にれ かげのり)
子爵勲功薩摩藩士明治17年7月7日海軍中将に進み、西南戦争・海軍創設で功。昭和20年1月孫景嘉戦死後に襲爵手続きせず
丹羽氏厚
(にわ うじひろ)
子爵武家播磨三草藩1万石明治17年7月8日二本松丹羽家と別系統。昭和15年12月子氏郷没後女戸主となり栄典喪失
丹羽長裕
(にわ ながひろ)
子爵武家陸奥代二本松藩10万700石明治17年7月8日戦国武将・丹羽長秀の後裔
庭田重直
(にわた しげなお)
伯爵公家宇多源氏350石明治17年7月7日

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叙爵者(名前の読み)爵位種別出自・出身叙爵日備考
乃木希典
(のぎ まれすけ)
伯爵勲功長府藩士明治40年9月21日明治28年8月20日男爵→伯爵、明治天皇に殉死
乃木元智
(のぎ もとさと)
伯爵勲功長府藩主一門大正4年9月13日乃木希典家再興。昭和9年9月爵位返上
野崎貞澄
(のざき さだずみ)
男爵勲功薩摩国明治20年5月24日陸軍中将に進み、戊辰・西南戦争で功
野津道貫
(のづ みちつら)
侯爵勲功薩摩藩士明治40年9月21日明治17年7月7日子爵→伯爵→侯爵
野田豁通
(のだ ひろみち)
男爵勲功肥後国明治28年8月20日陸軍監督総監に進み、戊辰・西南・日清戦争で功
野宮定穀
(のみや さだよし)
子爵公家花山院家分家150石明治17年7月8日貴族院子爵議員
野村靖
(のむら やすし)
子爵勲功長州藩士明治20年5月9日逓信次官等を歴任後、逓信大臣
野村維章
(のむら これあき)
男爵勲功土佐国明治33年5月9日大阪・東京各控訴院検事長、明治維新の功
野村素介
(のむら もとすけ)
男爵勲功長門国明治33年5月9日文部省に出仕し、教育行政に携わった

は行

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叙爵者(名前の読み)爵位種別出自・出身叙爵日備考
萩原員光
(はぎわら かずみつ)
子爵公家卜部氏1000石明治17年7月8日
橋本実梁
(はしもと さねやな)
伯爵公家閑院流500石明治17年7月7日戊辰戦争で東海道鎮撫総督として軍功
橋本綱常
(はしもと つなつね)
子爵勲功越前福井藩士御書院番明治40年9月29日明治28年10月31日男爵→子爵
橋本左内の弟。陸軍軍医総監、東京帝国大学教授
橋元正明
(はしもと まさあき)
男爵勲功薩摩国明治40年9月21日海軍中将に進み、西南・日清・日露戦争に出征して功
長谷川好道
(はせがわ よしみち)
伯爵勲功周防岩国藩士剣術師範大正5年7月14日明治28年8月20日男爵→明治40年9月21日、元帥・陸軍大将
波多野敬直
(はたの よしなお)
子爵勲功肥前小城藩士大正6年6月5日明治40年9月21日男爵→子爵
戦国大名波多野氏の直系子孫。司法・宮内各大臣
八条隆吉
(はちじょう たかとみ)
子爵公家善勝寺流櫛笥家分家150石明治17年7月8日
蜂須賀茂韶
(はちすか もちあき)
侯爵武家阿波徳島藩25万7900石明治17年7月7日昭和20年7月孫の正氏は爵位返上
花園公秊
(はなぞの きんとし)
子爵公家閑院流正親町三条支流150石明治17年7月8日名の2文字目は「季」の「子」の部分が「千」になった字
華園沢称
(はなぞの たくしょう)
男爵僧家浄土真宗興正派明治29年6月9日鷹司政通次男。
花房義質
(はなぶさ よしもと)
子爵勲功備前国明治40年9月23日ロシア公使宮内次官を歴任
明治29年6月5日男爵→子爵
浜尾新
(はまお あらた)
子爵勲功但馬国豊岡藩士江戸詰大正10年11月25日東京帝国大学総長、文部大臣
明治40年9月23日男爵→子爵
葉室長邦
(はむろ ながくに)
伯爵公家勧修寺流183石明治17年7月7日
林権助
(はやし ごんすけ)
男爵勲功陸奥会津藩士大砲奉行明治40年11月4日韓国公使清国公使を歴任
林董
(はやし ただす)
伯爵勲功下総佐倉藩蘭医明治40年9月14日明治28年10月31日男爵→子爵→伯爵。外務・逓信各大臣
林忠弘
(はやし ただひろ)
男爵武家上総請西藩1万石明治26年10月30日父・忠崇は自ら脱藩して、奥羽越列藩同盟に参加したために改易処分
林友幸
(はやし ともゆき)
伯爵勲功長門国明治40年11月8日明治20年5月9日子爵→伯爵。元老院議官・枢密顧問官・宮中顧問官歴任
原嘉道
(はら よしみち)
男爵勲功信濃須坂藩士足軽小頭昭和19年8月7日田中義一内閣の司法大臣、枢密院議長。日本最後の叙爵者
原口兼済
(はらぐち けんさい)
男爵勲功豊後国明治40年9月21日陸軍中将に進み、西南・日清・日露戦争に出征して功
原田一道
(はらだ いちどう)
男爵勲功備中鴨方藩医明治33年5月9日陸軍少将に進み、兵器・軍律刑法研究の功

