ビング・クロスビー(左)とバリー・フィッツジェラルド 『我が道を往く 』(わがみちをゆく、Going My Way )は、1944年 製作のアメリカ映画 。パラマウント映画 製作。
第17回アカデミー賞 では作品賞 をはじめ、その年の最多となる7部門を獲得した(後述 )。また、米国連邦議会図書館がアメリカ国立フィルム登録簿 へ2004年に登録した。
マルクス兄弟 の不条理コメディから、人間味あふれる人情派のコメディ、そしてヒューマニズムあふれるドラマまで、レオ・マッケリー は守備範囲の広い職人監督であった。自分自身が作り上げた物語で、単なる歌が巧くて大根役者だと思われていたビング・クロスビー から良い演技を引き出し、オスカー を獲らせた。何のアクションも派手な見せ場もない若い神父と老神父のやりとりを中心に、物静かな語り口のうまさによって、オスカーを大量に受賞したのであった。
ニューヨーク の下町にある古びた教会、セント・ドミニク。老神父フィッツギボン(バリー・フィッツジェラルド)は、廃屋寸前の建物と周囲の劣悪な環境に、最近はあきらめ顔である。
そこへ副神父として派遣された若いオマリー(ビング・クロスビー )がやってきた。口うるさい老婆と家主の喧嘩をなだめ、街のギャングたちには芝居の券を配り楽しみ方を教え、不良少年たちには合唱を教え込み合唱隊を作る。ついでに、幼友達のオペラ歌手リンデン(リーゼ・スティーヴンス )が教会の財政難を救ってくれて、フィッツギボンとオマリーは大喜び。しかし、その夜、教会は全焼してしまう。そして、間もなくオマリーは、別の教区へ移ることが決まった。
その年のクリスマス・イヴ。リンデンに率いられた少年合唱隊は寄付をたくさん集めて帰ってくる。かつてオマリーが助けた家出娘のキャロルもアパートの家主の息子テッドと結婚が決まった。フィッツギボンも数十年ぶりにアイルランドに住む母親と再会する。教会には「Too Ra Loo Ra Loo Ra(アイルランドの子守唄)」が流れる。
フィッツギボンは名残惜しそうにオマリーを見送るのであった。
^a b 同じ作品の同じ役で主演男優賞と助演男優賞に同時にノミネートされることは極めて珍しいが、当時のアカデミー賞の規定では助演者が助演賞と主演賞の両方にノミネート可能であったためである。 ウィキメディア・コモンズには、
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