| なりみや ひろき 成宮 寛貴 | |||||
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| 本名 | 平宮 博重(なりみや ひろしげ)[1] | ||||
| 生年月日 | (1982-09-14)1982年9月14日(43歳) | ||||
| 出生地 | |||||
| 身長 | 172cm[1][3] | ||||
| 血液型 | A型[1][3] | ||||
| 職業 | 俳優 | ||||
| ジャンル | 映画・テレビドラマ・CM | ||||
| 活動期間 | 2000年 -2016年 2024年 - | ||||
| 公式サイト | 成宮寛貴オフィシャルウェブサイト | ||||
| 主な作品 | |||||
| テレビドラマ 『利家とまつ〜加賀百万石物語〜』(2002年) 『ごくせん』(2002年) 『Stand Up!!』(2003年) 『オレンジデイズ』(2004年) 『功名が辻』(2006年) 『ハチミツとクローバー』(2008年) 『ブラッディ・マンデイ』(2008・2010年) 『イノセント・ラヴ』(2008年) 『ヤンキー君とメガネちゃん』(2010年) 『相棒』(2012 - 2015年) 『金田一少年の事件簿N』(2014年) 『花咲舞が黙ってない』(2015年) 『37.5℃の涙』(2015年) 『怪盗 山猫』(2016年) 『不機嫌な果実』(2016年) 映画 『NANA』(2005年) 『NANA2』(2006年) 『ドロップ』(2009年) 『アンフェア the movie』(2007年) 『のぼうの城』(2012年) 『暗殺教室〜卒業編〜』(2016年) | |||||
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成宮 寛貴(なりみや ひろき[2]、1982年〈昭和57年〉9月14日[2] - )は、日本の俳優[4][5][6][7]、実業家[8]。東京都出身[2]。2016年に芸能界を一度引退するまではトップコートに所属していた[2]。
俳優活動を一度退いてからは、本名の平宮 博重(なりみや ひろしげ[注 1])名義で活動を行い、企業の商材アドバイジングや本人の商品プロデュース(HNProduct)などの活動を行っている。2024年9月14日からはトータルビューティブランド〈NU DO.(ヌードゥー)〉の立ち上げの発表と商品販売を開始した。
2000年に、オーディションを経て宮本亞門演出の舞台『滅びかけた人類、その愛の本質とは…』のケイン役で俳優デビューした[1][3]。この時は、「平宮博重」名義で出演していた[1]。翌2001年に『溺れる魚』で映画デビュー[1]、2002年にはJ-PHONE(当時、後のソフトバンクモバイル)のCMに出演するとともに、日本テレビにて放映された『ごくせん』に野田猛役として出演[1]。
2003年のTBS『高校教師』に出演。同年に封切られた映画『あずみ』にも出演。2005年には第29回エランドール賞新人賞を受賞[9]。スワロフスキーの主催による「CRYSTALLIZED STYLE AWARD」を、「クリスタルのごとく洗練された輝きと創造性を有するセレブリティ」としてhitomiとともに受賞[10]。9月には女性誌『anan』でオールヌードを披露した[11]。
2006年に封切られた映画『アキハバラ@DEEP』では、主役にあたる「ページ」という名の役を演じた[12]。2007年にニューカレドニア観光親善大使に就任した[13]。2009年9月18日、ハローキティとのコラボレーションのジュエリーを発表した。
2010年、TBS連続ドラマ『ヤンキー君とメガネちゃん』で主人公の高校2年生・品川大地役を27歳にして演じる。同作品は成宮にとっては初の地上波連続ドラマ単独主演作であり、ドラマ放送期間中は「品川大地オフィシャルブログ」なるブログも開設された。
2011年3月21日放送の『風の少年〜尾崎豊 永遠の伝説〜』(テレビ東京)では尾崎豊を演じ、ドラマ内での尾崎の曲を全て自身で歌った。
2012年10月、『相棒』(テレビ朝日)のseason11から3代目相棒・甲斐享役で出演[14]。2015年3月のseason13最終回を以って卒業した。当初は2年の約束であったが、水谷やスタッフサイドの要望により1年延長された[15]。
2013年、『金田一少年の事件簿N』(日本テレビ)では主人公金田一一のライバル高遠遙一を演じ、稲垣吾郎の金田一耕助シリーズ(フジテレビ)の『悪魔が来りて笛を吹く』で犯人役を演じており「金田一耕助の孫が活躍する物語」と「金田一耕助が活躍する話」の2作品で、それぞれと対決する犯罪者を演じた。
2012年に主演した映画『逆転裁判』に関するインタビューの際、成宮は「30過ぎてから仕事は変えず、俳優一本で行こうと腹をくくった」と述べていた[16]が、2016年12月9日、所属事務所を通じ芸能界からの引退を発表した[4][5][6]。
現在はInstagramを本名で開設したのち、自身の誕生日である2019年9月14日に「Hiroshige Narimiya」としての公式サイトを開設。自身が描いた絵をもとにした商品プロデュースに携わっており、マグカップやバスソルトなどを販売[17]、企業や有名ブランドのプロダクトデザインなどのPRやクリエイティブに関わる仕事をしている。
2019年10月2日、NEWSポストセブンはテレビ朝日系ドラマ『相棒』での芸能界復帰を報じた[18]が、一方で『相棒』の脚本家の一人である輿水泰弘は自身のツイッターでこの復帰報道はフェイクニュースであるとして否定しており[19]、成宮本人も10月3日に自身のインスタグラム及びTwitterで一連のニュースを否定した[20]。この報道に関して、ORICON NEWSの取材によると、以前に所属していた芸能事務所であるトップコートは「何も聞いていないため回答できない」とコメントをしており、テレビ朝日も「その予定はございません」と回答している[21]。
2020年4月27日、俳優の水嶋ヒロによるインスタライブ配信を視聴していたところ、急遽コラボ出演することになり、20分ほど水嶋との会話を繰り広げた。同配信は水嶋の投稿に残され、約12万回再生されるほどの話題になった[22]。
2024年9月、芸能界に復帰し活動を再開したことが報じられた[23][注 2]。11月4日、住之江競艇場で行われたトークショーに登壇し、引退表明以来8年ぶりに公の場へ姿を見せた。トークショーのなかで、俳優の仕事を再開し現在はドラマの撮影中であることを自ら明かした[24]。2025年3月、配信ドラマ『死ぬほど愛して』(ABEMA)に主演、俳優活動を再開した[25][26]。
2015年7月放送されたTBS系列『A-Studio』にて、母子家庭で育ち[27]、中学生であった14歳の時に母親が他界[27]したことを明かしている。成宮は高校には進学せず[27]、引越し屋、運送のアルバイトなどで自ら生計を立てて、弟には毎日弁当を作って学校へ持たせるなどして面倒を見た[27]。
同番組内では「どうやったら弟を支えられるんだろうと思っていたときに、偶然俳優のオーディションの話をいただいて、受けたのがきっかけ」[28]、「前に前に出ていかなきゃいけないんで、芸能界向いてるのかな、って毎回悩んだりします」とも語っている[29]。「中卒の自分に何ができるか」と考え、芸能界入りする[30]。
※主演は役名を太字で示す。
エランドール賞 新人賞 | |
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| 1950年代 | |
| 1960年代 | |
| 1970年代 |
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| 1980年代 | |
| 1990年代 | |
| 2000年代 | |
| 2010年代 | |
| 2020年代 | |