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叙爵者(名前の読み)爵位種別出自叙爵日備考
東久世通禧
(ひがしくぜ みちとみ)
伯爵公家村上源氏久世家分家30石3人扶持明治17年7月7日七卿の一人。功により伯爵。維新後の新政府成立時の外交にあたった
東久世秀雄
(ひがしくぜ ひでお)
男爵公家東久世伯爵家分家明治30年12月6日通禧の四男。内匠頭・貴族院男爵議員
東三条公美
(ひがしさんじょう きんよし)
男爵公家三条公爵家分家明治17年7月8日公美は本家に復籍し公恭長男実敏が継承
東園基愛
(ひがしぞの もとなる)
子爵公家中御門庶流園家支流180石明治17年7月8日
東伏見邦英
(ひがしふしみ くにひで)
伯爵皇族久邇宮家昭和6年4月4日久邇宮邦彦王の三男、臣籍降下
東坊城徳長
(ひがしぼうじょう よしなが)
子爵公家菅原氏高辻家五条支流301石明治17年7月8日
樋口誠康
(ひぐち なるやす)
子爵公家高倉家分家200石明治17年7月8日陸軍歩兵大尉・貴族院子爵議員
久松定謨
(ひさまつ さだこと)
伯爵武家伊予松山藩15万石明治17年7月7日久松松平家
子の定武は、5期愛媛県知事をつとめた
久松勝慈
(ひさまつ かつなり)
子爵武家下総多古藩1万2000石明治17年7月8日久松松平家
久松定弘
(ひさまつ さだひろ)
子爵武家伊予今治藩3万5000石明治17年7月8日久松松平家、貴族院子爵議員
土方雄志
(ひじかた かつゆき)
子爵武家伊勢菰野藩1万1000石明治17年7月8日
土方久元
(ひじかた ひさもと)
伯爵勲功土佐藩上士明治28年10月7日明治17年7月17日子爵→伯爵。宮内大臣をつとめた。昭和9年9月に孫の久敬は爵位を返上
日高壮之丞
(ひだか そうのじょう)
男爵勲功薩摩国明治40年9月21日薩英戦争に功。昭和17年8月孫荘輔没後に爵位を返上
一柳末徳
(ひとつやなぎ すえのり)
子爵武家播磨小野藩1万石明治17年7月8日
一柳紹念
(ひとつやなぎ つぐむね)
子爵武家伊予小松藩1万石明治17年7月8日
日野資秀
(ひの すけひで)
伯爵公家日野家嫡流1153石明治17年7月7日東宮侍従・貴族院伯爵議員
日野西光善
(ひのにし みつよし)
子爵公家日野家広橋支流200石明治17年7月8日貴族院子爵議員・平安神宮宮司
平賀譲
(ひらが ゆずる)
男爵勲功広島県広島市昭和18年2月17日海軍造船中将・東京帝国大学工学部
平佐良蔵
(ひらさ りょうぞう)
男爵勲功長門国明治40年9月21日陸軍中将に進み、戊辰・日清・日露戦争に出征して功
平田東助
(ひらた とうすけ)
伯爵勲功出羽米沢藩医大正11年9月25日明治35年2月27日男爵→子爵→伯爵
平沼騏一郎
(ひらぬま きいちろう)
男爵勲功美作津山藩士大正15年10月28日検事総長・司法大臣・総理大臣等を歴任。A級戦犯
平野長祥
(ひらの ながよし)
男爵武家大和田原本藩1万石明治17年7月8日貴族院男爵議員
平松時厚
(ひらまつ ときあつ)
子爵公家桓武平氏高棟王流200石明治17年7月8日新潟県令・元老院議官・貴族院議員等を歴任。
平山成信
(ひらやま せいしん)
男爵勲功東京都大正13年2月11日
広沢金次郎
(ひろさわ きんじろう)
伯爵勲功長門国明治17年7月7日父、真臣は現職参議時に暗殺
後に内閣総理大臣秘書官を務めた
広橋賢光
(ひろはし まさみつ)
伯爵公家日野流広橋家850石明治17年7月7日明治維新後内務省に入った
広幡忠礼
(ひろはた ただあや)
侯爵公家正親町源氏500石明治17年7月7日江戸時代の当主は代々近衛家猶子

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叙爵者
(名前の読み)
爵位種別出自・出身叙爵日備考
深尾重孝
(ふかお しげたか)
男爵武家土佐藩家老・佐川領1万石明治39年9月17日
福岡孝弟
(ふくおか たかちか)
子爵勲功土佐藩家老明治17年7月7日大政奉還を将軍慶喜に勧め、王政復古で参与
福島安正
(ふくしま やすまさ)
男爵勲功信濃松本藩士明治40年9月21日西南・日清・日露戦争に出征
福羽美静
(ふくば よししず)
子爵勲功石見津和野藩士明治20年5月9日神道の制度確立に尽力
福原俊丸
(ふくはら としまる)
男爵武家長州藩家老・宇部領1万1000石明治33年5月9日一門家老、毛利元就生母の実家
福原基蔵
(ふくはら もとぞう)
男爵勲功長州藩一門家老福原家分家明治30年10月27日陸軍大尉。父豊功の功により叙爵。子の基彦は初の戦後爵位返上者(昭和21年5月)
福原実
(ふくはら みのる)
男爵勲功長州藩一門家老福原家分家明治33年5月9日陸軍少将に進み、戊辰・西南戦争の功。
藤井行道
(ふじい ゆきみち)
子爵公家卜部氏30石3人扶持明治17年7月8日
藤井包總
(ふじい かねすけ)
男爵勲功安芸国明治40年9月21日陸軍中将に進み、戊辰・西南・日清戦争に出征して功
藤枝雅之
(ふじえ まさゆき)
男爵公家難波流飛鳥井支流50石明治17年7月8日貴族院男爵議員
藤大路納親
(ふじおおじ のりちか)
男爵公家高倉一門堀河支流50石明治17年7月8日
藤田伝三郎
(ふじた でんさぶろう)
男爵勲功長門国酒屋明治44年8月25日藤田組(藤田財閥)を創立して農林鉱業を営む
藤谷為寛
(ふじたに ためちか)
子爵公家御子左流上冷泉庶流200石明治17年7月8日貴族院子爵議員
藤波言忠
(ふじなみ ことただ)
子爵公家大中臣姓藤波家173石明治17年7月8日大中臣氏直系子孫
伏原宣足
(ふしはら のぶたる)
子爵公家広澄流清原氏嫡流舟橋家分家230石明治17年7月8日貴族院議員・賀茂別雷神社宮司兼賀茂御祖神社宮司
伏見博英
(ふしみ ひろひで)
伯爵皇族伏見宮家昭和11年4月1日伏見宮博恭王の四男。昭和11年に臣籍降下
藤村紫朗
(ふじむら しろう)
男爵勲功肥後熊本藩士明治29年6月5日維新の功、山梨・愛媛県知事。子義朗没後に後継者不在で昭和12年1月爵位返上
二荒芳之
(ふたあら よしゆき)
伯爵皇族北白川宮家明治30年7月1日北白川宮能久親王の五男
船越衛
(ふなこし まもる)
男爵勲功安芸広島藩士20石3人扶持明治29年6月5日大村益次郎兵学を学び、戊辰戦争で参謀
舟橋遂賢
(ふなばし なるかた)
子爵公家広澄流清原氏400石明治17年7月8日貴族院子爵議員
古市公威
(ふるいち こうい)
男爵勲功兵庫県大正8年12月27日内務省土木局長等を歴任
古河虎之助
(ふるかわ とらのすけ)
男爵勲功滋賀県大正4年12月1日古河財閥の地位を確立

