徳島市(とくしまし)は、徳島県の東部に位置する市。徳島県の県庁所在地及び最大の都市であり2018年12月18日から中枢中核都市として指定されている。
徳島市のブランドステートメントは、わくわく実感! 水都とくしま。
都道府県庁所在地の中では那覇市に次いで面積が狭く、人口密度は広島市に匹敵する。
徳島市は江戸時代に徳島藩の城下町として栄え、幕末には藍産業の発展で国内で人口が上位10位に入る城下町となった。徳島県の政治・経済・文化の中心都市であり、地理的には「四国三郎」と呼ばれる吉野川の河口に位置し、紀伊水道に面している。全国の県庁所在地の中では、政令指定都市・中核市・施行時特例市に指定されていないのは徳島市・津市・山口市のみである(県内最大都市の中では徳島市が全国で唯一である)。
古来より近畿地方との繋がりが深く、現在でも神戸淡路鳴門自動車道や関西地方のテレビやラジオを通じて人的・物的・経済的な交流が盛んである。明石海峡大橋の開通後は買い物客の神戸・大阪への流出も激しく、2020年に徳島駅前にあったそごう徳島店が閉店したことで、山形県とともに県内に百貨店が存在しない県となった(その後跡地の一部にサテライトショップの三越徳島が出店)。
毎年8月のお盆期間に開催される当市の阿波踊り(徳島市阿波おどり)は江戸時代より約400年の歴史がある日本の著名な伝統芸能の一つであり、阿波踊り期間中の4日間に日本国内外から約130万人の観光客が訪れる[1]。
吉野川河口に位置し、その三角州上に発達した都市である。当市内には134の川が流れる。当市の大半は徳島平野に位置し平坦であるが、ほぼ中央には当市のシンボルである眉山がそびえ、風光明媚な景観を創り出している。南部は山林が広がる山間部となっている。
徳島市中心部周辺の空中写真。
2009年4月29日撮影の52枚を合成作成。国土交通省国土地理院地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
眉山山頂から臨む高層建築物が建ち並ぶ徳島市街地国土地理院地理情報 によると徳島市の東西南北それぞれの端は以下の位置で、東西の長さは19.33km、南北の長さは19.44kmである。
市内の各地区は、徳島城跡や徳島駅のあるひょうたん島(内町地区)を中心とすると、東西南北に次のように位置している。
また、内町地区より新町川を挟んで眉山寄りには新町地区があり、この2地区を合わせて中心市街地と定義されている。
さらに、各河川を超えると、次の地区がある。
そして、鮎喰川の中上流域に上八万ならびに入田地区が広がる。
眉山ロープウェイ
新町川(手前)と助任川の合流点。写真中央の建物は徳島県庁舎。徳島市 |
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雨温図(説明) |
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1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | | | | | | | | | | | | | 気温(°C) | 総降水量(mm) | 出典:気象庁 |
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インペリアル換算 |
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1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | | | | | | | | | | | | | 気温(°F) | 総降水量(in) |
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市街地は瀬戸内海式気候と南海型太平洋側気候のちょうど境目に位置している。南海上の湿った気流による影響が大きい点から、南海型太平洋側気候に分類されることがある。ただ降水日数や年降水量から見ると、瀬戸内海式気候が明瞭である。西日本では珍しい、梅雨よりも秋雨や台風での降水量が多い地域である。
空梅雨の年、台風襲来のない年は、瀬戸内側の他の地域と同様に降水量が少なくなる。しかし、夏から秋に特に台風で雨量が集中すると、南海型太平洋側気候の地域とほとんど変わらない降水量を記録する事も珍しくなく、年によって降水量が大きく異なる。
典型的な海洋性気候で年間を通じて温暖であり、降霜や冬日(日最低気温0℃未満の日)はごく稀であり、冬季の最低気温の平均は四国4県の県庁所在地中で一番高い。
また日照時間は全国的に見て長い方であり、県庁所在地47地点中で第9位である。
年平年値(1991年から2020年の平均値)は、気温:16.8℃、降水量:1,619.9mm(最多雨月9月:271.2mm、最少雨月1月:41.9mm)、日照時間:2,106.8時間、1mm以上の降水日数:97.5日/年である[2]。
徳島市(1991年 - 2020年)の気候 |
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
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最高気温記録°C (°F) | 22.5 (72.5) | 23.2 (73.8) | 26.4 (79.5) | 30.1 (86.2) | 32.9 (91.2) | 35.7 (96.3) | 38.4 (101.1) | 38.2 (100.8) | 36.2 (97.2) | 33.4 (92.1) | 27.1 (80.8) | 26.7 (80.1) | 38.4 (101.1) |
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平均最高気温°C (°F) | 10.0 (50) | 10.8 (51.4) | 14.3 (57.7) | 19.6 (67.3) | 24.0 (75.2) | 26.8 (80.2) | 30.6 (87.1) | 32.3 (90.1) | 28.5 (83.3) | 23.1 (73.6) | 17.7 (63.9) | 12.5 (54.5) | 20.9 (69.6) |
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日平均気温°C (°F) | 6.3 (43.3) | 6.8 (44.2) | 9.9 (49.8) | 15.0 (59) | 19.6 (67.3) | 23.0 (73.4) | 26.8 (80.2) | 28.1 (82.6) | 24.8 (76.6) | 19.3 (66.7) | 13.8 (56.8) | 8.7 (47.7) | 16.8 (62.2) |
