この記事は特に記述がない限り、日本国内の法令について解説しています。また最新の法令改正を反映していない場合があります。ご自身が現実に遭遇した事件については法律関連の専門家にご相談ください。免責事項もお読みください。 |
政治献金(せいじけんきん)とは、政治家や政党に資金を提供する行為。政治資金規正法では寄附とされる。
1つは口利き型献金で、見返りを期待して、裏表あらゆるやり方で政治家に金を渡す。金額は時に数千万から数億円にも上ることもある[1]。
2つは、口止め型献金で、特に何か頼み事をする訳ではないが、与野党問わず多数に10万円から20万円ほどの少額の献金をばら撒く、これは恩を売ることで批判的な言説を未然に防ぐ狙いがある[1]。
3つは、浄財型献金で、志ある政治家を支える意志の元行う献金で、金額は大小様々である[1]。
口利き型献金はもっぱら与党議員に対して行われることが多いが、野党議員に対しても行われることがある。例えば、マンションの建設工事などで市民団体などにより反対運動が激化することがあるが、この手の活動家の中には野党議員と関係の深い者もあり、仲介を求めて建設会社などが野党議員に献金をすることもある[2]。
政治資金規正法の上限規制や、5万円を超えた場合(政治資金パーティー券は20万円)の支払い者公表制度、企業側の会計監査などをくぐり抜けるための抜け道も考案されており、一例として、企業が政治家に口利きを求めて多額の献金を行う場合、関連企業に名義貸しを頼むことがある。政治家に500万円を献金する場合に関連企業100社に分けてパーティー券購入をした場合、上限規制も支払い者の公表も回避することができ、メディアや市民の監視の目も逃れることができる[2]。
許認可が必要な事業にあっては、政治家側が業者が口利き型献金をせざるを得ない構図を作り上げることがある。例えば、マンションの建築確認にあたっては個別に国交省の指定機関が審査を行うことになるが、建設族の議員が審査の段階で官僚に電話等で言いがかりをつけるような問い合わせをすると、官僚は自らの責任を問われないように通常の案件と比べて非常に慎重な審査をせざるを得ず、基準が通常に比べて厳しくなる。確認番号の発行が遅れた業者は泣く泣く政治家に口利きを求め、すると政治家は官僚に連絡を入れ、数日後に建築確認が降りるという構図になる。その後、同様の案件が起こらないように業者は政治家の後援会に入会し、定期的に献金、パーティー券購入を行い、選挙協力のボランティアも供出するようになる[2]。
献金の種類は献金する行為者によって分類され、企業(法人)が行う企業献金(団体献金)と、個人が行う個人献金(カンパ)がある。[要出典]
個人から政治家個人への献金は、選挙運動に係る場合を除けば禁止されているが、政治団体への献金は可能である[3]。なお、日本国籍を有さない個人による献金は禁止されており[4]、政治資金パーティーへの外国人による対価支払も2027年1月1日以降禁止される予定である[5]。
個人からの献金は、1個人から同一の受領者へのものが年間150万円まで、1個人が複数の先へ献金を行う場合には、政党・政治資金団体に対しては年間合計2000万円まで、その他の政治団体・候補者個人に対するものが年間合計1000万円までという、量的規制が存在する[3]。
また、政党へ献金する場合は、政党(本部および支部)へ直接献金する場合と、政党が指定する政治資金団体へ献金する場合の2種類の方法がある。[要出典]
年間5万円を超える寄付については、寄付者の氏名などが政治資金収支報告書への掲載対象となり[6]、収支報告書はインターネット公開される[7]。
政治団体以外の団体については、政党の本部・(選挙区あるいは1市町村以上の単位で設けられる)支部、政治資金団体以外への献金は禁止されている[3]。
企業献金の量的規制として、会社であれば資本金あるいは出資の金額、労働組合や職員団体の場合は構成人数、それ以外の団体では年間の経費額によって、総枠の制限が変動する[8]。
日本では、下記に当てはまる企業については、政治献金ができない等の質的制限も設けられている。
問題点として、企業が政治家が支部長を務める政党支部に対して献金するという方法を取れば、政治家が企業献金を受け取ることが可能になることから、企業献金の抜け穴であると批判されることもある。無所属議員は、政党を通じて企業献金を受け取ることが出来ず、政党助成金制度ともあいまって、政党に所属する議員と比較して、資金力に格差があると言われている。[要出典]
フランスやカナダのように、企業献金を全面的に禁止している国がある一方で、イギリスやドイツのように政治献金に上限規制がない国もある[10]。
なお、政党に対する献金や現職の国会議員の後援会に対する献金など、総務省や各都道府県に届出した、一定の要件を満たす政治団体への献金(個人献金のみ)は、寄附金控除の対象となり、確定申告によって所得税の減額措置を受けることができる[11]。
政治資金規正法は1948年に施行された。1994年、当時の連立与党は政治資金団体に対する企業・団体献金を2000年から全面的に禁止する措置を講ずることを検討したものの、現実には「政治家個人の資金管理団体」に対する企業・団体献金を禁止することのみを定め、「政党本部」や「政治家が代表を務める政党支部」に対する企業・団体献金は禁止しなかった。[要出典]
ただ本法の改正附則には、2000年以降に、「会社、労働組合その他の団体の、政党及び政治資金団体に対してする寄附のあり方について、見直しを行うものとする」とする見直し規定が置かれている(1994年2月4日法律第4号附則第10条)。
日本は古来から神社への奉納や、寺への寄付の習慣があったが、江戸時代には
開国後の廃藩置県の際は、旧藩の藩主などから明治政府に、御国恩冥加として総額93万2,333円が献納された。特に金沢県、佐賀県、鹿児島県からの献金額は突出して多額であった[15] 。
しかしながら御国恩冥加には手続規則が存在しなかったため公正性が問題視され、1872年(明治5年)1月22日には、一般国民からの献金は原則禁止され[注釈 1]、特定の費用に関する献金は地方官のみが扱うこととなった。ただ、1873年(明治6年)の皇居大火性の際は例外的に皇居御造営献金献品が解禁され、1888年(明治21年)に献金期間終了となるまで(9月1日宮内省内事課官報公告「皇居御造営献金献品願差止」)、27万円余の献金があったという[15] 。
他方、1887年(明治20年)から大正時代にかけては、初代第1次伊藤内閣が設置した防海費献納の制度を皮切りに、議事堂や裁判所、監獄や学校の建設費、郵便電信費、水産物調査費、学術研究奨励費など多方面で献金が募られるようになった。
1897年(明治30年)には、東京奠都30周年祝賀会が計画され、運営資金募集のための委員会が設けられ、大手新聞社や渋沢栄一、大倉喜八郎などの財閥が会費として寄付金を拠出した[16][17]。
現在では政策献金制度は存在しないが、政策資金の募集活動としては、外務省(JICA)の国際協力機構債券や、厚生労働省のガイドラインに基づく医療機関債の販売が挙げられる。ただ、これらは証券であるため献金者・献金法人は匿名化されている。
注釈
出典
史料
ガイドブック
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