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叙爵者
(名前の読み)
爵位種別出自・出身叙爵日備考
日置健太郎
(へき けんたろう)
男爵武家岡山藩家老金川領1万6000石明治39年9月17日

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叙爵者(名前の読み)爵位種別出自叙爵日備考
北条氏恭
(ほうじょう うじゆき)
子爵武家河内狭山藩1万石明治17年7月8日戦国大名・北条早雲の後裔
坊城俊章
(ぼうじょう としあや)
伯爵公家勧修寺流180石明治17年7月7日参与・陸軍中佐・貴族院議員
坊城俊延
(ぼうじょう としのぶ)
男爵公家坊城伯爵家分家明治17年7月8日
保科正益
(ほしな まさあり)
子爵武家上総飯野藩2万石明治17年7月8日
穂穙俊香
(ほづみ としか)
男爵公家勧修寺流坊城支流50石明治17年7月8日
穂積陳重
(ほづみ のぶしげ)
男爵勲功伊予宇和島藩国学者大正4年12月1日日本初の法学博士枢密院議長をつとめる
細川護久
(ほそかわ もりひさ)
侯爵武家肥後熊本藩54万石明治17年7月7日父の韶邦は戊辰戦争で軍功を挙げる
細川興貫
(ほそかわ おきつら)
子爵武家下野茂木藩1万6313石明治17年7月8日
細川行真
(ほそかわ ゆきざね)
子爵武家肥後宇土藩3万石明治17年7月8日
細川利永
(ほそかわ としなが)
子爵武家肥後高瀬藩3万5000石明治17年7月8日
細川興増
(ほそかわ おきなが)
男爵武家熊本藩家老・2万5000石明治30年10月27日細川刑部家
細川潤次郎
(ほそかわ じゅんじろう)
男爵勲功土佐藩士儒学者明治33年5月9日
細川忠穀
(ほそかわ ただよし)
男爵武家熊本藩家老・6000石明治33年5月9日細川内膳家
細川護晃
(ほそかわ もりあき)
男爵武家細川侯爵家分家明治29年12月3日養子護立が細川侯爵家相続のため大正3年10月廃家
堀田正倫
(ほった まさのり)
伯爵武家下総佐倉藩11万石明治17年7月7日
堀田正養
(ほった まさやす)
子爵武家近江宮川藩1万3000石明治17年7月8日
堀田正頌
(ほった まさつぐ)
子爵武家下総佐野藩1万6000石明治17年7月8日
穂波経藤
(ほなみ つねふじ)
子爵公家勧修寺支流30石3人扶持明治17年7月8日明治38年6月爵位返上
堀親篤
(ほり ちかあつ)
子爵武家信濃飯田藩1万7000石明治17年7月8日貴族院子爵議員
堀河康隆
(ほりかわ やすたか)
子爵公家高倉家支流180石明治17年7月8日昭和19年7月孫康文戦死後に後継者を欠く
本庄寿巨
(ほんじょう ひさなお)
子爵武家美濃高富藩1万石明治17年7月8日桂昌院の甥の子孫。貴族院子爵議員
本荘宗武
(ほんじょう むねたけ)
子爵武家丹後宮津藩7万石明治17年7月8日桂昌院の甥の子孫
本庄松平家
本庄繁
(ほんじょう しげる)
男爵勲功播磨国昭和10年12月26日日露・第一次大戦・シベリア出兵に出征。昭和20年11月没後に子の一雄は襲爵手続きせず
本多実方
(ほんだ さねふさ)
子爵武家信濃飯山藩2万石明治17年7月8日貴族院子爵議員。昭和18年2月子助信没後に襲爵手続きせず
本多忠敬
(ほんだ ただあつ)
子爵武家三河岡崎藩5万石明治17年7月8日徳川四天王本多忠勝の直系子孫
本多忠貫
(ほんだ ただつら)
子爵武家伊勢神戸藩1万5000石明治17年7月8日
本多忠彦
(ほんだ ただひこ)
子爵武家陸奥泉藩2万石明治17年7月8日
本多忠鵬
(ほんだ ただゆき)
子爵武家三河西端藩1万5000石明治17年7月8日
本多正憲
(ほんだ まさのり)
子爵武家安房長尾藩4万石明治17年7月8日戦国武将・本多正重の後裔
本多康穣
(ほんだ やすしげ)
子爵武家近江膳所藩6万石明治17年7月8日
本多貞吉
(ほんだ ていきち)
子爵武家播磨山崎藩1万石明治17年7月8日
本田親雄
(ほんだ ちかお)
男爵勲功薩摩藩士明治20年5月24日戊辰戦争で参謀
本多副元
(ほんだ すけもと)
男爵武家福井藩家老・府中領3万9000石明治17年7月8日戦国武将・本多重次の甥の後裔
本多政以
(ほんだ まさざね)
男爵武家加賀藩家老5万石明治33年5月9日戦国武将・本多正信の二男政重の後裔
本堂親久
(ほんどう ちかひさ)
男爵武家常陸志筑藩1万110石明治17年7月8日交代寄合常陸新治郡志筑