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平均最低気温°C (°F) | 2.9 (37.2) | 3.1 (37.6) | 5.8 (42.4) | 10.6 (51.1) | 15.6 (60.1) | 19.8 (67.6) | 23.9 (75) | 24.9 (76.8) | 21.6 (70.9) | 15.9 (60.6) | 10.1 (50.2) | 5.2 (41.4) | 13.3 (55.9) |
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最低気温記録°C (°F) | −5.4 (22.3) | −6.0 (21.2) | −3.6 (25.5) | −0.7 (30.7) | 4.6 (40.3) | 9.7 (49.5) | 15.3 (59.5) | 16.6 (61.9) | 11.9 (53.4) | 4.5 (40.1) | −1.3 (29.7) | −4.3 (24.3) | −6.0 (21.2) |
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降水量 mm (inch) | 41.9 (1.65) | 53.0 (2.087) | 87.8 (3.457) | 104.3 (4.106) | 146.6 (5.772) | 192.6 (7.583) | 177.0 (6.969) | 193.0 (7.598) | 271.2 (10.677) | 199.5 (7.854) | 89.2 (3.512) | 63.9 (2.516) | 1,619.9 (63.776) |
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降雪量 cm (inch) | 1 (0.4) | 1 (0.4) | 0 (0) | - | - | - | - | - | - | - | - | 0 (0) | 2 (0.8) |
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平均降水日数(≥0.5mm) | 6.5 | 7.1 | 10.3 | 10.1 | 9.7 | 13.2 | 11.2 | 9.0 | 11.4 | 9.4 | 7.7 | 6.5 | 112.2 |
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% 湿度 | 61 | 61 | 61 | 62 | 67 | 75 | 77 | 73 | 72 | 69 | 66 | 63 | 67 |
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平均月間日照時間 | 160.3 | 152.5 | 179.8 | 197.9 | 205.7 | 151.9 | 192.0 | 230.6 | 162.0 | 163.6 | 150.4 | 160.1 | 2,106.8 |
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出典1:気象庁[統計 1] |
出典2:気象庁[統計 2] |
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徳島市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 徳島市の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 徳島市 ■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 |
徳島市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) | 223,451人 | | 1975年(昭和50年) | 239,281人 | | 1980年(昭和55年) | 249,343人 | | 1985年(昭和60年) | 257,884人 | | 1990年(平成2年) | 263,356人 | | 1995年(平成7年) | 268,706人 | | 2000年(平成12年) | 268,218人 | | 2005年(平成17年) | 267,833人 | | 2010年(平成22年) | 264,548人 | | 2015年(平成27年) | 258,554人 | | 2020年(令和2年) | 252,391人 | |
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総務省統計局国勢調査より |
人口は約25万人と、四国の県庁所在地の中では最も少ないが、徳島都市圏の人口は68万人(四国第2位)となっており、松山都市圏とほぼ同規模である[注釈 1]。
これ以前については「徳島城#歴史・沿革」を参照。
徳島市章
1909年10月29日制定- 2020年(令和2年)
- 2021年(令和3年)
- 2022年(令和4年)
- 2023年(令和5年)
- 10月10日 - 新上下水道局庁舎が上下水道局前川分庁舎横の徳島市南前川町5丁目1番地の4に開庁。旧上下水道局庁舎取り壊しに伴い、分散していた各部署を新庁舎に集約。
- 選挙区:徳島選挙区(徳島市・名東郡)
- 定数:10人
- 任期:2019年4月30日 - 2023年4月29日
- 投票日:2019年4月7日
- 当日有権者数:212,911人
- 投票率:45.74%
候補者名 | 当落 | 年齢 | 党派名 | 新旧別 | 得票数 |
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福山博史 | 当 | 41 | 自由民主党 | 新 | 13,796票 |
岡佑樹 | 当 | 42 | 自由民主党 | 現 | 9,605票 |
庄野昌彦 | 当 | 61 | 国民民主党 | 現 | 8,803票 |
井川龍二 | 当 | 58 | 自由民主党 | 現 | 8,598票 |
須見一仁 | 当 | 45 | 自由民主党 | 現 | 8,392票 |
東条恭子 | 当 | 65 | 無所属 | 新 | 8,183票 |
梶原一哉 | 当 | 56 | 公明党 | 新 | 7,931票 |
