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播磨稲日大郎姫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
播磨稲日大郎姫
第12代天皇后
皇后景行天皇2年3月3日

誕生不明
崩御景行天皇52年5月4日
氏族吉備臣/丸部臣
父親若建吉備津日子/比古汝茅
配偶者景行天皇
子女櫛角別王
大碓命
小碓命
倭根子命
神櫛王
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播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ、生年不詳 - 景行天皇52年5月4日)は、第12代景行天皇皇后日本武尊(ヤマトタケル)の母。針間之伊那毘能大郎女・印南別嬢とも。

記録

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古事記

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古事記』に基づく関係系図

伊那毘若郎女
 
 
 
 
 
 
12景行天皇
 
 
 
 
 
 
 
針間之伊那毘能大郎女
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
真若王日子人大兄王櫛角別王大碓命小碓命倭根子命神櫛王

針間之伊那毘能大郎女」または「伊那毘能大郎女」と表記される。吉備臣らの祖の若建吉備津日子孝霊天皇の皇子)の女で、櫛角別王くしつのわけのみこ大碓命おおうすのみこと小碓命おうすのみこと倭根子命やまとねこ神櫛王かむくしのみこらの母親とされる。また、妹として伊那毘能若郎女いなびのわかいらつめが記され、同じく景行天皇のであったという。

日本書紀

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日本書紀』に基づく関係系図

12景行天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
播磨稲日大郎姫
(稲日稚郎姫)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大碓皇子小碓尊

播磨稲日大郎姫」と表記され、景行天皇2年3月3日に皇后に立てられた。大碓皇子(おおうすのみこ)・小碓尊(日本武尊)の母とされるが、この他に稚倭根子皇子(わかやまとねこ)の母とする説も注している。また、稲日大郎姫の名の異説として「稲日稚郎姫」を挙げており、これは『古事記』で妹とされた伊那毘能若郎女に通じる。なお、景行天皇52年条に薨去記事がある。

播磨国風土記

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記紀のイナビノオオイラツメは、『播磨国風土記』の賀古郡印南郡条に登場する「印南別嬢いなみのわきいらつめ」と同一人と考えられる。「ワキイラツメ」の名は、『古事記』で妹とされ、『日本書紀』で別名とされた「ワカイラツメ」の名に通じる。風土記によれば、印南別嬢の父は丸部臣わにべのおみの祖・比古汝茅(ひこなむち、彦汝命か)、母は吉備比売(きびひめ)である。景行天皇は印南別嬢を妻問いに播磨へと出向いた。別嬢は身を隠したが、天皇に探し当てられ、2人は城宮(加古川町木村?)で結ばれた。年経て没した後は日岡に墓を造ったが、遺骸を運ぶときに川の中に沈んでしまい、櫛箱と比礼(薄い肩掛け)のみを埋葬したという。しかし彦汝命は成務天皇と同世代であり、印南別嬢の父とする系譜関係に疑問を呈せられることもある[要出典]

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播磨稲日大郎姫命日岡陵
兵庫県加古川市

(みささぎ)は、宮内庁により兵庫県加古川市加古川町大野にある日岡陵(ひのおかのみささぎ)に治定されている。宮内庁上の形式は前方後円。遺跡名は「日岡陵古墳」で、墳丘長約80メートルの前方後円墳である。

伝承の時代

古墳時代
飛鳥時代
奈良時代
平安時代
鎌倉時代
南北朝時代
南朝
北朝
  • 珣子内親王(1336-1337)
室町時代
  • (立后無し)
安土桃山時代
  • (立后無し)
江戸時代
現代
  • 赤背景は後に即位した女帝
  • 橙色准母立后による尊称皇后
  • 緑色は薨去後の贈皇后
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