ま行

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叙爵者(名前の読み)爵位種別出自・出身叙爵日備考
蒔田広孝
(まいた ひろたか)
子爵武家備中浅尾藩1万石明治17年7月8日交代寄合京都見廻役 相模守組
前島密
(まえじま ひそか)
男爵勲功越後国中頸城郡津有村明治35年6月19日維新後、郵便制度を確立
前田利同
(まえだ としあつ)
伯爵武家越中富山藩10万石明治17年7月7日
前田利昭
(まえだ としあき)
子爵武家上野七日市藩1万石明治17年7月8日
前田利鬯
(まえだ としか)
子爵武家加賀大聖寺藩10万石明治17年7月8日
前田勇
(まえだ いさむ)
男爵勲功大和国明治40年10月2日陸軍大佐。養父隆礼の戊辰・日露戦争中の功により叙爵
前田孝
(まえだ つこう)
男爵武家加賀藩一門・1万8000石明治33年5月9日加賀八家前田対馬守家
昭和22年2月子の孝行は爵位返上
前田利武
(まえだ としたけ)
男爵武家前田侯爵家分家明治17年7月8日加賀藩主前田斉泰の十二男
前田直行
(まえだ なおつら)
男爵武家加賀藩一門・1万1000石明治33年5月9日加賀八家筆頭前田土佐守家
前田正名
(まえだ まさな)
男爵勲功薩摩藩医大正10年8月11日山梨県知事・農商務次官を歴任。昭和14年1月子三介没後女戸主となり栄典喪失
前田利嗣
(まえだ としつぐ)
侯爵武家加賀藩102万5000石明治17年7月7日戦国大名・前田利家の直系子孫
真木長義
(まき ながよし)
男爵勲功肥前国明治20年5月24日海軍中将に進み、海軍裁判所長等を歴任
牧野伸顕
(まきの のぶあき)
伯爵勲功薩摩藩士御小姓与大正14年4月9日明治40年11月4日男爵→子爵→伯爵
大久保利通の二男、内大臣等歴任
牧野弼成
(まきの すけしげ)
子爵武家丹後舞鶴藩3万5000石明治17年7月8日
牧野貞寧
(まきの さだやす)
子爵武家常陸笠間藩8万石明治17年7月8日
牧野忠篤
(まきの ただあつ)
子爵武家越後長岡藩7万4000石明治17年7月8日
牧野忠良
(まきの ただよし)
子爵武家越後峰岡藩1万1000石明治24年12月24日
牧野康強
(まきの やすたけ)
子爵武家信濃小諸藩1万5000石明治17年7月8日
槇村正直
(まきむら まさなお)
男爵勲功長門国明治20年5月24日維新の功、京都府知事・元老院議官等歴任。昭和5年2月子正介没後に後継者を欠く
増山正同
(ましやま まさとも)
子爵武家伊勢長島藩2万石明治17年7月8日
益田精祥
(ますだ あきよし)
男爵武家長州藩家老・須佐領1万2000石明治33年5月9日永代家老、戦国武将・益田元祥の後裔
益田孝
(ますだ たかし)
男爵勲功佐渡国大正7年11月26日三井物産会社設立に参加
小田原三茶人
町尻量衡
(まちじり かずひら)
子爵公家水無瀬家支流30石3人扶持明治17年7月8日
松井康義
(まつい やすよし)
子爵武家武蔵川越藩8万400石明治17年7月8日松井松平家
松井慶四郎
(まつい けいしろう)
男爵勲功大阪府大正9年9月7日第一次大戦の講和全権委員、外務大臣・枢密顧問官等歴任
松井敏之
(まつい としゆき)
男爵武家熊本藩家老・八代領3万石明治25年10月15日筆頭家老、上卿三家
松尾臣善
(まつお しげよし)
男爵勲功播磨国明治40年9月23日大蔵省に出仕、のちに日銀総裁。日露戦争中の功により叙爵
松岡康毅
(まつおか やすこわ)
男爵勲功阿波徳島藩中老長谷川家家臣大正6年8月14日検事総長・農商務大臣等歴任
松崎万長
(まつがさき つむなが)
男爵公家勧修寺家嫡流甘露寺一門明治17年7月8日明治29年10月22日、爵位返上。
松方正義
(まつかた まさよし)
公爵勲功薩摩藩士大正11年9月18日明治17年7月7日伯爵→侯爵→公爵、内閣総理大臣。昭和2年12月に子は爵位を返上
松木美彦
(まつき ともひこ)
男爵神官伊勢神宮外宮神職(度会松木家明治17年7月8日
松園尚嘉
(まつぞの ひさよし)
男爵公家九条流摂関家支流明治17年7月8日興福寺大乗院最後の門跡・隆芳
廃仏毀釈により院は廃絶されて本人は還俗
松田正久
(まつだ まさひさ)
男爵勲功肥前小城藩士大正3年1月19日大蔵・司法・文部の各大臣をつとめた
松平容大
(まつだいら かたはる)
子爵武家陸奥会津藩28万石明治17年7月8日御家門会津松平家
松平定教
(まつだいら さだのり)
子爵武家伊勢桑名藩11万石明治17年7月8日久松松平家松山藩久松家の分家
松平武修
(まつだいら たけなが)
子爵武家石見浜田藩6万1000石明治17年7月8日御家門越智松平家
松平忠和
(まつだいら ただかず)
子爵武家肥前島原藩7万石明治17年7月8日深溝松平家
松平忠礼
(まつだいら ただなり)
子爵武家信濃上田藩5万3000石明治17年7月8日藤井松平家
松平忠敬
(まつだいら ただのり)
子爵武家武蔵忍藩10万石明治17年7月8日奥平松平家
松平忠恕
(まつだいら ただゆき)
子爵武家上野小幡藩2万石明治17年7月8日奥平松平家
松平親信
(まつだいら ちかのぶ)
子爵武家豊後杵築藩3万2000石明治17年7月8日能見松平家・貴族院子爵議員
松平直亮
(まつだいら なおあき)
伯爵武家出雲松江藩18万6000石明治17年7月7日越前松平家・貴族院伯爵議員
松平直哉
(まつだいら なおとし)
子爵武家出雲母里藩1万石明治17年7月8日越前松平家
松平直徳
(まつだいら なおのり)
子爵武家播磨明石藩8万石明治17年7月8日越前松平家、貴族院子爵議員
松平直平
(まつだいら なおひら)
子爵武家出雲広瀬藩3万石明治17年7月8日越前松平家
松平直静
(まつだいら なおやす)
子爵武家越後糸魚川藩1万石明治17年7月8日越前松平家
松平信正
(まつだいら のぶまさ)
子爵武家丹波亀山藩5万石明治17年7月8日形原松平家
松平信安
(まつだいら のぶやす)
子爵武家出羽上山藩2万7000石明治17年7月8日藤井松平家。明治41年10月爵位を返上
松平喜徳
(まつだいら のぶのり)
子爵武家常陸守山・松川藩2万9322石明治17年7月8日御連枝水戸徳川家分家
松平乗承
(まつだいら のりつぐ)
子爵武家三河西尾藩6万石明治17年7月8日大給松平家日本赤十字社副社長・貴族院子爵議員
松平乗命
(まつだいら のりとし)
子爵武家美濃岩村藩3万石明治17年7月8日大給松平家
松平斉
(まつだいら ひとし)
男爵武家美作津山藩松平子爵家分家明治21年11月1日越前松平家
松平正直
(まつだいら まさなお)
男爵勲功越前福井藩御用人明治33年5月9日長沢松平家・内務次官・貴族院議員・枢密顧問官
松平茂昭
(まつだいら もちあき)
侯爵武家越前福井藩32万石明治21年1月17日御家門筆頭越前松平家
明治17年7月7日伯爵→侯爵
松平基則
(まつだいら もとのり)
伯爵武家上野前橋藩17万石明治17年7月7日越前松平家
松平康民
(まつだいら やすたみ)
子爵武家美作津山藩10万石明治17年7月8日御家門筆頭越前松平家宗家
松平慶民
(まつだいら よしたみ)
子爵武家福井藩松平侯爵家分家明治39年9月17日越前松平家
松平義生
(まつだいら よしなり)
子爵武家美濃高須藩3万石明治17年7月8日御連枝尾張徳川家分家
松平頼聡
(まつだいら よりとし)
伯爵武家讃岐高松藩12万石明治17年7月7日御連枝水戸徳川家分家
松平頼英
(まつだいら よりひで)
子爵武家伊予西条藩3万石明治17年7月8日御連枝紀州徳川家分家
松平頼策
(まつだいら よりふみ)
子爵武家常陸常陸府中・岩岡藩2万石明治17年7月8日御連枝水戸徳川家分家
松平頼安
(まつだいら よりやす)
子爵武家常陸宍戸藩1万石明治17年7月8日御連枝水戸徳川家分家
松永正敏
(まつなが まさとし)
男爵勲功肥後国明治40年9月21日陸軍中将に進み、西南・日清・日露・台湾出兵に出征
松木宗隆
(まつのき むねたか)
伯爵公家中御門流嫡流341石明治17年7月7日貴族院伯爵議員
松林為美
(まつばやし ためあき)
男爵公家御子左家二条家庶流上冷泉支流明治17年7月8日明治29年12月21日、爵位返上。
松前修広
(まつまえ ながひろ)
子爵武家蝦夷松前藩3万石明治17年7月8日昭和19年10月孫正広戦死後に後継者を欠く
松前隆広
(まつまえ たかひろ)
男爵武家松前子爵家分家明治22年10月16日
松村淳蔵
(まつむら じゅんぞう)
男爵勲功薩摩国明治20年5月24日海軍中将に進み、西南戦争で功
松村務
(まつむら つとむ)
男爵勲功加賀国明治40年10月2日務本の日清・日露戦争の功により叙爵
松本鼎
(まつもと かなえ)
男爵勲功長門国明治40年10月22日禁門の変・幕長戦・戊辰戦争で功、元老院議官・衆議院議員
松本順
(まつもと じゅん)
男爵勲功江戸明治38年3月1日陸軍軍医総監等をつとめ、軍医制度確立に功
松浦詮
(まつら あきら)
伯爵武家肥前平戸藩6万1700石明治17年7月8日
松浦靖
(まつら はかる)
子爵武家肥前平戸新田藩1万石明治23年12月26日松浦詮二男、陸軍歩兵中佐、侍従
万里小路通房
(までのこうじ みちふさ)
伯爵公家勧修寺流嫡流甘露寺分家390石明治17年7月7日戊辰戦争で功を挙げた
万里小路正秀
(までのこうじ まさひで)
男爵公家万里小路伯爵家分家明治17年7月8日
間部詮信
(まなべ あきのぶ)
子爵武家越前鯖江藩4万石明治17年7月8日
真鍋斌
(まなべ さかり)
男爵勲功長門国明治40年9月21日陸軍中将に進み、西南戦争・日清戦争等で功