古川広志 | 当 | 57 | 公明党 | 現 | 7,593票 |
喜多宏思 | 当 | 76 | 自由民主党 | 現 | 7,309票 |
山田豊 | 当 | 68 | 日本共産党 | 現 | 6,860票 |
上村恭子 | 落 | 61 | 日本共産党 | 現 | 6,843票 |
- 仙台市の七夕まつり(毎年8月6日〜8日)と徳島市の阿波おどり(毎年8月12日〜15日)の交流が行われている[広報 2][広報 3]。
- 1977年(昭和52年)7月1日 両市の観光協会が観光姉妹協会提携[広報 4]。帯広開基100年を期し、1982年に産業文化姉妹都市提携を締結[広報 4]。
- 徳島からアメリカに派遣された農業実習生が、帰国後もサギノー市滞在中のホストファミリーと文通を続けたのが機縁[広報 5][12]。このホストファミリーの友人がサギノー市長となったことから、姉妹都市提携が具体化した[広報 5][12]。1961年10月2日サギノー市議会で議決、12月23日徳島市議会で承認[12]。1971年6月、サギノー市に日本庭園(サギノー徳島友好庭園)が開園し、1986年5月にはサギノー徳島友好庭園内に茶室「阿波鷺能庵」が開設された[広報 6][広報 7][広報 8]。
- 1929年に徳島市で没した外交官・文筆家ヴェンセスラウ・デ・モラエスの縁[13][広報 5]。レイリアはモラエスの縁故地[13][広報 5]。モラエスの研究・顕彰を行った駐日ポルトガル大使アルマンド・マルティンス・ジャネイラ(Armando Martins Janeira)が仲介[13][広報 5][広報 9][広報 10]。ポルトガル外務省からの働きかけを受け、1969年9月5日にレイリア市議会が姉妹都市提携を議決[広報 10]。9月15日に徳島市がレイリアからの認定書を受領、10月15日に徳島市議会で承認[13][広報 5]。徳島市内にポルトガル・レイリア大通り(2006年命名)が、レイリアには徳島通りがある。
- 中国など環太平洋諸都市との友好都市提携を模索した徳島市に、駐日中国大使館や日中友好協会[広報 5]から推薦される。1987年、市長や文化・教育・医療・経済関係者が丹東訪問、以後交流を深める[14]。1991年3月19日徳島市議会で議決[広報 5]。
当市は、四国の県庁所在地の中では唯一平成の大合併を行っていないが、徳島県などが合併構想を持っており、徳島県市町村合併推進審議会の答申[広報 11]では当市を含む合併構想について2つの案を示している。
1つ目の枠組み案は小松島市、勝浦町、上勝町、佐那河内村、名西郡および板野郡の各町を含むもので、この枠組みでの人口は約45万人(四国第2位)となる。もう1つの枠組み案は、1つ目の枠組み案から板野郡を除いたもので、この枠組みでの人口は約35万人(四国第3位)となる。
また当市は「第4次徳島市総合計画[広報 12]」などで合併に前向きな姿勢を示しており、40万人規模の中核市とすることを目標[15]にしている。しかし、周辺市町村の足並みが揃っていない[16]など合併には数多くの課題を抱えているため、当市は周辺市町村に呼び掛けて「徳島東部地域市長村長懇話会[広報 13]」を設け、共通の行政課題や地域のあり方ついて話し合うことで将来的な合併に向けての足がかりを得ようとしている。
2010年(平成22年)、東部地域市町村町懇話会に参加する全市町村が参加した定住自立圏を形成し、当市が近く中心市宣言を行うことを発表した。
2015年(平成27年)、徳島市は隣接する小松島市と合併して40万人規模の中核都市とする計画を断念し、徳島市のみで中核市を目指す方針へ計画を変更した。これはこれまで中核市になりえる条件として市人口が30万人以上だったものが20万人以上に引き下げられたためである[17](現在の徳島市の人口は約25万人)。
江戸時代より阿波国/徳島県の経済の中心であり、四国でも県庁所在地の高松市、松山市、高知市と並び重要な位置を占めている。江戸時代から明治時代までは、藍や木材の集散地として大いに栄え、全国でも有数の商業都市であった。古くから大阪など関西地方とのつながりが深いことで知られており、明石海峡大橋の開通後はそれがさらに顕著になっている。
大正以後は、藍産業の衰退にともなって一時停滞を余儀なくされたが、藍商人が長年蓄積した富を資本にした金融機関の設立や、紡績、製紙、電力などの近代産業の発展が見られ、現在の経済の基盤が築かれた。
太平洋戦争の徳島大空襲により市街地は焦土と化したが、戦後いち早く復興し、高度経済成長期には新産業都市の指定を受け、化学工業を中心に工場の誘致が進むとともに、製材業、木工業といった従来の産業も発展した。1998年(平成10年)の明石海峡大橋開通前後には、流通産業や、関西系企業を中心とした製造業の立地が進んだ。
年間商品販売額は、四国の市町村中で高松、松山、高知市に次いで第4位であり、年間製造品出荷額は第6位(県庁所在地中では第1位)である(2007年)。
- 農業
- 吉野川、勝浦川流域の徳島平野は肥沃な農地に恵まれており、古代より農業が盛んであった。江戸時代には藍をはじめとする商品作物の産地となり、徳島藩に多くの富をもたらした。現在でも農村部には藍蔵など当時の遺構が残されている。明治以降、藍が廃れてからは藍畑は水田や桑畑に変わったが、戦後は関西向けの近郊農業が発達し、カリフラワーや春ニンジン[18]など、全国最大の出荷量を誇る品目もある。南部地域を中心とした山間部では、スダチやイチゴの生産も盛んである。
- 農業産出額は四国の市町村中で最大の約140億円(平成18年)であり、徳島県全体の1割を占める。そのうち最も多いのは野菜(76億円)であり、米(16億円)、いも類(14億円)が続く。
- 沖洲地区で生産されるネギは「渭東ねぎ」としてブランド化されている。
- 林業
- 市の南西部は四国山地となっており、スギ、ヒノキなどの林産資源に恵まれている。その90%以上が民有林であることが特徴である[広報 14]。切り出された木材は、かつては河川を利用して運搬され、市街地の河川に貯木された後、特産品である木工製品の材料として盛んに利用されていた。
- 水産業
- 市内の川内地区、津田地区、渭東地区などの紀伊水道沿岸に漁港が点在し、沿岸漁業を中心に漁が営まれている。徳島県の郷土料理ぼうぜの姿寿司に用いられるイボダイや、京阪神に出荷されるハモなどが水揚げされている。
- また、吉野川河口の汽水域は、水質が良好である。シラスウナギ[20]やシジミが獲れるほか、スジアオノリの養殖が盛んである。シラスウナギ漁は冬場の夜に行われ[20]、川面を漁火が照らす風景は美しく[20]、とくしま市民遺産に指定されている。鮎喰川、勝浦川ではアユ漁が盛んである。
製造品出荷額は4,998億円[統計 3](就業者数3人以下の事業所を除く)で、徳島県全体の3分の1ほどを占める。ここ数年増加傾向にある。
化学工業の占める割合が高く、製造品出荷額では全体の68%(3,395億円)を占め、順調に増加している。これは、川内地区に徳島工場をもつ大塚製薬をはじめとする大手企業よるところが大きい。その一方で、機械産業や木工業など、他の分野は減少が続いているものが多い。重化学工業が占める割合は約73%である。
就業者数は11740人[統計 3](同)であり、これも化学工業が最も多く、約30%(3480人)を占める。重化学工業の占める割合は56%である。一方で、事業所数(462軒)[統計 3](同)で最も多いのは食料品業の約18%(82軒)や家具・装飾品業の約17%(75軒)であり、化学は20軒にとどまる。重化学が占める割合も28%(130軒)である。
古くからの代表的な工業としては木材業(津田地区で詳述)や、木工業(家具、木製品、装飾品業、渭東地区で詳述)がある。津田海岸町にある徳島県木材団地は、木材団地として全国屈指の規模を誇り[21]、唐木仏壇(徳島仏壇)は、徳島県が全国一のシェアを占めている。木工業は渭東地区、沖洲地区一帯に集中している。
食料品業では、日本ハムが徳島市発祥の企業であり、現在でも県内に工場を持つ。また、徳島製粉も市内に本社、工場を持つ。
地区別の製造品出荷額では、川内地区が全体の約75%(3673億円)を占め、次いで加茂地区の約5%(227億円)、沖洲、応神、国府、津田、八万、不動の順である。
主な工業団地・および工業地[22]
当市の年間商業販売額は約1兆円(1兆3433億円・2014年)であり、徳島県全体の6割強を占める。この額は、鳴門市発祥で川内地区に主要生産、研究拠点を持つ大塚ホールディングスの年間売上高(1兆2,400億円・2017年度)とほぼ同額である。
年間商品販売額のうち、卸売販売額は7,228億円、小売販売額は6,204億円である。いずれも減少傾向にある。
卸売業は県内向けの商品が主に取り扱われているが、本州から四国各地への商品の流通も明石海峡大橋の開通後増加している。
小売業は、徳島駅前に百貨店などの大型商業施設、沖浜や田宮街道といった市街地周辺にロードサイド型の店舗が数多く立地し、徳島県内全域から集客がある。しかし、近年では近郊の板野郡北島町や藍住町などへの大型商業施設の出店により、市外からの集客は減少傾向にあり、市民も市外で買い物することが増えている。さらに明石海峡大橋(1998年)、高松自動車道(2003年)の開通により、関西や香川県への消費流出も指摘されている[23]。
各地区の年間小売販売額および主な商店地区・大型商業施設の立地
- 三越徳島 -高松三越のサテライトショップ。そごう徳島店閉店後のアミコビルの一部フロアに2022年4月グランドオープン。
- そごう徳島店 - 上記三越徳島以外では徳島県内で最後まで残った百貨店。JR徳島駅前に立地していた。1983年に開店、2020年に閉店。店舗面積は約20,000m2。
市街地では、全てJR徳島駅前に集まっている。かつては東新町商店街に丸新百貨店やダイエー徳島店などが集まっていたが、2005年までに全て閉店し、その後、大型商業施設は立地していない。
また、万代町にサティ、南末広町にジャスコの入居した徳島リバーシティがあったが、それぞれ2008年、2009年に相次いで撤退した。
徳島クレメントプラザ
アミコ専門店街
とくしまCITY
ショッピングプラザ タクト
地元資本の勢力が強く、複数の地場スーパーがチェーン展開を行っている。かつてはダイエー、ジャスコ(上述のとおりイオンスタイルとして再出店)、サティもあったが相次いで撤退した。店舗数は増加しており、市街地や郊外を問わず市内一円に立地している。
競争が激化しているため、徳島県産の生鮮食料品の販売に力を入れたり24時間営業を行ったりするなど、各店が様々なサービスを展開している。
- 徳島県内に本社を置くスーパー
- 徳島県外に本社を置き、徳島市内に店舗を持つスーパー
 | この節には独自研究が含まれているおそれがあります。 問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2013年8月) |
徳島市の定義では、中心市街地は内町地区と新町地区から構成されており、主に次の商店街がある。アーケードがあるのは東新町、籠屋町商店街などであるが、その長さは約1.5キロメートルで、四国の他県都に比べると短く、店舗の集積度や通行量も少ない。これは市街地の商業の中心がアーケード街ではなく徳島駅前となっており、デパートなどの大型商業施設が商店街に存在していないことや、市内には私鉄がなく、自家用車による移動が多いため、郊外店に有利な状況が続いているためである。
かつては百貨店や大型スーパー、映画館、劇場が集まり、徳島県下はもとより四国でも最大の繁華街を形成し、最新の流行、文化を得られる場所として賑わった。しかし昭和50年代以降、モータリーゼーションの進展に伴い郊外の大型店に客を奪われ始め、さらに1983年(昭和58年)にそごうの入ったアミコビルが、1993年(平成5年)にクレメントプラザが徳島駅前に開業したことから衰退が加速し、現在[いつ?]では大型商業施設や映画館は全て姿を消し、通行量も昭和40年代の5%ほどにまで減少している。
徳島市は藩政時代から商業都市として栄え、全国の10大都市として古くから市街地の規模も大きかった。中心市街地周辺にも、藩政時代からの歴史を持つ中小商店街が多く存在している。また、戦後開発された郊外型の商店街もある。
- 中心市街地の商店街
- その他の商店街
かつては新町地区を中心として30軒を超す映画館があり、県内一円からの集客を誇った。しかし、2001年(平成13年)に隣接する北島町のフジグラン北島にシネマコンプレックスのシネマサンシャイン北島がオープンすると次々と閉館し、2006年(平成18年)に幸町の徳島ホールでの封切映画の上映を打ち切ったのを最後に、市内の映画館は全滅することとなった。
県庁所在地であるのもかかわらず映画館が全くないという状況は市民の間でも問題となり、2008年の徳島市長選挙では原秀樹市長(当時現職)が映画館の復活を公約に掲げたほどであった。
その後、徳島市はアニメーション制作会社「ユーフォーテーブル」に依頼して、アニメ映画を中心とした映画館を東新町商店街に開館することを決め、2012年春にufotable CINEMAが完成した。
また、2017年にイオンが徳島市にシネマコンプレックスを備えた大型商業施設「イオンモール」を開業し、ユーフォーテーブルシネマ以来の本格的な映画館が市内に開館することとなった。