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叙爵者(名前の読み)爵位種別出自・出身叙爵日備考
三浦顕次
(みうら たかつぐ)
子爵武家美作勝山藩2万3000石明治17年7月8日戦国大名里見家重臣正木頼忠の後裔
三浦梧楼
(みうら ごろう)
子爵勲功長州藩士明治17年7月7日西南戦争で功、乙未事変。陸軍中将
三浦権五郎
(みうら ごんごろう)
男爵武家紀州藩家老・貴志領1万5000石明治33年5月9日
三島通庸
(みしま みちつね)
子爵勲功薩摩藩士指南役明治20年5月24日維新の功。内務官僚、山形県令・警視総監などを歴任。
三須宗太郎
(みす そうたろう)
男爵勲功近江彦根藩士明治40年9月21日日露戦争時、第1戦隊司令官。海軍大将
水野忠敬
(みずの ただのり)
子爵武家上総菊間藩5000石明治17年7月8日
水野忠愛
(みずの ただよし)
子爵武家下総結城藩1万8000石明治17年7月8日
水野忠弘
(みずの ただひろ)
子爵武家近江朝日山藩5万石明治17年7月8日
水野忠順
(みずの ただより)
子爵武家上総鶴牧藩1万5000石明治17年7月8日
水野忠幹
(みずの ただもと)
男爵武家紀伊新宮藩3万5000石明治17年7月8日紀伊徳川家附家老
溝口直正
(みぞぐち なおまさ)
伯爵武家越後新発田藩10万石明治17年7月7日
三井高棟
(みつい たかみね)
男爵勲功宇多源氏佐々木氏支流三井家明治29年6月9日三井惣領家
諸事業を興した功で爵位を賜る
三井高弘
(みつい たかひろ)
男爵勲功宇多源氏佐々木氏支流三井分家明治44年8月25日三井南家
三井高保
(みつい たかやす)
男爵勲功宇多源氏佐々木氏支流三井家分家大正4年12月1日三井室町家
箕作麟祥
(みつくり りんしょう)
男爵勲功江戸箕作家明治30年12月1日司法次官行政裁判所長官等を歴任
水無瀬忠輔
(みなせ ただすけ)
子爵公家水無瀬家嫡流631石明治17年7月8日
南光利
(みなみ みつとし)
男爵公家日野家支流広橋家分家26石明治17年7月8日貴族院男爵議員
南岩倉具威
(みなみいわくら ともたけ)
男爵公家岩倉公爵家分家明治17年7月8日
壬生基修
(みぶ もとおさ)
伯爵公家中御門流持明院家支流130石明治24年4月23日明治17年7月8日子爵→伯爵
壬生桄夫
(みぶ こうふ)
男爵公家官務100石明治17年7月8日
三室戸雄光
(みむろど たけみつ)
子爵公家日野流柳原家分家130石明治17年7月8日
水谷川忠起
(みやがわ ただおき)
男爵公家近衛流摂関家支流明治17年7月8日
三宅康寧
(みやけ やすなが)
子爵武家三河田原藩1万2000石明治17年7月8日
宮成公矩
(みやなり きみつね)
男爵神官宇佐神宮神職明治17年7月8日昭和11年9月爵位返上し、昭和14年3月姓を宇佐に戻した
宮原二郎
(みやはら じろう)
男爵勲功武蔵国明治40年9月21日海軍機関中将で日露戦争に功
三好重臣
(みよし しげおみ)
子爵勲功長州藩士明治17年7月7日戊辰・西南戦争に出征。陸軍中将
三好成行
(みよし なりゆき)
男爵勲功長州藩士明治40年9月21日幕末、四国艦隊と交戦。西南・日清・日露戦争に功。陸軍中将

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叙爵者(名前の読み)爵位種別出自叙爵日備考
向山慎吉
(むかいやま しんきち)
男爵勲功幕府・旗本明治40年9月21日海軍中将に進み、西南・日清・日露戦争に出征
武者小路実世
(むしゃのこうじ さねよ)
子爵公家閑院流三条家庶流三条西支流130石明治17年7月8日二男の実篤は、白樺派作家として有名
陸奥宗光
(むつ むねみつ)
伯爵勲功紀州藩士明治28年8月20日明治27年8月29日子爵→伯爵。農商務・外務各大臣等歴任。昭和22年2月に孫陽之助は爵位を返上
武藤信義
(むとう のぶよし)
男爵勲功肥前佐賀藩士昭和8年7月27日元帥陸軍大将に進み、日清・日露・シベリア出兵に功。没後女戸主となり栄典喪失
村井長八郎
(むらい ちょうはちろう)
男爵武家加賀藩家老1万9500石明治33年5月9日
村上敬次郎
(むらかみ けいじろう)
男爵勲功安芸国明治40年9月21日海軍主計総監に進み、海軍関係法律整備、日露戦争の功。昭和9年12月子隆吉没後女戸主となり栄典喪失
村木雅美
(むらき まさみ)
男爵勲功土佐国明治40年9月21日陸軍中将に進み、日清・日露戦争の功。昭和20年9月子雅枝没後に襲爵手続きせず
村田経芳
(むらた つねよし)
男爵勲功薩摩藩士明治29年6月5日陸軍少将。村田銃と称される小銃の改良をした
室町公康
(むろまち きんやす)
伯爵公家閑院流西園寺家一門200石明治17年7月7日

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叙爵者(名前の読み)爵位種別出自叙爵日備考
目賀田種太郎
(めがた たねたろう)
男爵勲功東京都明治40年9月28日

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叙爵者(名前の読み)爵位種別出自叙爵日備考
毛利元徳
(もうり もとのり)
公爵武家周防山口藩36万9千石明治17年7月7日周防山口藩主・明治維新の原動力となった。
毛利高範
(もうり たかのり)
子爵武家豊後佐伯藩2万石明治17年7月8日
毛利元功
(もうり もといさ)
子爵武家周防徳山藩4万10石明治17年7月8日
毛利元忠
(もうり もとただ)
子爵武家長門清末藩1万石明治17年7月8日貴族院子爵議員
毛利元敏
(もうり もととし)
子爵武家長門長府藩5万石明治17年7月8日
毛利五郎
(もうり ごろう)
男爵武家山口毛利公爵家分家明治25年3月16日
毛利重輔
(もうり じゅうすけ)
男爵武家山口毛利家一門明治33年5月9日鉄道技術者・日本鉄道会社副社長
毛利祥久
(もうり よしひさ)
男爵武家山口毛利家一門明治30年10月27日
餅原平二
(もちはら へいじ)
男爵勲功薩摩国明治40年9月21日海軍中将。西南・日清・日露戦争に出征
元田永孚
(もとだ ながさね)
男爵勲功熊本藩士明治24年1月24日明治天皇に近侍皇后宮大夫等を歴任
本野一郎
(もとの いちろう)
子爵勲功佐賀藩大正5年7月14日明治40年9月14日男爵→子爵。外務大臣
森有礼
(もり ありのり)
子爵勲功薩摩藩士明治20年5月9日初代文部大臣
森忠儀
(もり ただよし)
子爵武家播磨赤穂藩2万石明治17年7月8日織田信長の側近・森蘭丸の血統
森長祥
(もり ながさち)
子爵武家播磨三日月藩1万5千石明治17年7月8日
森岡昌純
(もりおか まさずみ)
男爵勲功薩摩国明治31年3月26日海運業発展に功績。共同運輸会社・日本郵船会社各社長
森川恒
(もりかわ ひさし)
子爵武家下総生実藩1万石明治17年7月8日
森村市左衛門
(もりむら いちざえもん)
男爵勲功東京都大正4年12月1日日本銀行理事をつとめるなど、実業界に功