- コンビニエンスストア
- 徳島駅前や市街地の主要道路沿い、郊外に多く立地している。店舗数は増加を続けており競争が激化している。差別化や新たな顧客獲得のため、野菜などの生鮮食料品を売る店や高齢者向けの小売品を販売する店が増えている。かつてはサークルK、サンクスもあったが、ファミリーマートへのブランド転換などのため、消滅した。
- 徳島ラーメンの主な店舗
- 全国的に有名になった「徳島ラーメン」を中心に、様々なタイプのラーメン(中華そば、支那そば)店がある。
徳島県に本社を持つ金融機関の多くが当市に本店を持っており、大手・地方銀行、証券会社、保険会社などの支店も集中している。
当市に初めてできた銀行は、地元藍商人の久次米兵次郎が1880年(明治13年)に設立した久次米銀行であり、全国第6番目の銀行であった。
中央銀行および政府系金融機関
メガバンク(都市銀行)・信託銀行
地方銀行(本店所在地) - 四国に本店を持つ銀行はすべて徳島市内に支店を持つ。
第二地方銀行(本店所在地) - 四国に本店を持つ銀行は全て徳島市内に支店を持つ。
労働金庫
信用金庫
- 徳島信用金庫以外に支店を持つ信金はない。
信用組合
- 徳島県内、および徳島市内に本店・支店を有する信組は存在しない。
証券会社
- 製造業
- 徳島製粉、阿波製紙、四国大陽日酸、四国トーセロ
- 情報・通信業
- ジャストシステム、四国放送、徳島新聞、エフエム徳島、メディコム、あわわ
- 交通・運輸業
- 徳島バス、四国高速運輸、徳島通運(日通グループ)
- サービス業
- ノヴィル、キョーエイ、セブン、アクサス
など
当市は医師、歯科医師、薬剤師、看護師などの医療従事者が非常に多いことで知られており、人口当たりの病院・診療所数は全国の市町村中4位、医師数は同19位となっている[25]。
徳島県全体で医療従事者数は全国的に非常に多くなっているが、とりわけ当市に数が集中し、医師数で3分の2、医療施設で約6割を占めており、全国でも最高クラスの医療激戦区となっている[26]。
市内に医療従事者が多い理由としては、徳島大学の存在が指摘されている[27]。同大学は医学部、歯学部、薬学部が揃う四国で唯一の大学であり、長年にわたり多くの医療従事者を輩出している。
特に医学部は戦前の設立であり、1973年に愛媛大学に設置されるまで四国で唯一の医学部だった。歯学部、薬学部は現在でも四国の国立大学では徳島大学にしかない。
また、徳島文理大学には薬学部と保健福祉学部、四国大学には看護学部、徳島県立総合看護学校、専門学校健祥会学園には介護福祉科、理学療法士科、作業療法士科があり、医療・福祉関連の専門職を数多く育成、輩出している。
医療施設、従事者の集中とともに、製薬などの医療関連産業も発達しており、市内には大塚製薬といった大手製薬メーカーの工場や研究所が立地しているほか、関連地場産業の発展もみられる。徳島大学との産学連携事業が盛んである[27]。
このほか、小松島市に徳島赤十字病院(405床)、鳴門市に徳島県鳴門病院(307床)、南海病院(301床)、鳴門シーガル病院(236床)、吉野川市鴨島町に国立病院機構とくしま医療センター西病院(236床)、吉野川医療センター(290床)、阿南市に阿南医療センター(398床)、板野町に国立病院機構とくしま医療センター東病院(276床)、上板町に藍里病院(228床)、松茂町にほのぼのホスピタル(216床)、北島町にきたじま田岡病院(198床)がある。
鳴門教育大学と徳島工業短期大学を除き、徳島県内の大学は全て本市に立地している。また、県内の高校のうち、2011年度現在で存続している私立高校はすべて本市に集中している。
本市に大学が設置されたのは戦後に入ってからだが、戦前には徳島医学専門学校などの国立専門学校が集中して開校し、四国の高等教育の中枢を担った。現在でも、四国で医歯薬学部の揃った大学は徳島大学のみであり、また、同大工学部の学生数は中四国の大学で最多である。
1875年(明治8年)には、福澤諭吉の方針によって慶應義塾の支塾も開設された。同塾が支塾を開校したのは、全国で大阪、京都、徳島の3都市だけである。
徳島大学
徳島文理大学
四国大学- 市立・県立
徳島県立城東高等学校
徳島県立徳島北高等学校
徳島県立徳島科学技術高等学校
徳島市立高等学校
- 私立
太字の学校には制服がある。
- 徳島市立富田保育所
- 徳島市立内町保育所
- 徳島市立渭東保育所
- 徳島市立津田保育所
- 徳島市立南井上保育所
- 徳島市立渭北保育所
- 徳島市立八万東保育所
- 徳島市立国府保育所
- 徳島市立北井上保育所
- 徳島市立論田保育所
- 徳島市立加茂名保育所
- 徳島市立昭和保育所
- 徳島市立八万保育所
- 徳島市立沖洲保育所
- 徳島市立川内保育所
- 徳島市立大松保育所
- 徳島市立名東保育所
- 徳島市立方上保育所
- 徳島市立一宮保育所
- 徳島市立不動保育所
- 徳島市立北島田保育所
- 徳島市立応神保育所
- 徳島市立芝原保育所
- 徳島市立明善保育所
- 徳島市立八多保育所
- 徳島市立多家良保育所
- 徳島市立渋野保育所
- 徳島市立丈六保育所
- 徳島市立飯谷保育所
- 徳島市立新浜西保育所
- 徳島市立城西保育所
- 私立梅の花保育園
- 私立阿波国慈恵院保育園
- 私立出来島保育園
- 私立前川乳児保育園
- 私立南佐古保育園
- 私立さくら保育園
- 私立四国大学附属乳児保育園
- 私立若松保育園
- 私立みずほ保育園
- 私立青葉保育園
- 私立もとしろ保育園
- 私立島田保育園
- 私立ひまわり保育園
- 私立くるみ保育園
- 私立なかよし保育園
- 私立川内南アコール保育園
- 私立すぎのこ保育園
- 私立わかば保育園
- 私立城南保育園
- 私立大原保育園
- 私立あゆみ保育園
- 私立助任保育園
- 私立みのり保育園
- 私立みどり保育園
- 私立光花保育園
- 私立春日保育園
- 私立育英保育園
- 私立おおぎ保育園
- 私立青嵐保育園
- 私立川内わかば保育園
- 私立四国大学附属保育所
- 私立めだか保育園
- 私立沖浜シーズ保育園
- 私立四国大学附属西富田保育所
- 私立とくしま健祥会保育園
- 鳴門教育大学附属幼稚園
- 徳島市内町幼稚園
- 徳島市新町幼稚園
- 徳島市佐古幼稚園
- 徳島市富田幼稚園
- 徳島市福島幼稚園
- 徳島市城東幼稚園
- 徳島市助任幼稚園
- 徳島市津田幼稚園
- 徳島市昭和幼稚園
- 徳島市沖洲幼稚園
- 徳島市加茂名幼稚園
- 徳島市加茂名南幼稚園
- 徳島市八万幼稚園
- 徳島市八万南幼稚園
- 徳島市千松幼稚園
- 徳島市大松幼稚園
- 徳島市不動幼稚園
- 徳島市上八万幼稚園
- 徳島市一宮幼稚園
- 徳島市入田幼稚園
- 徳島市川内北幼稚園
- 徳島市川内南幼稚園
鳴門教育大学附属幼稚園
徳島文理大学附属幼稚園
四国大学附属幼稚園
専門学校徳島穴吹カレッジ徳島歯科学院専門学校
徳島県美容学校
ブレーメン愛犬クリエイティブ専門学校
徳島中央自動車教習所
広沢自動車学校
千松自動車教習所
市内に河川が極めて多く、橋の建設に多額の費用と高い技術が必要となるため、道路、鉄道整備は遅れた。徳島市は、四国の県都の中で唯一私鉄が走っておらず、また、慢性的な交通渋滞が生じている。私鉄が走っていない分、市内の公共交通はJR線や路線バスに頼る面が大きく、JR徳島駅の乗降客数はJR四国の駅の中で第2位となっている。
関西方面への公共交通機関は高速バスが担っている。かつては高速船や航空機も多数発着していたが、明石海峡大橋開通後に全廃された。
JR線は、徳島駅を起点として高徳線、徳島線、牟岐線、鳴門線の列車が発着し、通勤、通学を主体とした輸送が行われている。都市間連絡は高徳線に特急「うずしお」が高松駅へ走り、香川県や中国地方への連絡が図られ、また徳島線には特急「剣山」が阿波池田駅へ走り、高知県方面への連絡が図られている。
関西方面ならびに松山市方面には、所要時間、料金面からも高速バスが圧倒的に有利である。なお、市内に電化されている鉄道区間はない。
高速道路は、吉野川北岸を徳島自動車道が通っている。兼ねてより徳島IC〜鳴門IC間の工事が進行しており、2015年に開通した。この開通により、関西、中部、関東から愛媛、高知方面へ向かう自動車、高速バスはほぼ全て徳島市を経由するようになった。
航空機は、隣の松茂町に徳島飛行場があり、東京・福岡便が発着している。徳島市は、日本初の定期航空路線が開設された都市である。
カーフェリーについては、かつては阪神方面に多数航路が存在したが、2019年6月現在では徳島港から和歌山港を結ぶ南海フェリーのみである。また、東京・北九州へオーシャン東九フェリーが運航されており[29]、これは四国と関東を結ぶ四国唯一のフェリー航路となっている。
市内交通は、マイカーと自転車に頼るところが大きい。とくに自転車は、雪が降らず、晴れの日が多いことや、坂道が少ないこと、公共交通機関が不便なことから、通勤通学や日常生活の足として欠かせないものとなっており、全国に先駆けて、昭和40年ごろには歩道に自転車専用レーンが整備[30]され、徳島市の交通機関に占める自転車の分担率は、全国の都道府県庁所在地で最高[31]となっている。道路については道路整備の遅れから朝夕の渋滞が慢性化しており、現在徳島外環状道路の整備が進んでいる。
徳島駅前徳島市内を走る鉄道は全てJRであり、四国の県庁所在地で唯一私鉄が通らない市でもある[注釈 9]。高徳線が佐古地区から吉野川北岸の内陸側の応神地区にかけて、市街地では徳島線が眉山の北側、牟岐線が眉山の東側を通っている。当市内をはじめ、徳島県内全線全区間が非電化である。また、路線は吉野川の川幅の広さや小河川の多さ、眉山、四国山地などの地形の障壁を軽減するように通っている。そのため利便性が高い地域はあまり多くない。
関西方面への移動は、瀬戸大橋を経由しなければならない鉄道よりも明石海峡大橋を通る高速バスのほうが圧倒的に速く料金も安いため、四国の他県都と違って同方面への鉄道需要はほぼ皆無である。高知市、松山市への移動も鉄道だと高松駅または阿波池田駅で乗り換えが必要となることなどから高速バスを利用する人が多いため、中・長距離移動で鉄道を利用する人はかなり少ない。これが当市の鉄道路線が電化されない理由の一つになっている。
ただし、通勤・通学などの近距離輸送の需要は比較的高く、徳島駅の乗降客数は高松駅に次いで四国第2位になっている。これは、市内の朝夕の道路渋滞が激しいことや、徳島駅前にアミコビルなどの大型商業施設が集中し当市最大の繁華街が形成されていること、路線バス・高速バスがほぼすべて徳島駅を起点としており鉄道との接続がスムーズであることなどが理由として挙げられる。しかし、少子化による通学需要の減少や中心市街地の衰退に伴い利用者は減少傾向にある。
市内に私鉄や地下鉄が通っていないため、市街地内や市街地と郊外を結ぶ公共交通機関として重要な役割を果たしており、通勤・通学や高齢者の買い物や通院の足となっている。ほぼ全ての路線がJR徳島駅前を発着点にしており、JRや他のバス路線への乗り継ぎが分かりやすくなっている。最大の運行本数を持つ徳島市交通局の1日の乗客数は約14000人(平成19年)である。
5分以内の間隔で運行されている区間が存在するなど、私鉄がない分多くのバスが運行されているものの、最終便が早く、大半の路線で21時台となっている。
モータリーゼーションにより、全国の地方都市の路線バスと同じく利用者の減少に悩まされている。また、朝夕ラッシュ時は、交通渋滞のために遅延が頻発し、自転車やバイクを利用するほうが速いことが多く、とくに近距離の通勤通学利用は少ない。しかし、雨天時には自転車が利用できないためにバスを利用する客が増え、混雑する。
均一運賃の導入による料金体系の見直しや循環バスの運行、運転士のサービス改善といった対策が行われている。徳島市交通局では、近接した路線を統合して循環バスを新たに開設したり、利用者の少ない路線を福祉バス化したりするなどの経営改善策が図られ、徳島バスでは、好調な京阪神方面への高速バスでの収入により、路線バスの赤字を補っている。
2010年9月26日と10月31日の2日間、徳島市の「まちにいこうよ」事業の一環として、市内を発着する全ての路線バスの運賃を一律100円にする社会実験が行われた。期間中、利用者が大幅に増加し好評だったことから、2011年3月までの間、各月の最終日曜日に継続して実施されることになった。実施日に合わせて、中心市街地で様々なイベントが開催されることになっている。
徳島市内を発着する路線バス企業
全て当市内発着、または徳島市内のバスストップに停車する高速バス路線。大半はJR徳島駅発着である。関西方面へは、料金、時間ともに鉄道に対して圧倒的な優位性を持っており、同方面へ1日100往復を超える高速バスが運行されている。
徳島バス
ジェイアール四国バス
徳島バス・ジェイアール四国バス共同運行
海部観光
その他
- 工業団地前バスストップ(大阪線の数便、高松線のみ停車)
- 鈴江バスストップ(高知線・松山線のみ停車)
- 徳島大学前バスストップ(神戸線、阿南発着便、高松便のみ停車)
- 徳島駅バスストップ(阿南発着便・ドリーム高知号は経由しない)
- 海部観光徳島駅前営業所(海部観光便が徳島駅バスストップの代わりに使用)
- 八百屋町バスストップ(名古屋~徳島・松山線が徳島駅バスストップの代わりに使用)
- 徳島文理大西口バスストップ(阿南発着便のみ停車)