や行

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叙爵者(名前の読み)爵位種別出自叙爵日備考
柳生俊郎
(やぎゅう としろう)
子爵武家大和柳生藩1万石明治17年7月8日柳生新陰流宗家、将軍家剣術指南役
八代六郎
(やしろ ろくろう)
男爵勲功尾張国丹羽郡楽田村(犬山市)の地主大正5年7月14日海軍大将に進み、日清・日露戦争で功
安川敬一郎
(やすかわ けいいちろう)
男爵勲功福岡藩大正9年1月13日各種学校・会社設立、経済発展に功績。昭和9年11月没後に襲爵手続きせず
安場保和
(やすば やすかず)
男爵勲功熊本藩明治29年6月5日県知事・元老院議官等歴任、戊辰戦争で功
柳沢保申
(やなぎさわ やすのぶ)
伯爵武家大和郡山藩15万1288石明治17年7月7日
柳沢徳忠
(やなぎさわ のりただ)
子爵武家越後三日市藩1万石明治17年7月8日
柳沢光邦
(やなぎさわ みつくに)
子爵武家越後黒川藩1万石明治17年7月8日貴族院子爵議員
柳原前光
(やなぎわら さきみつ)
伯爵公家日野家支流202石明治17年7月7日
藪篤麿
(やぶ あつまろ)
子爵公家藤原南家150石明治17年7月8日昭和11年、旧姓・高倉に復姓。
矢吹秀一
(やぶき ひでかず)
男爵勲功東京都明治40年9月21日陸軍中将に進み、西南・日清・日露戦争で功
山内豊誠
(やまうち とよしげ)
子爵武家土佐高知新田藩1万3000石明治17年7月8日
山内豊静
(やまうち とよしず)
男爵武家山内侯爵家一門明治39年12月15日
山内豊尹
(やまうち とよただ)
子爵武家山内侯爵家一門明治24年4月23日明治17年7月8日男爵→子爵
山内豊積
(やまうち とよつみ)
男爵武家山内侯爵家一門・1500石明治22年3月2日
山内豊範
(やまうち とよのり)
侯爵武家土佐高知藩49万4千石明治17年7月7日
山尾庸三
(やまお ようぞう)
子爵勲功周防国吉敷郡二島村明治20年5月24日工部卿・宮中顧問官等歴任、工業界発展に功績
山岡鉄太郎
(やまおか てつたろう)
子爵勲功江戸・旗本明治20年5月24日侍従・宮内大書記官等歴任。昭和18年5月孫鉄雄没後女戸主となり栄典喪失
山県有朋
(やまがた ありとも)
公爵勲功長州藩蔵元付中間明治40年9月21日明治17年7月7日伯爵→侯爵→公爵。元帥陸軍大将、内閣総理大臣
山県有光
(やまがた ありみつ)
男爵勲功長州藩蔵元付中間大正11年2月1日山縣公爵家分家。外祖父、山縣有朋の功
山川健次郎
(やまかわ けんじろう)
男爵勲功会津藩家老大正4年12月1日東京大学総長をつとめる。昭和18年3月子没後に後継者を欠く
山川浩
(やまかわ ひろし)
男爵勲功会津藩家老明治31年1月26日陸軍少将に進み、佐賀の乱・西南戦争に出征
山口弘達
(やまぐち ひろよし)
子爵武家常陸牛久藩1万17石明治17年7月8日
山口正定
(やまぐち まささだ)
男爵勲功水戸藩明治29年6月5日維新の功、侍従長・宮内大書記官等歴任
山口素臣
(やまぐち もとおみ)
子爵勲功長州藩明治37年8月5日明治28年8月20日男爵→子爵。陸軍大将
山崎治敏
(やまざき はるとし)
男爵武家交代寄合5000石明治17年7月8日
山沢静吾
(やまさわ せいご)
男爵勲功薩摩藩明治28年12月4日陸軍中将に進み、薩英戦争・戊辰戦争・日清戦争に出征
山下源太郎
(やました げんたろう)
男爵勲功出羽米沢藩士昭和3年11月10日海軍大将に進み、日清・日露戦争に出征
山科言縄
(やましな ときなお)
伯爵公家四条家支流300石明治17年7月7日
山階芳麿
(やましな よしまろ)
侯爵皇族山階宮家大正9年7月24日山階宮菊麿王の二男
山田顕義
(やまだ あきよし)
伯爵勲功長州藩士大組士・藩海軍頭102石明治17年7月7日維新の功、陸軍中将・初代司法大臣等歴任
山田信道
(やまだ のぶみち)
男爵勲功熊本藩士明治29年6月5日維新の功、県知事・農商務大臣等歴任。昭和10年11月子東三郎没後女戸主となり栄典喪失
山地元治
(やまぢ もとはる)
子爵勲功土佐国明治28年8月20日明治20年5月24日男爵→子爵。戊辰・日清戦争の功、陸軍中将
山名義路
(やまな よしみち)
男爵武家但馬村岡藩1万1000石明治17年7月8日交代寄合但馬国村岡6700石
守護大名山名氏の末裔
山中信儀
(やまなか のぶよし)
男爵勲功長門国明治40年9月21日陸軍中将に進み、西南・日清・日露戦争で功
山根武亮
(やまね たけすけ)
男爵勲功長門国明治40年9月21日陸軍中将に進み、西南戦争に出征
山根信成
(やまね のぶなり)
男爵勲功長門国明治28年10月1日日清戦争の功により臨終に際して叙爵
山井兼文
(やまのい かねふみ)
子爵公家水無瀬流30石3人扶持明治17年7月8日貴族院子爵議員
山内長人
(やまのうち おさひと)
男爵勲功江戸明治40年9月21日陸軍中将に進み、西南戦争で功
山内万寿治
(やまのうち ますじ)
男爵勲功肥後国明治40年9月21日海軍中将に進み、造船技術向上に功績。昭和16年9月養子志郎没後女戸主となり栄典喪失
山本権兵衛
(やまもと ごんべえ)
伯爵勲功薩摩藩士明治40年9月21日明治35年2月27日男爵→伯爵。内閣総理大臣、海軍大将
山本実庸
(やまもと さねもち)
子爵公家閑院流阿野支流175石明治17年7月8日貴族院子爵議員
山本達雄
(やまもと たつお)
男爵勲功豊後臼杵藩士大正9年9月7日日銀理事を経て総裁
山本信成
(やまもと のぶなり)
男爵勲功長門国明治40年10月2日信行の日露戦争の功により叙爵

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叙爵者
(名前の読み)
爵位種別出自叙爵日備考
湯浅倉平
(ゆあさ くらへい)
男爵勲功福島県
(山口県)
昭和15年12月24日宮内大臣内大臣などを歴任。死亡日付けで叙爵、死後未亡人が女戸主となったため直ちに爵位を返上。
由利公正
(ゆり きみまさ)
子爵勲功福井藩士明治20年5月24日維新後参与職・会計事務局判事を歴任

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叙爵者(名前の読み)爵位種別出自叙爵日備考
横田国臣
(よこた くにおみ)
男爵勲功長崎県大正4年12月1日東京控訴院検事長・検事総長等を歴任
横山隆平
(よこやま りゅうへい)
男爵武家加賀藩家老3万石明治33年5月9日
吉井友実
(よしい ともざね)
伯爵勲功薩摩藩士明治17年7月17日戊辰戦争で功を挙げた
吉井信宝
(よしい のぶよし)
子爵武家上野矢田藩1万石
近衛流摂関家鷹司家分家
明治17年7月8日鷹司松平家
芳川顕正
(よしかわ あきまさ)
伯爵勲功徳島藩士明治40年9月21日明治29年6月5日子爵→伯爵
吉田清成
(よしだ きよなり)
子爵勲功薩摩藩士明治20年5月9日大蔵少輔・駐米公使等を歴任
吉田良義
(よしだ なかよし)
子爵公家卜部氏760石明治17年7月8日参与・神祇事務局補・吉田神社宮司・日枝神社宮司などを歴任
米津政敏
(よねきつ まさとし)
子爵武家常陸龍ヶ崎藩1万1000石明治17年7月8日
米倉昌言
(よねくら まさこと)
子爵武家武蔵金沢六浦藩1万2000石明治17年7月8日昭和12年2月子昌臧の養子昌達没後女戸主となり栄典喪失

ら行

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叙爵者(名前の読み)爵位種別出自叙爵日備考
冷泉為柔
(れいぜい ためとう)
子爵公家御子左家150石明治17年7月8日
冷泉為紀
(れいぜい ためもと)
伯爵公家御子左家300石明治17年7月7日藤原定家直系の歌道宗家

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叙爵者(名前の読み)爵位種別出自叙爵日備考
六郷政鑑
(ろくごう まさあきら)
子爵武家出羽本荘藩2万20石明治17年7月8日昭和16年7月に孫白雨は爵位を返上
六条有熙
(ろくじょう ありさと)
子爵公家村上源氏265石明治17年7月8日
六角博通
(ろっかく ひろみち)
子爵公家松木分家園支流30石明治17年7月8日

わ行

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叙爵者(名前の読み)爵位種別出自叙爵日備考
若槻礼次郎
(わかつき れいじろう)
男爵勲功出雲松江藩士昭和6年4月11日大蔵大臣・総理大臣等を歴任
脇坂安斐
(わきさか やすあや)
子爵武家播磨龍野藩5万1089石明治17年7月8日
分部光謙
(わけべ みつのり)
子爵武家近江大溝藩2万石明治17年7月8日明治35年7月爵位返上
鷲尾隆聚
(わしお たかあつ)
伯爵公家四条流180石明治17年7月7日幕末期、高野山挙兵に参加
鷲尾隆順
(わしお たかよし)
男爵公家鷲尾伯爵家分家明治17年7月8日
渡辺章綱
(わたなべ あきつな)
子爵武家和泉伯太藩1万3520石明治17年7月8日
渡辺章
(わたなべ あきら)
男爵勲功長州藩明治40年9月21日陸軍中将、西南・日清・日露戦争の功。昭和9年5月没後女戸主となり栄典喪失
渡辺清
(わたなべ きよし)
男爵勲功肥前大村藩士明治20年5月24日幕末の勤王の志士として藩論を尊王に統一
渡辺国武
(わたなべ くにたけ)
子爵勲功信濃諏訪・高島藩士明治28年8月20日蔵相・逓信相等を歴任
渡辺千秋
(わたなべ ちあき)
伯爵勲功信濃諏訪・高島藩士明治44年4月21日明治33年5月9日男爵→子爵→伯爵
渡辺昇
(わたなべ のぼり)
子爵勲功肥前大村藩士明治20年5月9日渡辺清の弟。昭和19年7月孫の武治戦死後、襲爵手続きせず
渡辺綱聰
(わたなべ つなさと)
男爵武家名古屋藩家老・三河寺部領1万4000石明治33年5月9日渡辺半蔵家、徳川十六神将渡辺守綱の後裔

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脚注

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  1. ^ab『官報』第2070号、明治23年5月27日。
  2. ^『官報』第4442号、昭和16年10月28日。
  3. ^『官報』第4074号、大正15年3月26日。
  4. ^『官報』第1923号、明治22年11月25日。
  5. ^『官報』第20号、「賞勲敍任」1883年7月24日。p.3
  6. ^『官報』第3694号、大正13年12月13日。
  7. ^ab『官報』第2374号、大正9年7月1日。
  8. ^『官報』第125号、大正元年12月28日。
  9. ^官報1920年7月1日記事[1]

関連項目

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