- 大野バスストップ(海部観光便のみ停車)
- 加茂名バスストップ(大阪線石井発着便のみ停車)
当市の主要幹線道路は、徳島本町交差点を中心として東西南北方向に走っているのが特徴で、吉野川、鮎喰川、勝浦川など多くの河川や眉山といった自然の障壁に阻まれて、徳島市を通過する自動車のほとんどが中心部に集中するようになっている。交通量の増加に伴う道路整備は、自然の障壁の多さや用地買収の難航のため遅れており、朝夕の通勤時間帯には市街地やその周辺、吉野川にかかる橋付近で激しい渋滞が発生している。
- 徳島外環状道路:当市中心部の渋滞を緩和するために建設が進められている全長35kmの環状道路。
- 国道11号
起点- 当市かちどき橋一丁目のかちどき橋交差点から北へと延びる道路である。国道55号と共に当市を南北に貫く幹線道路として位置付けられている。市内は全線6車線で整備も行き届いているが、交通量の多さから川内町、吉野川大橋、徳島本町、県庁前などでは頻繁に渋滞が発生する。吉野川大橋付近の1日の平均交通量は80,000台を超え、徳島県内だけでなく四国で1位である[広報 16][広報 17]。朝のラッシュ時には徳島本町交差点を先頭に、吉野川大橋を越えて川内町付近まで3km近く渋滞する事もある。
- 国道28号
- 当市から板野郡松茂町までは、国道11号と重複区間となっている。
- 国道55号
かちどき橋- 当市かちどき橋一丁目のかちどき橋交差点から南へと延びる道路である。国道11号と共に当市を南北に貫く幹線道路として位置付けられている。市内はかちどき橋交差点から大野橋交差点までが6車線、大野橋交差点以南が4車線で、こちらも国道11号同様、頻繁に渋滞が発生する。主な渋滞発生場所は勝浦川橋、大野橋、南昭和町、県庁前など。沿線には国道55号を中心に大学や商業施設などの立地している沖浜地区があり、沖浜以南では農耕地の広がる地域を走る。
- 国道192号
上鮎喰橋- 当市徳島本町二丁目の徳島本町交差点から西へと延びる道路である。当市の中心部を通って、市内を東西に貫く幹線道路として位置付けられている。市内は徳島本町交差点から上鮎喰橋までが4車線〜6車線、上鮎喰橋以西が2車線で、国府町、蔵本町、佐古、八百屋町、徳島本町などで頻繁に渋滞が発生する。特に、朝の蔵本公園前から中心部への渋滞は激しい。こうした渋滞を緩和するために、現在[いつ?]国府町から上八万町、八万町を通って国道55号に抜けるバイパス(徳島南環状道路)が建設中である。
- 国道195号
- 当市から阿南市までは、国道55号と重複区間となっている。
- 国道318号
- 当市から吉野川市までは、国道192号と重複区間となっている。
- 国道438号
- 当市中心部から八万町、上八万町を通って名東郡佐那河内村へと続く道路である。八万町までは電線も地中化されている。市内の道は元町交差点から南二軒屋交差点までが4車線〜6車線、南二軒屋交差点以南が2車線〜1、5車線で、大木、園瀬橋、南二軒屋、大工町などでしばしば渋滞が発生する。
- 国道439号
- 当市から三好市東祖谷菅生までは、国道438号と重複区間となっている。
市内を走る主要県道
市内を通る一般県道
最寄りの空港は徳島空港(松茂町)。乗り入れている航空会社
徳島市に新聞が創刊したのは1876年(明治8年)であり、戦前には『徳島毎日新聞』(徳毎)と『徳島日日新報』の2紙発行元が徳島県域(一部香川県)をエリアとして新聞を発行していた。この2社は激しい報道合戦や購読者獲得競争を繰り広げたが、1941年(昭和16年)に新聞統制に基づき統合され、『徳島新聞』となった。
ラジオ放送は、大正末期にNHK大阪放送局開局により聴取が可能となり、1933年(昭和8年)、高知に次いで四国2番目の放送局として日本放送協会関西支部徳島支所(NHK徳島放送局)が開局した。同局は、阿波踊りや、「阿波よしこの」の名手お鯉さんの歌を放送し、これらの全国的な知名度の向上に貢献した。戦後、1952年(昭和27年)には、四国放送が、中四国初となる民間ラジオ放送を開始した。
テレビ放送は、1959年(昭和34年)にNHKと四国放送が開始した。徳島県内での民間放送はその後開局せず、県内に系列局を持たないJNN・ANN・FNNの各ニュースネットワークについては、それぞれ大阪の放送局が市内に報道支局を置いている。
NHK徳島放送局
徳島新聞社(四国放送)本社
ケーブルテレビ徳島本社- 新聞
- テレビ局
徳島県を対象地域とする放送局
下記は報道拠点を置く放送局
- ケーブルテレビ局
- ラジオ局
徳島市の観光客入り込み客数は、年間229万5,000人[統計 5]である。1998年の明石海峡大橋の開通や、徳島を舞台にした映画『眉山』や『バルトの楽園』の上演によって増加傾向にある。
市内の主要な観光地としては、市のシンボルである眉山、徳島城跡、阿波踊り会館、徳島県文化の森総合公園、とくしま動物園、阿波十郎兵衛屋敷がある。また、市内には四国八十八箇所の札所のうち、13番大日寺から17番井戸寺までがある。いずれも市の郊外に位置している。
徳島県立図書館
徳島県立博物館、鳥居記念館、近代美術館、21世紀館
徳島県立文書館
徳島城
一宮城
旧徳島城表御殿庭園
ケンチョピア
新町川水際公園徳島中央公園は、徳島藩主蜂須賀氏の居城であった徳島城跡(城山)に整備された公園であり、日比谷公園に次いで全国2番目に整備された西洋式公園としての歴史を持つ。桜の名所であり、徳島城博物館や表御殿庭園などがある。徳島市内町小学校の生徒らは卒業に伴いタイムカプセルをこの公園敷地内へ埋める。しかし、無関係の者に無断で掘り返されるなどの事態は未だかつて起こったことはない。眉山は徳島市のシンボル的存在として市民に広く親しまれており、山頂(眉山公園)へはロープウェーや自動車で登れる。山頂からの眺望は素晴らしく、夜景は日本夜景遺産に指定されている。
県立の図書館、博物館、美術館は市郊外、八万町の徳島県文化の森総合公園内に集中している。かつて県立図書館は徳島中央公園(徳島城跡)内に、博物館は新町地区の眉山ロープウェー乗り場(現阿波踊り会館)に立地していたが、1990年(平成2年)、文化の森オープンと同時に移転した。
県立図書館の県民1人当たりの貸し出し冊数は、都道府県立の図書館の中で最も多く(2005年度)、蔵書数は四国最大である。一方、徳島市立図書館は長らく規模の小さい図書館であったが、2012年に徳島駅前のアミコビルに拡張移転し、施設面積は約3倍となり、内容も充実した。
- 市立、県立
- 学外者の利用が可能な大学図書館
とくしま動物園は、市中心部にあった徳島市立動物園が郊外に移転拡張して1998年にオープンしたもので、年間約20万人の入園者がある。それに隣接するとくしまファミリーランドは、徳島県内唯一の遊園地となっている。眉山公園、徳島中央公園、西部公園は、市内有数の桜の名所であり、3月末〜4月上旬にかけては多くの花見客でにぎわう。市中心部のひょうたん島やその対岸の河岸は、公園や緑地として整備されて景観の向上が図られており、春〜盆前にかけては阿波踊りの練習場所にもなる。しんまちボードウォークは、中心市街地の活性化のために新町川沿いに建設された遊歩道であり、とくしまマルシェなどのイベント開催時には多くの人で賑わう。普段は静かな市中心部の公園だが、徳島市阿波おどり開催中は演舞場や露店街に様変わりし、観客や踊り子達でごった返すこととなる。
有名な歌手、劇団、楽団のコンサートが主に行われるのは徳島市立文化センター、徳島県郷土文化会館、アスティ徳島である。このうち徳島市立文化センターは1963年(昭和38年)の開館で最も歴史があり、市内唯一の1000人規模の公共ホールとして、有名歌手や世界的なオーケストラの徳島公演が数多く行われてきたが、抜本的な改修やリニューアルは行われておらず、施設の老朽化や音響、設備の面での不備が指摘され2015年3月より使用停止。翌年には耐震工事や設備投資を行わず完全閉館する事が決定された。そのため、徳島市は市中心部の新町西地区への新しいホール建設を計画していたがその後に白紙撤回。徳島市文化センター跡地に新しいホール建設を計画していたが、徳島市文化センター県有地問題で白紙。徳島市が徳島市文化センター跡地の市有地を徳島県に譲渡し新しいホール建設を移譲。徳島市文化センター、徳島県青少年センター、徳島市中央公民館跡地に新しいホール建設を計画していた。予定地は未定だが、収容人数は文化センターと同規模かそれ以上。アスティ徳島は四国最大の多目的コンベンションセンターであり、有名アーティストの大規模ライブや大型の式典、展示会が開催される。むらさきホールは徳島文理大学キャンパス内にある音楽ホールであり、主に大学主催のコンサートや学生出演のコンサートが開催される。
- 徳島市立文化センター(1963年4月13日開館 - 2015年4月1日休館。2017年3月31日閉館。徳島町)
- 徳島市立木工会館(1982年3月開館 - 2020年6月30日閉館。福島)
- 徳島県青少年センター初代(1974年開館 - 2021年12月5日閉館。徳島町)
- 大会議室(300席)
- レクリエーションホール(100席)
- 徳島県教育会館(2022年3月31日閉館。北田宮)
- 徳島市中央公民館(1981年5月1日開館 - 2022年3月31日閉館。徳島町)
市内には大型のスポーツ施設が集まっており、各種競技の県大会も多数行われる。ただし、市近郊の鳴門市には県内最大の徳島県鳴門総合運動公園(鳴門・大塚スポーツパーク)があり、徳島開催のプロ野球公式戦や、Jリーグの試合は主に鳴門総合運動公園内の球場、スタジアムで行われる。また、市内を流れる吉野川や鮎喰川、勝浦川の広大な河川敷は運動場としても利用されており、野球やソフトボール、サッカーなどの試合が行われるほか、阿波踊りの練習場所にもなっている。吉野川河川敷の一部は民間ゴルフ場のコースにも利用されている。
- 公営施設
徳島市地区コミュニティセンター条例[広報 18]および徳島市地域コミュニティセンター条例[広報 19]に基づき、徳島市は27のコミュニティセンターを設置している[広報 20]。
徳島藩は江戸時代中期より阿波和三盆糖の生産を開始し、薩摩(鹿児島県)、讃岐(香川県)と並ぶ砂糖の一大産地となった。徳島市はその集散地として、全国でも最も早く、大量の砂糖を入手することができたため、阿波ういろなど、江戸時代から続く伝統和菓子が存在する。また、古くから比較的安価に砂糖が得られたことから、庶民の間にも砂糖を使った料理や菓子が広がり、花嫁菓子といった風習も残っている。
- 銘菓
- 小男鹿、滝の焼餅、阿波ういろ、阿波和三盆糖、金長まんじゅう
- 調味料
- 御膳味噌
- 食材
- 大野海苔
- 郷土料理・B級グルメ
- 徳島ラーメン、ぼうぜの姿寿司、豆玉、とくしまバーガー、フィッシュカツ
- 日本酒銘柄
- 勢玉、御殿桜、蘭玉、旭牡丹、南国一
- 小説・漫画・アニメ
- 映画
- ドラマ
- 音楽
- ^10%都市雇用圏の人口。四国他県の県庁所在地においては、高松都市圏が約84万人、松山都市圏が約64万人、高知都市圏が約55万人となっている[要出典]。
- ^四国では高知県高知市の1889年4月1日に次ぎ2番目の市制施行。なお3番目は愛媛県松山市で同年12月15日。4番目は香川県高松市の1890年2月15日[要出典]。
- ^1889年当時、世帯数14,607世帯、人口60,861人(男29,530人、女31,331人)。寄留簿人口による[要出典]。
- ^1998年12月23日から29日の署名簿縦覧を経て、第十堰住民投票の会が集めた有効署名数を、101,535筆(法定数の24.3倍、有権者の48.8%)に確定[要出典]。
- ^賛成17名、反対22名(特別委員会での賛成4名、反対7名)[要出典]。
- ^平成11年徳島市条例第30号。
- ^投票総数113,996票(当日有権者総数207,284人の54.995%、有効投票数112,116票 無効票1,863票(うち白紙1,135票))のうち、可動堰建設反対102,759票、賛成9,367票だった。なお、この投票は「吉野川可動堰建設計画の賛否を問う徳島市住民投票条例(平成11年徳島市条例第30号)」第3条の規定により、「住民投票は,投票資格者の2分の1以上の者の投票により成立するものとする」とされ、投票率が50%に満たないときは開票そのものを行わないという異例なものであり、戦後の地方自治法の下で行われた住民投票では初めてのことであった。その開票基準の適否を巡っても全国の新聞・放送局その他各界で激しく議論がなされた[要出典]。
- ^このほか徳島県内では、吉野川市で死者1名。
- ^徳島県自体でJR以外の鉄道は第三セクター鉄道の阿佐海岸鉄道阿佐東線のみである。
- ^1975年以前は、むしろ現在の8月12日から15日には実施されない事が多く、8月初旬や8月下旬のほか、9月に実施されたこともあった[要出典]。また、1934年や1935年は3日間の日程で実施された(出典:徳島市観光協会の1934年以降の告知ポスター)。なお、正式な期間と日程は「阿波おどり実行委員会」において毎年決定している[要出典]。
- 行政
- 観光
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注: 順位は令和2年国勢調査時の市域人口による。 |
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